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Old Long Since【 L-4 】


 剣は、他者を斬るための道具である。力により他者を屈伏させるための凶器である。

 ならば何故、慈愛を司る天使は剣を扱うのか。何故――天界に剣が存在するのか。

 本当に楽園が楽園であるならば、武器が存在する必要などないはず。身を傷つける凶器など知らなくて良いはず。

 

 何故。

 

 それは、我らに意思があるから。自ら考え進む者達だから。

 誕生の時から主は剣の存在を教えてくださった。そして我らは、己の信念を守るために剣を振るう。大切なものを救うために他者へと力を向ける。

 

 方向は己が決める。

 

 ――もしも力が破壊をもたらしたとしたら?

 

 ……否。考える必要はない。きっとそれは世界の手の中。全ては、主の御心のままに。

 


 ……そうは思えど、ぼんやりと引っ掛かっていた疑問。抱いていないと自分が思っていただけで。それがはっきりとしたわだかまりとなったのは、《奴》と話をしてからだった。

 


 

***

 


 

 まるで“恋人”か“英雄”の如く弟を抱いて現れた天使を見て、驚くよりも先に怒りにも似た奇妙な感情が湧いた。

 ――その子に、そんな風に触れるな。その美しい天使は私のものだ、“私だけの”ものだ。

 

「怒らないでよ。ただ送り届けただけなのに」

 

 肩をすくめた美しい天使。唯一外見において私が劣るやもしれぬと思うほどの、その完璧なまでの美。完全であることが不完全であるような、美貌。

 執務を終えた私のもとにやってきた天使は、腕の中に愛しい弟を抱き抱えていて。能力を使いこなすための“訓練”は終わったのだろうか、幼子(おさなご)は疲れ果てて眠っているのだろうか――と顔を覗き込んで、気付く。

 

「ベリアル、お前……っ」

 

 ミカエルの白くすべらかな頬に、涙の跡。

 すう、と。一度息を吸ってから。

 

「――おいベリアルどういうことだ私はミカエルが能力を発揮できるように教えてやれと言ったはずだが一体どこに泣く要素があったのか無理でもさせたのか怪我だとしたら早くこちらに私が治すいやむしろ貴様自身が原因なのかそうなのだろう答えろ安心するといいこちらには剣があるのだ返事次第では今すぐ貴様を叩き斬ることができるぞ」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……ごめん、もう一回」

「よかろう。おいお前――」

「嘘だって! 冗談!」

 

 こら、そんなに慌てるな。ミカエルが落ちるじゃないか。

 未だ彼を抱いたままの天使に、問う。

 

「何をした、ベリアル」

 

 すると奴は笑った。いつもの、あの真意の読めない笑みを作った。どことなく他者を小馬鹿にしたような。

 

「未来を、ちょっとね。ほんの少しだけ見せてあげた」

「……余計なことを」

 

 つい舌打ちが出る。本当に、今すぐ殴ってやりたい気持ちだったのだが。

 だから嫌だったのだ、こいつにミカエルを預けるなんて。ただこいつ以上にこの仕事が向いている天使はいなかった。もっと言えば……ベリアルにしかできなかったから。

 

「焦りすぎだ。お前はこの子の“器”を破壊するつもりなのか」

「そんなことないよ。それに、さ。実際ミカエルは耐えられたでしょ?」

「……賭けたのか」

「期待したんだよ」

 

 ――忌々しい理屈を。物は言い様だな。

 

「お前も……“時”を操ったのか」

 

 あはは、と。快活に、愉快そうにベリアルは笑う。美しい、のに、不快だ。どうも時々こいつは私の神経を逆撫でする。

 

「意味の無い質問はやめてよ、ルシフェル! 無意味なのは僕の名前だけで充分だ!」

「…………」

 

 笑えない、笑えるはずもない。無意味な名前。この美しい天使の名。

 ベリアル。その名の意味は――《無価値》。

 

「僕は全てを知っている。“君は”わかっているだろう?」

「全て? その言い方は気に喰わんな。主に対して無礼だ」

 

 だが実際のところ、そうなのだった。この天使は誰よりも特殊で――だからこそ“測れない”し“捉えられない”。つまりは、私の能力の対象として認識できない。



 ――初めてこいつと会ったのはいつのことだったか。正確な状況は記憶していなかったが、確か誕生して間もなかったような。私と同時期につくられたこの天使は当時から美しく、賢く、そして変な奴だった。


 『ねぇ、ルシフェル』


 今でも覚えている、第一声。ベリアルは私のことを躊躇いなく呼び捨て、


 『君はとても重たいものを、背負わされてしまったのだね』


 そう言って、一本の指を私の額に当てたのだ。振り払うこともできず、とん、という感触に気付いた時には既に――……



「……っ」

「どうしたの?」


 回想から現実に引き戻され、何もかも見透かしていそうな気さえする目の前の笑顔を睨み付けた。


 あの時……べリアルが額に触れた時、自分の意思とは無関係に、普段はしまっているはずの翼が勝手に広がったのがわかった。翼は力の源。同時、力も勝手に放出されたということになる。

 体の中を激しい流れが駆け回った気持ちの悪さを、今でも鮮明に覚えている。隅々まで鋭敏に、感覚が研ぎ澄まされ。それまでになくくっきりと広範囲で世界を“認識”できたのだ――目の前の天使を除いては。

 解き放ち楽になりたい、しかし反動で自らも無事に済む保障はないかもしれない。初めて己の力の強大さを自覚した私はそう思った。そして、自分の力の大きさだけでなく……それを半ば強引な手段で引き出すことのできた美しい天使の底知れなさに、恐怖、した。


 『ごめんね。僕は君のことは嫌いじゃないけれど、選ぶのは君だから。今の段階では何も手出しできない』


 べリアルはまた、私に謝りもした。


 『知っているということはそれだけで力になることもある。でも、枷になることもある。この世界の君が全てのカラクリを知った時、いったい何を選ぶのか。楽しみにしているよ』


 彼の言葉の意味はわからなかった。だが当時の私はただ動揺するばかりで、そこに構ってなどいられなかった。


 『これが……お前の、“力”、なのか……?』

 『与えられた能力とは少し違うかもしれないね。僕の能力は皆に忌み嫌われる』


 私の質問に少しだけ、ほんのわずかだけ表情を曇らせた天使は、大きく一歩後退し軽く片腕を挙げた。

 するとその合図に応えるかのように、彼の足元から黒い物体が立ち上がった。影でできた鎌、だった。


 『……素晴らしいじゃ、ないか?』

 『……え?』

 『影はいわば世界の片側だ。表に見えるものが全てではない。そんな大切なものを授けられたお前は、きっと主に愛されているのだな』

 『……。やっぱり嫌いじゃないっていうのは、撤回するよ』


 当時の私は純粋に羨ましく思って。

 べリアルは嬉しそうに顔を歪めて。


 『――大好きだよ、君のこと! ああ、やはり君はこの世界でも君のまま……ますます未来が楽しみだね、ルシフェル!』



 

「ルシフェル。僕は旅に出ることにしたよ」

 

 あれ以来、彼の感情を見たことがない。

 眼前で弟を抱きかかえた天使は、あまりに唐突な言葉をこちらに放る。それでも平静でいられたのは、口にしたのがベリアルだから。

 

「旅?」

「うん。僕は“違う世界”も見てきたいんだ」

 

 あの日の言葉もだった。彼は世界という単語をよく使う。

  

「違う世界、だと……? なんと、愚かな」

 

 “ここ”以外の世界があるというのか? 別に?

 ――否。何を、私は期待している。

 

「お前は主の御元たるこの天界が気に入らないのか。最高傑作以上のものはあり得ないというのに」

「……やれやれ。君は少し妄信的過ぎるきらいがあるよ、ルシフェル」

 

 逆に私を諭すかのように首を振るベリアル。ミカエルは、まだ起きない。

 

「いいかい? 今この瞬間も新しい世界は生まれている。僕らの前にある無数の選択肢……選ばれなかった世界も枝分かれしているのだと知ったら、君はどう思う?」

 

 たとえばね、と。

 

「君はすぐにミカエルを奪って背を向けることもできたんだ。それもまたひとつの未来。先にあるのはひとつの世界」

 

 奪うのではない、取り戻すのだ。訂正するのも億劫で、ただ心中で毒づいた。そろそろその子をこちらに“返して”くれないものか。

 

「君もさ、主を絶対的に信じるの、やめた方がいいと思うよ」

 

 何を言い出すのだ、この天使は。呆気にとられ、私は眼前の美貌を見つめる。被創造物にしか過ぎないひとりの天使を。

 主がいなければ世界も我らも生まれなかった。今ここに私がいるのは主に役割をいただいたからで、光となるために私は生きるのだ。無論、他の者も。全ての起源はただひとつ。あの方が絶対でないのなら、この世界に信じるべきものは何もない。

 

「たとえば、君のその剣とか」

 

 ミカエルを胸に抱いた状態で、長い指が器用に伸びる。指差されたのは腰元。私の大事な剣。……主の、愛の証。

 

「ねえ、矛盾しているとは思わないかい?」

「矛、盾……?」

 

 眉をひそめ、言いたいことを飲み込みながら顎を軽く引く。どうしてこいつはこんなにも妖艶に笑うのか。甘い、とは言い難い。ただ、果てしなく美しい。

 

「だって考えてもご覧よ。生に価値の上下がないのなら、どうして“上級”天使がいるんだろうね。どうして……天使長が生まれたのだろうね」

「それは……必要、だったから……」

「本当に? じゃあ武力も必要なんだね? 互いを傷つけるだけなのに、力なんてお与えになったのも“必要”だからって、言うんだね?」

「…………」

 

 ――何ということか。返す言葉が出てこない。それどころか、ベリアルの言葉が妙に心に引っ掛かる。

 馬鹿な。

 首を振る。雑念を振り払うように。気のせいだ、気のせいに決まっている。

 

「本当に、主は正しいの?」

「なっ……」

「君の知っているものは、もともと備わっていた知識に基づいているだろう。その知識はどこからきたのかな? 君は今までの年月、誰に染められ続けたのかな?」

「いっ……いい加減にしろ、ベリアル!」

 

 これは紛れもなく主への侮辱ではないか。

 主が生み出してくださったこの世界以上の傑作はないのだ。主が生み出してくださった子の目が過つことなど、断じてあり得てはならない!

 

 以前から、初めて出会ったあの日から不安要素ではあったのだ、この“規格外”は。“何故私が読めないモノが存在する”?

 過去は戸惑うばかりだったものの、今は違う。この者を放っておいてはならないと、平穏を乱させてはならないとわかったのだ。それが長の務め、それが主の期待。

 

「無知なのはどちらか、ベリアルよ。お前は何もわかっていない!」

「そうかなぁ?」

 

 無機質な表情で肩を揺らすその姿に、かっと体が熱くなった。

 主に仇なす罪人。無知で哀れな子。

 ああ、早く、早く。自分が道を示してやらなければ。主に最も信頼されている、自分こそが。

 

「主の威光を汚す者は、《光》の名に於いてこの私が裁いてくれる!」

 

 許さない容さない赦さない。新たな秩序を求める者も、天意に歯向かう者も、主が望む掟に従わない者も全て。

 楽園は限りない白でなければならない。光にわずかでも影を落とす反乱者には、制裁を。

 

 ――主よ、私に力を!

 

 それは主が私にのみ授けてくださった剣。断罪、正義、光明……《光の子》に託された願いの具現。

 故に私は光であり――光でいなければならず――、主の最高傑作だと、そう言われるのだ。

 《神の光》と呼ばれる、全ての畏怖の対象たる光の剣は、たとえ天使が相手であろうとその命を削る。悠久を生きる存在を“消す”ことさえも可能。限られた者にしか許されない、最後の審判の権利。

 創造された者は、創造主に絶対的にその命を握られている。子が母に抗うことなどできはしない。

 

 恐怖するのは己の心に影があるからだ。潔白であれば、この武器を怖れる必要など何もない。

 剣を振るった私のように。そして、

 

「ふぅん……」

 

 ――目の前で薄く笑っている、この天使のように。

 

「手加減ありがとう。ミカエルを抱いていてよかったよ」

 

 躊躇せず一息に斬り付けてしまえばよかったと、後悔した。あの一瞬の隙さえなければ……そして私が冷静さを欠いていなければ、こいつの“武器”に阻まれることはなかったはず。

 体に届く寸前で私の剣を受け止めているのは、まるでこの世界の闇を全て集めたかのような漆黒の槍。柄はベリアルの足元。立ち上がっているのは紛れもなく奴の“影”だ。

 彼の能力を重要だと思う気持ちは今でも変わらない。けれど、羨望の気持ちはあの日ほど強くはなかった。

 

「……前は鎌だったと思ったが」

「うん。あれはまだちょっと扱いにくい」

 

 皮肉に苦笑する。自分の一部を“扱いにくい”、と。

 私が剣を鞘におさめると同時、向こうの槍も霞のように消失する。先程の手応えが嘘のようだ。

 ベリアルは相変わらず笑ったまま、小首を傾げて呟いた。

 

「それはそうと、君、“まだ”その剣を使えるんだね」

「は――?」

「ふふ、失礼。そうだね、君は《光》だものね」

「わけが……」

 

 わからない、と言うより先に弟をそっと差し出され、慌てて両腕で抱き止める。まったく、こいつの言動は本当に理解できない。

 

「じゃあ僕は行くよ。ミカエルが起きたら、恐がらせてごめんねって伝えて」

「それくらい自分で――」

 

 ……否、それはまずいかもしれない。たった一度でミカエルを泣かせた男だ。下手に口を開けば、更に不要なことまで喋りかねない。

 

「……わかった。別段お前を庇うつもりはないぞ」

「構わないよ」

 

 また、笑い。そして奴は踵を返した。金色の束ね髪が柔らかく揺れる。

 

「元気でね、ふたりとも」

「ああ」

 

 返事を放った口を引き結び、遠ざかる白い背を見送る。結局――ベリアルは最後まで“翼を出さなかった”。歩いていく。ゆっくりと、実に優雅に。

 奴は、と考える。きっと、否、必ず戻ってくるだろう。美しいままに、あの影を従えて。世界を見て……挙げ句に持ち込むは光明か、それとも。

 

 私はしばらくその場から動けずにいた。自分が何を気にしているのかは判然としない。明らかなのは、彼の言葉に一瞬でも“迷い”を感じた己に戸惑いを覚えたということ。

 再度、首を振る。

 腕の中を見下ろせば、愛しい天使の苦しげな寝顔。

 悪夢……だろうか。そこで漸くようやく、私は足を踏み出すことができた。


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