2-30 ステリーナ・ザライ 戦争の足音とリゾート村が封鎖された日
本日もよろしくお願いします。
わたくしの名前はステリーナ・ザライと申します。
アアウィオル王国の北部をまとめるザライ家の長女ですの。
学園島での日々はとても早く過ぎていきます。
貴族たちが集った転移門開通式典がつい最近のことのようですが、わたくしが学園島に来て、もう4カ月が過ぎてしまいましたわ。
いつ頃からか始まった朝風呂の習慣はまだ続けていて、今日もバルサさんと一緒に入っています。
語らう日もあればまったりとしている日もあり、総合的に見れば、まあなんだかんだ良い朝なのでしょう。
「やはり戦闘クラスだと体が引き締まりますわね」
わたくしは湯船の縁に乗せたバルサさんの濡れた腕を見ながら、ぶどうジュースをチビりと飲みます。
バルサさんは腕を伸ばして、ギュッと拳を握ります。それに連動して、しなやかな筋肉が褐色の肌の下で躍動します。
「あれだけ狂った訓練をしてるんだから、このくらいの筋肉がついてもらわなくちゃ困る」
わたくしたちは6カ月のコースで学んでいるのですが、前半の3カ月は貴族総合の授業を、後半の3カ月は選択コースに進みます。
その選択で、バルサさんは戦闘コースを選んだのです。
噂に聞くドラゴンコースとは違うそうですが、相当に厳しいらしいです。このコースでも第一次成長限界を超えられるという話ですね。
そんなコースで学ぶバルサさんは辺境伯家の後継ぎではないので、騎士になるのだと思います。
「そういうステリーナだって良い魔力じゃないか」
「この学園では魔力の鍛錬は必須ですもの」
わたくしは貴族総合上級コースに進みました。確定ではありませんが、ザライ侯爵家の後継ぎですからね。
ちなみに、貴族総合上級は、貴族として必要な様々な能力をより高度に開発するコースです。
魔力鍛錬はどのコースでも必須で、おかげでわたくしの魔力量や操作力は日々成長し続けています。
わたくしは風呂の縁に肘を乗せて湯船の中へ垂らした手のひらから、魔力の手を出しました。湯船の中で見えない魔力の手がバルサさんの方へ伸びていきます。
「ひきゅん!?」
悲鳴を上げたのはわたくしでした。
わたくしが悪戯しようと思ったのに!
目の前ではバルサさんがニヤニヤした目をしながら、口元でコップを傾けています。
「戦闘コースで魔力探知ができないやつはいないよ」
ぬぅ、バレバレだったようですわ!
わたくしの魔力の手も、気づけば散らされてしまっています。
「結界師は可能な限り多めに育てておけよ。この学園で手に入れた力を使うのが味方だけとは限らないからね」
そう言って、バルサさんがコップをこちらに差し出してきました。
「わかってますわよ。授業で何度も聞かされてますもの」
わたくしは自分のコップからバルサさんのコップへぶどうジュースを半分くらい分けてあげます。最初は貴族として下品だと思っていましたが、大魔境に入るバルサさんに合わせていると、すっかりこういう行為に慣れてしまいました。
わたくしの飲みかけのぶどうジュースをバルサさんは何も気にせず口にすると、話を変えました。
「ステリーナとこうして風呂に入るのも、あと2か月くらいか」
「せいせいしますわ」
「寂しいくせに。そうやって悪戯する相手もこれからはいなくなるんだぜ?」
「ふん」
指摘されて、わたくしはバルサさんの足の指を無意識に手で弄っていたことに気づきました。人の足を触るなんて汚いと思っていましたが、これもまた慣れてしまいました。
でも、指摘されて顔が赤くなるのがわかります。
バルサさんのくせに生意気ですわ!
バルサさんは、そんなわたくしの顔を真剣な顔で見つめていました。
わたくしは眉をしかめて睨み返しますが、バルサさんの口から出たのは笑いではなく、表情と同じで真剣な声でした。
「ステリーナ。戦争が始まる」
「え、ええ。それはもう覚悟してますわよ」
もう2カ月近く前からチラホラと情報が出始めていましたからね。今ではリゾート村で知らない人はいないでしょう。
バルサさんは続けます。
「私も戦争に行くよ」
「え?」
その言葉を聞いて、わたくしの手からコップが落ちました。
木のコップは湯船に落ちて、中に入っていたぶどうジュースがお湯を紫色に染めます。でも、わたくしはそれどころではありません。
「で、でも、今回の出兵は騎士だけですわ。一般兵すら出ないのに、バルサさんがなぜ」
「親父が今回の戦いがアアウィオルで最後の戦争になるだろうと言っていた。本当かどうか知らないけどな」
「それはわたくしもお父様から聞きましたわ。希望的観測に思えますが、たしかにお父様の代では起こらないかもしれませんわね」
バルサさんは頷き、続けた。
「これが最後の戦争ならそれでいいんだ。でも、そうじゃなかったら? 親父たちがみんな死んじまって、私たちの代になった時に起こったら? だからさ、もしものために戦争がどういうものなのか見ておきたいんだ」
「バルサさん……」
「はは、なに感動してんだよ。そんな大層なもんじゃないんだ。ステリーナ。私はさ、貴族だが跡取りじゃない。でも、貴族として武器を持って、民のために一生戦い続けるだろう。私はバカだから、それくらいしかできないからね」
ああ、この子は本物の高貴な魂を持っているのですわね。
わたくしは、バカだと自分を卑下する友人の苦笑いを見て、そう思いました。
それに比べてわたくしはどうでしょうか。
リゾート村がある以上は負けようがありませんし、戦後処理は父たちがやってしまうので、この戦争に対する認識は「情勢が変わるので学ぶことが増えてしまいますわね」という程度のものでした。
父たちは戦争を知っていますが、わたくしは知りません。
そんなわたくしが侯爵家を継いで、正しい判断を下せるでしょうか?
「わたくしも行きますわ」
わたくしがそう言うと、バルサさんはお湯から上がって湯船の縁に座りました。バルサさんは、顔を見上げるわたくしの濡れた髪を弄ります。
「ステリーナがそう決断したのなら止めはしないよ。お前だって貴族だしな。でも、戦場には出ちゃダメだ。ステリーナの実力じゃ万が一がある」
「……わかりましたわ」
他の騎士たちと比べると全然大した訓練をしていないわたくしでは、周りに迷惑がかかるでしょう。それは下手をすれば他者を死なせます。それがわかってしまうので、わたくしは素直に頷きました。
でも、なんだか悔しいので、目の前にあるバルサさんの太ももを引っ叩いておきましたわ。
それから日々は過ぎ、ゾルバ帝国軍の行軍の様子が『号外』という新聞で伝えられるほどに、戦争が近づいてきたある週のことです。
時は夏。
わたくしたちは、リゾート村から一時的に出ていくことになりました。
これは学園島で学ぶ人も、リゾート村で宿泊する人も、貴族も平民も王族ですら関係なく、全員が転移門を潜ってアアウィオルに帰ってきたのです。
神休みの日。
なんでも、リゾート村がその日に立ち入り禁止になることは最初から決められていたようで、わたくしたちにも1カ月ほど前から告知を受けていました。
期間は4日間。
神休みの日は実際には2日ですが、その前後1日ずつも立ち入り禁止で、観光客についてはさらに数日前から入場制限をかけていたようですわね。
とにかく、非常に多くの人が王都近辺に放逐された形です。
学園では生徒に少額ですが定期的にお小遣いを配給しているので、それを貯めていれば4日くらいどうにでもなるでしょう。まあ、お金がなくとも夏場なので死にはしないでしょうが。
久しぶりに訪れた王都は、今まで以上に活気に溢れていました。
普通、戦争が近いともう少し悲壮感が漂ったりしそうなものですが、全然そんなことはありません。
そこに学園島の学生たちがお小遣いを持って大量にやってきたものだから、ちょっとしたお祭りのようになっています。
「神休みの日はなんてことのない日ですが、これからは祭りの日に変わるかもしれませんわね」
馬車の中から活気ある大通りの喧騒を聞いて、一緒に乗るバルサさんに言います。
神休みの日は、神聖教会などではお供え物などをして神事が行なわれますが、普通の貴族や平民からすれば、本当に普通の日ですの。まあ貴族はそのお供え物のために寄付金を出しますので、多少は意識しますが。
「神休みの日は大人しくしているのが一番だけどな。大魔境の方じゃ、みんな酒場で酒飲んでるよ」
神様がお休みの日なのでその愛が受けられないと言って、ゲン担ぎをする人だとほとんど家から出ない場合もあります。辺境が故郷のバルサさんはそのタイプのようですわね。
というわけで、わたくしたちは王都にある別邸で過ごしました。
4日間あったので、2日ずつに分けてお互いの屋敷にお泊まりです。
まずはわたくしの屋敷に来たのですが。
「おいおい、お前んちすげぇな」
バルサさんがお屋敷を見てびっくりしています。
その隣ではわたくしもびっくりですの!
今までのお屋敷の窓は透明度の低いガラスが使われていたのですが、なんと、それらが全て綺麗なガラス窓に変わってましたのよ! そのおかげか屋敷の中はとても明るくなっています。
さらに渡り廊下で繋がった大きな建物が建てられ、ほかにもトイレがリゾート村と同じタイプのものに変わっていたりします。
「コール。ずいぶんとお屋敷が様変わりしましたわね」
屋敷に入り、別邸を取りしきる執事長のコールに問います。
「はい。旦那様が、修行を終えた職人たちへ一番に仕事をお与えになりました」
「いいことですわね」
貴族が職人に仕事を振るのは、義務みたいなものです。
そうすれば、その職人たちには箔がつきますし、その仕事に携わった多くの職人は経済面でもかなり楽になるでしょうから。
「あの建物はなんですの?」
「あちらはリラクゼーション用の建物になります」
「リラクゼーション? なにがあるのかしら?」
「大浴場にプール——」
お父様が思いのほかプールが好きだった件。
北方で生まれ育った方ですし、ああいう遊びにハマりやすいのかもしれませんわね。
コールの説明は続きます。
「奥様用の書斎、そしてエステルームです」
「え、エステ!? ハッ! そうですわ、コレットたちが帰ってきているんですのね!?」
「はい」
コレットたちメイド3人娘は、早いうちから学園島へ美容について学ばせるために送り込んでいました。もう5カ月も前なので修行が終わっているのは知っていましたが、失念していましたわ!
「道理でメイドたちが綺麗なわけだな」
バルサさんが納得したように言いました。
たしかにメイドたちは揃ってピカピカです。リゾート村で磨いたのかと思っていましたが、コレットたちが原因のようですわね。
「旦那様のご温情で、メイドたちも浴場とエステを使わせていただいております。おかげで、当家のメイドたちは王都で大変な評判になっております」
……美容メイドは3人だけなのですが、大丈夫でしょうか?
3人ともがこの王都別邸にいるはずもないですし、こちらにいるのはおそらく1人。仕事量がえげつなさそうですわね。
お父様のことですから、おそらく新しい美容メイドを学ばせに行かせていると思いますが、一応確認の手紙を送っておきましょう。
というわけで、わたくしとバルサさんは離れでリラクゼーションを楽しむことにしました。
離れに勤めていた美容メイドはやはりコレット1人で、基本的に美容関連以外のあらゆる業務が免除されているそうです。
雇い主の娘に労働への不満などは言えないでしょうから確かなことはわかりませんが、給金は跳ね上がり、メイドたちからも崇拝され、「最高ですぅ!」とは本人の言です。
「私なんてまだまだ修行の身です。師匠が本気を出したら触っただけで絶ちょ……天国に連れていかれてしまいます」
絶ちょ? 言い換えた言葉が天国ですし、気持ち良いということでしょう。
コレットはそう言いますが、その施術は見事なものです。
本人が言うように、さすがにリゾート村にいる凄腕エステティシャンたちにはまだ及びませんが、エステを受ける前と後では、体の軽さも肌のはりも全然違います。
技術を学び、人生をより良いものにできたのは喜ばしいことです。頑張ってくださいね。
3日目からはジラート辺境伯の王都別邸に泊まります。バルサさんの実家の別邸ですわね。
「おー、ステリーナ殿、よく来てくれたな!」
予想外なことに、辺境伯本人がいらっしゃいました。
「ジラート様。急な来訪にもかかわらず、ご歓待に感謝いたします」
「はははっ、堅苦しいのはいい。バルサは同年代の女友達が全然できなくてな、できるのは男友達ばかりで困っていたんだ」
ほーん。
男友達が。
「なんだよ、その目は。別に普通の討伐仲間だよ」
「当り前だろう。娘に手を出すようなヤツならぶっ飛ばしているわ」
娘の言葉に、ジラート様がイラついた声で言います。
ジラート様は先のスタンピードから民を守るためにバルサさんを東都に配属したそうですが、基本的には娘が好きなようですわね。私情と貴族としての務めを分けているのでしょう。
そんなジラート様ですが、学園島でドラゴンコースを卒業し、さらに追加の修行で定期的に通っているそうですわね。
戦闘訓練に限らず、追加を望む人は多いみたいです。
あそこで学び、自分の技術力が目まぐるしく上がるのは、人として最高な快感なのかもしれません。
質実剛健な辺境伯ですが、ザライ家と同じように、意外にもリラクゼーション用の建物がありました。
内容はほとんど同じで、アアウィオル貴族の間に大浴場とプールがブームになっている予感です。
水を潤沢に手に入れる魔道具を作れる技師が誕生したので、これもある意味では当然かもしれませんね。
そのおかげか、ここでもメイドたちがキラキラです。
でも、ザライ家のメイドとは違い、辺境伯家のメイドたちは全員がまるで武人のようです。
それらのことを雑談していると、バルサさんが切り出しました。
「そうだ、ちょうどいい。親父、今回の戦、私も出るぞ」
すると、今までにこやかだったジラート様がスッと笑顔を引っ込めました。
余所の家のことですが、握った手の中がじわりと汗ばみます。
「お前が決めたのならば俺がどうこう言うことではない」
反対されるかと思いましたが、意外にもあっさりと許可が出ました。
「反対されるかと思ったぜ」
「お前が戦闘コースに入っていなければ止めただろう。見た限り、その練度ならば死なん。ならば、あとは覚悟の問題だ」
さすが武門の家です。
軽く決定しているように見えますが、日ごろからの覚悟がそうさせるのでしょう。
「しかし、今回の戦いは英雄譚で語られるような煌びやかなものにはならんぞ」
「そんなものが欲しくていくわけじゃない」
「そうか」
それから少し世間話をして、お部屋を辞去することにします。
「それではステリーナ殿、短い間だが楽しんでくれ。おい、部屋にご案内して差し上げろ」
ジラート様がメイドに言いますが、それをバルサさんが止めました。
「あー、ステリーナは私の部屋で寝るからいいよ」
「そうなのか? ずいぶんと仲良しじゃないか」
「別にどうだっていいだろ」
親に言われて恥ずかしいのか、バルサさんは顔を赤くして拗ねます。
毎日一緒にお風呂に入っていると聞いたら、変な勘違いをされてしまうでしょうか?
侯爵の中には、女性でありながら女性ハーレムを作った人がいますし。
夜。
わたくしたちはいつものように一つのベッドで並んで眠りました。
「しまったな。ベッドを新調するのを忘れた」
「わたくしが以前使っていたものとあまり変わりませんわね」
「同じくらいの生活水準だしな」
リゾート村で使っているベッドに慣れてしまったわたくしたちにはちょっと寝にくいベッドで、お互いにもぞもぞしてしまいます。でも、かつてはこれでも最高級だったのです。
「はー、それにしてもアチィ。やっぱりあの寮の温度を保つ技術はヤバいな。自分の屋敷を持ったら絶対に同じ物を導入する」
バルサさんは汗をダラダラと垂らして寝苦しそうです。
「いつもはどうしてたんですの?」
「寝るまでメイドに扇がせてた」
「じゃあ今日も呼べばいいじゃありませんの」
「今日はいい」
「ふーん」
わたくしはバルサさんの汗ばんだ額を袖で拭います。
前は汚く思って朝風呂を始めたきっかけになりましたが、毎日ベッチョベチョにされてきたので、今ではこれもすっかり慣れてしまいました。
「……もう1カ月後にはこうして一緒に寝るのも終わりか」
「そうですわね」
それがとても寂しく思う自分がいます。
バルサさんも同じなのか、汗を拭うわたくしの手を握って、言いました。
「ステリーナ。卒業してもたまには会おうぜ」
「はい。転移門のおかげで半日もあれば会えますからね」
「うん。約束だ」
「はい。バルサさん。約束ですわ」
戦争の足音がすぐ近くまでやってきて、それと時を同じくして、わたくしたちの青春時代も終わりが近づいてきました。
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