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Old Long Since【 M-6 】


『天使長がいらっしゃった!』

『ルシフェル様が“外”に?!』

『是非お姿を拝見したい!』

 

 麗らかな昼下がり。普段なら子供達が駆け回り、一般の天使が集う憩いの庭。真っ白な宮殿の前に広がるその場所はいつになく騒がしかった。

 数名の天使が慌ただしく駆けていく。驚きと歓びの表情で、滅多に“外”の天使には姿を見せない彼の噂を口にして。自分以外にとっても兄は憧れなのだ。誇らしいような、悔しいような。

 それにしても、一体どうしたというのだろう。庭園を照らす陽はまだ高い。今は仕事中のはずなのに。……というのは“たてまえ”。

 会いたいな。会えるかな。

 実は夜まで待ちきれない。彼はこんな庭園の隅まで来てくれるだろうか。この――……

 

「ミカエル?」

「……あ、はいっ!」

 

 あいにく、自分を呼んだのは兄ではなかった。しかしどうやら何度も呼ばれていたみたいだ。紫苑の瞳が心配そうに見つめているから。

 

「す、すみません! えと、どこから……」

 

 慌てて本を捲る。気付かない間に風に項を戻されていたらしい。さっきまで読んでいた箇所が見当たらない。

 

「“天界の創造について”、ですね。もう少し先……ええ、そこです」

 

 向かい側で微笑んだ美しい天使は、自分の教育係であり兄の友人だ。そして自分の友人でもある。肩まで伸ばされたきれいな銀髪は、今みたいに下ろしていた方が好き。華奢な彼女にはその方が似合うもの。

 

「ごめんなさい、アッシュ。ぼーっとしてしまいました」

 

 アシュタロスという名前は長いから、自分はそう呼ばせてもらっているのだけど。

 

「大丈夫ですよ、ミカエル」

 

 最初は何故か“ミカエル様”だなんて呼んでいたアッシュも、それは嫌だと言ったら、今では時々を除いて自分のことをこう呼んでくれる。大切な、友達。

 ああ、集中しなくちゃ。

 アッシュは本当に色々なことを教えてくれる。メフィ先生の礼儀講座が修了して、今度は彼女と毎日のようにこうして一緒に本を読み、それから体術の稽古を少しずつ。体を動かすのがすごく得意なアッシュだけれど、勉強中も質問には何でも答えてくれる。密かに憧れだ。

 

 庭園の隅に置いた卓に広げた書物はいわば“歴史書”。誰が書いているのかは知らない。そこにはずっと昔――兄が生まれるよりも前のことが、全ての天使にわかるように記されている。知らなかったことがわかるのは楽しい。だから読書は好きだ。

 

『――こちらにいらっしゃる?!』

『お迎えの用意を!』

 

 ……兄の方が、もっと好き、かな。なんて。

 

「ミカエルー?」

「……ぁ! ご、ごめんなさいっ!」

 

 まただ。また向こうに気をとられた。集中集中!

 と、気合いを入れて文字を睨んでみたのに。

 

「……貴方達は本当に……」

「アッシュ?」

 

 ぱたん、と本を閉じたのはアッシュの方だった。

 ――怒らせちゃったかも!

 焦る、焦る。彼女は微笑んだままだけど、そんな笑顔は当てにならない、らしい。自分はまだ怒られたことはない。しかしいつのことだったか、ニコニコと談笑していたはずの彼女の話し相手が、かなり凹んだ様子で“解放”されたのを見たことがある。何故か寒気がしたような。

 首をすくめておずおずと見上げる。笑顔の彼女はゆっくりと口を開き……

 

「今日はもう終わりにしましょう。気になるのでしょう?」

 

 降ってきたのは存外に優しい声。目をぱちぱちさせていると、逆に首を傾げたのはアッシュの方。

 

「どうしました?」

「え、いえ……あっ、僕、平気です! 頑張れます!」

「いいのです」

 

 慌てて書物に触れた手をやんわりと剥がされる。戸惑って顔を上げてみても、微笑は変わらずあたたかい。

 

「ここまで来て、彼が貴方に会わないで帰ると思いますか? あの兄馬鹿な彼が」

 

 ――兄馬鹿。馬鹿?

 

「行って差し上げなさい。その方が彼も喜びます」

 

 顔が熱い。変な表情になっていないか心配でうつむき、でも、正直に甘えてひとつうなずいた。それに、これ以上はどう頑張っても集中できない気がしたから。

 頭を軽く撫でられる。そしてその手が優しく背中を押し出してくれる。

 

「さあ、もうすぐ麗しの天使長がお見えになりますよ」

「あ……はい!」

 

 椅子をおりて、駆ける。

 ――嬉しい、嬉しい! 会えるんだ、今すぐに会えるんだ!

 跳ねたいくらいに楽しい気持ち。飛んで行きたいくらいにはやる気持ち。そこに来ているのはわかっている。近くにいるのを確かに感じる。

 

 ――そうだっ。

 はたと足を止めた。そのまま急いで方向転換。

 

「アッシュ!」

 

 書物を抱えて立つところだったらしい天使は、自分を見て目をまるくした。

 早く行きたいけれど、ひとつだけ言いたいから。

 

「ありがとう! あの、明日はもっと頑張りますねっ!」

 

 今日の分まで、ちゃんと。

 

「ふふ、楽しみにしていますよ」

 

 笑顔の彼女に手を振って、今度こそ彼を探しに走り出した。

 


 

***

 


 

 彼が歩を進める度に周囲の天使はその美貌にため息を漏らし、羨望の眼差しが後を追う。風に翻る金刺繍の白い長衣。彼の威厳とまばゆさに天使達は恭しく頭を下げ、子供達までもが道をあけてその姿に見惚れていた。

 数名の従者に囲まれながら堂々と歩む姿は《光》の名にふさわしい。彼を遠くに感じる瞬間。憧れと、ちょっぴりの寂しさ。

 

「兄上!」

 

 紛らわすように呼ぶと、こちらに気付いた端正な顔が優しく弛む。それは彼の“兄”としての顔。自分しか見ることのない特別な彼。来るのが待ちきれなくて、自分から急いで駆け寄った。

 

「ミカエル!」

「兄上っ!」

 

 もう幼子ではないけれど、周りに従者さん達はいるけれど。両腕を広げた彼の胸に思い切り飛び込む。

 

「会いたかった、ですっ……」

「そんなに急がなくとも、私はどこへもいかないよ」

 

 すごく急いだから息苦しい。でも幸せだ、とても幸せだ!

 互いに頬に口付け、地面におろされ、それから改めて兄を見上げる。ちょっと礼儀を欠いてしまったけど許してね、メフィ先生。

 

「丁度良かった。お前に用事があってな。これから探しに行くところだった」

「ぼ……私に、ですか?」

 

 どきっとして、思わず間違えそうになった。“兄さま”は“兄上”、“僕”は“私”。ふたりきりの時以外はそうすると決めたのだ。おとな、への一歩。さっきの分も挽回しなくては。

 

「ああ。少し唐突かもしれないが……」

 

 兄は脇に控える天使のひとりから何かを受け取り、自分の方へと差し出した。あ、アルベルトだ――涼しげな顔の従者を見て思ったが、それよりももっと目を惹いたのはその差し出された“モノ”。

 

「これをお前に」

「これは……?」

「見ての通り、剣だ」

 

 兄の長剣に比べれば質素ではあるけれど、鞘に納まったそれは紛れもなく本物。両手にもずしりと重い一振りの剣を素直に受け取って、途方に暮れて彼を見上げる。こんなモノ、初めてちゃんと触れた。何せ他でもない彼が、危険だと言って握らせてくれなかったのだから。

 

「そろそろお前にも剣を教えるべきではないかと思ってな。上級天使として、身につけておいた方がいいだろう」

 

 びっくりしてまばたきするしかなかった。どうして急に?

 かと思うと、兄は気まずそうに頬を掻く。

 

「……と、説得された」

 

 奇妙に歪んだ表情に、本人はきっと納得していないのだと、何だかとても可笑しくなる。そんな兄が、大好きだ。

 

「とは言うものの、一応は私も了承した。確かに一理あるからな。遅かれ早かれ……といったところか」

「あの、兄さ……じゃなくて兄上。教える、というのはその……」

「私が指導するつもりだが」

 

 兄が、自分に。

 

「……嫌か?」

 

 もう、ぶんぶんと首を振った。

 兄は全てにおいて抜きん出ている。それはもちろん剣を扱うことに関しても。最高の剣の使い手……そう謳われていることは弟である自分の自慢なのだ。そんな天使に、しかもあの表情で問われて、一体誰が嫌がるだろう。

 ましてや兄と一緒にいる時間が増えるのだ。断る理由はひとつもない。

 

「良かった。毎回私がつくわけにはいかないが、出来る限りの配慮はする」

「はいっ。ありがとうございます」

「そうだな……剣といえばマルコが妥当か。あれが空いていれば良いが。これ以上アシュタロスには――」

 

 ……あ。

 兄も気付いたようだ。

 

「そういえばお前、アシュタロスは? まだ勉強の時間ではなかったか」

 

 ――まずい。

 

「えと、アッシュが行っていいって言ってくれて、その、……」

「ああ、そうか。大丈夫だ、怒るつもりはないからそう慌てるな」

 

 くくっ、と喉の奥で笑った彼は頭を撫でてくれる。とりあえず、安心。

 

「ゆっくりと学んでいけば良い。それはアシュタロスにも言ってある。あまり気に病むことはないからな」

「はい。……でもっ、明日からもっと頑張るって約束してきました」

「ふむ。ならば期待しよう」

 

 ひとしきり笑い、やがて従う天使のひとり――また、アルベルトを呼んだ兄。少し温度の下がる、硬質な声色。

 

「ミカエルを“陽出(ひいづ)る先の庭園”へ。軽くだが稽古をつける」

「御意」

 

「ミカエルも、いいな?」

「はい」

 

 早速始まるのか。どちらにしろ兄は“勉強会”を切り上げさせるつもりだったに違いない。楽しみだけれど、ちょっと緊張。

 無言で差し出されたアルベルトの手を握る。見上げて笑いかけると、ほんのちょっとだけ表情を和らげてくれた。

 

「さて、では先に行っていなさい」

「兄上は……?」

「少しアシュタロスと話を。すぐそちらに行くから」

「わかりました。お待ちしていますね!」

 

 軽く手を振って脇を通り過ぎる。

 振り向いてちらりと見た彼の背中。真っ白な衣を翻し歩いていく後ろ姿、その腰にある立派な長剣がやけに印象に残った。


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