第一章「目撃」
夕暮れの空は茜色で、蝉の声が遠くで鳴いていた。
掛橋ひかるは、下校途中の裏道でそれを見た。
細くて人気のない道。コンビニの横を抜けて住宅街へ入る抜け道だ。いつものようにイヤホンをつけて歩いていたひかるは、ふと前方の路地で、何かが動いたのを視界の端で捉えた。
何かが転がっている。いや、誰かが倒れている。
そこに倒れていたのは、後藤先生だった。
社会科担当で、雑談が面白い教師。目を閉じたまま動かず、制服の胸元には深い赤が広がっていた。
倒れている先生の横には誰かがかがみ込んでいた。
同じ制服。見覚えのある顔。
――同級生だ。俺と同じクラスの松本シンジだ…
シンジはニヤリと笑みを浮かべていた。
イヤホンの中で流れる音楽が、どこか遠くの世界のもののようだった。
ひかるは、身体が凍りついたように動けなかったが、シンジが立ち上がった瞬間、心臓が爆発したように動き出し、その場から逃げ出した。
親に言うべきだろうか…いや、巻き込まれるくらいなら黙っておこう。顔は見られていないはず。俺は平穏に暮らしたい。
その日は眠ることはできなかった。
*
次の日、ニュースではいつものような何も中身のないニュースしか流れていなかった。
昨日の出来事は幻だったのだろうか。
頭は混乱していたが、人間の身体は不思議なもので勝手に身体は学校を目指して歩き始めていた。
教室はいつもの光景だった。シンジも何もなかったように友達と談笑している。
昨日見た“あれ”が、夢だったかのように…
ホームルームでの担任の話を聞くまでは…
*
「後藤先生が昨日からご家族と連絡が取れなくなっているそうです。本人が失踪された可能性があり、現在調査中とのことです。今日の社会は代わりに別の先生が来られます」
誰も大きなリアクションはしなかった。
“失踪”――その言葉に、ひかるは思わず机の上で指を強く握った。
やっぱり事件は起こっていた。
でも、失踪ってなんだ…?
俺が通報しなかったからか?
決して人通りが少ない道ではない。
俺が通報しなくても必ず誰かしらの目には止まるはずだ…
シンジが死体を隠した?実はまだ死んでいなかった?
いや、もう考えるのは辞めよう…
俺は正義感のあるタイプではない。先生が殺されたことが事実でも犯人が誰であっても巻き込まれるのはごめんだ。
何事もなかったふりをして、元通りの平和な日々に戻れるなら、それでいい。いや、戻りたい。
だから、失踪として処理されていることがわかっても誰にも言う必要はない。何も知らないように目を逸らしていれば、きっと。
「ねぇ、今日は一緒に帰れる?」
ひかるは、一瞬心臓が跳ねるのを感じた。彼女の原あいりだった。
「あぁ、あいりか…」
「あぁってなによ。私でごめんなさいね」
「いや、違うんだ…ちょっと安心しただけだ…」
「なになに、そんなチワワみたいな顔して」
「うるさいな…一緒に帰ろう」
*
「ねぇ、なんか今日やけにあっち系の人多くない?」
「そう?気のせいじゃない……?」
平静を装ったが、あいりはじっとひかるの顔を見ていた。
彼女は決して頭が良いとは言えないが、勘が鋭いのをひかるは知っている。
「ひかるさ、なんか、今日変だよ」
「そんなこと……ないよ」
「じゃあなんで、あたしが話しかけたとき、ビクッてしたの。いつもは反応めっちゃ薄いのに」
図星だった。
昨日の事件は絶対に起こっていた。あれはやはり夢なんかじゃない。
事件が失踪として処理された後に、こんな強面の人たちが街中に溢れていたら何か嫌な予感がしてならない。
「あのさ……私のお兄ちゃん…あれじゃない?今日ちょっと聞いてみるよ」
「ん?あぁ」
「興味ないの?」
「いや、そんなことはないよ」
*
その夜、布団の中でひかるは考え続けていた。
昨日の犯人、松本シンジ――同じクラスの、生徒会長で、警視総監の息子。明るく、優しく、成績もいい。完璧な“いい子”
警視総監の息子…
まさか…
揉み消した?
ピロンッ
「!?」
また心臓が跳ねた。
「あぁ、あいりからのメッセージか…」
あいり 今日のことお兄ちゃんに聞いてみた
お兄ちゃんまだ下っ端だから詳しいことは教えて貰ってないみたいだけど、
人探しさせられてるんだって
私もなんか知らないか?って聞かれた…
昨日事件を見たって言ってる人が周りにいないか?って。
昨日なんかあったのかな?ひかるは何か知ってる?
ひかる そうなんだ。俺は何も知らないよ
あいり そっかぁ。なんかあったらすぐに言ってね
これは…
揉み消されただけじゃなくて、目撃者を探してるってことか…?
しかも、ヤクザを使って?なんでだ?
でも、俺のところに来ていないってことは誰が目撃したかはわかっていないってことか…?
どうするのが正解なんだ…
外に出たくない…でも、下手に学校休みだしたら怪しまれるんじゃないだろうか…
今日も眠れない夜になりそうだ…