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エピローグ:fatal day

 どうにか瓦礫を片付けた万魔殿の一室。書類を作る程度には問題がないスペースに集まる、堕天使ふたりと悪魔がひとり。


「ダーッ飽きちまった!!」

「喧しい、黙って手を動かせ」


 最初に音を上げたのはやさぐれ堕天使。先の《強欲》暴走事件で荒れた都市の復興に向け、現場を駆け回りレムレース達に指示を出し、それが終われば缶詰めになって事務作業。彼らはこのところまともに休息を取れていない。

 微塵も視線を向けない他二名を不貞腐れたように見遣り、ベルゼブブは頬杖つきつつ友にちょっかいを出すと決めたようだ。


「なァいいのかよ、アシュタロス?」


 今頃あのふたりは医療施設を出られたろうか。漸く退院許可が出たと耳にしたが、堕天使の我儘で傍に引き留められ続けていた少女は、終盤少し疲れていたような。

 さもありなん、入れ替わり立ち替わりで見舞いに訪れる知り合いから、口を揃えて祝福の言葉を贈られまくっていたのだから。


「いいのです。あの方が笑顔でいられるのなら」


 それを知らぬ筈もないアシュタロスの微笑はどこか晴れやかである。


「……あの時、」

「あ?」

「全てを終えて彼が戻った時、僕は咄嗟に動くことが出来なかった。きっと本人は語ろうとしないでしょうが……あの結界が消滅したということは、確実に彼は一度死んだはずなのです」

「……」

「あまりの奇跡に恐怖、してしまったのかもしれません。でも、真子さんは違った」


 無知と断じるのは容易い。だが彼が求める愛は、天使が天使であるゆえに与えることが出来ないものだと目の当たりにしたのだ。


「……そりゃ別に、てめえとアイツで優劣がつく話じゃねェだろ。てめえ等だけの歴史は誰に蓋されるモンでもねェンだ、大事にしてやれよ」

「おや、優しい」


 決して線引きを越えることは許さなかったものの。心優しい友が、目の前の努力家な堕天使のことを愛していたのは事実だ。


「といっても、まだ完全に認めたわけではありませんけどね。我らが長の傍に居るのに、生半可な覚悟ではいけません」

「姑か、てめえは」


 ウフフ、と怖い笑いをベルゼブブは聞かなかったことにした。


「そんなことより、ベルフェゴール様はよろしいのですか?」

「は?」


 水を向ければいつもより粗雑な返答。アシュタロスは肩を揺らす。誰かを想ったことがなければその感情は理解できまい。


「何が可笑しい」

「ふふっ、ベルフェゴール様って、ウリエル様に似ているなと」

「俺が? 天使に?」

「ええ、親近感がわきますね」

「戯れ言を……」


 嘆息、悪魔はおもむろに立ち上がる。


「……今回の騒動、お前達の働きは悪くなかった。……礼を言う」


 顔を見合せる堕天使ふたり、ぶっきらぼうな言葉に思わず笑う。


「こちらこそ、お疲れ様でした」

「素直じゃねェなァ」

「調子に乗るなベルゼブブ。史実の記録、貴様もやるんだからな。あと始末書は明朝までに持って来い」

「はぁー?!」


 叫ぶベルゼブブの肩をぽん、と叩きアシュタロスも立ち上がる。


「頑張ってくださいね? 次期魔王様」

「ちょ、薄情者っ! 手伝ってくンねェのかよ?!」

「自分の分は終わりましたので」


 書類の束をご丁寧ににっこりと見せつけてから、ベルフェゴールの手へ渡す。どういうことだ、同じだけの時間作業していたというのに!

 頭を抱える友を尻目、彼女は踵を返す。


「一旦帰りますよ。もうひとつの、僕の家にね」


 すっかり馴染んでしまった奇怪な機械の並ぶ家。最近はあまり構ってやれなかったから、ドアを開けた途端に小柄な少女が飛びついてくることは覚悟しておかないと。


 どこか上機嫌なアシュタロスが去ってなお、ベルフェゴールは部屋を出ていかなかった。何事かと見上げると、神妙そうに眉をひそめている。


「貴様、先まであいつらの近くにいたな?」


 すん、と鼻を鳴らす仕草に、ベルゼブブは慌てて自身の衣服を嗅ぎ始める。


「えッ、ちゃんと湯は浴びてンだが?!」

「人間の匂いが濃くなった」


 かつてあの娘としたやり取り、当人に言ってやるのはもう少し後でいい。

 ぽかんと口を開けた同朋を尻目。女嫌いの悪魔は、言葉と裏腹にニヤリと笑った。


「俺の、大嫌いな匂いだ」


***


「そろそろアタシ達も、新しい恋を見つけなきゃね」

「そうだねえ」


 見舞いの帰路、派手な様相の男女が一組。似合いと言えなくもないが、胃もたれのする見た目ではある。特に繕う様子もない彼らが大通りに辿り着けば、軽い騒ぎとなろう。何せこの都市で知らぬ者はない《七大罪》の二柱だ。

 それにしても、おもしろい歴史を観られたと思う。魔王とすら称される彼が、さも愛おしそうに脆く弱い生き物を構うものだから。


「あーあ、地上に行ってみようかしら?」

「やめなよ、君だとシャレにならなさそうだ」


 女悪魔の冗談に上がる軽薄な笑い声。如何せん男の側――アスモデウスも天界地上問わず人脈があるので、特に本気で留めようなどとは思っていない。とうに麻痺するほどの恋情と欲情は、幾年を経ようとも心地好いものではある。特に《色欲》を名とする悪魔にとっては。

 そんな今を生きることを、過去の恋人も、きっと許してくれるだろう。

 彼等はふたり、異なる相手に同じことを思う。かつての恋慕の対象を忘れたのとは違う。ただ、その記憶をしまいこみ前を向くことは、果たして大罪であるか?


「アタシ、これから暫く自分磨きしようかしら」

「自分磨き? 君は今も充分に魅力的だと思うけどな。でも、」


 声を掛けるより先に言われ、思わず頓狂な声が出る。だが、伊達に永い年月を生きた訳ではない。


「新しい一歩を踏み出せるように僕も願ってるよ」

「あら、ありがとう」


 レヴィアタン。それは雌雄一対で生み出された悪魔。結末が違えば、こうして横を歩くのは同種の《竜》であったかもしれないのに。

 微妙な顔をするアスモデウスに気付かない振りをして、彼女はやおら転移魔法を使い出す。魔方陣に立ち、ひらりと手を翻してみせる。


「ふふ、貴方は案外すぐに踏み出せるかもしれないわね」

「え?」

「じゃあね、アスモデウス。また後で」

「あ、うん……?」


 レヴィアタンが消えてすぐ、彼はその気配に気がついた。


「……リリム?」


 数居る従者の中でもいちばん厳しく、いちばん本音で、いちばん憎たらしくて……愛らしい、淫魔。

 恋うているルシフェルに対してまともに口も利けない癖に、仕える主人には全く遠慮なく感情を剥き出しにしてくる。心の機微は悪魔の好物。無意識であれば尚のこと好ましいのだが。

 近くまでやってきた少女は、アスモデウスのことを厳しい顔で見上げた。


「どこも、怪我ないの?」

「う、うん」

「本当に?」

「まぁ、大丈夫だけど」


 この前、頼まれた事とはいえ人間を襲った時は、容赦なく物を投げつけてくれたじゃないか。恨み言を続けようとして、リリムが泣きそうなことに気付く。

 ああ、そうか。


「心配、してくれたんだね」

「べっ別に! ただ、あんたがいなくなると、わたしの働き口がなくなるしっ」


 アスモデウスは笑った。なんとも穏やかな気持ちだ。確かに、自分も一歩を踏み出せる気がする。


「何が可笑しいのよ」

「ねぇリリム、これから僕にちょっとだけ時間をくれる?」

「えっ、何よ。その、別に忙しくもないけど……」

「じゃあお茶でもしよう。僕、君のことをもっと知りたくなった」


 顔を真っ赤にして頷く様は、とても淫魔とは思えない。が、


「あ」

「な、何?」


 戸惑う少女を前に、《色欲》の悪魔が嘆息することには。


「レヴィに挨拶のキス忘れてた。惜しいことしたなー」

「……こンの節操なしーッ!!」


***


「ウァラク君、そんなに詰め込んだら喉が詰まるよ」

「いいんでふっ!」


 もくもくとスコーンを自棄食いする小さな堕天使の前では、すっかり冷めた紅茶が所在無さげに佇んでいる。メフィストフェレスは苦笑しつつも見守るに留め、自身は淹れたてをゆるりと口に運んだ。

 種々が落ち着き、《紳士同盟》の茶会を漸く開くことが出来たのだ。菓子を一頻り詰め込んで勢いよく紅茶を飲み干す様は、とても紳士とは言い難いが。まあ、今回ばかりは仕方のないことかもしれない。


「ううう~ボクのルシフェル様なのに! 嬉しいけど悔しいっ」

「妬いてるのかね? 焼いて……スコーンだけに!」


 自分の言葉にひとり笑うメフィストフェレス。対するウァラクはきょとん顔である。


「お、おほんっ。……ところでアガレス君は何をしているのかな?」


 鳶色の髪の堕天使は、先程からカップをくるくると回していた。目深に被ったシルクハットの上には鷹が一羽、じっとカップの中身を見つめている。


「茶葉占いですよ。たまには悪くない」


 アガレス、そしてヴァサゴ。彼等は占いなどに頼らずとも、より確度の高い未来を視る術を持っている。

 それでもこうして手間をかけるのも紳士の嗜み。何せ、時間はたっぷりある。


「わあ! アガレス様、そんなことも出来るんですね」

「興味があるなら、今度教えて差し上げましょうか」

「やったー!」

「ふふ……おや、これはとても良い形が出ました」


 結果を見出だすのは思うより早く。


「多少の波乱はありますけれど、全体としては幸運に恵まれたものになりそうですね」

「何を占ったんだい?」


 メフィストフェレスもアガレスの手元を覗き込む。絶対的な正解がカップの底に描かれる筈はない。だが解釈の自由があればこそ、そこに祈りを込めることができる。予想と違わない答えは、紳士と少年の顔を綻ばせるに充分だった。


「それは勿論、我らが堕天使長の未来ですよ」


***


 失われた眩しくて温かな日々。今となって思い出すのは、あの物憂げで寂しそうで、ほんのちょっぴり退屈そうに遠くを眺めていた横顔ばかり。縋るような抱擁と広すぎる白の背中。導き与えることしか知らない彼へ、果たして自分は何を返すことが出来た?

 柔らかな草を踏む音に振り返り、ミカエルは驚愕ののち懐かしさに目を細めた。もう昔のように恐怖で泣くことはない。近付いてくる姿は、変わらずぞっとするほど美しいけれど。


「久しぶりだね」

「ベリアル……」


 ただひとりで花を見ていたのだ。谷底から吹き上げる赤い花弁を。かつて最愛のひとが光を失った場所で。

 唐突な邂逅だが、この堕天使ならば距離も時間も無関係だ。囚われない存在だからこそ。


「意外と警戒しないんだね」

「ベリアルが兄さまを――僕達を助けてくれたのですね」

「さぁどうだろう。君は救われたのかな」

「……。それにしたってこの方法は、褒められたものではないですけど」


 呼び名が思い付かない堕天使。まるで底知れない彼に語れば、返るのは無関心そうな微笑。


「現状に不満があるのなら時を戻せばいいじゃないか。その能力で」

「そんなことをしても、」

「いいや、君は本当はわかっているのさ。ルシフェルが世界を把握する前まで時間を……否、少し遡って、それこそ“要”役をベルフェゴールあたりにやらせればいい。そうすれば彼はあんな選択をしなかった、傷付くことなんてなかった」


 数歩分の距離で立ち止まり、向き合う。


「君は怖いんだろう? 書き直した歴史が、余計なところに影響を及ぼしてしまうことが。彼から君への寵愛さえ失われるかもしれない可能性が」


 糾弾の意図はないのだろう。それでも痛い所を突かれたことに変わりはない。責を思えばこそ、どうしても彼を幸福にする道だけ、見つけることが出来なかった。

 唇を引き結んだ天使長。対するベリアルは表情を変えず首を傾げる。何せベリアルにとってこの“台詞”は“見たことを語るのみ”だ。


「いいことを教えてあげようか。並行世界でこの運命を辿らなかった“別の君”がいたとしよう。ずっと温かな日々を送る君が。……幸せだろう、だけどね。その世界では君はいつまでも大天使になっていない。彼も……離れ離れになった弟のために胸を痛めることもなければ、毎日のように強い祈りを捧げることもない。自責の念に駆られて夜毎に涙を流すことも、前を向いて立とうと奮闘することも、愛し子への祈りが加護となって君を守ることも、きっとない」


 言い切って、息を吐く。忘却を望んだところで、無意識にいつも彼の心は泣いていた。それだけの愛が迎える結末は、悲劇でも喜劇でも素晴らしいもの。


「どちらがいいかは、君の考え次第だけどね」


 ミカエルは目を閉じて天を仰いだ。あの時、どれだけ近くとも届かないと彼は嘆いたけれど。


「……ありがとう、ベリアル……」


 再び蒼眼が映す景色に堕天使の姿はない。代わりに、


「ああ、ちょうど良かったわ、ミカエル!」


 名を呼ぶ声に顔を向けると、ガブリエルが足早に近付いてくるところ。


「どうしたの、ガビィ?」


 実際は訊ねるまでもなかった。彼女はひとりではなかったからだ。


「え……マルコっ?!」


 そこにいたのは精悍な剣士。かつての師匠だ。きっと顕現させれば翼は黒いのだろうけれど、真っ直ぐにミカエルを見つめる姿は微塵も変わりなく。


「光の君におかれましては、ご機嫌麗しく」


 言って、マルコシアスはおどけたように腰を折ってみせた。上げた顔を少し切なそうに綻ばせる。


「お久しぶりです、ミカエル様。このマルコシアス、お会いできて本当に嬉しゅうございます……立派に、お成りになりましたね」

「ど、どうして……!」


 困惑するミカエルは堕天使とガブリエルとを交互に見るも、彼女は微笑むばかり。先日ベルゼブブが天界を訪れたことで、わずかに心の準備が出来ていたのは幸いだった。


「無礼をお許しください。今日はお届けものをしに参ったのです」

「お届けもの?」

「はい、ルシフェル様より」


 びくりと肩を震わせる大天使だったが、鍛練で肉刺だらけの手が差し出したのは小さな包み唯ひとつ。

 薄手の布の袋だ。てっぺんを紐で結わえてある。

 受け取り、恐る恐る開けたミカエルが涙を溢すまでそう時間はかからなかった。


「今度はもっとうまくやる、と。言い訳がましく仰っていましたよ」


 そうだ、遠い遠い昔。兄の部屋で戯れに言った“おねだり”。彼は、覚えていた。

 口に運んだ焼き菓子はいかにも美しい見た目ではないし、味もお世辞にも優れてはいなかったが、それでも。


「……おいしい……っ」


 どこにいても。

 約束、確かに彼は違えなかった。


「ガビィが、作り方を教えてあげなくちゃね」

「そうね」


 天使長ミカエル。彼は今、金刺繍の長衣を着ている。


***


 広大な緑の大地を望むことができる露台で、手摺にもたれたウリエルが目を細め言うことには。


「茶会はどうかと、メフィストフェレスに言われた」

「ほう?」


 話し相手であるラファエルはやや呆れ顔だ。


「相変わらず祭事の類が好きなのだな、彼は」


 横に並ぶ彼も頬杖をつき、楽園を片目で眺め遣る。光を失ったそれを治す気はなかった。忘れてはならないことがある……などと言えば、もしかするとまたあの悪魔は。

 蒼の髪を風に靡かせながら思い出し笑いをする。


「アスモデウスに怒られてしまったよ」


 ウリエルは目を白黒させる。まさかその名を当人から聞くと思わなかったし、


「は、話したのか? 普通に?」


 有り得なかった。その狼狽ぶりを見、ラファエルは堪らずといった様子で吹き出す。


「おい、俺はお前のことを心配して……!」

「わかってるわかってる。すまないな、あまりに予想通りの反応だったもので、つい」

「悪趣味なことだ」


 憮然とするウリエルだったが、小さく鼻で笑うと表情を和らげた。


「彼は何と?」

「天使というのは善か悪かに拘りすぎて愚かだと、罵られた」

「それは傑作だな。俺らにはいい薬かもしれんが」

「毒と薬は紙一重ってやつだね」


 治癒の者は肩をすくめる。あの時、新鮮な驚きと興奮があったことは否定できない。ミカエルもそういった性格ではないし、大天使に対して明け透けに物を言う存在は貴重かもしれなかった。


「……鳴る程な。漸く前を向けるというわけだ、俺もお前も」


 言うウリエルの心を占める堕天使のことは、ラファエルもよく知っているつもりだ。何があったかは敢えて問うまいが、表情から判断するに悪いことではなかったに違いない。


「未だに理解出来ないことは多いし、俺自身が堕落してはならない……するはずがないと思ってはいるが。……ルシフェルが居なければより危ういことになっていたのだろうと、そう思う」

「ああ。俺達も頑張らないとな」


 ふたりの穏やかな視線の先。庭園で幼い天使らの相手をしているのは、青と赤の襟巻きをした双子。世界は、進んでいる。

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