2-35 ジン 戦場の風 後編
本日もよろしくお願いします。
俺の名前はジン。
『戦場の風』っつー傭兵団の長をしている。
いよいよ開戦の日となった。
それは5万越えのゾルバ帝国軍を前にするには、少なすぎる軍隊だった。
2千にいくかいかないか程度だろう。
だが、それを見た時、俺は自分の予感が正しかったと即座に理解した。
絶対にあれには勝てない。
なんでそう思うのかは俺にもわからないが、きっと天才だからだろう。
俺は口笛を吹き、団員たちへサインを送る。
『開戦次第、全力で戦線を離脱しろ』
そのサインに、団員たちから困惑した気配が伝わってくる。
無理もない。相手は2千人。普通に考えれば圧勝だ。こちらには飛竜部隊もいるしな。
それに戦場の風は仕事はちゃんとやるタイプだからな。
矛も交えずに逃げろと言う命令は初めてだし、そんなことをすれば二度と傭兵として活動できないので、団員の困惑も当然だ。
唯一、カタカタ震えているのは2番隊隊長のガイだった。
とんでもなく頭が悪いやつだが、獣に近い本能を持つからか、俺と同じ予感を覚えたのだろう。よく見れば、鎧の下で小便を漏らしてやがる。
そんなことをしていると、気づけばゾルバ帝国の口上が終わっていた。全然聞いてなかったぜ。
そして、アアウィオル王国軍側から1人の女と2人の男が前に進み出た。
俺の位置からは遠いので3人の詳細はわからないが、中央最前線付近からギラギラとした欲望が溢れているので、有名人なのだろう。
俺の周囲では、女を口上に使うのが珍しいのか、ゾルバ兵たちが笑っている。
一方、俺は悪寒が止まらなかった。心臓が早鐘を打ち、吐き気すら覚えた。
い、一刻も早く逃げなければ……っ!
そう本能が叫んでいた。
その時、俺の、俺たちの耳に不思議な声が届いた。
『ゾルバ帝国の兵らよ。妾の名はエメロード・アアウィオル。アアウィオル王国第15代女王だ。妾はこれから汝らに問う。汝らの命運を分ける問いかけだ。ゾルバ帝国の者も、アルテナ聖国から送られてきた者も、心して聞くがよい』
エ、エメロードが来ているのか!?
まさか女王が最前線に出てくるとは……。
なるほど、だからこその中央最前線の熱気か。
当然だろう。なにせ大将首がただの貴族ではなく、アアウィオルの女王だったのだ。もしその身柄を手に入れたら、ゾルバ帝国で貴族になれるかもしれない。尤も、ゾルバ帝国の貴族はクズなので、手柄を横取りするのは明白だが。
俺はそんな歓声を無視して、エメロードの言葉に集中した。
まずアルテナ聖国に向けて語られるが、それはどうでもいい。次だ。
『この中で、本当はこの戦争に参加したくない。無理やり連れてこられた。人を殺したくない。武功なんていらないから家に帰りたい。そう思う者は手を上げるがよい。大切な者の顔を思い浮かべ、この戦場に幸せが落ちているかよく考えよ。これ以降の降伏はいかなる理由があろうとも許さんぞ』
エメロードがそう言い終わった瞬間、つま先から頭のてっぺんにかけて何百の虫が這いずるような強烈な悪寒が走った。
「くっ! 全員、降伏しろ!」
俺は込み上げてきたゲロを必死に飲みこんで、即座に団員へ向けて叫びつつ、自分自身も手を上げた。
周りに他の兵たちがいるのにも構わず発せられた俺の命令に、ゴロンゾたちがギョッとした顔をするが、全員が俺を信じて手を上げてくれた。
「はははっ、3等民のガキどころか戦場の風の戦意まで喪失させちまったぞ!」
「女狐エメロードの戦術は恐ろしいな!」
周りの傭兵が俺たちを見て、馬鹿笑いしている。
ふざけているとでも思っているらしい。
阿呆が! そんなだから三流傭兵なんだ!
だが、その勘違いで助かるのも事実。
下手をすれば裏切り者として敵認定されかねない行為なのだから。
しかし、そんな阿呆共の煽りを受けて、俺の団の若いやつが怒り出した。
「てめえらは冗談もわからねえのか!」
ミリオーナだった。
俺を尊敬するあまり、バカにされて激昂したのだ。
俺はミリオーナの下へ走り、ぶん殴った。
ミリオーナは地面に倒れこみ、頬を押さえた。
「ひ、ひぅ……だ、団長……な、なんで……?」
「バカが、死ぬぞ! あいつらはヤバすぎる!」
そんなことをしていると、その言葉が告げられた。
『時間切れだ。これ以降の降伏は受け付けん。人の皮を被った獣共よ、己の愚かさを悔いて死ね』
その言葉から時を置かず、空に超巨大な魔法陣が展開したではないか。
「ま、マジックバリア!」
俺はミリオーナを庇いながら慌ててマジックバリアを張るが、それは攻撃用の魔法陣ではなかった。俺とミリオーナ以外の団員たちが光に包まれ、その場から姿を消したのだ。
「っっっ!?」
「だ、団長、みんなが!」
あまりに唐突な先制攻撃に、ミリオーナが怯えた顔で言う。
「わ、わかってる……っ」
俺たちは最前線右翼側に陣を敷いていた。
その場から、左翼側のさらに向こうに俺の団員たちが瞬時に移動させられたのが見えた。人を転移させるとか冗談みたいな魔法だ。
俺の判断は早かった。
ミリオーナを小脇に抱え、そのまま陣の右方向に広がる誰もいない平原へ走った。
敵前逃亡。
最悪な行為だが、傭兵だもの、仕方ないよね!
だがまあ許されるはずもなく、敵陣へ向けられて構える弓兵の一部から俺たちの方へ矢が放たれた。
「マジックバリア!」
俺のそう強くないマジックバリアがほとんどの矢を防いだ。
だが……あーっ、くそっ!
幸いだったのは、この戦場で一番乗りした者の賞品がエメロードだったことだろう。
逃げ出した俺たちを追う暇人などおらず、追撃の手は今の矢だけで終わった。
俺はミリオーナを抱えて戦線を離脱した。
その時、背後の戦場から凄まじい轟音がいくつも連続して鳴り響く。
陣からもう200mは離れたであろうに、逃げる俺の前方にそれは飛んできた。
まるで走る地竜にでも轢かれたように体中がつぶれた貴族の死体だった。煌びやかな鎧がまるで意味を成していない。
「あ、あぁ……」
抱えられたミリオーナが背後の戦場を見て、悲鳴を漏らす。ついでに小便まで漏らしやがった。
俺も振り返って状況を見たかったが、それは叶わない。
俺はお飾り程度の林に逃げ込み、ミリオーナをその場に下ろして、俺自身はその場に座り込んだ。
「ミリオーナ、ここからは1人で行け」
「な、なんで、だ、だ、団長は!?」
「俺は無理だ」
先ほどの矢が一本、俺の後ろ首に刺さっていた。
幸いにして致命傷は免れているが、正直、もう動けないほどに痛い。
「ぽ、ポーションを!」
「割れちまったよ」
先ほどの矢はほとんどをマジックバリアで防いだのに、防げなかった数本が俺の首に刺さり、俺たちのポーション袋まで撃ち落としやがった。まったく最悪な運勢だ。
「そ、そんな……ひ、ひぅ……あ、あたしが団長の言うことを聞かなかったから……」
「お前は俺たちの誇りのために怒ってくれたんだろ? なら、俺はお前にお礼を言わなくちゃならねえ。殴って悪かったな。ありがとう」
まあ団長がこうして戦場から逃げちまうような傭兵団だから、誇りもなにもないがな。はははっ。
「あたし、団長と一緒に死ぬ!」
「ガキが。バカ言ってんじゃ——」
ミリオーナを諭そうとした俺だったが、林の木々を盛大に揺らす音に言葉が止まってしまった。
まるで数百羽の鳥が一斉に木々から飛び立ったような音に続いて、そこら中にゾルバ兵の死体が降ってきた。
「どんなバケモンと戦ってるんだよ」
呆れながら口にしたその言葉だったが、それに答える者が現れた。
「他国の領土で好き勝手しようとする害虫よりはマシだろう?」
それは女の声だった。
ハッとすると、正面で屈むミリオーナの向こう側に、今まで俺が見てきた中で一番の美女が佇んでいた。
胸当てからして、アアウィオルの王都圏を守護する黒騎士か。
髪や肌は煌めき、まるで戦場に現れた女神のように美しい。
背後を取られたミリオーナは慌てて振り返り、俺を庇うようにして剣を抜いた。
しかし、その手足は震えて、とても見ていられるものじゃない。
ああ、そういえば、こいつはこの戦場が初陣だったか。最悪な初陣になっちまったな。
「すまないが、こいつは見逃してやってくれねえか? まだ誰も殺しちゃいねえんだ」
「人を殺しているかどうかは問題ではない。女王陛下のご慈悲に反応せず、アアウィオルに害をなすことを選択した。その愚かさがこれからお前らを殺すのだ」
「こいつの頬を見てくれ。女王陛下が声をかけてくれた時、こいつは手を挙げたんだ。だが、俺がこいつの頬をぶん殴ったから手を下げちまったんだ」
女はミリオーナの顔を見て、すっと目を細めた。
「なるほど、たしかにその通りのようだ」
そう言った瞬間、女の姿が消え、俺の首元にぶわりと風が吹き抜けていった。
動きが速すぎてなにが起こったのかわからなかったが、少し遅れて、俺の首筋で剣が止まったのが理解できた。つまり、女は前に立つミリオーナを越え、一瞬で俺の側面に移動して剣を薙いだのだ。
「なぜ止める」
女がそう言うと、慌てて振り返ったミリオーナが俺の左右を見て尻餅をついた。
なにが起こっているのかわからないのは殺されそうになっている本人だけという、あまりにおかしな事態だった。全部首に刺さった矢が悪い。
女の言葉に、今までいなかった何者かが返答した。
「この方は、進軍中に多くの女性を助けているのが確認できています。陛下の御恩情に応えられなかったのは、なにか理由があるのでしょう」
「そうか。承知した」
騎士の女がそう言うと、首元で止まっていた剣の圧が消えていった。
「では、私は少し戦場に近づく」
「承知しました」
女騎士はそう言うと、その場を去っていった。
「……かはっ!」
お、俺は助かったのか……?
そう思うと、いつの間にか止まっていた呼吸を思い出したように再開した。
「その傷を治しましょう。少し痛みますよ」
そう言って俺の視界の中に現れたのは、オレンジ髪の女だった。
格好から見てメイドだが、先ほどの会話を聞くに、おそらくはアアウィオル王国の隠密部隊だろう。
女は俺の後ろ首から強引に矢を引き抜く。
激痛が走った瞬間には、回復魔法がかけられて傷が塞がるのがわかった。
「すまない。助かった」
「あなたが死ねば、アアウィオルに恨みを抱く者が増えそうですからね」
「俺は傭兵だし、そんなことはねえと思うが……う、こ、これは……」
俺は首が治ったのでメイドと話しつつ戦場を見てみたが、そこは地獄のような光景だった。
雷を纏った竜巻がゾルバ軍を薙ぎ、炎の翼を纏った騎士たちが兵たちを燃やし、空を逃げる飛竜が光を帯びた矢で射貫かれる。
もはやアアウィオル軍に立ち向かっている兵など1人もいない。
全員が死に物狂いで散り散りになって逃げ、そして容赦なく殺されていく。
あの時、そう、エメロードが声をかけた瞬間に、この戦争に参加した者の運命は2つに分かれたのだろう。
茫然としてその光景を見る俺に、ミリオーナが抱き着いてきた。俺はカタカタと震えるミリオーナの肩を抱いてやった。
「あの様子じゃ、アアウィオルに恨みを抱く奴は大勢いそうだぜ?」
「そこが辛いところですね。むしろ、女王陛下の御恩情を理解できなかった者を生かして追い返したところで、賊になって自分の国を荒らすのは目に見えているのですが。おそらくはゾルバ帝国の方々は理解できないでしょう」
メイドの言う通り、逃亡兵の行動は大体がひでえ。
下手に数が多いから逃げた先にある村々を襲うんだ。
そうして、そのまま野盗に身を落とすか、何食わぬ顔で故郷に帰る。
とにかく、ろくなことにはならんわけだ。
俺が肩をすくめていると、メイドが戦場を見て言った。
「あらかた終わったようですね。あなたをあちらの方々に合流させますのでついてきてください」
1刻〈※30分〉くらいだろうか、いや、半刻(※15分)ほどかもしれない。どちらにせよ、あまりに早い決着だった。
メイドに案内されて林から出る。
忙しいはずなのに俺たちを案内するということは、このメイドが俺たちの命を繋ぎとめているのだろう。この女がいなければきっと俺たちは即座に殺されるはずだ。
ミリオーナは足腰が立たないようなので、俺がおぶってやった。
すぐに林の中からはわからなかった戦場の全景が目に飛び込んできた。
そこら中が死体の山だ。
夏草が血に染まり、真っ赤な平原を作っている。
遥か遠くには司令部の跡が確認できる。
ゾルバ帝国の旗が虚しく風にそよぎ、それを掲げる主の姿はなく、代わりにアアウィオルの騎士たちが立っていた。あの様子じゃあ総指揮官も無事ではないな。
「お、おぇえええ」
ミリオーナが吐いた。
おぶっているので、俺はゲロまみれだ。
「小便したりゲロ吐いたり、忙しいやつだな」
「ご、ごめん。団長。ごめん……ごめん……」
何に対してのごめんなのかは知らんが、ミリオーナはすっかりしょげてしまっている。
こいつはもう戦いは無理だろうな。このまま生き残れるのなら、料理係でもやらせるか。
「まあお互い生きてるし、良しとしよう」
「うん……」
正直、小便もゲロも傭兵だし慣れっこだ。
他人の内臓を体に巻き付けて死んだふりをするなんてことだって、傭兵にはあるのだから。まあ、天才の俺はやったことないけど。
そんなゾルバ帝国軍からアアウィオル王国軍側へ視線を移す。
そっちは綺麗なものだ。
アアウィオル王国側には戦争見物人の高見台が作られていたのだが、そこにいる偉そうな連中が椅子から立ち上がって茫然としているのが印象的だった。
遠目でわからんが、あれは他国の貴族か?
アルテナ聖国とアアウィオルの関係から考えて、脅しのために連れてこられたと言ったところだろうか。
エメロードはそんな連中には対応せず、陣地に佇んで戦場を見つめていた。
神に選ばれたのか、悪魔に選ばれたのか。
どちらにせよ、今後、あの女が世界の中心になるのは間違いないだろう。
俺は戦場から視線を移し、気になっていたことをメイドに尋ねた。
「教えてほしい。進軍中にいなくなったガキがちらほらいた。あれはあんたらか?」
先ほどの女騎士との会話から、進軍中にはすでにゾルバ帝国軍の中に隠密が紛れていたのはわかった。だから、もしかしてと思ったのだ。
「はい。ゾルバ帝国の男は躾がなっていませんからね。敵国の兵なのに大勢保護することになってしまいました」
「そりゃどっちが敵でどっちが味方かわからねえな」
「それもまた女王陛下のご慈悲です」
あ、危なかった。
なけなしの良心でガキ共を助けてきたが、それが俺を救ったということか。
「「「だ、団長!」」」
移動させられていた仲間たちの下へ到着すると、団員たちが迎えてくれた。
幹部たちはむさくるしい野郎ばかりなので、下ろそうとしていたミリオーナをもうちょっとおんぶしておくことにした。せめて背中だけには癒しが欲しかった。
「全員揃ってるか?」
「ああ。団長のおかげで誰も死んでねえ」
俺の質問に、ゴロンゾが答えた。
「そうか」
俺の団員や雇ったガキ共だけでなく、ほかにも2、3万人はいそうだ。
農民、等級民がかなり多いが、中には傭兵や騎士もいるしアルテナ聖国の神官もいる。なんと若い貴族の姿もあった。
その全員が真っ青な顔だ。ズボンを濡らしている奴も多い。そこら中にゲロが落っこちてるし、ひでえ匂いだ。
「それよりも団長ですぜ! 生きてて良かった!」
「だな。死ぬ予感は気のせいだったらしいわ」
「んなわけありますかい! そのおかげで俺たちは死なずに済んだんですぜ?」
「つーことは、やっぱり殺されずに済みそうなのか?」
「聞いてないんで?」
エメロードの話を聞いて降伏した奴は現状では生きている。
しかし、そのあとに本当に生かしてもらえるのかを俺は知らなかった。
「ああ。戦争奴隷か?」
「いんや、帰りたい奴は帰っていいそうです。食料も持たせてくれるって話ですぜ」
「そいつはまた至れり尽くせりだな」
「まったくでさぁ。それにしても団長。ひでぇ格好ですね」
「こいつは味方からやられたんだよ。ったく、ひでぇもんだろ?」
俺がそう言うと、おぶったミリオーナが恥ずかしそうに体をゴシゴシこすりつけてきた。
「まあ血みどろになるよか良いだろう」
「ちげぇねえや。それでこれからどうしやすか?」
「アアウィオルへ入る。傭兵は辞めだ」
俺の言葉に団員たちは少なからず驚いた様子だが、俺の背後に広がる光景を見ては頷かざるを得ない様子だった。
これからの戦場はこれまで以上に危険度が増す。
アアウィオルが介入した戦争では、再びこの惨劇が起こる可能性があるからだ。
今回はエメロードの慈悲で生き残ったが、次回はないかもしれない。
ならばアアウィオルで傭兵をやればいいように思えるが、こんな強い軍に傭兵などいらんだろう。
それなら、このままアアウィオルで冒険者をするくらいしか手がない。魔物の討伐は騎士たちがやっちまうかもしれないが、冒険者の仕事はそれだけじゃないからな。
「やっぱりそうなりやすか?」
「ああ。今日で戦場の風は解散だ。アアウィオルのギルドで金を下ろしたら退職金の分配をする。そのつもりでいろ」
こうして傭兵団・戦場の風は解散することになった。
そして、それは冒険者クラン・戦場の風の発足でもあった。
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、感想、大変励みになっております。
誤字報告も助かっています、ありがとうございます。




