Old Long Since【 L-1 】
いよいよ、あの小さな天使が宮殿の中に入る日がやってきた。
主から命と才を授けられ、私が祝福を施したあの天使が、私達の仲間として宮殿内に住まいを移すことになったのだ。
この日をどれほど待ちわびたことか。
無論、わかっていた。あの子には私のように生まれ持った責はない。だから他の子と同様、自由に外で遊ぶ時期は不可欠だと。宮殿の外で礼儀作法に縛られず、のびのびと過ごすべきだと。
宮殿の中と外はやはり違う。中にいる天使は外の天使を統率する役目がある者ばかりだ。役割と、それに伴う責任。何も大天使ばかりではないが、それなりの覚悟は求められている。
それでも私はあの子を傍に置いておきたかった。理由は単純、あの子が私の幸福だからだ。
これは許されない我儘だろうか?
しかしいずれにせよ、あの子は他の天使とは違う。後付け、ではないのだが。私の弟として生まれたことがそもそもの原因なのか、彼の力はかなりのものだ。祝福の時に私は身をもってその強大さを知ったのだ。
まだ本人が自覚していないようだし上手く制御もできないだろうが、覚醒すればきっと大天使に匹敵するほどの力。それを放っておくわけにもいかないだろう。
では何故大天使として誕生しなかったのか……そんな疑問はすぐに消失する。全ては主の御心次第なのだから、それは我々が考えることではない。
そして今。隣に立つ小さな弟は私の白衣を強く握り締めて、すっかり緊張してしまっていた。
それを見つめる焦げ茶と黒耀と翠の瞳。――さすがにいきなり大天使三名の前に連れてきたのはまずかったか。
「これがお前の弟か」
最初に口を開いたのはウリエル。腕組みをしたまま、私と弟を交互に見る。
「まあ、似ているといえば似ているな。力の波長が、なんとなく」
服の裾を握る力が更に強くなった。そっと金色の頭に手を置いてやると、わずかに力が緩む。
「可愛らしい御子だ」
「やっぱりルシフェルの弟ね。とっても綺麗な顔してる」
ラファエルとガブリエルの言葉に思わず微笑む。まるで自分を褒められたかのように嬉しいのだ。そう、私以外が見ても、本当にこの子は愛らしい。
「ミカエル」
その美しい響きを口にした。一瞬ザドキエルの言葉を思い出しかけたが……私には彼の名の“本当の”意味がわからない。
いずれ理解できるだろうと思い直し、そっと背中に手を添えて促す。
「挨拶を。この天界を統治する大天使達……私の友人達だ」
はい、とうなずいて彼は前へと進み出た。……ああ、白衣に皺がついてしまった。でもミカエルがつけたものなら構わないな。
「はじめまして、ミカエルと申します。これからどうぞよろしくおねがいいたします」
ぺこんと頭を下げる動きに合わせて、波打つ金髪が微かに揺れた。真っ白な頬を少しだけ赤く染め、彼は蒼い瞳で私を見上げる。
「あちらからガブリエル、ウリエル、ラファエルだ」
「ガブ、リエルさまと、ウ、リエルさまと、ラフっラファエル、さま」
言いにくいのか、つっかえながらたどたどしくミカエルは呟いた。
私はどこか不安げな彼に向かってうなずいてみせると、穏やかに笑んでいる大天使達へと向き直った。
「そういうわけで、私からも弟のことをよろしく頼みたい。弟だから優遇するというわけではないのだが、ミカエルには私達と同じように宮殿内に部屋を与えようと思っている。異論があれば聞くが」
「ないな」
「特にないよ」
「ないわね。その子……ミカエルについては丁重に扱うようにとのお達しだし。それに、」
ガブリエルは肩を揺らす。
「ダメだって言ったとしても、大天使長の権限を使って無理やりにでもその子を傍においたでしょう、ルシフェル?」
「え?」
「ミカエルへの祝福が済んでから、ずっと上の空って感じだったわよ」
そう……だったろうか。他のふたりまで笑っているところを見れば、当たっているのかもしれない。確かに、ミカエルのことがずっと気になっていたことは事実だけれど。
「まあ、いいじゃないか。それよりルシフェル、今日はもう下がった方がいいと思うな。会議も祝福も終わったんだ、せっかくだから弟と一緒にいてあげたらどうだ? すっかり疲れているようだし」
苦笑いするラファエルに言われて見てみると、ミカエルは長い間緊張し続けたせいもあろう、なんだかとても疲れて見えた。これは、大変だ。
「ああ、うん、そうだな。では詳しい話は後で。行くか、ミカエル」
私の言葉に、ミカエルは少しだけほっとしたような表情を覗かせた。
きゅ、と片手が再び衣を掴むから、そっと手を差し伸べてやる。
「ほら」
「あの、でもっ……」
「大丈夫」
恐る恐るといった風に服を離した手を握る。包み込んだ小さな手は柔らかく、ひどく温かい。
少しだけ戸惑った。私の手は、いつも僅かばかり冷たいようだから。怠い時に火照った額を冷やすのに丁度良いくらいだ。
だが、この子の手は違う。小さいのに優しい。温もりを、守りたいと――私まで穏やかな気持ちにさせてくれる。
これが兄となるということなのだろうか。そんなことを思いながら、私はミカエルの手をひいて部屋を出た。