第12話:禁断の恋?
――《輪廻》。ふたり、同時に消えるの?
――うん。でも、できない。
――また選択して、また後悔するんだ。
――そうだね。だけど今回はまだだ。まだ彼は世界にお別れしていないから、少し待つことにしよう。昔の彼はすごかったんだよ、本当に。
――今でも。
――うん、わかっているよ。だからむくれないで。
――なんで、ダメなの?
――彼はすごいけれど、僕が求めているのとは違うんだ。
――忘れちゃったの?
――多分ね。時間というのは恐ろしい。やり方もその心も、もう昔とは違うみたいだ。
――それでも、行くの?
――当然さ。それが僕の役目、存在する意味。
――どうして。
――“今回の”世界は結構好きなんだよ、《世界》。それに理由なんて決まっているじゃないか。僕が、そうしたいと望むからだよ。
***
「ねえ、真子ちゃん」
放課後の喧騒の中で話しかけてきたのは奏太だった。
今日は講習。夏休みとはいえ、さすがに高校三年生に長期の休暇はないのだ。
ハードな授業にヘトヘトになって、ああそれでも今から塾の人もいるのか大変だなぁ……なんて思っていた時。あたしの前の空いた座席に座り、爽やかスポーツ少年がこっちを振り返った。また同じクラスで過ごすことになった彼は相変わらず乙女より乙女で、それでも同年代のみならず後輩からも慕われている。うーん、少し髪伸びた?
「最近、ルシフェルさん元気?」
「えっ?」
きちんと膝を閉じて小首を傾げた友達に思わず聞き返してしまう。唐突だな。あんまり心の準備ができてないんだけど。
「ん、まぁ元気ってば元気だよ」
倒れたのは数日前だし、まったくの嘘にはならないよね、と本当は単に言えないだけだったり。
あたしはどうとでも取れる返事をして場をやり過ごすつもりだったのだが、いまいち奏太の表情が晴れない。単に久しく会っていないからといって尋ねてきたのではなさそうだ。
「あのね、俺、いっつも朝はジョギングしてるんだけど」
おぁ、偉いなー。
インターハイを目指していたバスケ部だったが、残念ながら夢叶わず他の部と同時に初夏に引退してしまっていた。だから部活のためじゃなくて、自分で体を鍛えるために走ってるんだね。運動不足な生活を送っている身としてはそれはもう感心の一言に尽きる。すごいな奏太。でも……それで?
「この間も川沿いの道を走ってたのね。そしたら土手のところに誰かがいるのが見えて、朝から珍しいなーと思って確認したら……」
「ルシフェルだったの?」
うなずかれる。多分あたしの朝食の時間のことだろうとわかったから、そんなに驚きはしなかった。気にかかるのは、奏太の困ったような表情。
「まさかあんな綺麗なひとを見間違えるわけないじゃない? だから、あれは絶対にルシフェルさんだと思うんだけど」
「うん」
「声をかけようとしたわよ、もちろん。でも……なんだか様子が変だったのよ」
「変?」
ゆるゆると、不安感が足元から上ってくるような気がした。
そこで言い淀まないで。またいつもみたいに天然ボケをかましてたって、苦笑しながら言って欲しいのに。
「あの、ね、なんて言うか……何か小さい声でぶつぶつ言ってて。しかも、こう……体を震わせながら、まるで何かを堪えてるみたいだったの」
「堪えてる? 震えながら?」
「そう。それから誰もいないのにいきなり『黙れ!!』って大声で怒鳴って。もー、あんまり怖い顔してるから、思わずスルーしてきちゃったわよ」
最後は恥ずかしそうに言う。
頭をよぎるのはあの夢。鎖で縛られ、別人のようにあたしを睨み付けていた彼。……まさか、あり得ないよ。
「それで、元気にしてるかな、って。人違いってことも、なくはないかもしれないし――」
「変っ! 変だよ真子ちん!!」
ところが突如として会話に参加してきたのは元気溌剌ポニーテール娘、黎香。相変わらず神出鬼没だな。
小柄な彼女はバンッと机を叩き、全体重を乗せんばかりに身を乗り出して訴えてくる。
「どうしようかね諸君?!」
「どうしようって、何が」
「アッシュのこと!」
アシュタロスさんにも何かあったのだろうか。
顔を見合わせるあたしと奏太に、黎香は泣き真似をしながら言う。
「アッシュが浮気してるんだよぉ~!!」
「はあ?!」
内容の、あまりの落差に口を開けてしまった。う、浮気だって?
「最近、毎日毎日どっかに出かけるの。帰ってくるのは夜遅くだし、どこに行くのか聞いてもはぐらかされるし……」
あんたはアシュタロスさんの妻かい。色々と突っ込みたいけど、当人は真剣に悩んでるみたいだからやめておく。
そういえばあたしは、ルシフェルが毎回食事の時にどこに出かけているのか知らない。そうそう繰り返して川沿いへ行っているわけもないだろうし、人間の服を着たままベルフェゴールさんのいるような万魔殿へ行くはずもないし。今度聞いてみようかな、答えてくれるかどうかはわからないけど。
「どうしたらいいかなぁ?! 黎香、ヤダよっ。アッシュを誑かす輩はこの黎香様が許さんぜよーッ!」
むきぃー!と、もはや嫉妬心丸出し。まだ浮気って決まったわけじゃないだろうに、その白ハンカチは一体どこから取り出した。
まあ、それだけ黎香にとって、アシュタロスさんは大切な存在だってことなんだろう。その気持ちはなんとなくわかる。一年間も同じ屋根の下で共に過ごしてきたのだ、もうそれは家族と似たようなものじゃなかろうか。彼女の場合、あたしよりも心配のベクトルがぶっ飛んでいるのは認めざるを得ないが。
「ふぬぅ~! おっしゃ、発信機とかつけちゃるかっ?!」
鼻息荒い昼ドラ妻、というより興奮状態にある牛馬?を諌める気分。やめれやめれ。っていうか、彼なら恐らく気付くぞ。アシュタロスさんが怒ったら……にこにこと怖い笑顔で小型の機械のひとつやふたつ、片手で握りつぶしてしまいそうだもん。だって武人だし、魔王様のお目付け役だし。
見た目は全然そうは見えないんだけどなぁ。いつもの緩いローブを脱いだ時に、むしろ華奢だったのが印象に残っている。浴衣姿なんてルシフェルと並んでも見劣りしないくらい本当に美人さんだった。
「ま、アシュタロスさんも美形だからねぇ」
と何気なく思ったままを口にすると、
「ふえぇーん」
あ、ヤバ。今度はだばだばと目から滝を放出させ始めた黎香に、内心ちょっと慌ててしまう。そんなつもりで言ったんじゃ……!
「な、泣かないでよ黎香ー。ね、奏太?」
「そ、そうよ。黎香、もっと魅力的な女を目指しましょ!」
汗を垂らしながら引きつった笑顔でフォローフォロー。沈黙。そのまま黙って奏太を見ていた黎香だったが……
「……黎香は今でも魅力的なのにぃぃ!!」
うわうわうわ、滝の水量が倍になったよ。何故そこで泣く?!
「おろろろろ~!!」
「ごっ、ごめんって! えと、ほら、今よりもっとよ! ねぇ真子ちゃん?!」
あたしに振ったな奏太ー!
増援を求める視線に文句と驚きをどうにか飲み下して、ともかくこの大音量をどうにかしなければと試みる。早くしないと教室中の注目の的、って時は既に遅しかもしれない。そもそも黎香の第一声の段階で、帰り支度をしていたはずの皆が聞き耳を立てたのは空気の変化でわかった。
「え、そ、そうだよ! そしたら、世界征服達成も近くなるかもよ?!」
そんな中で何を言ってるんだあたしは。世界征服。それこそ魔王のような野望は、発明家の家に生まれた彼女の長年の夢ではあったけど、冷静になってみれば我ながらおかしな慰め方。でも。
「マジ?!」
黎香の顔が輝いた。うは、効果テキメン。
「黎香もイイ女になれる?!」
「なれるなれる!」
「世界征服できる?!」
「できるできる! 俺が協力するから」
「わはーい! ありがと、そうたぁーん!」
というわけで奏太も野望の片棒を担ぐことになりました、なんて。
単純というか何というか。ついさっきまで泣いていたその涙も乾かないうちに、黎香は嬉々として自作の新しい便利グッズの構想を語っている。兵器じゃなくてよかった。すっかり楽しげな二人の会話に苦笑い、そして一安心。
黎香は黎香で大変なようだけど、あたしの不安も消え去ってはくれない。何か、日常がずれていくような、そんな違和感。奏太の話で拍車がかかった怖い妄想。
……嫌な感じだ。
それでも心のどこかには、大したことないんだと信じたい気持ちがあって。実はルシフェルとアシュタロスさんの禁断の恋?!、なーんてオチだったら、良……くはないけど、ずっと気が楽だなぁとそんな下らないことを考えていた。