プロローグ:ハジマリノウタ―Natal Day―
――ようこそ、《輪廻》。
――それが、今回の名前?
――うん。
――ふぅん、そうか。歓迎、感謝するよ。そしてはじめまして、《世界》。
――はじめまして。キミとはうまくやれそう、《輪廻》。
――同感だね。その名前然り、さ。
――お疲れ様、“何回目”?
――ふふ、ありがとう。けれど何回目かなんて、忘れちゃったよもう。いつもこんな風に扉を開けてくれればいいのにねぇ。まったく、《包括》が声を掛けておいてくれたら、他の子達も僕を恐がったりしないだろうに。君もそう思うだろう、《世界》?
――難しい。《包括》は、《枠組》に過ぎないから。
――そうだね……。ところで、その《枠組》さんも、来ているんだろう? 今回はどんな名前なんだい。また《包括》でいいのかな?
――《器》。
――その心は?
――秘密。キミは退屈していそうだから、未知は少しでも多い方がいい。
――そっか。まあ、どうせ直ぐに会うか。……それじゃあ、とりあえず挨拶しに行って来ようかな。“今回も”よろしくね、って。
***
むかしむかし、ずうっとむかし、花咲き乱れる楽園に天使達が住んでおりました。純白の翼を持つ彼らは毎日空を自由に飛び回り、しかしただそこに存在するだけでした。
ある日、ひとりの天使が歌をうたいたいと思いました。
その時まだ彼らはそれが歌だということを知りませんでしたし、自分から何かをしようと思ったのも初めてでしたから、最初はひどく戸惑いました。彼らは集まり、恐る恐る旋律を奏で始めました。
歌声は空より高く、花より鮮やかに。それまで感じたことのない不思議な気持ちに、彼らは嬉しくて翼を羽ばたかせました。そして彼らは主のもとへ行きました。主は仰いました、「それが意志というものです」。
それからというもの、天使達の日々は変わりました。花を見ては喜び、領分を侵されては怒り、愛する者とのすれ違いに哀しみ、音楽を生み出しては楽しみました。
そんな子ども達をご覧になって、主はお考えになりました。何も知らない時は退屈だけれど平和だった、と。意志を持つ者の中にはそれらを束ねる者が必要です。主はお考えになりました。最高の天使を創りましょう。最も美しく、最も賢く、最も気高く、最も強く、最も愛すべき子を。
***
水晶というものが天界に存在するならば、その部屋はまさしくそれでできているに違いなかった。壁も、床も、天井も、柱も、台座も。澄んだ薄蒼色は鋭い輝きを放っている。
そして台座の更に背後には流れる瀑布。端も見えない巨大な白い滝が静かに、けれど勢いよく落ちていた。
荘厳な部屋を更に幻想的に見せているのは、その床の上で燃えている炎だった。大きな炎からは煙は全く出ておらず、それでも眩しい赤橙色の炎が踊る。
――さあ
炎の中に、ひとつの影。
――生まれておいでなさい
次第に消えていく赤い輝き。姿を現し始めた《それ》は、長い体躯を折り曲げて、声にならない産声を絞りだす。
――愛しい子
《彼》の背には黄金に輝く翼が全部で十二。一糸纏わぬ素肌は雪のように白く透け、艶やかな漆黒の髪の奥には、吸い込まれそうな魅惑の紅い宝玉。彼はその切れ長の瞳から、一筋の涙を流した。
母を呼ぼうと開いた唇からは、擦れた声が漏れるのみ。依る辺を失くした子は濡れた瞳に世界を映し、歓喜と興奮に体を震わせる。
――貴方には 多くを知ってもらわねばなりません
彼は四つん這いのままに台座を見上げ、ひとつうなずいた。それを受け入れねばならないことを、受け入れるのが当然であることを、彼は既に知っていた。
――ありがとう 光の子
刹那、彼の体が弓なりに反った。突如として彼の中に流れ込んだのは主の願い、そして彼に託された詞達。押し流されまいと床へ倒れた天使はすぐに己の存在理由を知る。何故自分が生まれたのか。自分は何をすべきなのか。
――ルシフェル それが貴方の名
「あ、ぅあ……っ」
水晶を削らんと爪を突き立て、藻掻き、ようやく音が零れ出る。
美しい羽根が幾枚も床に散らばる。内なる力が解放を求めて暴れ回る。それでも彼は耐えた、己の道を見たその目をきつく閉じて。
それは苦しくもあり、喜ばしくもあり、痛く、心地よく、切なく、狂おしい。力との闘い、己との対峙、自らの器を受け入れること。御し難いほどに溢れているのに、飢えと渇きに似たもどかしさ。熱い、背中が、熱い――。
彼が絶叫した瞬間。十二の翼は強大な力を証明するが如くひろがり、黄金の煌めきが突風と共に発散された。
奥の瀑布の流れは変わりなかったが、それでも金色の膜は暫く辺り一面の水晶を覆い。
――忘れてはなりません 貴方のそばには 愛があります
そして、子は母に頭を下げる。生み出してくれた母に、創り出してくれた主に、自分を迎えてくれた世界に、震えながら頭を下げる。彼の生は、ここに始まったのだ。
"己"を手に入れた天使は体を支えることもできず、そのままそこに倒れこむ。
――知りなさい この世界を 己の責を 愛しい我が子よ
しかし、それは偶然か必然か――。
浅い息を繰り返しながら薄く目を開けた彼が見たものは、眼前の床に転がった、小さな小さな石のような塊。
未だ震える腕を伸ばして、微かな温もりを持つその塊を無言で握りしめる。握りしめる……ここに、こんなものが、在って良いはずが、ないのに。こんな、“不純物”が。
――貴方は最高傑作 それは 間違いありません
純粋な聖なる炎、だが生まれた彼は“欠けていた”。投げ込まれた意図は、誰に因るものだろう。
――けれども 完全なる者は 足を進められない
――貴方に 進んで欲しいからこそ
彼の知恵を以てしても、真意の理解に至ることはできなかった。与えられた者に過ぎない。その事実は受け入れねばならぬとわかってはいても、拳はより強く握りしめられる。
――いいえ 貴方はもう切り離されたのです
――己の生を 己だけの命を 燃やしなさい
本当は彼は尚も困惑していた。しかしそれ以上に、自分の内があたたかな気持ちで満たされていくのがわかる。
愛されることで喜びを知り、理解できない物事の存在に哀しみ、不完全である己に怒りを覚え、そして先へ繋がる道を楽しみにして。
「しゅ、よ」
眠るのは、愛しいひとの腕の中。彼はただ、世界との出逢いを待つ。