第6話「サッカーノートをつけろ」
放課後。
練習は、いつも通りにきつく、いつも通りに雑音と汗の匂いが漂っている。
凛はミニゲームの最後、相手DFにボールを奪われて、思わず空を見上げた。
(……ああもう、なんか今日うまくいかん)
味方が寄ってくれなかった。
パスコースがなかった。
風が強かった。
グラウンドが滑った。
言い訳は、いくらでも浮かぶ。
でも、昨日の加藤の言葉が離れなかった。
――「仲間のせいやなくて、自分の使い方や。」
練習が終わり、チームメイトたちがぞろぞろと帰っていく。
凛は一人、スパイクの紐をゆっくりと結び直しながら、深く息を吸った。
(……行くか)
帰り道。
公園。
ベンチ。
加藤は今日もそこにいた。
缶コーヒー。くしゃくしゃのコンビニ袋。
変わらない風景。
「……来たな。」
加藤は凛を見ることなく、川の方へ視線を投げたまま言った。
「よし。今日の課題や。」
凛は身構える。
「ノートをつけろ。」
「ノート……?」
「サッカーのや。今日うまくいかんかったこと、できたこと、次なにするか。それを全部書く。」
凛は眉をしかめた。
「え、そんなん、練習で考えてるし。」
加藤は鼻で笑った。
「口で言うのはタダや。
書いたら、自分の本音が逃げられへん。」
その言葉に、凛は悟った。
逃げ場をなくすため。
(……めんど)
でも、昨日の「光で自分を焼く」という言葉がまだ胸の奥に残っている。
凛はしぶしぶ、カバンからノートを取り出した。
昨日、仲間の良いところを書いたページの続き。
新しいページにペンを置く。
「……今日の反省」
文字を書く手が止まる。
(うまくいかなかったことなんか、一個だけじゃないし)
でも書かないと進まない。
凛は、苦く息を吐きながら書いた。
・味方が寄ってくれなかった
→ パスコースがなかった
その瞬間
「それは言い訳や。」
加藤が刺す。
「うっ……」
「寄らんかったんやなくて、“寄らせへん位置におった”んや。」
図星すぎて、凛は何も言えなかった。
悔しい。
でも、分かってる。
自分でも薄々気づいてた。
(あたし、逃げてただけや)
ペン先が紙を削るように動く。
・パスコースを作る動きが足りなかった
→ 次は、ボールを受ける前に動く
加藤は何も言わない。
ただ見ている。
沈黙が、逃げられない空気をつくる。
そこへ、背後から小さな気配がした。
「……凛先輩?」
振り向くと、真歩が立っていた。
帰り道のはずなのに、ノートを抱えて。
「あの……もしかして、ノート、つけてるんですか?」
凛は少し照れくさくなった。
「まあ。ちょっとだけ。」
真歩は自分のノートをそっと胸に抱いたまま、隣に腰を下ろした。
「……私も、つけてみようかなって。うまくいかなくて。」
凛は驚いた。
(真歩って、自分の失敗とか言う子じゃないのに)
真歩は小さな声で、ノートのページを開く。
「今日……パス、怖くて。
凛先輩に渡すとき、失敗したら怒られるかもって……
でも、それで余計に怖くなって、弱いパスになって……」
凛は息を呑んだ。
(怒られるって……あたし、そんな風に見えてたんだ)
胸が少し痛くなる。
真歩は続ける。
「だから……“できなかったこと”書いてみたんです。」
ページには、小さな文字でびっしり。
・声を出せなかった
・パスが弱かった
・判断が遅れた
・凛先輩が見えてるのに、怖かった
正直な、まっすぐな言葉。
凛はそっと言った。
「……真歩のパス、あたし、助かってるよ。」
真歩の目がわずかに大きくなる。
「トラップ、綺麗だし。判断も速い。
今日も見てた。」
しばらくの沈黙。
真歩は、ほんの少しだけ笑った。
「……ありがとうございます。」
その笑顔は小さいけれど、昨日よりずっと強かった。
加藤が缶コーヒーを飲みながらぼそりと言う。
「ノートはな。上手くなるためにつけるんやない。」
二人は加藤を見た。
「心をまっすぐにするためにつけるんや。」
風が流れた。
川が静かに光った。
凛は新しいページに、ゆっくりと書いた。
今日できたこと
・仲間をちゃんと見た
・逃げずに反省した
次やること
・パスコースを作る動きを増やす
その文字は、少しだけ凛の背中を押した。
(……明日、またやろ)
真歩も横で同じようにノートを書いていた。
二人のノートのページが、同じリズムでめくられていく。
静かな夜の公園。
でも、確かに一歩ずつ、何かが動き始めていた。




