第17話:無用の
計画通りだと思った矢先にこれだ。
一体私の何が悪い? どうしてこうもうまくいかぬのだ!
自分の従者のひとりである堕天使に案内させ宮殿の廊下を歩きながら、私は怒りを必死に堪えていた。
怒りと、焦りか。まさかアシュタロスが襲われるとは。犯人の見当がついていないわけではないが、確証が得られないうちに下手に動くのはどうなのだろう。
……いや、もはや確証などどうだっていいな。大切な仲間を傷付ける者は誰であろうと絶対に許さない。必ずや見つけ出し、この私に喧嘩を売ったことを後悔させてやる。真実は力で示さねばならないのだ。
結果だけを見れば反乱か、謀反か。否、否だ。これは王としてではなく、個としての私への挑発。
しかし何故アシュタロスは万魔殿にいるのか。頼んだ仕事は済んだはず。しばらくおとなしくしていろと言ったのに……。
自然と、今日何度目かの舌打ちが出た。
まったく、だからあいつにはあまり話したくなかったのだ。事実を隠せば隠したで心配するかと思えば、わずかなりとも明かした途端に度を越えた尽力を望む。いつもいつも無用な心配をして、今回も案の定。他人のことを気にかけていられるような状況ではなかろうに。
それに、と後ろをちらと盗み見て思う。私から少し離れて、それでも早足でついてくる少女が二人。唇を噛み締め、睨むように床を見つめて。
この二人の思考がわからない。何故わざわざこんな危険なところへ来たがるのか。こいつらは全然わかっていないのだ、この万魔殿で今回のようなことが起きる、その危険性を。いくら異変が起きていたとはいえ私の魔力は注いであるし、そもそも《憤怒》の御加護を間近で受けられると言っても良いほどに完璧なる都に、裏切りがあっていいはずがない。単に珍しいで片付けられる問題ではないのだぞ。
私に挑むにも卑怯な手段しかとることのできない外道。都市の規則でも世界の規律でも理でも縛ることのできない者のことを、私は何人か知っている。
そしてそのうちのひとりは、後ろの少女を縛っている。
恐らくは私が行動したせいでアシュタロスがやられた。
私のせいで、また。
償う気でいたのに、さらに罪を増やしては世話がないじゃないか。動かなければならないのに、一歩踏み込んだ分いつも痛みが跳ね返ってくる。しかも、己以外に。
どうする。ベルゼブブがアシュタロスのように何か行動を起こしていたとしたら? こうしている間に敵が無差別に民を襲ったら? 都市の根幹に亀裂が入り始めていたとしたら?
きりのない可能性。嘆いてもどうしようもないことだけれども、あくまでも一個に過ぎない自分に他者の動きを完全に御することが不可能であることが、何とも口惜しく腹立たしいように思われた。能力を使えば物理的に干渉はできようが、心を支配してしまうには至らない。そんな理自体をどうこうしようというのは馬鹿げているが、儘ならない現実を目の当たりにして不満を覚えるなという方が無理な話だろう。
考えれば考えるほど苛立つ。何もかもが癪に障る。ああ、真の意味で“私だけの”問題であったなら良かったのに!
表情に出てしまいそうになる怒りを必死で抑えているうちに案内の足が止まり、目的の部屋に着いたことに気づく。ここは……宿泊棟の予備の部屋か。出入りの多い救護室に運ばれていなくて安堵した。
木製の扉を開き、従者の堕天使・アルベルトは流れる動作で脇に避ける。
「こちらです、殿下」
「ご苦労。誰も手を出していないな?」
「無論でございます。伝言は確かに承りましたので」
良し、後でウァラクにも礼を言わねばならないな。それと謝っておかなければ。伝令役に過ぎないのにあんな風に掴みかかる真似をしてしまったから、きっと怖がらせてしまったことだろう。
しかし誰にもアシュタロスに触れさせるわけにはいかないんだ。私ではなく、本人が恐らくそれを望んでいるだろうから。手当てをするなど言語道断。まさか、ここまで運ぶのに誰か気付いてしまったろうか? アシュタロスの体が……
「処置用具は中にご用意致しましたので」
「あ、ああ、すまない」
そんなことを考えている場合ではない。早くしなければ。部屋に入った瞬間からずっと血の匂いが気になっていた。この程度の匂いならばそこまでの量ではないだろうが、しかしそれは別の意味でも幸いだ――我が内なる獣を興奮させずに済む、と自嘲混じりに考える。
実際にこの現状に直面し、ウァラクに対する先刻の言動はいくら何でもアシュタロスに薄情だったかと省みた。命に別状はないという言葉だけで、私の思考は既に安否よりも如何に約束を保つかという点に移行してしまっていたから。冷静なままの頭によって、自分の“仲間”に対する感情への疑わしさが増した。私はどこまで“長”で、どこから彼らと肩を並べ心から笑えるのか。
だが少なくとも今は。気を取り直して背筋を伸ばし、黙って指示を待つ堕天使に告げる。
「アル、人払いを頼む。部屋には一切誰も近づけるな」
「治療師も、でございますか」
「ああ。緊急の連絡ならお前を介するようにして、それ以外は一切だ」
「……御意。何か入り用でしたら、すぐにお申し付けくださいませ」
うなずくと、アルベルトは一礼して出て行った。話のわかる奴で助かる。さすがは我が従者一の古参だ、この私に臆さぬのは慣れか。
アルもアシュタロスの体のことは知っているのだものな。堕天使なのだから――我々は共に楽園に生きた過去があるのだから、当然だ。
さて……。
本当は後ろの二人もいて欲しくはないのだが、何を言っても部屋から出て行きそうにない。ここで言い争っている場合ではないのだ。素早く済ませてしまった方が、或いは二人のためかもしれない。
それに。この二人に秘密を明かしたなら、ひょっとするとそれがアシュタロス自身の行動を縛る要因となってくれるかもしれない。あいつは優しいから、多少なりとも縁を持った相手の心配を振り切ることなんてできないだろう。私だって心配はこの上ないほどしているつもりだが、本人に伝わっていないのか、それとも慣れてしまったか意地を張っているのか、いずれにせよ効果がなかったようだし。
あまりに卑怯、かもしれない。祈るように言い訳を唱える。裏切りではないんだ、約束を違えるつもりはないんだ。不用意な行動がまたあいつ自身を傷つけないように、これ以上私に巻き込まれて無用な痛みを味わうことのないように、そう思っているからこその。
ここまできたら仕方あるまい。許せ、アシュタロス。彼女らになら良いだろう……?