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Old Long Since【 M-17-1 】

 今にして思えば、あの時から兄に惚れていたのかもしれない。

 


 

***

 


 

 それはまだ自分が生まれて間もない頃。義務とか責任とかそんなものは知らずに、ただ無邪気に駆け回って遊ぶことができた時代。

 

「かくれんぼしようよ、ミカエル!」

「うん!」

 

 自分に兄というものがいることは知ってはいたけれど、一度も対面したことはなかった、そんなある日。

 いつものように、小さな友とかくれんぼ。自分が生まれたという白亜の宮殿には近づいたことがなかったが、その外に広がる庭は自分達にとって絶好の遊び場だった。

 

 その日は確か、いつもよりほんの少し遠くに。木漏れ日の差し込む木立に走り、適当な茂みの中へと身を潜める。

 ここならきっと、見つからない。

 

 じっと屈んでいること暫し。

 今日は自分の勝ちだろうか。

 と、長い長い静寂を小鳥達の羽音が破る。可愛らしいさえずりにふと顔を上げ、青空を舞う小さな姿の行方を追おうと、茂みから身を乗り出したあの瞬間。


 木立の隙間から偶然見えた遠くの断崖に、ひとつの影。白くまばゆいその姿。遠くを見つめて佇むひとりの天使。

 どきりとした。とても綺麗なのに、ひどく悲しくて。胸が締め付けられるような気がして。

 “彼”のような真っ黒な髪は見たことがなかった。それがふわりと揺れる。白い衣が、風を孕んで翻る。

 気高く、どこか儚い。知らないうちに手を伸ばしてしまって。 

 不意に彼がゆっくりと上を向く。すると彼の背中の周りの空気が揺らめいた、ように見えた。

 やがて背中に現れた金色の影。それは徐々に形を成し、とうとう黄金に輝く見事な巨翼となる。

 それまで見たことのないほどの、立派な一対の翼。他の天使の純白のものとは少し違う。

 

 きっと、あのひとは特別なんだ。

 漠然とそう思った。あの姿を見ることができた自分は幸福だと、そう思わせるだけの何かが彼にはあった。

 

 息をするのも忘れて見惚れて。輝く巨大な翼はゆっくりと広がり、そして――……

 

「ミカエルみーっけ!」

「うわぁ!」

 

 不意に後ろから跳び付かれ、思わず前のめりに転びそうになる。

 

「かくれんぼなんだから、ちゃんと隠れなきゃ」

 

 友に言われて初めて、自分がすっかり茂みから出てしまっていたことに気が付いた。それほどあの天使を見るのに夢中だったのだ。

 

「そうだ、あのひと……」

「あのひと?」

「あそこに」

 

 慌てて顔を上げる。だが指差した先には、もう誰もいなかった。切り立った崖が、ただぽつんと天を目指して伸びているだけ。

 

「あれ……?」

「どうしたの、ミカエル?」

 

 目を何度こすっても、二度とあの天使が見えることはなかった。

 しかし幻なはずがないのだ。瞼の裏には、あの輝きがしっかりと焼きついているのだから。

 

「……ううん、なんでもない。さっ、他のみんなを探しに行こう!」

 

 ――その時に見た天使こそが他ならない自分の兄だと知ったのは、それから間もなくのこと。

 


 

***

 


 

「――エル様、ミカエル様」

 

 目を開けると、女性の天使の顔がすぐ前にあった。ぼんやりする頭で髪色が茶色だということを確認し、ああこの天使は彼ではないのだと当たり前のことを思ってしまう。

 彼女の名前はリーシャ。……あ、本名は、アリシアといったろうか。自分に仕えてくれている天使のひとりだ。

 

「すみません、寝てしまいました。……よいしょっ、と」

 

 伏せていた机上には紙の山。どうやら職務中に寝てしまったらしい。椅子から立ち上がり伸びをする。

 

「ミカエル様……」

 

 震える声に目を移すと、リーシャが肩を微かに震わせていた。

 

「お顔に、その、痕が」

「ほぇ?」

 

 机の痕が付いてしまったのか。ちょっと恥ずかしい。目の前で彼女が笑うからなおさら顔が火照る。

 

「わ、笑わないでくださいリーシャ」

「す、すみませんミカエル様……っ。私、こんなに可愛らしい主にお仕えできて幸せですわ」

 

 従者にまで可愛らしいと言われる天使って、どうなんだろう。自分に威厳というものはあるのだろうか。

 軽く嘆息。でもまあ、可愛いという言葉は兄にも言われるし……

 

 ――兄。誰よりも美しくて強いひと。

 夢を思い出して、自然と顔が綻んだ。

 

「どうなさいました?」

「いえ、……ちょっと懐かしい夢を見たのです。僕と兄が初めて出会った頃の夢を」

「そうでございましたか。素敵なお時間の邪魔をしてしまい、申し訳ありません」

「構いませんよ」

 

 軽く頭を下げたリーシャに微笑みを向ける。

 相変わらず、彼女の服装は個性的だ。単なる白衣ではなく、腕の部分は裂いた布を巻きつけたような独特の形で、裾はふわふわとした花のよう。髪には白い飾りも。そして毎日これが違うのだから、素直に感心しているのだけれど。

 身に付けるものに関しては、皆基本的に寛容だ。大概の天使は白い衣を好み、慣習のようになってしまってはいるが、決められていることといえば衣の丈くらい。階級の高い天使は長い白衣を纏う。大天使ともなれば、自分のように床につくほどの丈の衣を着ることになるのだ。

 それでも、宮殿内で彼女ほど服装にこだわる天使はいない。そう思うと微笑ましくもあり、更に笑みを深めた。

 

「ところで、何かあったのですか? 僕の部屋にわざわざ入るということは」

 

 施錠はしていなかったけれど、いつもの彼女なら自分が起きるまで待ってくれるはず。首を傾げると、彼女は慌てたように姿勢を正した。

 

「ああ、そうでした! ミカエル様、そのお兄様――ルシフェル様がお呼びです」

「兄上が?」

 

 驚いた。こんな休養日に呼ばれるなんて、小さい頃は頻繁にあっても、最近ではあまりなくなっていたから。

 何用だろうかと疑問には思った。けれど、兄に会える嬉しさは何ものをも凌駕する。仕事で毎日会っていたとしても、だ。

 

「すぐに行かなければ。執務室ですか?」

「いえ、寝室だと伺いました」

「寝室?」

 

 ということは仕事の話ではないのか。では、他愛もない話をしてくつろぐために? それも小さい頃に繰り返されたことではあるが、最近ではお互い忙しいからか、私室からは足が遠ざかっていた。

 奇妙な呼び出しだ。しかしリーシャはあまり気にしてはいないようだった。それどころか、うっとりとした表情で手を組んでいる。

 

「きっとルシフェル様はミカエル様を求めておられるのですよ! どうぞおふたりで熱い夜を……」

「ちょっとリーシャ!」

 

 どうも彼女は想像力も逞しい。制止をするに留めるけれど。

 

「だってだって、おひとりでいらしてくださいということでしたよ? 意味深ですよ、妄想せずにいられますか?! こんなにも可愛らしい弟君に、天界一の美貌をお持ちの兄君……これはもうベッドであんなことやこんなこと、」

「わかりましたありがとう!」

 

 こうなった彼女は暫くは止まらない。足早に部屋を出て扉を閉める。軽い疲労感にひとつため息を吐いてから、はやる心を抑えて兄の部屋へと向かった。


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