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第14話:詮無い十分間


 寒さのせいじゃないことくらい、わかってるっつーの!

 

 腹立たしいやら悲しいやら。天然であることは可愛いと思ってきたけど時々残酷だ、切実な意味で。嘘を嘘とわかっていながら受け容れるのは、それはそれはきついことなんだと、是非とも本人に言ってやりたかった。そして今までこんなことなかったのにって思うと、なんだか泣きそうになった。

 そりゃあこれまでもちょっと揉めることはあったけど。原因もくだらなかったし、大抵は日をおかないで仲直りできたのだ。


 例えば。

 小さい時から一緒に寝てきたぬいぐるみを納戸で発見した彼が「“気”を吸い取られるから処分すべきだ」と主張したのに対して「思い出だから絶対に捨てない」と言い張ったこととか。近所で不審者出没の噂が流れた時に「外出は禁止!」なんて制限されそうになって「学校があるんだからそれは困る!」と散々説得したこととか。揉めたと言ってもどれも結局はいわば優しさ(?)からだった。あんまりにもあたしのことを安全の中に囲おうとするせいで、過保護だーとか黎香には言われていたけど、なんだかんだで彼はいつだってあたしの意志を尊重してくれたから。

 それに万が一あったとしても喧嘩ならまだいい。原因がわかればお互いに悪いところがあるんだって反省できるし、ぶつかり合うってことはちゃんと向き合っているってことでもあると思うし。

 現状はどうだろう。原因……原因? これは仲違い、なのかな。そもそもあたし達は対立した覚えはない。ぶつかってすら、いない。


 「倦怠期かしら? 乗り越えればもっといいパートナーになるわよ」なんて奏太は言ってくれる。倦怠期だなんて恋人でもあるまいしと恥ずかしくなったのも事実だけど。

 でも、どこか違う。今の彼はまるで……まるであたしを避けているみたい。自分から距離をおこうとしているような、そんな感じ。

 

 ひょっとして、嫌われちゃったのかな。

 

 一瞬、怖い考えが浮かぶ。好きだって、信用してるんだっていうのはあたしの独り善がりだったわけ?

 この際もう特別な感情を抱いてくれてなくたっていい。彼にとってのただひとりになれなくたって構わない。

 ただ、嫌わないで欲しい。

 つい数か月前までの自分が知ったらびっくりするくらいの後ろ向きだけど、それだけ彼に疎ましく思われるのが怖くて。冷たい手のひらがこちらに向けられるのが怖くて。


「真子」

 

 シャワーを浴び終えて出てきたルシフェルは、入浴前と同様にまたしても堕天使の黒い服を着ていた。あたしのタンスには入らないからと、部屋の隅に置かれた彼用の衣装ケース。彼はいつもそこから着る服を選んでいたけれど、今その中には男物の――人間の服が嫌味なほど整然と畳まれて入っていた。もう着る気はないと言わんばかりに、ご丁寧に蓋まできっちりと閉めて。

 地獄に行ってきたという彼の言葉も本当かどうかわからない。けれど、まとめられた衣服は拒絶の意思表示にも思われた。もう彼が人間の服を着ることは、きっとない。

 思えば彼は最初に「人間として生活してみたい」と言って、だからあたしは服を買いに行ったり、一緒に出かけたりしてきたのだった。それをやめようとしているということは、ルシフェルは、もしかして――

 

「窓の鍵、開けておいてくれないか。帰ってきてからお前を起こすのも悪い」

 

 夕飯時だからと、また外へ出かけようとするルシフェルがベランダに続く窓を開けて言う。黒衣の裾が風に少し捲れた。水気を僅かに含んで湿ったままの艶やかな髪をひとつとっても、そういえばもうドライヤーを扱うのに大騒ぎもしなくなったなと思い出す。病み上がりなんだから湯冷めを気にして欲しいとは、心の中でしか呟けない。

 忘れられない、奏太の話。彼のことが心配で不安で、それでも、引き止めたいという衝動をぐっとこらえる。どうせ彼は聞かないだろう。あれだけ必死に誤魔化そうとするくらいなんだから。

 「帰ってくるよね?」なんて怖くて聞けない。またそれを口に出してしまったら、今度こそ本当になってしまいそうで。

 それでもすぐに帰ってくる気はないのだろうことはわかった。戻ってからあたしを起こす必要がある時間帯って、一体彼は何をしに外へ行っているのか。


 何気なく部屋の中に視線を彷徨わせて、あ、と気付く。帰って来ないということは、ないはずだ。ソファーの上にあの銀糸で飾られた黒い上衣(うわぎ)を置いていったままだから。

 それでやっと、送り出す言葉を口にすることができた。

 

「わかった。帰ったらちゃんと閉めてね」

「了解」

 

 ルシフェルは柔らかく微笑む。

 ……違う。嫌いだったらもっと厳しくあたってくるはずだ。きっと嫌悪感を抱いているってことはない。あたしを気にかけてくれるのは前と同じで、あの夢を見た日も心配してくれるその目に嘘はなかった。瞳の輝きは、失われてしまったけれど。

 どこか高貴さを感じるほど凛と冷たいのに、円やかな優しさが滲み出ていた大好きなふたつの紅い宝石は、今はただ美しくあるだけ。生気がないわけじゃない。決して元気には見えないが、そうじゃなくて……影が濃いとでも言おうか。目に映る全てを拒絶して、自分の内面を隠したがっている壁のような昏い瞳。あたしを見ているようで本当はどこか遠くを見つめている、暖かい色が消え失せてしまった瞳。


 誰であろうと美しい彼の目に映りたいと望むだろうけど、ひょっとしたら彼は見たくないものまで見てしまったのではないだろうか。だって彼は、何かを諦めた目をしている。

 

 いきなり空気がざわめいたような気がして顔を向けると、彼の背中に揺らぐ蜃気楼のようなぼやけた影。彼はそのまま軽々とベランダの柵に飛び乗り、その背に現れた二枚の大きな翼を広げた。黒くて巨大な翼。あたしと彼が違うことの何よりの証。

 あたしは空を飛べない。魔力も特別な能力もない。たった十年ちょっとの歴史しか見ていない。人間だから。

 でもそんな違い、今更気にすることではないと思っているのに。

 

「では、行ってくるから」

「うん」

 

 とん、と柵を蹴り、長身がふわりと宙に浮く。真っ黒な翼は艶やかに光彩を反射し、暗がりの中でも虹色に輝く。全てを包み込むような優しい闇色。絹のように滑らかで、とても柔らかかったあの翼。

 「真子ならうまく触れそう」……彼はずっと前にそう言ってくれた。今もう一度触ってみたいと言ったら、果たしてどんな言葉が返ってくるのか。

 

 ルシフェルが飛び立ってすぐベランダに駆け寄った。彼がどこへ向かうのか知りたいと思って。

 けれど街の方へと滑るように飛んだ堕天使はひとつ羽ばたいた瞬間、ふっと姿を消してしまった。本当に夜の闇に紛れてしまったかのように。

 

「ルシフェル……」

 

 手すりを握ってみても冷たいだけ。そこに彼は確かにいたのに何の痕跡も残らない、温もりも残っていない。

 進まなきゃ、動かなきゃ。わかってる。同じ場所に留まっていては淀むだけだ、でも。

 どうしたらいいの? どうしたら前みたいに接してくれるの? 本人に聞けないあたしは、意気地なしなのかな。


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