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Old Long Since【 L-5 】


 ずっと私にくっついていたから、あの子の悪夢が私に関するものだとは容易に想像がついた。

 だから気を配っているつもりだったのに……!

 

「未来なんて、要らないっ!!」

 

 絶叫、だった。私はあんなミカエルの声を聞いたことがない。あんなに激しい表情を見たことがない。怒りとか悲しみとかそういったものを全て越えた、激しさ。それなのに蒼い瞳は怯えたような色。唐突に、純白の翼が広がった。

 馬鹿な――。まだ小さいと思っていた天使の、たったの一声で空間が“揺らいだ”。

 

 まずい、と本能が告げる。彼の強大な力。それが制御できないままに発動したとしたら。

 

「《イレイプス・レイプス》――時よ、止まれっ!!」

「ミカエル!!」

 

 ――いつの間に詠唱まで!

 苦い思いを噛み潰し、必死で考えをめぐらせる。これが彼の本能だとしたら恐ろし過ぎる。何が彼にこうまでさせるのか。多少のぶれはあれど、正確にして強力。初心者とは思えないほどの解放の仕方。この力、完全に予想の範疇を越えている。

 

 ――どうすればいい。

 

 無意識のうちに唇を噛む。言の葉は即ち力の先駆け。あの子の言葉にはとてつもない力がある。それが口にされた今、迷っている時間はない。発動するまでどのくらいの猶予があるというのか。

 もし、時が止まったとしたら。

 全てが止まる。歴史は途絶える。彼が手放さない限り、この世界の時間の流れは断たれる。

 この世界の、時間。

 ――この世界に存在しない者の時間は?

 

「抹消を――《オブリタレイト》……!」

 

 いわば賭けだった。

 自らの“存在”を世界から消去する。そして、ミカエルの描く世界に再構築する。

 失敗すれば、私の存在は文字通り消滅するだろう。

 

 否――“しただろう”。

 

「う、あぁ……うわああぁん!!」

 

 ……正直驚いた。いつの間にか宮殿の外にいたことにではない。“誰も生きていない”のだ。その世界からは、生命の音が全て消え去っていた。泣き叫ぶ天使のその周り。草木は囁かない。大気は揺れない。空は移ろわない。何もかもがぴたりと静止していて。本当に、完全なる停止。

 異質だ。自分の存在をそう感じないではいられなかった。この限りない静寂に支配された世界では。

 

 ――酷な。

 

 思わず呻く。主は何をお考えか。一瞬戸惑った己に、あの子の存在の大きさを知る。この力はあまりに重すぎるではないか。時を渡ると一口に言っても、実際に行使したその瞬間、彼は誰も知らない時間を知ることになる。ひとりだけ、違う時間を生きることになるのだ。自らは世界から疎外されたのだと感じてもおかしくはない。まして、生まれたばかりの子は。

 

 ……だが少なくとも。今、ミカエルは、独りではない。

 

「ミカエル……っ」

 

 何度呼んでも飽き足りない名前。口が動く。手も足もちゃんと動かせるのだ、私は。“私が”動けるということ。ここに意味を求めるのは間違いか否か。

 ――落ち着くんだ。あの方は必ず手を差し伸べてくださるはず。光明はあるはず。

 

 自身の泣き声のせいで聞こえないのか……まるでこちらを見ない小さな体を、後ろから抱き締める。彼の泣き顔、私は見ていられない。

 

「ミカエル」

 

 びくっ、と。彼まで動きを止めた。――だが。

 

「どうしてっ……!」

「え……?」

 

 思っていたよりも鋭い声にたじろぐ。瞬時に振り向いた蒼い瞳は深い深い色をしていた。

 

「どうして来たのですか! 兄さまの時間が止まらなければ、意味がないのにっ!!」

 

 それはもはや悲鳴に近かった。強い力で体を押される。

 拒絶、された……?

 頭を殴られたような衝撃。ふらふらと。よろけそうな身を、一方で、私の中の何かが留める。

 

 冷静に、なれ。

 

 逃げ出そうとばかり藻掻く小さな体は、反射的にしっかりと捕まえる。そのまま押さえつけるように地面に膝立ちになって。

 “私の時間が止まらなければ意味がない”? “未来なんて要らない”? そして、最近のミカエルの態度。常に私の傍を離れたがらず、何かを恐れるように沈んだ顔をしていた幼い天使。

 

「……そういう、ことか」

 

 思わず漏れた。

 ――ああ、“あの天使”はどこまでもえげつない。美しい見た目に反して。

 

「ミカエル、ミカエル。お前は他ならぬ“私の”未来を視た。……そうだな?」

「っ!」

 

 強ばった体が、今度は小刻みに震えだす。無言は肯定。

 

「……いやだ、ぁ……!」

 

 やがて聞こえたのは、絞りだすような悲痛な声。怯える顔も見たくはなかったけれど、後ろ向きでは涙を上手く拭えないから。

 くるりと体を反転させてやれば、彼は抗うどころか逆にしがみついてくる。

 

「いやだ……いや、です兄さまぁっ……!」

 

 拭っても拭っても、涙は一向に止まらない。私を見上げる縋るような瞳。深い蒼の周りは痛々しいほどに赤い。

 ミカエルがこれほど泣くのだ。彼が視せられた私の未来は……安泰ではなかったのだろう。少なくとも、我ら兄弟にとっては。

 

「ずっといっしょ、って、僕、ぼくっ……」

 

 私の未来などこの際気にするものか。今ミカエルが泣き止んでくれれば、否、この子さえ無事ならば自分はどうなっても構わないくらいだ。

 しかし彼にとって、私にとって、共に歩むことが幸福となるのなら。そう、あの方がお定めになったのなら。

 

「ミカエル」

 

 私の時間だけは流れるということがその証。我々にはまだ希望が、ある。

 

「ミカエル。未来は、変えられるのだよ」

 

 私は時の(ことわり)など知らない。ただ流れていくもの、世界と共に廻るもの――そうとしか“認識”できないのだ。生憎と、守備範囲ではない。

 それでも、私が命ある者だからわかること。あの方の息子だからわかること。

 

「変えられない運命なんてないんだ」

 

 幼い天使は結末を視た。結末は終末で、悲劇だった。

 

「ミカエル。定められた生を歩むことに何の意味がある?」

 

 行き着く先が決まっているのなら。岐路さえない終末への一本道を歩まざるを得ないなら。

 

「そんな無為な人形遊び、主は期待しておられない」

 

 我々は使いではあれど無能ではない。生きているから変えられるのだ。変えられるからこそ生きているのだ。全ては、我々が意志を持ったあの時から始まっていた。史実を私は知っている。“生まれた時から知っている”。

 

「私達は道を選ぶ。それぞれが、自らの意志に基づいて。その果てに広がる未来はどれだけだと思う? 幾つもの生が絡み合って生まれる可能性は、どのくらいあると思う?」

 

 ……言いながら一瞬だけ苦笑しかけた。自嘲、かもしれない。私の言葉は、先に“異界”を求め旅立った美しい天使の言に酷似していた。馬鹿にしておきながらこれだ。どうもあいつは口が立つものだから、つい。

 違う。心の中でそっと言い訳を加えた。違う、私は“この”世界を愛するのだ。別の箱庭を認めているわけでは。

 

「望まれて生まれた私達を、主が悪いようになさることがあろうか。善行は必ずや認められる」

 

 私は――私達は最高傑作なのだから、なおのこと。加護を期待するのは当然だ。

 

「ミカエル。お前が何を視たのか、詳しいことはわからない。わざわざ思い出させて言わせるつもりもない。だがこれだけは覚えておいて欲しい。お前が視た未来は、単なる可能性のひとつに過ぎないということを。……もしも罪を犯した時は罰が与えられるだろう。この楽園に相応しくない行いには代償が付き纏うだろう。だが、私達は“能力”以上に“生きる”力を――未来を紡ぐ力を与えられたのだ。責を果たす努力を重ねていけば、必ず幸福を得られるのだよ」

 

 だから我々はここに在る。そして主は世界を造り、我々を護り、真の光を与えてくださるに違いない。

 あの方のお側に置いていただけるという栄光。それを享受する以上、与えられた責は果たさねばならない、恩に報いねばならない。つまりそれが懸命に未来を紡ぐこと――さすれば先には明るい結果が待ち受けていよう。

 

「僕、……怖く、って……!」

 

 しゃくり上げる天使の涙を白衣の袖で拭いてやる。

 まだだ。まだ解決していない。教えてやらなければ。何故なら彼の恐怖は、きっと。

 

「気付いたか、ミカエル?」

「ぇ……?」

「私はこの静止した世界に存在できている」

 

 少し、口端を上げてみせる。理解したのだろう、ミカエルも目をまるくして私を見上げた。

 

「お前はこの世界でも、ひとりじゃない」

 

 ――私が、ちゃんとついているよ。

 か細い体をふわりと包んでやる。小さな体に重すぎる責。ならば私が共に背負おう。

 恐らく私達は“互いの能力が通用しない”。どちらも、その瞬間(・・)に世界に存在(・・)する者を対象とするからだ。ゆえに彼は孤独を背負う必要はない。

 そうだ、やはりそうなのだ。主はちゃんとお考えだった。やはり素晴らしき御方なのだ……喜びに、自然と顔が綻ぶ。私達が兄弟だから主はそうなさったのか……それははっきりとしなかったが。

 

「兄さま……っ……」

 

 ……それからミカエルは泣いた。何かが弾けたように、今までにないくらいの大声で泣いた。

 私はただ、そんな小さな天使を胸に抱き、永遠のような刹那を背中を擦って過ごした。身体中の水が失われてしまうのではないかと心配になるほどだったが、泣きたいのなら存分に泣けばいいと思いながら。幸い、ここには私の他に彼の叫びを聞く者はないから。

 

 私の白衣が涙でぐっしょりと濡れ――それさえもいとおしかったが――、声が枯れるまで泣いてから、ようやくミカエルは落ち着きを取り戻し始めた。幾分震えも治まったか。

 

「全部吐き出せたか?」

 

 静かに尋ねると、はい、と声にならない声でうなずく。今は赤い縁取りが痛々しい蒼い瞳は、心なしかとろんとしているように見える。どうやら泣き疲れたようだ。まあ、無理もあるまい。この子はずっとひとりで悶々と重荷を抱えていたのだからな。

 

「すまない、ミカエル……。近くにいながら、私はお前の痛みに気付いてやれなかった」

「謝らないで、兄さま」

 

 首を振りながらの擦れ声。いつもは自分が言っている台詞を返され、思わず言葉に詰まった。

 しかしその通りなのかもしれない。真にここで言うべきは。

 

「……ありがとうな。心配してくれて」

「はぃ」

 

 弱々しかったが、その笑顔は十分に可憐で魅力的だった。

 何か、返したい。礼がしたい。

 そう思って、ふと良いことを思いつく。本当ならミカエルの力とて残っているはずだが、今の疲労した様子から察するに、彼はまだ力の“回路”の繋ぎ方を体得してはいないようだ。

 だとしたら、私の力を回復に充ててやるのはどうだろうか。

 

「ミカエル」

 

 名を呼ぶ。上がった顔をそっと、素早く両手で挟み、私は自分の顔を近付けた。


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