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第18話:《戦神》の秘密


 金髪の、すらりとした男の堕天使さんが先導してくれて、あたし達はやっとアシュタロスさんがいるという部屋に着いた。

 どうやらアルベルトさん、という名前らしい従者さんは、あからさまに不機嫌なルシフェルに対しても淡々と受け答えをしていた。慣れてるのかな。

 

 二言、三言主従の会話が交わされた後にアルベルトさんが去ってから、ようやく部屋の中を見ることができたあたしと黎香。緊張に唾を飲み込んで恐る恐る覗く。

 隅にベッドがひとつ、それから窓が一箇所。それだけ。あまり広くなく、何とも殺風景な室内のベッドの上には黒い塊が見える。いつもならすぐに駆け寄るはずの黎香も、あたしの隣で身を硬くしている。

 ルシフェルはというと、救急箱と思しき箱を手にさっさとベッドの傍に行ってしまった。あたし達のことなんて眼中にないかのような動作。好きにしろってことだよね、と前向きに解釈して黎香と二人で近くに寄った。

 

 そこに、彼は横たわっていた。


 呼吸の音が聞こえているから、目は閉じているけど、眠っているとか気を失っているだけとかかもしれない。綺麗な銀髪の先端、特に右の方、そして右肩。そこには乾きかけの血がべったりと付いている。

 ――本物の、血。

 泣きそうになるのを堪えて震える足に力を込める。ほら、だって黎香は頑張って耐えてるじゃないか。


 呆然と見守ることしかできないあたし達と違って、ルシフェルは実に手際が良かった。アシュタロスさんがいつも着ている黒いローブを脱がせ、傷口を臆することなく観察し、次々に箱から道具を取り出していく。血を見慣れているみたいで、ちょっとだけ胸が痛くなった。

 タオルを当てながら血を洗い流し、次にかけたのはたぶん消毒液。ツンとしたアルコールに似た匂いが漂う。てきぱきと処置して最後に包帯を取り出し、彼はそこで一旦手を止めた。

 

「……真子、黎香」

 

 アシュタロスさんの服に手をかけながら。

 

「今から見るものを絶対に口外してはならない。どれだけ信用のおける相手にも。いいか、“絶対に”だ」

 

 緊張したような表情は、やっぱりどこか悲痛で。いやに静かな声にあたしと黎香は戸惑いながらもうなずいた。それを横目で確認すると、ルシフェルは留め金をひとつひとつ外していく。

 初めて見るアシュタロスさんの体。素肌が露わになるにつれて、次第にあたし達は彼の緊張の理由が分かり始めた。


 確かに、見事な肉体だった。締まるところは締まった逞しい体。武術のスペシャリストらしく小さな傷は所々にあるけれど、問題はそこではなかった。

 心なしか、丸みを帯びた体。はっきりとわかる腰のくびれ。そして……胸元に巻かれた布。


 絶句するしかなかった。だってあれは、あの華奢な線ときつく締め付けるような布は――。

  

「女、なの……?」

「我々は性別をあまり気にしない。こいつの体が女のものだというだけだ」

 

 ようやく黎香が絞り出した声に向かって自棄のようにルシフェルが言い捨て、それきり、だった。あたしも黎香も何を言ったらいいのかわからなくてずっと黙っていた。

 気にしない……そう言った割には、彼の声はあまりにも悔しさに満ちていて。わざとらしく落とされ続ける目線は、決してこちらに向けられることがない。

 

 ――アシュタロスさんが、女性だったなんて。


 でもそれを考えれば納得がいくこともあった。滅多に脱ごうとしなかった緩い黒衣、あれは細い体型を隠すためだったんだろう。あれだけ女装が似合うのも当然で。……ルシフェルがアシュタロスさんに特別気を配っているように見えたのも、そういうことなのだ。ああ、だからさっきもあんなに必死だったんだ。

 あたしでさえこんなに動揺しているくらいだから、ずっと一緒にいた黎香にとってはもっとショックだったに違いない。裏切られたとは言わないまでも、信頼していたひとに隠し事をされるのは辛い。 

 ただひとり、ルシフェルだけは黙々と作業をこなしていった。肩まで服を脱がせ、何の躊躇いもなく鮮やかな手つきで包帯を巻く。

 少しだけ。少しだけ辛そうだった。

 

「誰にも言うなよ」

 

 黒衣を元のように着せてあげながら、ルシフェルはもう一度念を押した。怒っているわけではない。ただ静かな威圧感があった。

 

「こいつは男として生きてきた。この場でお前達に見せたのは私の独断だ。だが約束を破ることは、アシュタロスを裏切ることになる。他言は無用、良いな」

「――本当に、お願いしますよ」

 

 擦れ声が続く。どきりとしてベッドの上を見ると、三人分の視線を紫苑の瞳で受け止めて、アシュタロスさんが力なく笑っていた。

 

「アシュタロス! 良かった、無事で……」

「お手数をおかけしました。しかしルシフェル様、消毒はもう少しゆっくりやってくださいな。あんまりしみるのですっかり目が覚めてしまいましたよ」

 

 と、いうことは。

 

「まさかお前」

「ああ大丈夫です、貴方の判断に怒る気は毛頭ありませんから」

 

 何か言いかけたルシフェルを手で制し、アシュタロスさんは微笑む。体を起こすこともせず、ベッドに仰向けに横たわったまま。

 

「でも……」

 

 声が、震えていた。

 

「少し、心の整理がつかないだけですから。どうか……ちょっとの間、ひとりにしてくれませんか?」

 

 片腕を目の上にのせて、ほんのわずかに悔しそうに

 

「知られてしまいましたねえ……」

 

 そう言って大きく息を吐き出した。

 そもそもなんで万魔殿に来てしまったのだろうかと、少し前の主張を翻したくて堪らなくなった。ここに来なければ、アシュタロスさんにこんな思いをさせずに済んだのかもしれないのに。

 ルシフェルに目で促され、あたしと黎香は何も言わずにドアの方を向いた。言える言葉なんて持っていなかった。


「ルシフェル、貴方はいつだってずるい。こうしてまた、僕を拒む」


 背中を向けた途端に聞こえた小さな小さな声。


「もし……もし僕が大天使であったなら、貴方は僕を見てくれたのでしょうか」


 応じた言葉は答えではなく、彼の気遣いはどこまでも遠い一歩分の差を保ったまま。無機質で、そこはかとなく他人行儀で、空っぽの優しさで満ちていて。


「……まずは休むといい。何かあれば知らせろ」

 

 部屋を出る時、嗚咽が聞こえた気がした。


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