第11話 誰かの背中になる日
強豪校との練習試合が決まった。
掲示板に貼られた対戦カードを、チームメイトたちは遠巻きに眺めていた。
いつも賑やかなロッカールームが、今日は静かだ。
「……強いとこだよね、ここ。」
真歩が小さく呟いた。
声は震えていた。
千春は腕を組んだまま、顔を険しくしている。
その横顔は、普段よりすこし固かった。
(千春でも、緊張するんだ……)
凛は喉の奥にひっかかるものを感じていた。
前なら、この空気を無視して、自分のことだけ考えていただろう。
けれど今は気づいてしまう。
誰かが“揺れている”ことに。
声をかけようと口を開く。
けれど。
(……どう言えば、いいんだっけ。)
言葉は、空中で止まった。
⸻
試合当日。
相手チームは、体格も、スピードも、一段上だった。
初手から激しいプレスが飛んでくる。
「千春、左!」
「戻れ!」
声だけが飛び交う。
千春は必死にラインを整え、体をぶつけ、弾き返す。
けれど——
前線のロングボール。
千春のヘディングクリアが、わずかに甘くなった。
――相手 FW の足元に渡る。
瞬間、鋭い一撃。
ネットが揺れた。
静寂。
千春はその場で、ほんの一拍、動けなかった。
(……千春、崩れる)
凛は、わかってしまった。
自分が以前、何度もそうなっていたから。
呼吸が荒くなる。
足が止まる。
仲間の顔が見られなくなる。
グラウンドの空気が、重く沈んでいく。
——その空気を変えられるのは。
凛だけだった。
凛は深く息を吸った。
「千春!!」
千春がハッと振り返る。
凛は笑った。
「今の、次止めたらいいじゃん!
うちら、まだ全然いける!」
千春の目が揺れた。
驚き。
困惑。
そして——少しの救い。
真歩が、線の細い声で続けた。
「……千春さん、戻しましょう。大丈夫です。」
その言葉は小さかったけれど。
折れかけたものを、そっと支える力があった。
千春は、スッと息を吸い直した。
「……任せろ。」
その声は、いつもの千春だった。
空気が、戻る。
⸻
試合は続いた。
千春は、まるで獣のように戦った。
体をぶつけ、足を伸ばし、相手の攻撃を止め続ける。
「ナイス千春!!」
凛の声が飛ぶ。
真歩は中盤で、ボールを“逃げない”。
自信のあるトラップ。
迷わないターン。
凛への縦パス。
(真歩、前を見てる……!)
凛は走る。
足が重くても、止まらない。
チャンスは作れる。
勝てるかはまだわからない。
でも——
崩れてはいない。
それだけで十分だった。
⸻
試合が終わったあと、結果は負けだった。
けれど、誰も下を向いていなかった。
千春はタオルで汗を拭きながら、ぽつりと呟く。
「……ありがとな、凛。」
凛は肩をすくめる。
「別に。あたしも同じだっただけ。」
千春は、笑った。
不器用で、くしゃっとした笑顔。
それがただの礼以上の意味を持っていることを、凛は感じ取っていた。
⸻
夕方。川沿い。
加藤はいつものベンチにいて、相変わらず缶コーヒーを片手にしていた。
凛は隣に座る。
「……外さない選手が強いんじゃないんだね。」
加藤はうるさそうに目だけ向ける。
「ほう。」
「崩れない選手が、強いんだと思った。」
加藤は缶を指先でトントンと叩く。
「せやな。」
「でもさ……」
凛は川の流れを見つめる。
「崩れそうな仲間を、戻せる選手は——
もっと強いんだよね。」
加藤は今度はちゃんと凛を見た。
目の奥は、静かに、まっすぐだった。
「せや。」
それだけ言って、また前を向いた。
凛は少しだけ照れくさく笑う。
「……あたし、そういうFWになる。」
風が吹いた。
冷たいはずなのに、胸の奥は温かかった。




