第10話 外した後の顔
川沿いの空は、冬の名残を引きずったまま薄く曇っていた。
凛はゴールポストも何もない空き地で、ただひたすらボールを蹴っていた。
地面は固く、靴底に響く感触が痛い。
(……外したら、また何か言われる。)
ボールは思ったよりも右へ流れ、草むらに転がった。
拾いに行こうとしたとき。
「お前、外すのが怖い顔しとる。」
いつの間にか、加藤が近くにいた。
缶コーヒーを片手に、眠そうな目で凛を見ている。
「……外したら、また文句言われるし。」
凛はそっぽを向いたまま答える。
加藤は、ふっと息を漏らした。
「ちゃう。
外した後にな、味方の顔見られへんのが怖いんやろ。」
凛の動きが止まる。
図星だった。
言い返そうとしても、喉の奥が固まって言葉が出てこない。
加藤は空を見上げたまま続ける。
「ええか。良い選手はな、決めるやつやない。
外したあと、味方を信じ続けるやつや。
顔ひとつで、チームの心は決まる。」
凛は息を飲んだ。
胸の深い部分に、何かが落ちた気がした。
(……顔、か。)
ボールを拾い上げ、凛はもう一度蹴った。
⸻
放課後、グラウンド。
監督がホイッスルを吹き、声を張る。
「今日は“外した後の動き直し”を重点にする。
シュートを外したら、すぐ戻れ。止まるな!」
凛は少しだけ口元を引き締めた。
(……外したら、終わりじゃない。)
千春はいつものようにコートの最後尾。
真歩は中盤、呼吸が落ち着いている。
ミニゲームが始まった。
⸻
真歩がボールを受ける。
相手が寄せる。
でも真歩は止まらない。
(前……!)
凛は縦に走り出す。
真歩の足元から放たれたパスは、まるで糸のように凛へ通った。
完璧な形。
凛はトラップし、前を向く、そして振り抜く——
――外す。
一瞬だけ空気が動いた。
真歩は小さく肩を落とし、千春は眉を寄せた。
凛は息を吸い、笑った。
「ナイボ、真歩! もう一回行こ!」
真歩は驚いたように目を見開いて、そして頷いた。
千春も、ほんの少しだけ口元を緩める。
(……今の凛、強い。)
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再びチャンス。
ゴール正面。
キーパーとの距離は近い。
凛は思い切り振り抜く。
――また、外した。
グラウンドの空気がざわつく。
(また外した……また失敗した……)
心臓が喉の奥で暴れだす。
そのとき。
「顔、や。」
フェンスの向こう。
加藤が立っていた。
凛は息を吸い、そして笑った。
手を叩き、声を飛ばす。
「千春、次合わせる! まだ行ける!」
千春はすぐ返す。
「任せろ!」
その声には、責めも苛立ちもなかった。
(……崩れてない。)
チームは壊れなかった。
凛の顔一つで、空気は守られた。
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終盤。
真歩が中盤でボールを奪い返す。
迷いのない身体の向き。
パスコースを見つける目は、強かった。
(凛ちゃん、行ける。)
スルーパスがまた通る。
凛は走る。
足は重い。でも止まらない。
三度目のチャンス。
(外してもいい。
でも、この一瞬は、怖がらない。)
深く息を吸い、凛は振り抜いた。
――ネットが揺れた。
静かな、決定的な音。
凛は喜びに跳び上がらない。
ただ真歩に向かって、まっすぐ手を差し出した。
真歩は手を掴む。
その目は、涙で少し滲んでいた。
「……信じてた。」
その一言に、凛の胸が強く熱くなる。
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帰り道。
川沿い。
加藤はいつものように缶コーヒー。
凛は横に座る。
「外した後の顔で、チームって変わるんだね。」
加藤は缶を振って、軽い音を立てた。
「せや。
お前はもう、外して終わる選手やない。
外して、また立つ選手や。」
凛は、今度は本当の笑顔で言う。
「……明日も来る。シュート打ちに。」
加藤は横を向いたまま、少しだけ口角を上げた。
空気は冷たいのに、不思議と温かかった。




