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第11話:ただ、邂逅の場所にて


 嘘を吐かれるということが、こんなにも悲しいことだとは知らなかった。心にぽっかりと穴が空いてしまったような。

 ああ、真子もこんな気持ちだったのか。今になって気付く私はやはり愚か者なのだろう。けれど、私はこの方法しか知らない。

 見上げた空は漆黒の闇。だのに、目線を下ろせば眩しい光の海。我々が展開する魔力光とは異なった、人間が作った無機質な光。それが眼下いっぱいに広がっている。

 

「……貴様らも、充分愚かだ」

 

 生温い風の吹く学校の屋上で、負け惜しみのように呟いてみる。自己嫌悪に苛まれながら痛みを擦り付けようとしてみる。

 どうして抗おうとする? 空は闇を要求しているというのに。所詮貴様らは光ではないのだから、黙って世界の影を受け入れれば良いものを。それでも灯りを灯し続けようとするのは、何故だ。

 影、と言うと彼女を縛る奴のことを思い出す。奴は文字通り影を従えていたから。それは世界の側面、忌避されることは本当はあってはならない不可欠な要素。だからこそ彼は主に愛されていたのだと私は思う。影を背負った彼と対を為す位置に、未だ私が居るのかどうかはわからないが。

 初めて彼女を見つけたのもこの灰色の四角い建造物に於いてだった。私と出会うこともなければ取るに足りない小さな存在であったはずの少女はあの日、楽しそうに“悪魔”の絵――我々からすれば馬鹿げた妄想の産物――を描いて見せていた。今思えば何と皮肉なことだったか。

 まったく、遠い過去だ。だが確かに、楽しい日々だった……。

 

 今頃、彼女は夕飯を食べているだろうか。一年も地上(ここ)で過ごしていればわかる。ひとりの食事は決して安らかなものではないことくらい、家族というものが彼ら人間にとってどういった意味を成すかくらい。不思議な不思議な“親子”という繋がり、彼女の親にかつて言われた言葉、「頼む」と。今の私の選択は間違っているのだろうか。


 そうしてまた昼間のことを思い出した。私を見た時の、真子のあの怯えた表情。「何でもない」? それで誤魔化したつもりなのか。あれだけ青い顔をして、ふざけるな――。

 悲しみの次には怒りが沸いてきた。自分はどうだと問いかけてくる声は無視した。 

 彼女は“私の何を見た”? もしや私は知られることを恐れているというのか。醜い本性を曝すことを厭うているというのか。

 馬鹿な、何を焦る必要がある。私は最後まで光明であるのだ、きっと最期まで光で在るのだ。一度は潰えたこの命、次に死ぬ時は《光》としてだと、私は心に決めている。


 だが、その最期の時が彼女のために捧げられて良いものか、私にはまだわからないまま。否、その正当性を認めて自分を納得させることができないのだ。救いたい、それは確かだ。しかし我が身を“あの方”以外の糧とすることを、過去を抱き込んだ自尊心は受け容れられないに違いない。そうして迷っている間にも運命の時は近づき、そうして苛立ちが募っていくばかり。

 大体、と。あの親子が、いっそのこと、嫌いだ。どうして私を巻き込んでくれた。どうして彼女らは全てを忘却の彼方に置き去りにすることを許してくれなかった。何故、私が面倒を見なければならない!


「……っ」


 震える息を吐き出して目を閉じる。いけない、冷静にならなければ。

 ひとりでいるとここまで強気でいられるし、大義のための冷酷な決断も容易。過去の信念を貫くことだって覚悟できる。それなのに当人を前にすると弱気な自分が顔を出す、迷いが生まれる。らしくないと自覚すらしているから一層、ひとりになった時に苛立つのだ。

 そう、そうだ、覚えている。面倒を見るというのは、責任を持つというのは、最初は彼女の両親とやらに頼みこまれたにしろ結局は私が自分から言い出したこと。まったくもって馬鹿げている。


 深呼吸。


 少女がいる部屋に帰る気にはなれなかった。かといってこのまま夜を明かすのも出掛けの言葉を破ることになる。完全に回復していない状態であまり派手に動き回るわけにもいかないし、果たしてどうしたものだろう。

 何をするでもなく、そのまましばらく光の海を見て立ち尽くしていると。キン、と何かが来る気配を感じた。瞬時の緊張。あらゆる感覚を研ぎ澄ませ、万が一に備えて意識を集中させる。この気は――

 

「アシュタロスか」

 

 振り向かずに、詰めていた息を吐き出す。微かに布が擦れる音がして、返ってきたのは予想通りの柔らかな声。

 

「ここにいらっしゃいましたか、ルシフェル様。真子さんの家ではないだろうとは思っていましたが」

「よく探せたな」

「貴方の気を僕が見失うはずがありません」

 

 自慢気な声音に少し笑う。さすがだ。

 

「貴方の気配は、いつだって金色をしていますから」

 

 本当に? 問いたくなった衝動を飲み込む。何を言おうと、アシュタロスは必死で応えようとしてくれるだろう。無駄な労力は必要ない。私の翼が黒いという事実は変わらないのだから。

 

「天界へ行ってきてくれたか?」

「はい。時間がかかってしまって申し訳ありませんでした。黎香さんに怪しまれないよう、数回に分けて調査へ行ったものですから」

「構わん、ご苦労だった。私が行くのがいちばん速いのだがな……」


 アシュタロス達に実際に言葉にして伝えたことはないが、天界に行くことだけは、どうしてもできなかった。如何な罰を受けようとも構うまいと思ってはいるものの、故郷(あそこ)へ降り立つことを考えただけでも足が竦んで、どうにも動けなくなってしまう。悔しくも認められる唯一の不可能と言っても過言ではないかもしれない。

 ――行く必要も、ないのだがな。

 本当にあの場所は、堕天してそれきりだった。だからだろうか、部下の堕天使達も私が知る限りでは一度も天界へ行こうとする者はなかった。

 今回はかなり特殊な事態だったと言えるだろう。私に天界行きを命じられたアシュタロスも、初めのうちはひどく狼狽していた。


「して、どうだった?」

「思っていたような異変は何も。ルシフェル様が仰ったような、その……“端”に関しても」

 

 近づいてくる足音。それでも振り向かなかった。遂に横に並んでから、やっと視線を隣へずらす。

 友であり忠実な臣下である大切な仲間。私より少し背の低い堕天使は、また不安げにこちらを見上げてくる。闇夜に映える銀髪が綺麗だと、そんなことを思った。

 

「あの、ルシフェル様。これはやはり煉獄が何か」

「さあな」

 

 私が再び街を見下ろして返事をする気がないことを示すと、それきりアシュタロスも口をつぐんでしまった。

 淀んだ風が吹き抜ける。あまり気持ちは良くない。もっと澄んだ風の吹く場所を、私は恐らく知っている。

 

「……この光景を見て、お前は何を思う」

 

 疑問には答えずに、逆に問うた。

 そうですね、と呟き、ほんの少しの間をおいて。


「眩しい、です」


 小さく零してアシュタロスは笑った。細められた瞳は優しい。天界を追われ堕ちた身であれ、我々はきっと慈愛の心を失ってなどいないのだ。それでも、すべてに分け隔てなくその優しさを向けることのできる友のことが少しだけ羨ましくもあった。

 

「僕らとは違う光です、当然。けれど彼らも必死なのでしょう。本能か……彼らとて闇に呑まれるのは怖いはず。だからこうして灯を点ける。人間が、それを意識しているかどうかは別ですが」

「……」

「ルシフェル様?」

 

 急に、理由もわからず笑いたくなった。大声で、何も気にしないで。

 何もかも意味のないことのように思えてきたのだ。私がどんなに気を揉もうが、世界の理に近づこうとしようが、血を流そうが。見ろ、と自分に言い聞かせる。見ろ、世界は進んでいく!

 

「どう、なさいました?」

「アシュタロス……」

 

 世界は廻る。人間一人消えようと、きっと何事もなかったかのように。ただ一人の少女がこの世界から消える、それはほんの些細なこと。何もかもを押し流してしまいかねない運命の流れに比べたらとても些細な、取るに足りないこと。


 それなのに、どうして私はこんなにも悲しい?

 

「不甲斐ないな、私は」

 

 小さなたったひとつの繋がりに縛られて、かつての心を失ってしまった。傷つくまいと造った壁が崩れていく。私が、私でなくなっていく。馬鹿げている。そう思いながら、懲りもせずに後悔をして。

 守ると約束した相手の傍にいられない。怖いから。自分を抑えられる自信すらないから。本当に治めねばならないのは地獄ではなくて、自分の心なのだ。それが、私には……

 

「ルシフェル」

 

 静かな声が。芯のある、それでいて優しい声が。

 

「そうやってひとりで抱え込もうとするのは、貴方の悪い癖です」

 

 そっと手を握られる。驚いて隣を見ると、穏やかな微笑がそこにはあった。

 見上げているのにこちらを宥めてくるような。それが一瞬だけ嬉しくて、目の奥が熱くなって、ずっとずっと……悔しい。

 

「もっと僕らを頼ってください。貴方は貴方でいればいい」

 

 繋がる手と手。どこか懐かしい感覚。

 そうだ、以前にも。誰だったろう、同じように繋がっていたのは。彼女ではなく、もっと昔の。私はその温もりをとても愛しく思っていた気がする。小さなあたたかい手。あの手を私は、何があろうと離すものかと強く握りしめて……


 ――金色。

 私ではない、金色。


「ルシフェル?」

 

 守ると言った。――誰を?

 傍にいると言った。――今と同じように?

 だがそれは果たされなかったに違いない、今ここに愛しい温もりが存在しないのなら。では私は――“何を忘れてきた”?


「私は、私を知らないんだ」


 気付けばそんなことを口走っていた。


「全て、私がやらなければならないのに……っ」


 皆、この私が背負わなければならないのに。

 繋がれていた手を離す。自分の心音が煩くて、堪らず両の耳を塞いでしゃがみ込んだ。

 慌てて同じように片膝を着いたアシュタロスの悲しそうな顔。聞こえてしまう震える気付の声に己の弱さを呪う。何度目だろうか、こうして心配をかけてしまうのは。

 ああ、そうだ、忘れるな。この命は己だけのものではない。こいつらのためにも、私はやり遂げねばならないのだ。


「お願いです、僕らをもっと頼ってください。もう貴方が消えるのは嫌なんです、だから……!」


 顔をあげた私が助けを求めているかのようにアシュタロスには見えたのかもしれない。悲痛な表情を見た時、泣き出しそうな紫苑の瞳を見た時、悟ってしまった。納得と失望に呻く。

 こいつは、私の知らない私を知っているのだ。


「お前は、天界での私の様子を記憶している」


 低く言えば、華奢な両肩が微かに跳ねた。


「私ではない金色の光を知っているか」

「言えません」

「命令だと言っても?」

「……言えません、“我が主”よ」


 答えているのと同じこと。それでも忠臣は、自身の口で語ることを頑なに拒んだ。

 一気に襲ってきた脱力感に身を任せて冷えた地面に腰を下ろし、苛立ちから無意識のうちに片手で頭を掻き毟った。重たい確信は思いの外すんなりと胸の奥に落ち着く。返還されかけている対価は、なかなかどうして真実であるらしい。ならば私には本当に時間が残されていない。


「それがお前達の忠義の証か」

「申し訳、ありません」


 だとしたら、この身の生まれを思えば一層、それは惨いことだ。部下に重荷を背負うことを手伝わせ、気を遣わせ。その時点で私は既に長失格だろうに。

 目を伏せられたことが逆に辛かった。けれど多分もっと辛いのは、こんな長についていかねばならない彼らの側だろう。

 忘れるな、私は主以外に頭を垂れぬ。

 八つ当たりをしそうになった己を恥ずかしく思いながらゆっくりと首を振る。


「……良い、謝るな。己の役割も満足に果たせない私が悪いのだ。責任を放り出すわけにはいかない。きっとすぐに終わらせるから」


 私がやらなければ――。

 そう呟いた時、アシュタロスが少しだけ顔を歪めたように思えた。だが今度は向こうが首を横に振ったのは間違いなかった。どうしてだろう、何を否定しているのか。私はそれほどまでに頼りなく、言葉も信用ならないというのか?


「申し上げたはずです。僕は貴方にこの命を捧げると」

 

 知っている、憶えている。もったいないくらいの仲間を持ったと今でも変わらず思っているのだ。こんな風に言ってくれるから、私は安心して皆に後ろを任せて事にあたれるんじゃないか。今更、それが一体何だと?


「貴方は我々を信用してくれていますか?」

「何?」


 本当に今更なことを言う。目の前で睨むように瞳を潤ませている友が何を言いたいのか、長い付き合いがあるというのにさっぱりわからなかった。


「ルシフェル、僕は貴方が考えているよりもずっと小物なんです。自分で護ると決めたひとが他人に救われるのが、厭なんですよ」

「……訳がわからない」

「僕は貴方の力になりたい。それだけが望みです」


 危なっかしい、とても。肉体的にも精神的にも頑丈な奴ではあるが、このまま行動させてはならないと何となく直感する。

 確かに平素からの毒舌家ではあるけれども、こんなに引きつった微笑を放っておいて良いものか。“主君”にすべてを捧げると誓う気持ちは相手が違えど共有できていると思っていたのだが、私は本当はこいつのことも何ひとつわかっていなかったのかもしれない。

 それでも託されたのは私なのだ。過去の友――かつて同胞であった天使から、この真面目で心優しい友のことを頼まれたあの時も、むしろ私は自分から背負うと宣言してやった。だからこれも最後まで。


「アシュタロス、ひとつ、命じるぞ」

「はい」

「私の指示があるまで勝手に動くな。いつも通りの生活をここで送り、そして待機していてくれ。間違っても煉獄に行こうなどとは考えるなよ。あれはお前に抑えられるものではないことくらい、わかっているだろう?」

「そうですね」

「私に任せるんだ。手伝いが要る時は呼ぶから」


 素直と見せかけて、その返事はとてつもなく軽いもの。嘆息。だが今はこいつと、自分の言葉の重みを信じるしかない。

 私が真子のもとへ戻れば、アシュタロスもすることがなくなって黎香のところへ帰るだろう。促して夜の街に飛び立ち、しばらくしてから能力を使って確認した時は、向こうも居候先へ帰宅の途を辿っているのを感じ取ることができた。

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