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第21話:表出


 アル達に真子を部屋へと送らせ、黎香とアシュタロスのことも時々見に行くよう命じてから、私はひとりで宮殿を出た。

 外は暗い。

 この都の空が明るく輝いた(ためし)などないのだが、それでも今は夜だ。魂は休息するだろう。レムレースは幾分気を抜けるだろう。悪魔や堕天使は宴を始めるだろう。――我が憎むべき敵は次の獲物を探して駆けるだろう。そして私はそれを捕らえねばならない。

 

 ――憎い。

 

 濁った感情を自覚した瞬間、頭に鋭い痛みがはしった。またしても一瞬だけ。眉間に力を入れて歯を食い縛り耐えたが、残響のような鈍い痛みに意識を支配されていくようで。

 あくまで私の邪魔をするか、美しき獣よ。

 ふと気付く。ああ、これは。奴の力が強まったのではない、私が自ら枷を外すような真似をしているのか。

 

 《光》は憎んではいけない。欲望を抑えねばならない。他者に救いを求めてはいけない。……私が私に科した鎖。

 だが本当は。

 目をそらしているだけだ。今の私は間違いなく光ではない。

 

 ――憎いのだ、奴が。

 私の世界を壊そうとする奴が。せっかく手に入りかけた安寧を奪おうとする奴が。この思いを掻き乱す奴が!

 鈍い痛みはひいてくれない。これは紛れもなく前兆。

 そこでどうして彼女のことを思い出してしまうのか、私は認められないまま。

 

 


 ぼんやりと頭痛を感じながら門へと続く一本道を歩いていた時。道の真ん中に立ちはだかる影に立ち止まる。

 薄闇に輝く白銀の髪が靡く。辺りには、庭園の草木が風に囁く音だけ。

 何故ここにいるのか。眉をひそめ、静かに名を口にする。

 

「ベルフェゴール」

 

 殺気だ。目の前の悪魔の明らかな敵意を感じて気を引き締める。

 

「どういうことだ、ルシフェル」

 

 唸るような声。彼は私を睨みつけ――?

 

「ベルフェゴール、お前、その目……」

 

 私を睨む鋭い目。いつもは灰白色の――いつぞや彼女が冬空の色と形容したその目の色が、片方だけ変わっていた。私と同じ……血のような紅に。

 ならば殺気も当然のこと。紅い瞳は、悪魔の本性。殺戮と殲滅を望む色。

 ベルフェゴールは二色の瞳で私を睨む。発散される魔力に白銀の髪を靡かせながら。

 

「約束が違う。貴様にここを任せる時、俺は覚悟を見せろと言ったはずだ。そして貴様は、」

 

 言葉を切り、悪魔は軽く首を振る。

 私は酷くなる一方の痛みから意識を逸らすのに必死だった。思考に全く集中できない。ベルの冷え切った声までもが頭の中をぐちゃぐちゃにする。

 過去、現在。見えるはずのものが見えない。混在。

 「そして貴様は」。彼の途切れた言葉の続き、容易に紡ぐことができる。“そして私は”あの日、確かに


 “――万魔殿最高責任者ベルフェゴールを、殺すつもりだった。”

 

「ルシフェル。否、《王》よ。一体この世界に何をした。何故世界が揺らいでいる」

「……お前は何が言いたい」

 

 煩わしい。

 だんだんと考えることが面倒になっていく。もっと簡単にこの状況を打破する方法があることを、私は知っている。

 

「俺は言ったはずだ、力のない者は喰われると。無能な長にもはや用などない」

「口を慎め《怠惰》」

 

 無能、だと? 侮辱に、頭の芯がすっと冷える。

 今の私は彼の友でも仲間でもない。万魔殿の長、彼らの支配者なのだ。

 

「答えろルシフェル。貴様は何をしようとしている? 返答次第ではこの都、俺が譲り受ける」

「そのために制御を外すのか」

「フン。俺は自分の枷ぐらい自分で扱える」

 

 かつて力で得たこの玉座、それを力で奪い取ろうと――取り戻そうというのか。

 まったく時機が良くない。そうでなくとも私は機嫌が悪いんだ。

 

「去れ、ベルフェゴール。今はお前の相手をしている暇はない。力を収めよ。これは命令だ」

 

 この立場を守るために。私の存在意義を保持するために。早く行かねばならない。最悪なる堕天使の企みを、阻止せねばならない。

 耳鳴り、頭痛、動悸。鈍い痛みが邪魔をする。私は考えなければならないのに。奴のこと、彼女のこと、目の前の悪魔のこと……

 

 ――何か方法はないのか

 そう思った。

 ――『消せばいい』

 声を、聞いた。

 


 

***

 


 

 ……クフ。

 クフハハハ。

 愉快だ、実に愉快だ。

 それでこそ《傲慢》! それでこそ我が愛しき枷! そうでなくては面白くない。

 憎めばいい。望めばいい。それが貴様の真実よ。生まれながらに紅き瞳を持った貴様の運命よ。

 鎖を解いてくれたこと感謝するぞ。これは私の願いで、そして貴様の願いだ。

 抹消を望むか? 破壊を望むか?

 いいだろう、この私が叶えてやる。“私達”にはそれだけの力がある。

 

「ルシフェル、貴様……っ」

 

 声の方向に目をやれば、こちらを睨む悪魔の姿。

 ああ、こいつか。こいつが邪魔なのだな。名は確か……

 

『ベルフェゴールといったか?』

 

 そう、そうだ。思い出したぞ。万魔殿の悪魔だ。久し振りの再会というわけか。ククッ、面白いじゃないか。再び私に挑むとは愚か者めが!

 

「まさか――!」

『まぁそう驚くな。なるほどなるほど。ずっと眠っていたものでな、貴様が未だ“私”と交流していたとは知らなかった』

「ついにルシフェルは貴様に体を渡したというのか」

『否。単なる目覚めの挨拶だ。少ししか保てまいよ』

 

 それは事実だ。体が鉛のように重い。本来の力は発揮できまいな。“私”が正気に返れば抑え付けるのも難しいだろう。

 しかし私には充分。一瞬でも腕が動けば悪魔のひとりくらい、大した問題ではないのだ。世界に比べればこの愚者の存在など小さい小さい!

 

『貴様には礼を言わねばならん。――あの時はよくも我が肉体を滅ぼしかけてくれたな。どうだ、私の血は美味かったか?』

 

 目を細め、値踏みする。――弱い悪魔だ。あの時と何も変わらぬ青二才めが。この程度で私に歯向かうとはまったく片腹痛い。

 おまけに目は二色だと? 馬鹿にするのも大概にして欲しいものだな。返り討ちを食らった痛み、幾千の刻を《怠惰》に過ごして忘れてしまったのか?

 

「貴様は……ルシフェルは何をしている」

『迷っている。ただそれだけだ』

「何……?」

『そしてそれは私にとって好都合』

「どういうことだ」

 

 ああ、話している時間さえ勿体無い。外界をあまりに久しく見ていないものだから、つい。

 

 私がこれ以上話す気はないと見たのだろう、ベルフェゴールが、動いた。

 ――クハハ。遅い、遅すぎるぞ。

 

『その爪を刺そうとでも思ったか?』

「っ!」

 

 向こうが地を蹴る瞬間には既に、振り上げられた腕は私の手の中。少し力を込めて握ってやれば、呻き声と骨が軋む音が聞こえた。

 心地良い音色だ。もう少し愉しませてもらおう。

 

『さあ早く本性を晒せ。枷を外した状態でさえ敵わなかったというのに、正気を保ったままではまるで勝負にもならんだろう?』

「ぐっ……!」

『狂えばいいだろうが。また私の肉を喰らいたくはないのか?』

 

 耳元に唇を寄せ囁いた。愚かだが悪魔は悪魔、血肉にそそられないわけがない。こちらが力を幾分か弛めているにもかかわらず、悪魔は小さく身震いしたきりその場に硬直してしまっている。ようやく思い出したのだろうか? 私の喉を噛み切ろうとしてくれた、あの時のことを。

 とはいえ欲望を恐怖心が凌駕するのは結構なこと。まぁ当然の本能か。前回は私だけが愉しませてもらったものな。

 

『血を』

 

 見せてくれ、魅せてくれ。あの鮮やかな紅がまた見たい。私の、こいつの。獲物は一匹、ただ八つ裂きにするだけでは物足りない。少しは抗ってもらわなければ、一匹分の血では少な過ぎる。

 紅に塗れた苦悶の表情ほど美しいものはない。恐怖に誘われた悲鳴ほど美しい音楽はない。肉を切り裂く感覚ほど胸躍るものはない!

 

『さあさあさあ。私は飢えているんだ。“私”が我慢を続けてくれたおかげでなぁ。もっともっと愉しませてくれ!』

 

 短い悲鳴があがった。いけない、興奮して手に力を込め過ぎたか。ほんのわずかに拘束を緩める。利き腕を砕いてしまったらそれこそつまらない。抵抗してくる相手を(なぶ)るのが最高なのだから。

 どうしようか。時間もないしこのまま殺してもいいのだが、やはり遊びたい。すぐに消すのはつまらない。そうだろう?

 私は片手で掴んだままの悪魔の体を投げ飛ばす。……良い音がしたな。肩を砕いたかもしれない。

 遠く地面に転がった悪魔の腕は不自然に脱力している。ああ、やはりか。だが構わない。

 

『立て。まだ片腕が動くだろう、口を使えるだろう』

 

 そう、武器はいくらでもあるのだ。何を使おうが傷はつけられるはず。

 

 

 “――、――――!”

 

 

 ――そんなことを考えていた時だ、私の名を呼ぶ声が聞こえたのは。

 

『ちっ、もう時間か』

 

 ふむ。やはり忌々しいな、この体。もう限界か。どうやら“私”が目覚めたらしい。

 ここからがいいところだったのに。血がざわめく。腕が疼く。だが衝動を上回る声が動きを制限してくる。

 私は遠くに届くよう声を張り、身を起こした悪魔に向かって告げた。

 

『気が変わった。脆弱な悪魔よ! 次に出逢った時は四肢をもぎ取ってやろうぞ!』

 

 クハハハ!

 愉快、愉快。せいぜい怯えているが良い、枷よ!

 


 

***

 


 

 ――気付くと、見慣れた端正な不機嫌顔が目の前にあった。地面にへたり込んだ私の肩に片手を添えて体を支えてくれながら、ベルがこちらをじっと見つめていた。

 瞳は……両眼とも灰色。良かった、戻ったのか。殺気も消失したようだ。

 

「ベル、私……」

 

 記憶が、ない。身を起こすと体中がギシギシと音をたてるような怠さがあった。

 一体何をしていた? 何故ベルが私の体を支えている? 訝しむように見てくる、彼の視線の意味は。

 

「……覚えていないのか」

 

 問われ、正直にうなずく。この聞き方。

 

「私は何を」

「いい、黙って聞け」

 

 ベルの片腕にまったく力が入っていないようなのが気にはなったが、いつも以上に真剣な眼差しに口をつぐむ。黙って切れ長の瞳を見つめ返す。彼はわざと落ち着かせるためにか一呼吸分の間をおいて、それからゆっくりと口を動かした。

 

「“ルシファー”だ」

 

 瞬間。全てが色を失った気がした。抱いていた疑問も、解決する前に消失した。

 視界が回る。呼吸をやめた体に空気を取り込もうと必死で喘いだ。

 ――終わりだ。何もかも。

 もう答えは出た。出てしまった――“私は、誰も救えない”。

 

「しっかりしろ馬鹿者」

 

 静かな、けれど迫力のある怒鳴り声が、まるで水面に引き戻してくれたような気がした。

 私は、こんな優しいベルの声を、聞いたことがない。

 

「しっかりしろ。……貴様には目的があるのだろう?」

 

 私の、目的。

 

「今は面倒だから何も聞かん。貴様にはそれだけの目的があったのだろう。あいつの力を一瞬でも求めてしまうような目的が」

 

 力を求めた? 私が?

 

「まさか……そんなはず、ない。私が自分から」

「無意識か。性質(たち)の悪い奴だな」

 

 何故かベルは私の顔を見て小さく口端を上げた。普段からもっと笑えばいいのに、とそんなことをふと思った。

 白銀の悪魔はため息をひとつ。一瞬その表情が苦しげな色を見せたが、私が口を開くより先に片手がまた肩におかれた。指に込められた力が、自分の存在を実感させてくれる。

 

「この際それはどうでもいい。貴様の考えていることも知らない。だが、必ず死ぬ前に世界を戻せ。これは万魔殿幹部としての言葉だ。もし万が一にも中途半端なことをしたならば、俺が貴様を玉座から引き摺り下ろしてくれる。それがこの都を預かった貴様の責任だろうが」

 

 責任。

 頭の中の霧が晴れるようだった。思考の回路が一本に繋がったような感覚。

 冷静になれ。落ち着いて、現実をよく見ろ。“今回は血を流させていない”。

 そうだ、思い出せ。私は何の為に生きてきた? どうして禁忌を犯そうとしている?

 やらなければ。地獄のために、世界のために、仲間のために……彼女の、ために。

 

「行け、ルシフェル。……夜は長いぞ」

 

 夜。そう、夜だ。

 私にはまだまだやるべきことが残っているじゃないか。ここで折れるわけにはいかない。

 

「お前が足止めしたくせによく言う」

「ふん」

 

 顔を背けてしまったベルを見て苦笑した。軋むような自分の体を持ち上げて、しっかりと大地を踏みしめる。

 機嫌を損ねたか、はたまた珍しくも照れ隠しか。動こうとしないベルの横を通り、門を出る。

 

「ベルフェゴール」

「なんだ」

 

 それでも一度。振り返り、微笑う。

 

「ありがとう」

 

 返事を聞かずに私は翼を広げた。夜は、まだ長い。

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