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Bliss


「本日新たに誕生する天使は八名。大天使は――」

 

 使者の言葉を聞きながら、私は円卓を見下ろした。少し高くなっているこの座席からは、全ての面々を見渡せる。

 ガブリエル。優美な天使だ。大天使の中で唯一の女性ながら、私の次に誕生し、統括体制の構築に尽力してくれた。

 ウリエル。仕事熱心な真面目な天使だ。今も黒耀の瞳で書類を睨んでいる。下級天使達からは密かに恐がられているようだが……。もう少し、口調が穏やかになれば良いのだろうに。

 そしてラファエル。彼は逆に下級天使からの人気が高いそうだ。蒼く長い髪も、穏やかな翠の目も、風を司る癒しの天使の名に相応しい。一番新参だが、すっかり慣れたようだな。私と話すにも緊張していた頃が懐かしいくらいだ。

 

「そして大天使長様」

 

 唐突に呼ばれ、慌てて使者へと目を移す。

 

「どうした」

「はい。今日は記念すべき日になると――大天使長様、弟君が誕生したそうでございます」

 

 私に……弟?

 がたっ、と椅子を鳴らしたのはガブリエル。彼女は私よりも先に声をあげる。

 

「まあ! ルシフェルに弟だなんて。とても美しい子に違いないわ!」

 

 この知らせにはさすがのウリエルも顔を上げた。その隣、ラファエルも穏やかに微笑む。

 

「ルシフェルに弟か。喜ばしいことじゃないか」

「良かったな、ルシフェル」

「ああ……」

 

 急過ぎて、いまいち状況が飲み込めない。それは確かに、今まで兄弟や姉妹の天使の誕生を見届けたことはあったが。いざ自分に弟ができると言われても、どう思えば良いのやら。

 私の弟――つまり、私と同じ炎から生まれた天使。以前ウリエルに作ってもらった首飾りを無意識のうちに握っていた。――その天使の炎は、純粋だったのだろうか。

 

「つきましては、大天使長御自ら祝福の儀を執り行って頂きたく」

 

 使者が言う。私がうなずく前に、またしてもガブリエルが口を開いた。自分の弟ではないのに彼女はやけに嬉しそうで、ありがたく思いながらも喜び方が余計にわからなくなってしまう。

 

「早く行きなさい、ルシフェル。あとは私達がやるから」

「しかし、」

「いいから。行って来い、ルシフェル」

 


 

 ――全員に追われるような形で部屋を出、やって来たのは《天意の間》。

 新しい天使はこの部屋にいるはず。祝福の儀を行う者はひとりずつ、自分が担当する天使とここで対面するのだ。ひとりの大天使が入れば、ひとりの新たな天使が待っている。それと……この部屋の主人もか。

 今のところ例外はないし、仕組みをわざわざ崩したいという気持ちはこれっぽっちもなかった。それは我々が考えずとも良いこと。全ては主の御心のままに。

 

 いつもと同じように深呼吸し扉を開く。出会いというものは緊張するから。

 まるで別世界に来たかのような輝きに、思わず目を細める。《天意の間》は床も壁も全面が水晶でできた部屋だった。

 見えないほど高い天井を目指してそびえる鋭い水晶柱は、攻撃的である以前に美しい。純粋でなければこんなにも見事な輝きは放てまい。そして、中央に立つ一際大きなそれに“突き刺さった”白い人影。私はやや離れた位置からその青年の名を呼んだ。

 

「ザドキエル」

 

 白い衣、真っ白な髪、白過ぎる肌。消え入りそうな姿の中で、唯一こちらを見た瞳だけが痛いほどに赤い。衣に白以外の色は一滴たりともない。

 これほど“音も無く”表情を動かす者を私は知らない。仰向けのまま、眠たげに微笑い。

 

「……やあ《光の子》。思ったより早かったじゃないか」

 

 ゆっくりゆっくり、言葉を噛みしめるように話す天使。彼こそがこの天界でたったひとり、主の意志を受け、伝えることのできる《器》。この《天意の間》の主人。

 

「ザドキエル、私に弟が?」

「そうさ。君と同じ火種から創られた。主が、そう仰ったんだよ」

 

 腹を鋭利な水晶に貫かれたまま、手足をだらりと投げ出した状態でザドキエルは笑う。いつ来ても近寄ることが躊躇われるのは、その見た目のせいだろうか。それとも、彼が主の御言葉を口にするからだろうか。

 おいで、と言われてようやく足を踏み出す。近づくにつれて、床に、いつものように揺りかごが置かれていることに気付いた。あの中に……私の弟がいるはずだ。

 

「名はミカエル。ルシフェルの弟。時を渡る才有り。……まあ、このくらいだね。あとは任せる」

 

 そう言ってザドキエルは目を閉じてしまった。彼は毎回、祝福しているところは見ない。必要な情報だけを伝えて、あとはまるで飾り物であるかのように何も干渉してこないのだ。

 ミカエル、と伝えられた名前をひとり呟いて、私は揺りかごの中を覗き込んだ。

 

 その瞬間。

 

 何か、言い知れぬ衝撃が体を駆け抜けた。他の天使を見た時は感じたことのない、奇妙な感覚。

 私は知らず小さく喘ぎ、息を整え、再びその眠る天使を見た。

 小さな、天使だった。そして……今までに見た何ものよりも美しい天使だった。

 白く滑らかな頬。柔らかそうな、緩く波打った淡い金色の髪。瞳を縁取った長いまつ毛も、形の良い桃色の唇も。何もかもがいとおしくて仕方なくなった。

 そう、いとおしいのだ、初めて出会ったというのに。美しさを鑑賞の対象として満足できるような賛美の気持ちではない。初めてだ――これほどまでに何かを欲するのは。

 この天使は、この天使だけは、何があっても泣かすまい。《光》も、自分のためだけに望むことは許されるのだろうか? もしも欲望を抱くことが許されないのだとしたら、それは苦しいと、初めて思った。

 ……ああ、この目蓋が開いた時、瞳は何色をしているのだろう、どんな声で話すのだろう。私のことを――兄として認めてくれるだろうか。

 先程の奇妙な感じ……それは私が他ならぬこの天使の“兄だから”なのか?

 わからない。けれど、願うのは紛れもなくこの子の幸福。ならば私は、最高の祝福を与えよう。

 揺りかごの前に跪き、小声で主へと祈りを捧げた。気を集中し、しまっていた翼を解放する。背中にわずかに熱を感じ、同時に身体中に力が巡るのがわかる。黄金の光を帯びた白く柔らかな羽根が数枚、水晶の床へとゆっくり着地した。


 ――この者の行く先を、私の光によって照らそう。


 翼で包むように揺りかごへかぶさり、金色の髪をそっと掻き上げた。


 ――大天使ルシフェルの名に於いて、小さき者に幸を与えよう。


 そして、そっと額に口付けを落とす。彼は――弟は身動きひとつせず、静かに眠ったまま。

 普段ならばここで終わるところ。だが私は次に……その唇に自分の唇を合わせた。堪えられなかったのだ、しかし、ほんの一瞬だけ。彼が少し動いたような気がして――それを目の端で確認しながら、私は収まらない動悸にひどく狼狽えていた。

 

「……っ」

 

 どうしたというのか。この感覚は、“知らない”。胸が苦しい。私の心を乱すのは一体――。

 いや、そればかりではない。

 ほんの一瞬、にもかかわらず触れた唇から流れ込んできた“力”。まさか……これがこの子の? すぐには信じられないほど、その力の波は大きな流れだった。

 普通、誕生したばかりの天使は自分の力を制御することができない。波動のような揺らぎが放出されるがままの状態だ。大天使の我々にはある程度、発散される力は目視可能で。だから祝福の儀は本当は力量の見極めも兼ねている。そして今回。ミカエルからはあまり見えない……そう思っていたのに。

 

「ザドキエル」

 

 思わず呼んだ。真っ白な天使はゆっくりと顔を動かし、相変わらず眠たそうな眼でこちらを見る。

 

「珍しいねぇ、君から話しかけてくるなんて。しかも祝福の最中に」

「教えてくれ、ザドキエル。この子は……ミカエルは一体何者だ」

「何者って、嫌だなぁ。君の弟だって言ってるじゃないか」

 

 違う、そうではない。首を振るも、ザドキエルはクスクスと笑うばかり。

 

「いくら君の頼みでもねぇ、これ以上の情報はあげられないよ。だって僕は《器》だから。受けることはできても、注ぎ終えたらもう終わりなんだ」

「この子は何かが違う。違和感の正体を、まだ私は知らなくても良いということなのか? それが主の御心だと?」

「僕が思うに、君達が兄弟だからじゃないかなぁ。つまり、“君の”弟だからだよねぇ、きっと」

 

 またクスクスと肩を揺らされる。

 私の弟だから。妙だと思いながらも、傍に置いておきたいと望んでしまうこの感情も、そこから生じているというのか。何故だ。小さなこの子を……“自分のものにしたい”と願ってしまうのは。

 だが、と再び冷静に考えを巡らせる。私が傍へ置きたいと願えば、宮殿の中へ入れることとなる。必然的に何らかの役職は担わねばなるまい。

 宮殿の中にいる天使は大天使ばかりではないが、統治に関連する特別な任を負う者がほとんど。その他の天使にも役割はあるものの、治められる側である上での役割だ。線引きがなければ……私の存在理由が失われよう。天使長が在ること、それが即ち、制度の正当化。

 見下ろした先で、可愛い天使は安らかに寝息をたてている。こんな小さな体に、私達と同じ責を負わせるのは酷だ。それに私の弟とはいえ、特例を認めることは避けたい。誕生したばかりで宮殿に入ることはあり得ない。私でさえも、本当にわずかな期間だったが、長でない時期はあったのだ。

 名残惜しいが、暫くは離れて過ごすのが良いだろう。他の天使達と同様、少しの間は宮殿の外で自由に学び遊ばせよう。私が兄だと知らせるのも、後で良い。……それが良いことなのかは確信を持てないが。

 

 ――愛すべき弟、ミカエル。

 

 もう一度、彼の頭を優しく撫でた。暫しの別れだ。ザドキエルに任せておけば、そのままこの子も宮殿外の教育機関へと送られるだろう。そこで下級天使達に世話をしてもらうか。といっても、怪我のないように見ていてもらうだけだが。将来を考えるのはそれからでも遅くはない。宮殿に入る資格があるかどうかもまだわからないのだから……などという思いは、彼のあの力と誕生の起源を知れば、心にもないけれども。

 

「……ああ、そうだ」

 

 私が立ち上がると、ザドキエルが、ふと思いついたように言った。

 

「ね、君、彼の名前の意味を教えてあげようか。何か手がかりになるかも」

「名前の意味?」

 

 主より頂いた大切な名前。自らの責を表し、主の期待がこめられている言の葉。

 弟のものならば、先に知っておくのも悪くない。

 顔をあげると、白の天使は笑みの形の口を開いた。

 

「そう、彼の役割さ。よく聞いてね《暁の輝ける子》。彼の名前の意味は――……」


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