表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/110

第24話:大好きなひと

 久しぶりに泣いた。悲しくて悲しくて、人目も憚らずにって、多分こういうことを言うんだろう。

 

 家を出て、勢いに任せてがむしゃらに歩いた。目的地なんてない。ただひたすら家から遠ざかりたかった。彼から遠ざかりたかった。途中で何度か車にクラクションを鳴らされてしまったけど、もう轢かれちゃってもいいやって。そのくらい自棄だった。

 胸が痛い。何か突き刺さったみたいにずきずきする。まるでそこから血が流れるように、涙が溢れて止まらない。鼻をすすってはむせた。一緒に吸い込んだ空気は埃っぽかった。

 

 ルシフェルに怒鳴られるなんて。すごくびっくりしたし、すごくショックだった。

 もちろん怖かったけど、それ以上に悲しくなった。「煩い」って叫んだルシフェルの言葉は、どうせ誰もわかりやしないと諦めているみたいで。あたしのことも信じてくれていなかったみたいで。

 本当は、違うと言いたかったのに。ルシフェルのことちゃんと理解したいと思ってる、そう伝えたかったのに。でも、できなかった。

 

 足を、止めた。涙を乾かしてくれていた生温い風が止む。顔がごわごわする。


 ……知りたいと思ってるだけじゃ、ダメなんだ。実際、あたしは彼のことをほとんど知らないから。こんな状態では何を言っても言い訳にしかならないんだろう。

 

 悔しい。

 

 このまま何もできずに終わるのか。あの堕天使が殻に閉じこもるのを放っておいていいのか。言われたままでいいのか。

 よくない。絶対に、よくない!

 彼と一緒に笑っていたいんだ。あんな悲しそうな顔を見たいわけじゃないんだ。

 あたしが人間で彼が堕天使でも。冷たくされても怒鳴られても。自分でも不思議なくらい揺るがない事実。これほど強気でいられるその確かな理由。

 あたしはルシフェルのことが好き。大好き。

 だから彼のことを知らない自分が、今まで知ろうとしてこなかった自分が嫌なのだ。


 一方で。


 彼が自分の将来に何をもたらしてくれるんだろう。

 ――ああ、なんて打算的な嫌な奴。そんなことを思ってしまう醜い自分が嫌いで、悔しい。

 人間が純粋でないとは言わないけど、あたしも他の誰かと何も変わらないことが苦しい。好きだ、大好きだ、でも。それだけじゃどうにもならないことがあるという事実を知るくらいには、あたしは人間として生きてきたのだ。


 もしもこの先ずっと隣に居て、と考える。何年も経って、一緒にお酒を飲める年齢も越えて、自分で稼げるようになって、それでもまだルシフェルのことが大好きだったとして。過ぎていくのはあたしの時間だけ。きっと彼はいつまでも変わらないまま。だとしたら、彼はあたしに構ってくれるのだろうか――というのは皮算用過ぎるか。

 人間でない彼、空想の中の彼。出会ってしまったこと自体が、想像以上に重たい出来事だったのかもしれないと今更になって思う。

 けれども、矛盾しているようだけど、あたしはルシフェルと一緒に過ごしたことを決して後悔していない。取り返しがつかない過去だから、なんて失礼な諦めはこれっぽっちもないのだ。それだけはちゃんと言える。いま考えなきゃならないのは今のこと、そして未来のこと。彼は果たして、あたしの希望を聞いてくれるだろうか?

 

 ――『お前に何がわかる!』

 

 そんなの、わかんないよ、あんたの過去なんて! 話そうとしてもくれないで、身勝手な言い方しないでよ。ずっと避けるくらいなら、鬱陶しいって素直に言えばいいじゃない。

 なんだかんだ言いながら人間のあたしに優しくて、見た目も性格も男前で、みんなに愛される堕天使長が何か抱えてるってこと、それで今悩んでるってことぐらいはわかる。馬鹿にしないで!

 

 そりゃあもちろん、少し、遠慮していた部分もあるのだけれど。だって彼は自分自身の過去について何も語りたがらない。そういう話が出る度、あまり嬉しくなさそうな顔をする。彼が言いたくないのならあたしも知らない方がいいと思ってきた。いつか話してくれるかも、と漠然と考えてもいた。

 でも。

 もし彼の過去が今の彼を苦しめているのなら、一緒に背負いたい。たとえ小さな力にしかなれなくても、ちゃんと痛みや苦しみに耳を傾けてあげるよって伝えたい。そのためには彼のことをもっと知らなくちゃいけない。もう自分から行動する時がきたのだ。いや、むしろ遅いくらいかもしれない。

 お人好し上等! 冷たくされようが知らない。本当は優しくない人間だってことは自分がいちばんよくわかっている。だからこそあたしは、できることをするのだ。

 

 立ち止まって泣いているあたしを、通行人が何人か変な目で見ていた。でもそんなの気にしていられない。考えなきゃ、考えなきゃ。何ができる?

 

 

 万魔殿で一晩を過ごしたあの夜、「これから何かが起きるかもしれない」と言ったラケルさん。ルシフェルの従者である彼女は最後驚くべきことに、あたしに向かって頭を下げた。

 

 『これは従者ではなく、殿下を愛するひとりの堕天使の言葉として聞いてください。……ルシフェル様は貴女と出会ってから、確かにお変わりになりましたわ。以前よりも明るく笑いなさるようになりました。ルシフェル様は、確実に何かを掴みかけておられたのです。お願いです、どうかあの方の重荷を降ろして差し上げてください。わたくし達だけでは足りません。貴女にしかできないことがあるのです』

 

 あたしにしかできないこと――。

 ルシフェルの重荷。彼が執拗に背負いたがる罪。ずっと引きずっている過去。

 そう。知らなくちゃ、彼のこと。でも……どうやって?

 すぐに従者さんには会えない。本人には当然聞けない。他の堕天使さん達も教えてくれる可能性は低いだろう。

 彼は堕天使長だ。有名人で、伝承の中の存在……

 

 

 ごし、と目を擦る。泣いてる場合じゃない。頬を軽く叩く。ちょっと痛かった。

 やっぱり、ものを調べるには基本ってもんがある。彼が有名な存在ならば尚更。

 くるりと方向転換。デート中の学生も、タバコ吸ってるオヤジも、呑気な自転車乗りもみんなどいて! あたしは今、大好きな堕天使様のために頑張らないといけないんだ!

 

 天使とか宗教とか全然興味のないあたしにとって、堕天使長という彼の存在は未知の未知。堕ちた天使。かつては天使だったのに地獄に堕ちて、その地獄で悪魔さえも従わせている堕天使の長。

 何があったの? どうして今は天使ではないの? 何を忘れたがっているの? 疑問は尽きない。

 

 だからとりあえず――、とたどり着いたバス停の時刻表を見る。運良くポケットに入っていた携帯電話で時間を確認する。

 馬鹿みたいな思いつきかもしれないけど、何もしないよりずうっとまし。動かなきゃ、結果も何もあったものではないのだから。

 ……あ、ちょうどよく。あと数分で図書館行きのバスが来るみたいだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ