準備
さて、アーシャが仲間になってくれるというのは頼もしいが俺には必要なものが多すぎる。
「そういえばトーゴの目的って何なのにゃ?」
「話して無かったか?俺の目的は海に……そういえば海ってあるのか?」
ちゃんと考えてこなかったが、そもそもこの世界は地球と同じような惑星なのか?
本体のときは元素が地球のものと一致していたから何とも思わなかったが……海が無かったら。そんなことを思っているとアーシャが俺の顔を下から覗き込みながら答えた。
「海ならあるにゃよ。トーゴの住んでいた国には無かったのかにゃ?」
「あるのか!?良かった。俺の住んでいた場所には無かったよ」
森の中には湖ですら見ることは無かったし嘘はついていない。
本当は日本という島国で育っていた以上見たことないわけがないのだが……。
「じゃあトーゴは海が見たくて故郷を飛び出してきたのかにゃ……。凄いにゃね」
「アーシャは海がどこにあるか知っているんだよな?」
「知っているにゃよ。でも……」
「でも?」
なんだろうか。行けない理由でもあるのか?
「かなり遠いにゃよ?」
「――それだけか?」
「それだけってなんにゃ!本当に遠いにゃよ!」
「どれぐらい?」
「馬車でも1年は見ておいた方が良いにゃ」
「……そうか」
「やめ……」「1年ならすぐだな!」
アーシャの声に被るように決定づけた俺にアーシャははぁーと深く溜息をついた。
「トーゴは分からないのかにゃ?1年の旅って言ったら道中で街を何個か経由しなきゃならないにゃ。つまりとんでもないお金がかかるにゃ!」
遠い街へ出かけるのに必要なのは大きく分けて3つ移動手段、日用品、宿代である。
他の旅人の場合はこの他に護衛代などがつくため、かなり高額となる。
「でも護衛はいらないだろ?アーシャも俺も”冒険者”なんだし、必要なのは他3つか……」
「そうにゃね」
「さて、どうやって揃えるんだ?移動手段っていうと……馬車なのか?」
この世界にはおそらく車が無い。
それは街に来るまでの道が整備されていなかったこと、そして街へ入ってからの道幅や店の配置が明らかに自動車の交通を配慮していないことにある。
車が走るのに必要なのは、まず道幅、三輪であろうと最低限の道幅は必要となる。
しかしギルドまで歩いた限り出店が多い、人通りも多く車を気にする素振りが一切なかった。
馬車であれば騎士たちが乗っていたものを見たが、あれが最速の乗り物なのだろうか?
「基本的には馬車にゃ。ただ個人で持つにはかなり金額が高いにゃ、つまり借りることになるにゃね」
「馬車を借りるのか?」
俺はてっきり前世のバスのような形で乗り合いになると思っていたのだが。
「馬車を売っている店に行けば期間を決めて借りることも出来るにゃ。さっそく行くにゃ!」
おー!といった感じで手を挙げて歩き出すアーシャに着いて行くこと約10分、柵で囲んだ公園のような場所に出た。
柵の中には馬が何頭か自由に過ごしており柵と繋がる形で立派な建物がある。
アーシャは迷わず建物の中へ入るのでそれについていくと、中には簡素な布で包まれた馬車からもはや家なのでは?といった大きさの馬車まで数多く揃っている。
「本日は当店にようこそいらっしゃいました。どのような馬車をお買い求めですか?」
「長期間の旅に耐えられる馬車で、なるべく頑丈なのを頼むにゃ!」
「承知いたしました。少しお待ちください」
店内に入ってすぐ接客のために寄ってきた店員へアーシャが希望を伝える。
店員は在庫を調べにいったのだろうか裏へ下がった。
「なんで頑丈なのを頼んだんだ?」
「道中で魔物に襲われて馬車が壊れるなんてよく聞く話しにゃ。だから高額でもいいから壊れにくいのを頼むにゃよ」
そうなのか……よく見れば店内に置いてある馬車でも客が見ているのは高額なものばかりで安い馬車には見向きもしていない。
アーシャと店内をぶらつきながら時間を潰していると、さきほどの店員が戻ってきた。
「お客様、リストの準備が出来ました。こちらへどうぞ」
店員の案内で通されたのは他の客に見えない個室だった。
風の魔法で周囲を探るが変なところは何もない、一応アーシャに確認をするとこれが普通の対応なのだといった。
馬車は借りるのも購入するのもかなり高額となるため、店内にいた客らしき人物たちはほとんど”見てるだけ”らしい。
ならばなぜ俺たちにだけ店員がついたのかといえば、入店した人間の中で購入意欲のありそうな人間には話しかけているようだ。
「そんなに分かりやすかったですかね?」
「そうですね。アーシャ様はこれまでも何度かご利用いただいてますし、そんなお得意様が連れてこられている方ですから”相当”なのではと思いまして」
「トーゴは私より強いにゃん。これからも利用するから捕まえておくといいにゃん」
捕まえるって物騒な……。
「そうなのですか。それは何とも素晴らしいですね。私の目は曇っていなかったようだ。――失礼、自己紹介がまだでしたね。私はこの街最大の馬車運営店の店長を務めてます。フリップと申します」
店長だったのか!
妙に遜って喋るから正直かなり下っ端だと思っていた。
「皆様私のことを知るとそんな表情をなさいます」
「失礼しました。まさか店長さんだと思っていなくて、俺はトーゴです。さっき冒険者登録をしてきたので仮ではありますが……」
「ふふっ……大丈夫ですよ」
「フリップはもっと威厳をつけたほうがいいにゃね!」
「ありがとうございます。精進いたします」
アーシャがこんな感じでタメ口を使っていれば勘違いもするだろう。
それよりも今は馬車のことである。
「そうですね。現在トーゴ様におすすめ出来る馬車は3台ございます。まず1台目はこちら――」
フリップさんは3枚の紙を机の上に出し説明を始める。
「型は旧式でございますが冒険者の方に愛用されているタイプですね。荷物や人員を多く積むこともでき比較的頑丈なのが売りとなります。難点を上げるとすれば寝所が無いことでしょうか……」
「寝所が無いのは辛いにゃね……」
1枚目の紙に書かれているのは店内にあった安い馬車よりも若干値が張る。
ただ所々に鉄製の部品が使われているため頑丈な部分は優っているというぐらいだろうか。
しかし、それゆえ寝る場所が無い。最低限地面で無いということぐらいでしかないのだろう。
もちろん寝袋のようなものを用意すればいいだけの話ではあるのだが、冒険者にとって荷物を増やすことは決していいことばかりではない。
いざというときは逃げるのが遅れるし、戦闘の最中に荷物の心配をしていては意味が無い。
馬車が無くなった場合に生活が出来なくて死ぬ、なんていう話もあるぐらいなのだ。
「2台目はこちら――最新式の馬車ですね。お値段は1.5倍ほどになりますがクッション性も高く中に乗っていても振動は感じません。何より頑丈さは比較になりませんし旧式と比べ生活性が増しております」
2台目は見た目からしてゴツイ。
内装も変わり生活できるように簡易的なベッドと簡素なキッチン付きになっている。
もちろん電気などは無いため薪をくべることになるが、中で一酸化炭素中毒にならないように煙突もついている。
壊れたら大変そうな気もするが、そこが壊れないということなんだろう。
「3台目がこちら――金額は最新式のさらに倍となります。ただ貴族の方々でも使うほどには内装も豊かで頑丈さも折り紙付きでございます。どうされますか?」
3台目として紹介されたのは、もはや家だった。
店内にあった大きいものと比べてもかなりサイズが違う。
本当に馬で引けるのだろうか?
「そうですね。1台目であれば1頭いれば十分。2台目であれば2~4頭は必要。3台目であれば混成の馬で2~4頭といったところでしょうか」
混成というのは魔物の馬と通常の馬を親に持つ馬で、通常の馬の2倍程度は馬力が出て調教もしやすいのが特徴。
魔物の馬となると馬力は比較にならないが調教をするのに長くて20年以上の月日がかかる。もちろんその間も世話はしないといけないため非常に扱いが難しいのだという。
「トーゴ様の希望金額はどれぐらいになりますか?」
「そうですね……」
正直な話を言えば、今の俺に手持ちは無いのだ。
ランク審査と同様にレッドオークの査定も持ち越しになってしまっているし、いざとなったらゴルドアプルでも売ろうか。
エウに怒られそうだからそれは無しだな。
「すみません。今は手持ちが……」
「あたしが出すにゃよ」
エウが自身のギルドカードをテーブルの上へ出した。
「いや、それは駄目だろ?」
「あたしだって稼いでるにゃ。それにオークの死骸の金額が全部入ってくるにゃら、とくに問題は無いにゃ。それに死地から助けてくれた恩人への対価としてはこれでも少ないぐらいにゃよ」
少し悩んでしまう。
今の俺に馬車の金額を払えるわけでも無ければ、すぐに金が入ってくる保証も無い。
しかし助けたとはいえ馬車を買ってもらうというのはどうなんだろうか……前世で言えば、事故から助けた相手に「お礼に車を買ってあげるよ」なんて言われて受け取る人間がいるだろうか?
怪しさ満点のプレゼントに手を伸ばすぐらいなら無難な物をもらいたいと思うだろ?
もちろんアーシャのことを怪しいと思っているわけでは無いが、それでも申し訳ないとは感じる。
「……いや、やっぱりやめておくよ。すみませんフリップさん、今回は手持ちがないのでまた今度来てもいいですか?」
「問題ありませんよ。トーゴ様は素直で実直な方のようなので、こちらとしても重宝したいお客様ですな」
フリップさんと別れて店を出るとアーシャが訪ねてきた。
「なんで断ったにゃ?」
少し悲し気な表情をするアーシャは気落ちして俯いている。
小声で「役立てると思ったのに……」なんて溢している。
「お金の貸し借りは友情を破綻させるからな。アーシャとは仲良くしてたいんだよ。対等な関係でな」
「そ……そうなのかにゃ。ならいいにゃ!」
さて、次はどうするかなんて歩いていると冒険者ギルドの受付服を着た男性が走ってきた。
「良かった。宿も聞いてなかったので聞いて回りましたよ!」
そういえばギルドを出るときに連絡手段を聞いていなかったな。
まさか街中を走ってきたのだろうか。
「いえ、アーシャ様はこの街で有名な方なのでアーシャ様を探していると聞きながら来ました」
それは結局無駄足を踏ませてしまったのではないだろうか。
どうやら基本的な伝言システムは冒険者であれば借りている宿に伝言を残すのが普通で、俺の場合は明確な仲間がおらずどこの宿をとっているのかも聞いていないのでアーシャと一緒にいるだろうという目星をつけて追いかけてきたようだ。
「それで、どうしましたか?」
「ギルド長がお呼びです!」
何やら焦った様子のギルド職員の男性はセンスさんの使いのようだ。
俺たちは男性の案内でギルドまで連れられるとアンナさんが受付カウンターから出てくる。
「ありがとう。ここからは私が引き継ぎます」
「よろしくお願いします!」
忙しい中探してくれていた男性に一言礼を伝え、アンナさんは俺の正面に立つ。
アンナさんはセンスさんの執務室への道中で俺がギルドを出てからの流れを説明してくれた。
「先ほど早馬でオークの襲撃があった場所を騎士の方が見に行ってくださいました。その結果トーゴ様そしてアーシャ様の発言に虚偽が無いことが立証されました。その結果からトーゴ様のランクが決定したのでお呼びしました」
「意外と早かったですね……すみません。皮肉のつもりでは無くて……」
「いえ、当然ギルドとしても恩人を待たせるわけにはいかないと急ぎましたが。今回の件についてはギルド長からギルド全体に最優先事項として扱えと指示が出ていましたので」
「そうなのかにゃ?ギルド長にしては珍しいのにゃー」
ギルド長は前世での店長のような位置よりもさらに上で、ギルド支部内の絶対権限者であり最も信頼置かれている人物がなるのだという。
ギルドの職員はもちろんのこと所属する冒険者や支部が配置されている街の領主にも命令できるような権限を持っている。
そんなギルド長だが強権を発動することなど就任して1度あるかないかほどの緊急事態、それが今回は発動されたらしい。
「なんか申し訳ないですね。でもなぜギルド長はそんな権利を俺のために行使したんでしょうか?」
「……すみません。なにぶんギルド長が権限を使ったことも初めてですので私達には……」
どうやらアンナさんも困惑しているようだ。
今日あったばかりではあるがセンスさんは冷静に周りを見て状況判断が出来ている人だ。
そんな人が恩人とはいえたかが一人になぜそんな力を使ってしまったのだろうか。
そんな考え事をしている間に執務室へついていた。
コンコン
「アンナです。トーゴ様とアーシャ様をお連れしました」
「――入りなさい」
アンナさんが扉を開き中へどうぞと手招きする。
俺とアーシャが中へ入るとセンスさんは執務机で書類仕事をしていた。
入ってきた俺とアーシャを見ると眼鏡を外し書類を持って長机へ移動する。
「二人も座ってくれ。アンナくんは紅茶を準備してくれるかい」
「はい。分かりました」
アンナさんは静かに扉を閉め下の階へ向かっていった。
「さて、まずは正式に礼を言わせてくれ。トーゴくん、貴重な冒険者の命を救ってくれて本当にありがとう。ギルドを代表して感謝する」
「……お伝えした通り。私は偶然通りがかっただけです。でも……分かりました。感謝を受け取ります」
謙遜だけでなりたたないことがあることも知っている。
もしここで俺が話を流せば、センスさんはもちろんギルドとしての感謝を俺が受け取らなかった。つまりはギルドを信用しませんよ、と言っていることになるのだ。
だからこそ俺も正式に「受け取った」と伝えることに意味がある。
「それでだが、今回の褒賞が決まった。アーシャくんはオーク25体の複数同時襲撃への単独撃破、これを称えてランク5へのアップそして金貨5枚を。ランクアップに関しては試験も免除するので帰りに受付で更新してくれ」
「――え!そんなにもらえるのかにゃ!?」
「当然だろう?オークは単独であればランク7相当、君であれば余裕だっただろうが今回は数が多い。連続でオーク25体を相手にするのと25体の群れを相手にするのでは訳が違うからね。今回早馬で見に行った騎士の連絡によればオークは群れで行動していたようじゃないか。それを単独で撃破したならば君にはランク4でも可笑しくは無い。ただ今回はトーゴくんの大幅ランクアップがあるのでね。君はランク5で止めることになった。その代わりに試験を免除にしたんだ」
オークを1体倒したときの通常報酬は銀貨15~20枚程度、つまり金額てきには妥当な報酬。しかし今回の戦闘では安全策を求められずオークの体が売れないような倒され方をしている個体も多くいた。それでも25体という数が倒せたという戦果から金額を釣り上げたのだとセンスさんは言った。
「そういうことかにゃ。……でもありがとうにゃ」
アーシャが納得したことを確認し微笑むセンスさんは次の俺に顔を向ける。
「トーゴくんはレッドオークの単独撃破そして冒険者アーシャの救出、これを称えて金貨10枚を。そして戦果に加えた試験の結果から君のランクは6とすることになった」
センスさんはなぜか悲し気な表情を浮かべる。
俺としては妥当……というより想像以上の報酬がもらえることに驚いているのだが……。
「すまない……本当ならばレッドオークを倒し私に土をつける実力者をランク6になんて置いておけないのだが……。冒険者登録をしたばかりの新人をランク5にするとギルドの信用がどうとか言い出す馬鹿が……失礼、無能な連中がいてね」
センスさんも相当な実力者、そんな人物に模擬戦闘で試験とはいえ魔法で圧勝しレッドオークの頭を吹き飛ばすという戦果を作った俺をどうやらもっと上のランクでデビューさせたかったようだ。
かなり怒っている様子で言い直しているのにまったくオブラートに包めていない。
「いえ、大丈夫ですよ。もし思っているところがあるならば、少し協力をしてもらえませんか?」
これだけ今回の決定に異論を唱えている人ならば、きっと乗ってくる。
「協力?もちろん構わないが……何をしたらいいんだい?」
「私は海を目指しているんです。もしよろしければ道中立ち寄りそうな町で使える見識をいただけませんか?」
「海……分かった。ただ知識程度であれば冒険者たちからも教えてもらえるだろう。……ちょっと待ってもらえるかな」
センスさんは立ち上がって執務机の引き出しから紙を一枚取り出すと何やらスラスラとペンを動かし持ってくる。
「これは各ギルド支部長のみが持つ特権の一つだ」
「この紙がですか?」
紙には何やら紋様というかマーク?のようなもの、そしてセンスさんの名前が書いてある。
「この紙を持っている冒険者はギルド長のお墨付きつまりは信用の証だね。これを街の門番に渡せば通行料を取られることも無く入場列に並ぶこともない。そしてその紙を持った者に嘘をつくことをすればそれは虚偽罪となる。法の執行権でもあるということだね」
……思った以上に大変なものだった。
俺がもらえると思ったものは必要な物や出現魔物の情報、もしもらえれば商人たちに口添えを貰えれば馬車も少し安くなるかなというぐらいだ。
まさか法の執行権なんてものを貰えるなんて……この人、怖すぎる。