第8話「衝突」
放課後のグラウンドには、湿った風が吹いていた。
練習試合が近い。空気は少しだけピリついている。
「今日は“縦に速く”。とにかく前に運べ!」
監督の声が響き、チーム全体が動き出す。
凛は前線で構える。
千春は最終ラインから声を飛ばす。
「寄せ! 止まるな、走り直せ!」
真歩は前回のミニゲーム以来、動きが少し変わっていた。
止まる回数が減り、躊躇が短くなった。
その「少し」がチームに流れを作る。
でも、凛には別の焦りがあった。
――真歩が変わった。
――じゃあ、私も……変わらないと。
その焦りは、プレーを速くしていく。
速く。もっと速く。
それは時に、雑さにもなる。
千春がボールを奪い、すぐ前線へ縦パスを出した。
だが凛はその瞬間、逆方向に動いていた。
「凛、戻れ! 合わせろっての!」
「うるさい、そっちの出し方が遅いんだよ!」
言葉が飛びかう。
足も、心も、止まらない。
次の瞬間。
相手との接触。
凛は倒れ、ボールは転がる。
笛が鳴る。
「凛! マーク外したのお前だろ!」
千春の声は鋭い。
凛は立ち上がり、噛みつくように言った。
「は? こっちは動いてんの! そっちの判断が遅いんだよ!」
「言い訳すんなって言ってんだよ! 自分だけサッカーしてるつもりか!?」
チームの空気が、瞬間で凍った。
真歩は止めたい。
でも声が出ない。
監督が笛を強く吹いた。
「一旦切る! 休憩!」
その声に、誰も逆らえなかった。
⸻
夕暮れ。
練習は解散になり、凛は一人で川沿いの公園へ向かった。
ベンチには、案の定あの男。
加藤は缶コーヒーを歯でカチッと開け、空を見ている。
「……揉めたんか。」
凛は座らない。立ったまま言う。
「別に。ただ、ちょっと言いすぎただけ。」
「へえ。」
そこで終わりかと思った瞬間、加藤は言った。
「ほんまはな、凛。」
風が止まったように、その声は静かだった。
「お前は“勝ちたい”んやなくて、“認められたい”だけや。」
心臓を、素手で掴まれたみたいだった。
凛は笑おうとした。
けど声が震えて、笑いにならなかった。
「……何それ。」
「勝ちたいヤツはな、ミスしたら謝るんや。
認められたいヤツは、ミスした時に言い訳する。」
加藤は凛のほうを見ないで続ける。
「お前が今日怒った理由はな、
“自分が1番じゃない気がして怖かった”からや。」
凛は言い返したかった。
でも、返す言葉がひとつもなかった。
胸が熱くて、痛い。
「ほんまはお前、自分のこと…分かっとるやろ。」
凛の喉の奥がぎゅっと締まる。
加藤は空を見上げながら、淡々と言った。
「課題や。」
「……またかよ。」
「『自分の悪いところを1つ、ノートに書け。誰にも見せるな。』」
凛は眉をしかめる。
「なんで見せちゃダメなの。」
「人に見せるために綺麗な言葉にしたら意味ないからや。」
凛は押しつぶされそうなくらい、静かだった。
加藤はそれでも柔らかく続ける。
「その一行はな、誰にも渡さん“自分だけの敵”や。」
風が、川面を揺らす。
凛はやっと座った。
ポケットからクシャクシャのサッカーノートを出す。
ページは、試合のイメージ、言い訳、焦りで埋まっている。
ペンを持つ手が震える。
(……書けない。)
書いてしまったら、逃げられなくなるから。
でも――
真歩が、昨日震えながら書いた言葉を、凛は見ていた。
「……っ」
ペン先が紙を押す。
一行。
まっすぐ。
『思い通りにいかないと、全部他人のせいにする』
書いた瞬間。
胸が熱くなった。
痛くて、でも少しだけ軽くなる。
加藤は見ていないようで、ちゃんと見ていた。
「それでええ。」
凛は目元を手で覆った。
泣いてるのか、怒ってるのか、悔しいのか。
自分でもわからない。
ただひとつだけ、確かだった。
変わりたい気持ちは、まだ死んでいない。
夜風が静かに流れた。
その隣で、加藤は何も言わずに空を見ていた。
ただそれだけで、少し救われた気がした。




