2-33 オリビア 生の分岐点
本日もよろしくお願いします。
あたしの名前はオリビア。
帝国3等民の女。
生まれた時からその階級はあたしを縛り、そして、今日、あたしはこの階級によって死ぬことになる。
空は信じられないほど綺麗な青だった。
これから戦争が始まるなんて思えないほど綺麗な空だ。
そんな空の下、夏草が茂る平原の先には、アアウィオル王国の軍隊が陣を敷いていた。
その数はゾルバ帝国軍よりもずっとずっと少ない。
あたしは数字がよくわからないけど、誰かが2千人くらいだって言ってる。
でも、その全員が鎧を着ている兵士でとても強そうだった。遠くてよくわからないけど、騎士なのかな。
特徴的なのは、少し高い場所に席が用意されていて、そこに明らかに身なりが良い人たちが何人か座っていたことだろうか。誰かが見学することなんてあるのかな?
対するゾルバ帝国軍は、多くの領地から兵士や傭兵が集まっており、5万人はいるってアカナさんが言っていた。飛竜だっている。
この軍勢で、本腰を入れてアアウィオル王国の領地を切り取るんだって。
相手の兵の数を見て、ゾルバ帝国軍のあちこちで大きな笑いが起こった。
数があまりに違いすぎるもん、無理はないかも。
でも、あたしたちは笑えない。
だって、一番に突っ込むのはあたしたちで、あれだけの数がいれば助かりっこない。
あたしたちの前には最前線を指揮する馬に乗った隊長がいた。
その人が驚愕の声を上げた。
「アアウィオル王家の旗だ! ま、ま、まさか! 女狐エメロードか!?」
その叫びは陣を伝播して、ギラギラとした欲望が膨れ上がっていくのを感じた。
エメロードってたしかアアウィオルの女王の名前だ。
戦争のことはよくわからないけど、女王が戦場に来るのは凄く珍しいんじゃないかと思う。
そんな女王を捕えれば褒美が凄いから、みんなギラギラしているのだと思う。
あたしも目を凝らして見てみるけど、遠過ぎて誰が誰だかわからない。
女王って言うくらいだから女の人だと思うけど、アアウィオル軍には女の人がたくさんいるようだったから。
本当に女の人が活躍する国なんだ。
帝国とは……あたしとは違うんだ……。
あたしは、自分が着ているボロボロの服と震えた手で握っている粗末な槍を見て、やるせなくなった。
ホント、どうしてこんなに違うんだろうね……。
物心ついた頃から、階級が上の人たちと自分の生活の差を悲しく思って来た。
それをどうにかしたくて戦場に来て、死ぬ少し前のこの時にも、また他の人との人生の差に悲しさが込み上げてくる。
あたしの人生は、最初から最後までずっとずっとこんな想いに溢れていた。
ゾルバ帝国軍から騎乗した貴族様が前に進み出た。
話に聞く戦争前の口上というものだろう。
「恐れ多くもアルテナ聖国より神宝を盗んだ大罪人どもよ! 聞くがよい! 我らは正義の軍勢なり! これより行なわれるのは戦争ではない! 神敵を滅する聖戦であーるっ!」
「「「「うぉおおおおおおおおおお!」」」」
その口上を聞いたゾルバ帝国軍から大きな歓声が上がった。
あたしの背中を押すほどの凄い声だ。
騎乗した貴族様が戻ると、今度はアアウィオル王国軍から3人が馬で進み出た。
鎧を着た人と軽装の人、そして、輝くような緑色の髪をした女の人だ。
その女の人を見て、あたしはその人がエメロード女王だってなんとなくわかった。
エメロード女王は2人よりも少しだけ前に出て、言った。
それはとても不思議な声だった。
先ほどの貴族様と違い、声を張り上げていないのに、はっきりとあたしの耳に届くの。
それは他の子も同じようで、あたしと同じように周りを見回している。
『ゾルバ帝国の兵らよ。妾の名はエメロード・アアウィオル。アアウィオル王国第15代女王だ。妾はこれから汝らに問う。汝らの命運を分ける人生で最も重要な問いかけだ。ゾルバ帝国の者も、アルテナ聖国から送られてきた者も、心して聞くがよい』
と、問う?
あたしは困惑した。
ゾルバ帝国の口上と全然違うんだもん。
『まず、アルテナ聖国の神官たちよ。汝らはなにをしにここへ来た。創造神様の正義はこの場にないぞ。この戦争は教皇たちの懐を潤す大規模な奴隷狩りだ。信じるか信じないかは汝らの自由だが、これより妾たちに刃を向けるのならば、汝らが我らと同じ敬虔な神の僕であろうと、本来は善良な者であろうと、一切の容赦はせん。二度と神に祈れぬと心得よ』
静かにそう語られると、戦場のどこかで誰かが叫んだ。
「神の名を汚す大罪人が!」
「神敵を滅せよ!」
「「「神敵を滅せよ!」」」
憎悪に似たその声に、あたしの手がカタカタと震え始めた。
ううん、ずっと前から震えていた手が堪えられないほどになってきたんだ。
その憎悪の声になにも怯えを見せず、エメロード女王は続けた。
『ゾルバ帝国の兵らよ。これから先は死出の道だ。妾は捕虜は取らん。皆殺しにする。だが、まずは汝らに慈悲を与えようと思う』
これだけの戦力差を前にしてなお堂々とした物言いに、得体のしれない恐怖が込み上げてくる。
『この中で、本当はこの戦争に参加したくない。無理やり連れてこられた。人を殺したくない。武功なんていらないから家に帰りたい。そう思う者は手を上げるがよい。大切な者の顔を思い浮かべ、この戦場に幸せが落ちているかよく考えよ』
エメロード女王がそう言い終えると、ゾルバ帝国軍で大きな笑いが起こった。
「ぼくちん、人なんか殺したくないでちゅー!」
「ぎゃはははははっ! てめえの首こそ俺様の幸せだぞー!」
あたしの後方で囃し立てたのは、傭兵……なのかな?
それとも普通の生活をしている人なのかな?
そこら中で笑いと罵声が上がり、遠くでは神官たちの憎しみの声が上がっていた。
これが戦争。殺し合い。狂気が渦巻いている。
なんて恐ろしいんだろう。
怖い……怖いよ……っ。
気づいたらあたしは泣いていて、槍を落として手を上げていた。
『あー。周りの者が恐ろしくて手を上げられない者は、心の中で戦いたくないと強く強く思うがよい』
戦いたくない……っ!
貧しくたっていい……っ!
弟と妹の下へ帰りたいよ……っ!
「ぶははははっ、3等民共が戦意喪失してやがる! すげぇ作戦だぜ!」
「だからガキや女は使いもんにならねえんだ。誰だよ、女を軍に組み込むようにしたのは。ったく、しょうもねえ」
そんな言葉を背に浴びせられたあたしたちに、今度は前にいる隊長が怒鳴りつけてきた。
「槍を拾わんかぁーっ!」
その声に、周りの子は泣きながらも落とした武器を拾い上げた。
でも、竦みあがったあたしは、尻餅をついてしまった。だってあたしのすぐ前で叫ぶんだもの。
そんなあたしを馬上の隊長が睨みつける。
隊長が憤怒の形相を作り、手にする槍を引き絞った。
それはきっと見せしめ。
あたしは敵に殺されるどころか、同じ軍の人に殺されるんだ!
「……っ」
あまりの恐怖に悲鳴も出ずに、あたしはギュッと目を瞑った。
でも、いつまで経っても痛みはやってこなかった。
それどころか、覚えのある香りと温もりが体を包んでいる。
そっと目を開けると、そこにはアカナさんがいた。
「あ、アカナさん……っ!」
あたしを片手で抱いたアカナさんは、もう片手で隊長の槍を掴んでいた。
「き、貴様! ふん! ぬっ! ふん!」
隊長が槍を引こうとするけど、アカナさんはびくともしない。
「離さんかこのアバズレが!」
「やかましいわ、ゴミクズが!」
怒れる隊長にアカナさんが怒声を浴びせる。その言葉に隊長の顔色がこれ以上ないほどの怒りに燃え上がった。
と、その時、またエメロード女王の声が耳に届いた。
『時間切れだ。これ以降の降伏は受け付けん。人の皮を被った獣共よ、己の愚かさを悔いて死ね』
その声が聞こえた瞬間、空に戦場を覆いつくしてしまうほど大きな魔法陣が現れ、大地が光り輝いた。
「な、なんだ!?」
「強襲だ! マジックバリアを張れ!」
「こんな大規模な魔法見たことないぞ!?」
そんな声が周りで上がる中、あたしのすぐ隣にいた男の子が光りに包まれて消えていった。それは配られた武具に文句を言って、歯がほとんど無くなるほど殴られた男の子だった。
ううん、その子だけじゃない。
最前線にいた3等民の人や、徴兵された農民の人、少しばかりの傭兵たちが一斉に光に包まれている。最前線以外のことはあたしにはわからなかった。
「オリビアが消えない!? ちぃ、あたしのせいか!?」
「ひ、ひぅ……っ!」
周りの騒ぎとアカナさんの焦った声に、あたしの口から思わず小さな悲鳴が上がった。
「オリビア、少し付き合ってもらうわよ! 死にたくなかったらあたしの首に掴まって!」
アカナさんはそう言って、あたしの体を強く抱きしめた。
「……っ!」
何が起こっているのかわからなくて混乱するあたしだったけど、アカナの言う通りに首に手を回してしがみついた。
「「「うぉおおおおおおおおお!」」」
その時、アアウィオル王国の陣地から凄まじい鬨の声が聞こえた。
その声を聞いた瞬間、体の芯から恐怖が込み上げてきた。それはあたしだけじゃないようで、最前線にいた傭兵たちが一斉に尻餅をついた。
今までアカナさんに槍を掴まれていた隊長も馬から転げ落ち、馬は戦場から一目散に逃げていく。
「さあ、始めるわよ! 殺陣!」
アカナさんがそう叫ぶ。
すると、あたしの後ろで尻餅をついていた数十人の傭兵たちの体が一斉にバラバラになってしまった。
「目を瞑ってなさい!」
アカナさんはそう言いながら体の向きを変えて、あたしの顔を別の方へ向けさせた。
あたしの視線の先には、胴体が真っ二つになった隊長の姿があった。
「あ、え、あ、あ……ぁ」
「ひぅ……っ!」
隊長が恐怖に塗れた顔で自分の内臓をかき集めながら死んでいく光景に、あたしは目をギュッと瞑った。
瞑った瞼の先で、凄まじい爆発音と人々の断末魔の声が聞こえ始めた。
怖くて怖くて、ずっと目を瞑っていると、ふいにアカナさんがあたしを地面に降ろした。
そっと目を開けると、そこは先ほどいた最前線ではなくて、戦場の左手へ少し離れた場所だった。
とてもじゃないけどこんなにすぐたどり着く場所じゃない。もしかしたら、あたしは少し気を失っていたのかもしれない。
すぐ近くには大勢の人が集まっていた。
ゾルバ帝国の人だとわかるけど、見覚えのある顔を発見して、それが先ほど光に包まれて消えてしまった人たちだとわかった。
彼らの前には、アアウィオルの騎士の人が数十人立っていた。
そのうちの一人の女性騎士に、アカナさんが言う。
「手違いで転移されなかった子です。おそらく私が抱えていたために反応しなかったのだと推測します」
アカナさんの口調はいつもと全然違うものだった。
戦場への恐怖とアカナさんが遠くへ行っちゃったような悲しさが混ざり合って、あたしはもうワケがわからなくなって、何故だか情けない笑みを浮かべてアカナさんの顔を見上げていた。
「わかりました。保護します。君、こっちへ」
女性騎士はあたしの腕を引く。
白銀の鎧を纏ったとても綺麗な人だった。
「あ、アカナさん!」
あたしが手を伸ばすと、アカナさんは引き返してあたしの頭を撫でてくれた。
「オリビア。お前と会うことはもうないだろう」
「……っ」
いくら馬鹿なあたしだってわかる。
アカナさんはアアウィオルの人だ。
ゾルバ帝国のあたしとは敵同士だから……あたしはきっとこれから殺されちゃうから。だからもう会えないんだ。
でも、あたしが殺されるというのは勘違いだった。
アカナさんは続ける。
「これからお前の人生は必ず良くなる。そんな張り付いたような笑みではなく、心から笑える日が来るだろう。オリビア、暗い中で生まれたお前でも光の道を歩いていいんだ」
アカナさんの言葉を聞いたあたしの心に、これまでの人生が駆け抜けていった。
それは暗い路地裏を彷徨いながら、いつでも光に溢れる大通りに憧れるような人生だった。
「達者で暮らせよ」
アカナさんはそう言うと、あたしから離れた。
戦場へ向けて歩いたアカナさんがクルンと回った。
すると、そこには冒険者姿だったアカナさんはもうおらず、メイド服を着た、輝くように綺麗な髪の女の人の後ろ姿があった。
「お、俺たちも助けてくれ!」
「降伏する! 降伏する!」
「そこのメイド! 私は貴族だ! 捕虜としての厚遇を要求する!」
アカナさんが進む先で、ゾルバ帝国の人たちが走ってやってきていた。
その時になって初めて、あたしは戦場が大変なことになっていることに気づいた。
アアウィオルの騎士たちが剣を一振りしただけで、10人以上の人が死ぬ。
空には飛竜の姿などもはやなく、代わりに空を飛ぶアアウィオルの騎士たちが魔法を放って兵士たちを殺戮していた。
ゾルバ帝国軍はもう戦う気力なんてなくて、悲鳴をあげて逃げまどい、そして死んでいった。
それはまさに地獄のような光景だった。
そんな場所から逃げてきた兵士たちに向けて、アカナさんが手を軽く振るった。
その瞬間、その兵士たちは貴族も等級民も傭兵も関係なく、バラバラになって死んでしまった。
アカナさんはそれを終えると、凄まじい速さで走り出し、こちらに向かって逃げてきていた兵士たちを皆殺しにしてしまった。
「あ、アカナさん……」
その光景に茫然とするあたしは、気づけば地面に両膝をついていた。
あたしはあの戦場にいたんだ……。
なにかが少し違えば、あたしはあそこに転がっている人と同じように死んでいた。
あたしを助けたのは何だったのだろう。
優しさ?
違う。
しっかりとした防具を貸してもらえていたら。
2等民になれそうだったら。
きっとあたしはアアウィオルの騎士たちと戦おうと思ったはずだ。
あたしはなんて自分勝手なのだろう。
綺麗な心があたしを助けたわけじゃない。
臆病さがあたしを助けたんだ。
そう思うと、拾ったこの命がとても醜いもののように思えたんだ。
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