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第15話:“仲間”


 さて、今夜はどこへ行こうか。

 特に目的地もないため、緩やかに空を飛びながら考える。本来なら悠長にしていられないのだが、地獄からの報告がまだ来ない。それまでは、思考することが私の仕事だ。

 

 真子とのことに関しては、まあまあ順調だろう。このままいけば予定通りだ。仮に彼女が私の行動に疑念を抱いたとしても、事態の根幹に到達されることはあるまい。或いはその前に終わらせる。

 “奴”は、そうだな、今のところ問題ない。本人が言った通り出てくる気配はないし、私の力も河原にいたあの時よりも戻りつつあるのは確かだ。完全に抑えられるかはわからないが、乗っ取られることはないだろう。

 あとは……天界と煉獄か。万魔殿は安定している。結界も張り直したからしばらくは保つはずだ。対策を講じねばならないのは、それ以外の二つの世界が再び動き出した場合。あれらはまだ“生きている”。もう一度拡大が始まったら、果たして今の力で抑えられるか――?

 

『BANG!』

「ッ?!」

 

 突如として耳元で響いた声に体勢を崩しそうになる。慌てて身構えた視界に入ったのは、獣の尾のように揺れる茶色の束ね髪と、毛艶の良い黒の翼。

 

「珍しいな。オレがこんな近くまできたのに気付かねェなんて」

 

 万魔殿幹部の一員たる《暴食》、(自称)次期魔王のベルゼブブが、手を銃の形にして私に突き付けながら笑っていた。子供のように無邪気で人好きのする笑みは変わらなかったが、それに合わせて頬を持ち上げるほどの気力は私にはなかった。だから代わりに、声だけなのに過剰な反応をしてしまったことや察知できなかったことへの気恥ずかしさを誤魔化すためにも、呻くように問う。

 

「こんなところで何をしている」

「ヒャハハ、散歩してたンだよ。どうせてめえも似たようなモンだろ?」

「……まあ、な」

「ンだよ、悩み事か? えェ?」

 

 心配されるのもわかる。余程深く考えこんでいたらしい、全く気配に気付かなかった。存在を掌握するはずの、この私が。

 とはいえ、まさかここでベルゼブブに会おうとは思ってもみなかったが。こいつが地上で誰と何をしているのかなんて、さっぱり把握していないのだ。庇護が必要な者ならばともかく、行動をいちいち管理しなくたってこの堕天使には自分で危機を乗り越えられるだけの実力はある。

 

「というかベルゼブブ、お前、まだ地上にいたのか」

「失礼だなー。オレだって色々やってたンだぜ? まっ、これも魔王になるための修行ってヤツだよ。っつーか、てめえに『まだいたのか』なんて言われたくねェし!」

 

 言ってケラケラと笑う。冗談だとしても、悪いが、それさえもどうでもいい。

 

「てめえもなかなか長ェじゃねえか。どうだ、最近会ってねェけど進藤は元気か?」

「……」

「オイ、」

「私は……」

 

 ああ、恐らくこいつは万魔殿で起きつつあることを知らないに違いない。

 だが、それも仕方ないかと思った。この異変は高位の者ですらはっきりと理解できていなかった。漠然とした不安を感じてはいても、真実に辿り着く者が何名いることか。それは何より私が隠そうとしているからでもあるが……ましてや地上にいたベルゼブブが全てを知っているはずはない。

 

「ベルゼブブ。もう少ししたら、私は向こうに戻るよ」

「あァ?!」

 

 素っ頓狂な声と共に笑みが引っ込んだ。これだけ取り乱した《蝿王》は滅多に見られないな。

 

「向こう、って地獄か?」

「そうだ。おかしいことなんてないだろう? 全て、元に戻るだけだ」

「いや、だがよ。てめえ、それは……」

「何を慌てているのだ。変な奴だな」

 

 意地の悪い言い方だと自分で思った。どうにも私はこいつに弱味を見せたくないらしい。

 しかし話すことはきちんと話さねばなるまい。こいつにも幾つかの情報は知らせておく必要がある。同じ万魔殿の幹部として、私の臣下として、……アシュタロスと同様、良き仲間として。

 

「進藤となんかあったのか」

「別に」

「ならなんでだよ!」

 

 ――どうしてそう不機嫌そうな顔をする。本当に怒りたいのはお前ではないはずだ。

 

「なぁ!」

「わかっている、説明はするから。お前にも聞いてもらいたいことがある」

「オレに?」

 

 まずい、体がふらつく。自分の鼓動がやけに近くで聞こえる。いくら魔力を回復したとはいえ、やはりこうも頻繁に飛び回っては急激に消耗し過ぎか。

 このまま力を消費したくはない。どこかもっと静かな場所で、腰を落ち着けて話をしたいと思った。が、それでは恐らく長引いてしまう。変に食い下がられるのも逆に苦しいのだし、ここは己の疲労には目を瞑ろうか。

 初めから私にはすべてを明かすつもりは毛頭なかった。これもアシュタロスが相手の時と同じこと。

 

「一体どうしたってンだよ」

 

 わけがわからん、と呟くベルゼブブ。不良のような堕天使を、私は少しの間だけしっかりと見た。鋭く、力のある眼差しがこちらを見つめていた。正面から向き合おうとするその目を見た途端、何もかも話して縋りついてしまいたい気持ちが込み上げてくる。

 だが、それはできない。私は彼らの長だ。責任も罪も私にある。背負うことこそが私の償いでもあるから、逃げるような真似はしてはならない。

 

「ルシフェル」

「ああ。実は……」


 本当のところ、私はもっともらしい動機と赦しが欲しいに違いないのだ。そんな甘えた気持ちが湧いてくること自体がその証。

 契約の“上書き”をすれば、この身を懸けた争いは避けられない。だから、命を主や世界ではなく彼女のために捧げることに、未だ私は納得できなくて。

 彼女がいなくなってからでは遅いのだとわかっていながら、何にでも理由を求めようとしている自分の必死さが滑稽で可笑しかった。疑うことを覚えた己は、もう天の使いを名乗れないのだなあ――。

 

 まして彼女の傍に留まる利点などあるまい。

 我が内に眠る獣が何時周りを傷つけるか知れたものではないし、そもそも我々が同じ時を歩むこと自体が不可能だ。

 それならば。もしも私が彼女を救えたその時には、それを最後の贈り物としようじゃないか。去り際は潔いほど美しいもの。

 

 決意を胸に拳を握る。そうして自分の声が震えないように気をつけながら、私はベルゼブブに向かって、今最も口にしたくないことを言った。

 

「彼女には……真子の命には期限がある」


 改めて口にすると一層辛いことのように感じた。ベルゼブブは目を白黒させていたかと思うと「それは、そいつは……」と何やら呟いた。

 迷っていると悟られるのは癪だから、あくまで淡々と、厳選した事実と適度な方便のみで。少しも痛いことなどないのだと言葉で示す、態度で示す。


「わかるだろうが寿命の話ではないよ、悪魔絡みだ。私とて世話になった義理を感じないではないから、少しばかり助けるために力を貸してやろうと思っているが」

「……」

「それに恐らく私の考えている行為は、世界からすれば善行とは言い難い。だからかどうかは知らないが、万魔殿でちょっとした事件があってな。故に魔力を一時的に都市中枢に蓄え、我々の間の魔力回路は切断してきた」

「……」

「安心しろ、所詮はすぐに終わること。これが片付いたら、地上での遊びはお終いにしようかと考えていたところだ」

「それはっ」


 ベルゼブブがわずかに声量を大きくして私の言葉を遮った。おとなしく待ち受けていると、見れば、彼は拳を握りしめて震えている。


「……進藤はどこまで知ってる」

「何も。教える必要もないだろう、どうせ私は彼女の前からいなくな――」


 突然ぐらりと視界が揺れる。とうとう本気で魔力不足かと思いきや、どうやらそれは目の前の堕天使に胸倉を掴まれたせいであるらしかった。

 ぎりぎりと睨みつけられる。こういう時に感情を剥き出しにして正面からぶつかるのは幼稚だし、ろくな結果を招かない。怯えることなどあり得ないし、虫の羽音にいちいち本気で(はらわた)を煮えくり返らせる者などないはずが、やはり自分の怒りを横取りされたような気がしてそれがひどく不愉快だった。


「進藤自身に黙ってることを責めるつもりはねェ……だが理由がソレってのが気に食わねェっ!」

「お前に気に入られるための思考ではない」

「てめえは進藤をもっと大事にしてると思ってたっつーの!」


 吐き捨て、乱暴に放される。

 軽く翼を張り衝撃を殺しつつ、黙って襟元を整える。無礼を咎める気すら起きず、自分でも驚くほどに冷めた気分で顔を上げた。誰に何と言われようと、口に出した言葉が完全な真実でないことを自分は知っている。

 だが、それにしてもベルゼブブの期待は行き過ぎている。仮に想像通りに彼女を大事にしていたとして、何だ。私が自分を許したとでも思っているのか、幸福を呵責なく享受できるとでも思っているのか。


 次は何を言われるのかとこちらが首を傾げていると、それが割と(こた)えたのだろうか、今度は悲しげに顔を歪められる。


「頼るって、言ったよな」


 いや、違う、今の私の行動に対する反応ではない。ベルゼブブが引っ張り出してきたのは昔の、恐ろしい記憶に付随する、口約束。

 こればかりはこちらも平静でいられない――血に塗れた忌まわしい記憶を、よくも。


「いつからなんだよ。いつからてめえは悩んでた? なんで、オレらに何も相談してくれなかった?」


 それは単に、お前達に心配をかけたくなかったからだ。昔だって私はその思いで行動したんだ、結果はあんなものになってしまったけれど。

 これ以上は私のことで負担を与えたくない。それは半分本当で、半分は嘘なのかもしれない。だから言葉にして伝えることは躊躇われて。


 ――何もわからないくせに。

 ずきん、と見える風景がぶれた気がした。音が鳴るほど奥歯で噛み締めた憤りの向こうに、醜く恩知らずな羨望があることは否定できない。極端な話――無心に従っていたところで何の危険もないのだろう、お前達の行動は……少なくとも前を歩く者の背が見えるのだろう、お前達には!


 私の前には。誰もいなかった、足跡もなかった。生まれた時から、ずっと。


「てめえの命を悪魔が助けた時……あの時だって、てめえはオレらを全然頼ってくれなかった。そのあとで言ったじゃねえかよ、約束したじゃねえかよ。これからはもっとオレらを信頼してくれるって!」

「これは私の問題だ。口を出すな!」


 言っても言っても納得してくれないだろう? 手を貸させてくれと、引き下がらないだろう? それは逆に私が納得できないことなのに。臣下に救われることがあっては、長としての名を保てない。

 力になりたいと望むならどうかこの名と役割を奪わないでくれ。黙って、何も考えずに私に従っていれば良いのだ。

 私は誰よりも強くありたい。差し伸べる手しか持ってこなかった私にとっては、弱い姿を見せて幻滅されることが何より恐ろしい。そして膝をついた時に最も失望するのはきっと自分自身。主よ、主よ、私は何も変わっていなかった――いちばん傷つけたくないのは己のままなのです、主よ!

 そんな私だからこそ……彼らが信ずるに値しない、のかもしれないとも思う。黙って従えと思いながらも、こんな長にどうして従い、堕天までしてくれたのかがわからないとも思った。もしも彼らが慕ってくれるのなら、彼らの心の内にあるその幻想を現実にしなければならない。理想像を保つために強くあらねばならない。


 残ったのは釈然としない気持ち。それでも私は常のように酷な言葉を投げつけるしかないのだ。向こうからきっと離れてくれるように、幻想が崩れてしまうことを防ぐために。

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