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第7話:堕天使と光の源


 万魔殿――宮殿へ、門を入って一本道を進む。そこから逸れて建物の裏手へ入ろうとすれば、誰でも容易に近づくことのできる小さな石の塔。目立つ場所にある“要”は、いかにも番犬の目と鼻の先。この中に何があるかなど大概の民は知らない、知る必要もない。


 反逆の可能性。

 レムレースの場合。まさかそんな気を起こすはずがないし、そもそも転生を待ち受ける彼らが償いの最中に罪を犯して、何の得があろうか。それに“いくら元が人間の魂とはいえ”、彼らにはそういった栄光を得る道への願望が存在しない。奉仕の意志、それに伴う最低限の推進力となるものだけ残し、その他すべての“欲望”を削がれた存在。それがレムレースなのだから。


 外部からの侵入者の場合。これもあり得ない。逆説的ではあるが、この都に攻め入られた段階で、既にこの中枢は機能していないはず。いわば最初で最後の砦なのだ。


 悪魔らの場合。実力主義の万魔殿、私のことを快く思わない者も恐らくいるだろう。だが覇権を奪いたいのなら直接この私に挑んでくれば良い。その時は納得するまできちんと序列を教えてやる。この程度の自信もなく、幾万、幾億の頂点に立つことなどできはしない。元より覚悟はできている。

 現段階で最も玉座に近いのは――ベルゼブブも、そうはそうなのだが――きっとベルフェゴールだ、今も尚。万魔殿の“元”最高責任者。だが彼は絶対にこの都を第一に考える、故に万魔殿の存在を揺るがすような真似はしない。それにあれは聡い悪魔だ、私が一目置くほどに。

 彼は以前はこの核をさほど重視していたわけではなかったが、今は状況が違う。それを理由に欠点をあげつらうことはできない。過去のこの都市の在り方が私の堕天の一因となった、それが全てだ。


 私と敵対することはつまり、己の足元を自ら突き崩すことと同義だと、他の者も充分に理解しているはず。――しかし、その保証は暫くあてにできなくなるだろう。今からの、私の行為によって。


 まあ、侵入云々の心配は杞憂に終わるのだが。何せこの塔、端的に言って……最深部へ至るまでが相当に面倒くさい。塔は外からは上に伸びているように見えるが、実は上部には空っぽの空間があるだけ。本当の中身は地下にある。内部には延々と続く螺旋階段があり、それを降りつつ、幾重も立ちはだかる結界を解除していかねばならない。

 ちなみに塔自体の破壊は不可能だ。単なる石造りに見えても保護結界の式が隙間なく埋め込まれているし。と、いうか……不可能なものは不可能だ、としか断言できない。《世界》の構成要素のひとつだとしか言い様がないのだ。

 ともかく、地下へ至る道が何故“塔”の外見なのかとか、結界を組み込んだのは誰かとか、そういった問いを発すること自体が無意味、無駄、時間と言葉の浪費。要を内包した塔が在る、それでお仕舞い。


 さて、その結界による障壁だが――階段を半周ほど降りる毎に異なる式の壁が立ち現れ、しかも、塔に入る度に不規則的に変化する。仮に以前の解法を記憶していたとしても、何の役にも立たないというわけだ。だから解除には一々、全ての手順を踏む必然性が出てくる。即ち、まずその結界の術式を読み取り、それを逆算し、最後に魔力を流し入れて相殺する。

 当然ながら一枚一枚が複雑かつ緻密に組み立てられた結界。多分、あのアシュタロスでさえ考える時間を要する。(あれは信じ難いことに、直感的に式を編んでいるような奴だ。)

 幸いなのは、帰りに再度同じことをしなくて済むという点か。一度解除した結界は塔の外に出るまでそのままだ。無論、転移術の類は遮断されるから、これは素直に嬉しいところ。帰りは飛んで出ればいい。


 無防備そうにも見えるが、塔の側もよくわかっている――後をつけようが何らかの手段で侵入しようが、最後の防壁を破ることができる者は、唯一無二。今は……今は、私だ。私が“鍵”を持っている。

 だから本当は結界など必要ない。この過剰なまでの防御は、きっと“鍵”の持ち主を試す意味もあるに違いない。もしくは、あり得ないことではあろうが……“鍵”の譲渡に失敗した場合への備え、という可能性も捨てきれないけれども。無為な思考だな。



 ――「“解放”」

 

 今まで抑制していた制限を解除、目一杯に広げる十二の翼。身体中に力が巡る感覚と緊張に思わず震えた。

 

 突風が吹き荒れ、吹雪のように漆黒の羽根が舞う。

 空中から見下ろした先。水底のように暗く、蒼い空間で。捧げられるが如く台座に載るたったひとつの金色の光源――核、と私は呼んでいる。結界を解き地下へ辿り着けば、そこにあるのは万魔殿という都市の要。その光源は全てを保つ魔力の源。都市に比べたらあまりに小さな。

 万魔殿の基本的な機関も、周囲の結界も、全ての源がこの核だ。そして私は自分のいわば魔力回路をここに直結させ、地獄にいる時も地上にいる時でさえも、常に力を注ぎ続けてきた。


 魔力を注ぎ続けねばならないのは都市の統治のためだけではない。もっと大切な目的、私が見出だした万魔殿の存在意義。“そもそもこの都自体が膨大な魔力の塊として存在しなければならない”のだ、その目的を達成するためには。とはいえ実質は片手間、半ば無意識の作業。ほんの僅かの力だけで事足りる程度であったからだが……私の力が安定を欠いているのか、それとも単に彼女を縛るあの堕天使がやり過ぎているだけなのか、今この都市は非常に危険な状態にある。

 安定していることが絶対条件ならば、ほんの少しの揺らぎであってもそれは異常事態に他ならない。ともかく可能な限りの防御策を施さなければ。

 もしも私に原因の一端があるとするなら、暫くはこの中枢部に私は関わらない方が良いだろう。そして気持ちの整理がつけられない弱い自分は……真子にも、もう関わらない方が良いだろう。


 存在を消せぬなら忘却すればよい。彼女を契約から解放して、それで、終わりだ。「私は幸福になってはいけない」 万一にも私がいないことで彼女が幸福でないというのなら、その時は――彼女が私を忘れてしまえばよいのだ。


 自分自身が保持する力は猶予のための最低限、残りの魔力は全て注げばいい。やらなければ何もかもが意味を失う。過去の犠牲も、数多の後悔も。


 周囲に展開する無数の魔方陣は自分が無意識のうちに敷いてしまったに違いなかった。まるでこれでは邪悪な儀式だが。

 立ちはだかる“最後の防壁”は光源を護る半球の壁。呼応するように、“鍵”を埋め込んだ額が疼く。私に“鍵”を渡してくれたベルフェゴールも、かつてはこの光景を見ていたのだろうか。

 目を閉じるとより神経が研ぎ澄まされていくようだ。力の流れを意識しながら防壁に触れれば、一瞬だけ存在が溶け消えたような錯覚。溶けて……世界と繋がれる、感覚。

 潜る、名乗る。

 《光》ではなく《傲慢》の名を。


「……」


 もはや自分の魔方陣によって眩しいほどに膨れ上がった蒼の奔流の中、薄らと目を開け、手を伸ばせば触れられそうなあたたかな光源の存在を確認した。

 しかしながら、と辿って来た道を思い出し僅か戸惑った。力を解放した挙げ句、出口まで飛ぶだけの力が残るだろうか? もっと言えば……彼女のところまで。


 これは天意をはかると同義なのか。魔力は我々の生命力に直結するから、成功したとしてもそれなりの反動は確実だった。

 だが私にはやらねばならないことがある。一歩目で戦線離脱? 馬鹿な話だ! 必ずや“あの方”はご助力くださる。運は、天は、私の味方。


 ああ……私は今でも貴女に全てを捧げたい。これもみな貴女のため、本当は人間に捧ぐ身などひと欠片もないのです。どうぞ、どうぞ、見ていてください。この手が今度こそ救いをもたらす様を。あの娘を救ったなら、貴女もきっとお喜びになりましょう。

 私は誓いを違えません、生まれを裏切りません。

 貴女にだけは何もかも……偉大なる《憤怒》よ――“主”よ!


「――、――――」


 小声で祈りを呟いた。悪魔らがいるところで口にすれば決して許されぬであろう、この身と心に刻まれた文句。ここなら届くような気がしたから。


 愛しています。貴女ならば何の呵責もなく愛することができるから。主よ、お許しを。私はこれから己が殺す焔を救います、他ならぬ己が呪った命に手を加えます。

 これを以て、我が《光》の証明に!

 


***


 


「ルシフェル様」

 

 気付けば、紫苑の瞳がこちらを不安そうに見つめていた。

 頭が、目の奥が、ずきずきと疼く。吐き出す呼気は自分でもわかるほどに熱い。

 

「一体、何が」

 

 ああ、そうか。真子がこいつを呼んでくれたのだったか、とぼんやりする頭で考える。なるほど、これは好都合だった。

 やっと、のろのろと頭の中の歯車が回転を始めた気がする。

 飛べたのだ、この家まで。

 辿り着いた玄関先……意識までもが飛ぶ直前、彼女は何だか辛そうな顔をしていた……

 だがそれさえもむしろ、好都合。私の決断、独り善がりの……しかし、最良の。

 

「貴方ほどの方が倒れるなんて、尋常ではありません。……万魔殿にも影響が」

「それは、ない」

 

 忌々しい。口を開くのも億劫なくらいに体が怠い。本当に久し振りにあれだけの魔力を消費したが、やはり使いすぎたか。供給がなくとも機関が保てるように蓄えてきたのだから、当然と言えば当然の結果か。

 まず、とりあえずは台所へと声を投げる。確か私は彼女に飲み水を頼んだはず、だ?

 

「……真子」

「なに?」

「湯冷ましを」

「あ、うん」

 

 彼女の声色はいつもと変わりないように思えた。僅かな変化にまで気を払えるほどの余裕が自分になかっただけかもしれないが、それについて考えようものならまた決意が揺らぐことは目に見えている。

 今思うことはただひとつ――できる限り時間をかけさせなければならない、彼女に会話を聞かれてはならない。

 

「えーっと、アシュタロスさんはお茶でいいかな?」

「いえ、僕は……」

 

 そう言って我々に尋ねたのは彼女自身。どこか大人びたいつも通りの気遣いが、別の意味で、私には嬉しかった。

 断りかけたアシュタロスには目配せをする。それだけで意図を汲み取ってくれたのだろう、いつでも一歩引いているような《忠臣》も今回は慌てたように訂正する。

 

「はい、お願いします」

「はいはい」

 

 良かった、些細ではあるがこれでいくらか時間を稼ぐことができるだろう。彼女が戻ってくる前に、目の前の友に説明をしなければ。

 そうは思えど簡単に考えがまとまるはずもない。説明すべきは“全て”ではないからだ。いかに本人が望もうとも、私の重荷までも背負わせるわけにはいかない。

 嘘を織り交ぜることは臣の忠誠に対して真摯ではない? 仲間を傷つけぬためなら長が背負うべき? 悩んだ末に伝えたのは、単なる事実のみ。

 

「万魔殿との繋がりを断ち切ってきた」

「――え?」

 

 驚かれるのは百も承知。みるみる青ざめていく顔を見ても、私自身は冷静でいられた。私も逆の立場であったなら、間違いなくアシュタロスのような反応をしていたろう。

 

「そんな……そんな馬鹿な! どうして!」

「アシュタロス」

 

 そっと名を呼び、その唇に人差し指を添えて塞ぐ。腕が重い、けれど騒がれては困る。

 珍しく戸惑いを見せた堕天使が声を飲み込んだのを確認してから、静かに指を離してやる。腕を下ろすのは、重力に任せた。

 

「落ち着け。切断は一時的なものだ」

「一時的?」

 

 幾分か冷静さを取り戻したようだったが、私はできるだけゆっくりと、噛んで含めるように言い聞かせる。こいつの気が動転したままでは私も落ち着かない。

 

「最近、万魔殿に異変が起きていた。危機を察知している者は少ないが、放っておける問題ではない。何より、万魔殿を囲む結界が解けていたからな」

「それは、」

 

 息を呑むアシュタロスに、ひとつうなずく。

 

「私の精神が、安定を欠いているということだ」

 

 万魔殿という都。統治は幹部が担っていても、根本的に機関自体を支えていたのはこの私だ。常に核へ魔力を供給し続けていたのも、都市の周囲に結界を張り巡らしていたのも、あの都市を都として形を保たせていたのも、私だったのだ。

 そして魔力というのは使用者の精神状態に左右されやすく、気が乱れていては本来の能力は発揮できない。だから私は常に平静でいなければならなかった。また、滅多なことでは都市を揺るがすほどの影響は出ないはず。それなのに。

 

「何が原因かはまだわからない。だが、私を根本から変えるような、そんな変化が起きつつある可能性は、否めない」

「……真子さん、ですか」

「……はっきりしたことはわからないと言ったろう。断定するのは早い」

 

 少し、狼狽えた。半ば確信はあったが、証拠のないうちはこの返事も嘘にはなるまい……と思いたい。

 目の前の友は言い訳だと見抜くだろうか。不安に苛まれながら、さらに。

 

「しかも他にも怪しい動きがある。いくら私の魔力が弱まったからといって、こうも急速に異変が生じるはずがない」

 

 逃げ出した軍馬。あれはどう考えても作為的だった。私とて、たかが人間一人に振り回されるような弱小天使ではない。

 これは前兆。あの堕天使からの挑戦状、最終通告。

 私と最悪の堕天使と彼女の両親。それ以外、誰も知るまい。――時はもうじき満ちようとしている。

 

「とはいえ、これ以上の影響を地獄(あちら)に与えるわけにはいかない。だから一時的に繋がりを断った。そのために、暫く保つようにと魔力を一気に注ぎ込んできたのだ」

「何という無茶を……」

 

 息を吐いたアシュタロスは未だに不安そうではあったが、先よりもわずかに落ち着いていた。

 

「グリゴリの二の舞にならないようにと、僕は最初に申し上げましたよね?」

「…………そんな気もする」

「まったく、貴方ってひとは! あの時に無理にでも連れ帰るべきでしたよ」

 

 たとえ苦笑でも、笑顔を見られると安心する。こいつにはいつも苦労をかけてばかりだな、とふと思った。

 

「私は、この間に全てのケリをつける。魔力が底をつく前に全て終わらせる」

「では、僕も手伝いましょう」

「すまないな」

「僕は貴方の臣下ですからね。当然でしょう」

 

 本当に良い仲間を持った。何も言わずとも信用してくれる、こいつのそういう優しさが好きだ。


 “全て終わらせる”。己の過去のためにも、傷ついた仲間のためにも、私だけが幸福を享受することなどあってはならないのだ。一生、背負わねばならない罪が私にはある。

 故に優先させるべきは、仲間の命を踏み台にして得たも同然の万魔殿――この世界。だが彼女が不幸になることを良しとするのは“最高傑作”としてあるまじき思考。

 ならば両方だ、両方を救えばいい。

 彼女を地獄へ連れてくることはもうしないと決めた。それは彼女ではなく私にとっての幸福に繋がってしまうから。その上に万魔殿の統治が疎かになった暁には、長としてまるで役に立たないではないか。そうなれば恐らくベル達も私を許してなどくれまい。いや……もう既にベル達との約束は破ってしまっているのかもしれない。

 しかし私は進まなければならないのだ。何もしなければよかった、特別な感情など抱かなければよかった、出会わなければよかった。それなら出会う前に戻ろう、彼女に日常を返してやろう。

 彼女との契約を、勝ち取ってから。

 

「詳しいことは後で話す。とりあえず今、ひとつ、頼まれて欲しいことがあるのだが」

「何でしょう?」

 

 計画のために確かめておかねばならないことがある。それは思い出として一括りにするのにはあまりに辛い。悲しい消失と忘却、望んだ裏切りの軌跡、そして……そして、金色の幸福が還るのも、もうすぐ。それは、彼女がいなくなった後に心を埋めてくれる……はずもない、か。

 ああ、我ながら汚らわしい。“楽園”を血で染めた罪を忘れたわけでもあるまいに、己は!

 そんなことだから私は最後まで純粋な《光》であることができなかったのだ。苦い思いを心の奥に留めて口を開く。

 

「アシュタロス……天界に、行ってきてくれ」


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