一身に聖賢と英傑と虐賊を兼ねた男の悪女のぼやきに対する返答
これは、拙作『悪女のぼやき』における
相方の一人称で話を進めています。
歴史考証はいい加減で、史実を無視している
部分もありますが、お楽しみ頂けたら幸いです。
おや?
これはまた、奇遇な方にお会いしましたなぁ。
そないに胡乱げな顔せんとって下さい。ワテは、一介の百姓から身を興して登極した先輩として、姐さんのご主人を尊敬しとるんでっせ?
せやけど、あんさんも随分と評判が悪ぅおますなぁ。
まぁそれもしょうがおまへんな。ご主人を支えてくれた功将たちを粛清するようにご主人に進言してみたり、ご主人が愛妾との間にこさえた子供を暗殺してみたり、その愛妾を何とも惨たらしい手口で嬲り殺しにしてみたり、我がとこの一族で国の重臣たちを独占したり、ご主人の一族の諸侯王を粛清してその後釜に我がとこの一族の者を据えたりしはったんやから。
そないなエグいことばっかりしとったら、そら悪女扱いされてもしゃぁおませんわ。ワテの女房の、爪の垢でも用意してあげましょか?それを煎じて、飲みはったらよろしおますわ。これで、アレはなかなか出来た女房でっさかいに。
…へ?ご主人の愛妾を、罪人どもの慰み者にしたり、況してや目を抉り取って耳朶を切り取って、鼻を削ぎ取って薬飲ませて聴覚と声潰して、ほんで両手両足切断して厠に放り込んだ挙句人彘と呼んで嘲笑したりなんて、決してしてないって?
信じられへんなぁ…せやかてそのご主人の愛妾、姐さんの息子を廃太子して、後釜に自分が産んだ子を据えるように、諸々と画策しよったんでっしゃろ?そないな奴、ワテやったら廷杖処死一択ですわ。
へ?そないなことないて?その愛妾、ご主人に姐さんの息子を皇太子にするように進言して、おまけに自分の子ォに姐さんの息子をしっかり支えるように諭しよったんですか?…信じられへんなぁ…口では何とでも言えますさかいになぁ…
…ちょぉ待ってぇな。猜疑心の化け物とか、それは何ぼ何でも言い過ぎですわ。これくらい疑り深くなかったら、とてもとても皇帝なんぞ務まらへん。
…!…姐さん、何でワテの名前をピンズドで知ったはるんでっか!?
…顔の話も肖像画の話も言わんとって下さい。ウチの廷臣どもがそないなことほざきよったり、上奏文に書いたりしよったら、剥皮処死一択でっせ?
…いやせやから、皇帝たるもんは事実を捻じ曲げてでも威厳を取り繕わなあかんこともありますのんや。海内に燦然と覇を唱える大明国の天子があないなブサメンやったら、権威もへったくれもすっ飛んでまうってもんでっしゃろ?
◇◆◇
…それはそれとして、姐さんがご主人の登極に貢献した功臣功将を粛清するようにご主人に進言しはったんは、事実やおませんのんか?
…まぁ、確かに楚王にせぇ梁王にせぇ淮南王にせぇ、かつて西楚覇王の麾下におったことは事実ですわなぁ。確かに姐さんの言わはる通り、彼らは西楚覇王にしてみれば裏切り者ですわ。
…ッ!!…それは…言わんとって下さい…いやワテかて、ワテの登極に貢献してくれた連中を好き好んで粛清したわけやおまへんのんや。
せやけどなぁ…姐さん、考えてみておくんなはれ。あいつらの声望は、ぶっちゃけワテに次ぐレベルのものがおましたんやで?そんな連中を放っておいたら、何れはあいつら、ワテの孫を弑逆して自分が至尊の地位を望みよっても無理からぬことや、ワテがそう思たかて無理はおまへんやろ?
何しろ、允炆は優しい子ォやったけど頼りないところもあったさかいに、あの子が皇帝としてやってけるように後顧の憂いを無くしておきたいやおませんか?
…へ?やっぱりワテは猜疑心の化け物やて?…そのお言葉、姐さんやから許されるんでっせ?ウチの廷臣どもがそないなことほざきよったり、上奏文に書いたりしよったら、抽腸処死待ったなしや。
…仰る通り、話が進まへんからこの話はここまでにしときましょ。
…せやけど、ほんまに戚氏は自分がお腹痛めて産んだ子を、ご主人の後継にしようとは思とらへんかったんですか?ワテの猜疑心云々はともかくとして、正直とてもやないけど信じられまへんなぁ…
…つか、姐さんの息子はんと戚氏の息子と比べたら、戚氏の息子の方が次期皇帝として相応しい、っちゅう声もあったんやおまへんのんか?言うたら失礼やけど、身体つきもお頭の中身もその気宇も、果ては見目かて戚氏の息子の方が優れとった、言うて史書に書かれとりましたで?
…へぇ…戚氏は、姐さんやご主人に対してばかりでなく、自分の息子に対してもそないなこと言うとったんですか。そらぁまた…えらいええ女ですなぁ。…まぁ、ワテの女房と比べたら数歩は譲りますけど。
…へ?惚気はえぇて?そらぁまた、すんまへんでしたなぁ。
◇◆◇
せやけど、姐さんは正妻たる自分を差し置いてご主人が戚氏ばかりを可愛がってたことについて、思うところとか悋気とかはあらへんかったんですか?ワテの女房も、ワテがあれ以外の女に手ェ出した時にはそれはもう、あれの悋気を宥めるのに苦労させられましたわ。
そらぁまた…漢祖陛下の色好みは後世によぅ知られとりますが、そこまでやったんですか。…せやけど、絶倫ってぇのはそらぁ男の浪漫やけど、女人にとってはあまりえぇことばかりでもないんですなぁ…
…つか、夫婦間の秘め事をそないにあけすけに言わんとって下さい。聞いとる側が、気恥ずかしくなってまうさかいに。
…へ?顔に似合わず初心いて?…顔のことは言わんとって下さい。さっきも言いましたやろ?ウチの廷臣どもがそないなことほざきよったり、上奏文に書いたりしよったら、それこそ腰斬処死一択でっせ?
…せやけど、何ぼ自分が旦那さんの相手するのがしんどいから言うて、旦那さんが他の女を幸しても構わへん、寧ろありがたいとかそうそう言えまへんで?やっぱり、姐さんは天子の正妻たるに相応しい女傑ですなぁ。
へ?褒めても何も出ぇへんて?嫌やなぁ、ワテは姐さんに何も求めとりませんで?
◇◆◇
へぇ…そないな経緯で、戚氏の息子がおっ死んでまいよったんでっか。
そんな事情やったら、姐さんも息子さんも、勿論言うまでもあらへんけど戚氏もめちゃくちゃ悲しんだんとちゃいますか?
うわぁ…ほんまでっか…戚氏はその後で、自室に籠って食も水も絶って死んでもうたんでっか…ほんで、あの高名な『永巷歌』は、本当は息子に先立たれた母親の悲嘆を詠ったもんやけど、何がどないしてこないなったんか訳判らんうちに改竄されて、罪に問われて罰を受け続ける自分の境遇を嘆き悲しみ続ける内容の歌になってしもうた、と、そういうことでっか。
何故そないなったか、判らんでもおませんけどなぁ。そらまぁ、姐さんが亡くならはった後の経緯を見ましたらなぁ…っと、これは言わぬが花、って奴でんな。勘のいい姐さんのこと、気付いたはるかも知れへんけど。
ほんで、姐さんが戚氏を惨たらしく嬲り殺しにした、いう話を姐さんの息子さんに吹き込みよった奴がおったんでっか。で、息子さんは自分の母親がそない惨すぎる真似ができる女やった、そのことに絶望してえげつない放蕩かまして、そのまま体調いわしておっ死んでまいはった、そういうことでんな。
いや、碌でもない嘘て姐さんは言わはるけど、その話を息子さんに吹き込みよった奴も何らかの意図はあったんでっしゃろ?そういう噂を流して、『姐さんに逆ろうたら死んだ方がマシな目に延々と遭わされ続ける』って空気を作りたかったんやと、ワテなんぞは思いまっせ?
そらぁもう、国を打ち立てた偉大な皇帝が崩御して、その後を襲うたんは歳若で雰囲気も何か頼りない奴ちゃ、いうたら良からぬことを考える奴は出てきまっさかいにな。その若い皇帝の後ろ盾として、姐さんを恐ろしい悪女に仕立て上げようとした、いうんが本当のところとちゃいますか?
まぁ、そんなんで碌でもない悪女にされる姐さんも災難ですわな。
それに、確かに仰る通り皇帝が崩御したら、特にその後を取り纏める者はふにゃふにゃ泣いておれませんわな。それにしても、お腹を痛めて産んだ子ォに先立たれても、泣くことができひんとは…本当に皇太后なんてもんは因果な稼業ですわ。
ワテが女房に先立たれた時には本当に辛うおましたけど、あれにそんな思いさせんで済んだことは僥倖やったかも知れまへんなぁ…
◇◆◇
…そらぁまた何とも…前少帝の崩御の裏には、そないな事情があったんでっか。
仰る通り、そない簡単に本心を出してまうような奴は皇帝には相応しおまへんわ。まぁ、前少帝の歳で姐さんの洞察力を前にして本心隠し切れるような、そんな化け物はそうそうおまへんわ。多分、同年時のワテかて無理でっしゃろ。
せやけど、姐さんといい戚氏といいその前少帝の本当の母親といい、昔の女子は胆が据わったはりますなぁ…ワテの女房を彷彿とさせますわ。
え?せやから惚気はえぇて?そらぁまたすんまへん。
それにしても、国や民草の安寧のためにやったことでも自分の保身や権勢欲の発露みたく言われてまうとか、本当に権力者は因果なもんですわ。
まぁとにかく、権力者たる者は自分の権力や身の安全を第一に考えなあかん所もおまっさかいにな。自分の権力や身の安全が万全たるもんやなかったら、自分の理想の政を為すことも叶いまへんわ。
◇◆◇
…まぁ前少帝に関しては歳若やったからしゃぁないにしても、姐さんが仰る通り諸侯王のそれは正直頂けまへんなぁ。政に携わるべき立場におるえぇ歳こいた男どもが、そないな浅慮なことやったらあきまへんわ。そら粛清もされますわ。
ほんで、その後釜に姐さんの親戚連中を据えたことでまた姐さんの悪名が広まってしもた、と。そらぁまた、お気の毒でんなぁ。
保身欲と権勢欲は、ワテら権力者にとって絶対に必要なもんですわ。それがなかったら、理想の政を為すことも経世済民も叶いまへんさかいに。
権力者がいともあっさり殺られるような、そないに権力基盤が不安定な状況やったら、巡り巡って民草がゲビを引くのは目に見えとりまっさかいにな。
◇◆◇
ほうなんでっか…その後で漢祖陛下を支えてきた重鎮連中も引き篭ってもうて、日食も起きて、何か嫌な予感を醸し出させるような夢まで見はった、と。
ほんで、その犬に夢の中で引っ張られた場所が随分と痛みはるんですな?…そらぁアレですわ。病は気から、言いますやろ?姐さんが自分のやったことに自信が持てへんで、気弱になったはるからそんな気ィがするだけですわ。
何しろ、ワテは死ぬまでそないな悪夢に魘されることも世の乱れを感じさせるような風情も起きひんかったんでっせ?
…え?ワテが死んだ後で、えらい天下が乱れたんはワテのせいやないかって?いやまぁそれは…お互い様、っちゅうことにしときまひょや。
ほんで、姐さんの一族に国家の要職を委ねはったんですか。
お気持ちは、よう判りまっせ?ワテかて、信じられるのは家族だけやさかいに。…その割には棣の奴、反乱起こして允炆を追い落としよったんやけどなぁ…
まぁ何につけ、姐さんかて好き好んで悪女にならはったわけやないこと、ワテはよう判りまっせ?ワテかて、好き好んであいつらを粛清したわけやおまへんのや。
…優しいとか、えらい久し振りに言われましたなぁ…女房以外に言われても、ケツの穴が痒ぅなるだけやけど。
…それと、顔のことは言わんとってくれ、て言うたやおまへんか!ウチの廷臣どもがそないなことほざいたり上奏文に書いたりしよったら、凌遅処死一択でっせ!!
この主人公が胡散臭い関西弁で喋っているのは、
彼が江南から身を興して中華大陸全土を支配する
王朝を建てた唯一の人物である、ということから
南方訛りをエセ関西弁で表してみました。