2-23 ナンシー 解放された日
本日もよろしくお願いします。
私の名前はナンシーと申します。
ゲロス伯爵のお屋敷でメイドをしています。
お屋敷に来て半年ほど経った冬のこと。
ゲロス様がお屋敷を長期間離れることになりました。
なんでも、王都で行なわれる晩餐会や大きな会議に出席するためだとか。
こういった旅行には新参者のメイドはついていけませんので、私はお留守番です。
その一方で、先輩メイドであり、敬愛するメザーナさんは同行するようでした。
これには私を含めたお留守番のメイド一同、激しく不安です。
ゲロス様はいなくなりますが、敵は兵士や若い執事など他にもいるのです。むしろ、ゲロス様がいなくなったことでハメを外す者が現れてもおかしくありません。
テンションだだ下がりで気もそぞろな状態で仕事をする私たちに、ある日、メザーナさんが言いました。
「私がいない間は、この子があなたたちを守ってくれるから。ちょっとぼんやりしているように見えるけど、私と同じくらいの腕前だから安心してね」
そう紹介されたのは、つい最近来たメイドで『ラン』という少女でした。
美女メイドを揃える気持ち悪い執念を持つゲロス様には珍しく、地味な顔立ちの子です。影が薄く、仕事も普通程度にこなす本当に目立たない子だったのですが、どうやらメザーナさんの知り合いだったらしいです。
メザーナさんに仲間がいること自体驚きでしたが、なんだかまるで上級貴族に仕えるという隠密集団みたいです。
……もしかして、お二人は女王陛下の隠密なのでしょうか? それならば、ゲロス様は案外、すぐに処罰されるかもしれませんね。
やがて出立の日が来ました。
「ハンナ、気をつけてね」
私に良くしてくれている同僚のハンナも旅に同行します。とても綺麗な子です。
「大丈夫よ、メザーナさんが一緒だもの。それよりもアンタの方こそ気をつけてね?」
「うん。お土産よろしくね」
「あはは、暇があればね」
こうして、ゲロス様や使用人たちを乗せた馬車は、王都へ向けて出立していきました。
ゲロス様が旅立ったあとは、私たちが懸念していた通りに、ハメを外す兵士たちが現れました。奴隷を連れ込むという犯罪の片棒を担いでいる人たちだけあって、男性不信になってもおかしくないほど最低な人種です。
でも、メザーナさんが言っていた通り、そういう怖いことが起こると、ランさんが現れて助けてくれるのです。それもメザーナさんに匹敵するほどの魔法の数々で。
ある時、特にメイドたちへ酷いことをする兵士の一人が失踪しました。
後ろ暗いことをしている人たちなので、足抜けはきっと許されていないのでしょう。それはもう大変な騒ぎになっていました。
そんな兵士の失踪の原因を私たちはなんとなく理解していましたが、誰もそれを口にしませんでした。ランさんを裏切り、見放されたら、本当に地獄の扉を開いてしまいますから。
「ランさんはやっぱりメザーナさんのお弟子さんなの?」
「メザーナの? ううん、違う」
ある日の寝る前に、そんな質問をしましたが、どうやら違うらしいです。
じゃあ、同じ師匠を持つ姉妹弟子なのでしょうか?
気になりますが、ランさんはあまりお喋りをするタイプではないので、メザーナさんからお話を聞く以上になにも教えてくれません。
メザーナさんの印象が強すぎてランさんを崇拝する子は現れませんでしたが、みんな、彼女のお仕事をそれとなく手伝ったりして、感謝を表しました。
やがて祝福の月が終わり、新年になりました。
同僚の話では、ゲロス様は毎年、春になるくらいまで王都で暮らすということでした。
私は行ったことがないのですが、やはり王都の暮らしは楽しいのでしょうね。
ところが、年が明け、まだ2月にもなっていないのにゲロス様は帰ってきました。予定が早まるにしても、ずいぶんと早いです。
主が長期間の外出から帰宅するわけで、私たちは全ての業務を止めて、開け放たれた玄関の前に並びました。
まあ、ゲロス様の場合は、どんなに短い外出でも出迎えが10人以下だったらブチギレますが。
やがてやってくる馬車の列。
使用人が乗る馬車や荷物を入れる馬車が並ぶ中、一等豪奢な馬車が門前で止まりました。
執事が開けたドアから出てきたゲロス様は、怒りを隠そうともしないほどに激怒していました。
「「「お帰りなさいませ!」」」
最悪だわ、と満場一致で思いながら、全員で揃って頭を下げます。
そんな私たちの頭の先で、ゲロス様が叫びます。
「風が冷たい!」
ガッと誰かが殴りつけられる音が聞こえます。
うめき声からして、執事でしょう。
「私が帰ってきたのだから風を止めろ! この無能が!」
やべぇ理不尽です。
声が聞こえる範囲にこれだけ頭がおかしい人間がいるのは、恐怖です。
私たちは、震えながら頭を下げ続けました。
「クソがクソが! バカにしおって! 絶対に生かしておくものか!」
何があったのかわかりませんが、相当に怒っています。
誰が怒らせたのかわかりませんが、そのとばっちりを受けるのは私たちなので、本当に迷惑です。
いつまでこの怒りが続くのかな、嫌だな、と。
さすがのメザーナさんたちも突発的な暴力からまでは守ってくれないので、物を投げられたり、殴られることはあるかもしれません。
私は震えながら、暢気にもそう思っていました。
でも、それから始まったのは、その程度のものではなかったのです。
ドスドスと足音を立てる短い脚が私の頭の先で止まり、その瞬間、唐突に私の頭に激痛が走りました。
私の髪の毛がグイッと引っ張られたのです。
「ひゃあああああああ!」
恐怖のあまり悲鳴を上げる私に構わず、ゲロス様は、いいえ、ゲロスは言ったのです。
「誰が声を出していいと言った! おい、こいつを別館に連れていけ!」
ゲロスはそう言うと私を地面に引き倒し、自分は屋敷の中に入っていきます。
別館。
痛みの中でその単語を聞いた瞬間、同僚から聞いた話がぶわりと脳裏に蘇ります。
——別館は違法な奴隷が連れ込まれていた、と。
「立て」
地面に倒れた私は、両側から兵士に掴まれて、引きずられるようにして運ばれました。
私は慌てて助けを呼びます。
「助けて、っっっ! っ!? 助けて、っっっ! っ!?」
でも、この状況をどうにかできる人たちの名前が、どういうわけか、どうしても出てきません。
なんで!?
どうして!?
メザーナさんもランさんも、すぐそこにいるのに!
心の中でその名前を叫んでいるのに、どうしてもその言葉が出てこない!
「助けて! お願い、助けて!」
私の声が聞こえているはずなのに、2人は知らないふりをして立っています。
他のメイドたちはといえば、手を震わせながら、もうその場にいないゲロスに向けて頭を下げ続けています。カチカチと聞こえてくるのは、きっと歯が鳴る音でしょう。
その時になってハッと気づきました。
旅のお供をしたハンナの姿がどこにもないのです。
あの怒りはどこから?
王都からなら十数日はその怒りが誰かに向けられていたのでは?
「た、助けて……っ!」
私の声が、冬の空に無情に消えていきました。
別館には掃除をしなくていい部屋というのがありました。
ドアは木造で倉庫だと言われていた場所です。
しかし、そこは倉庫などではなく、小さな聖堂でした。
「もったいねえなぁ。こんないい女を壊しちまうんだから。俺にくれってんだよ」
「お前、こいつ抱いてねえのか? 俺は1回抱いたぜ」
「は? ずりいな。ていうか、帰ってくるのがはえーよな」
「だな。本当ならあと2か月は毎晩楽しめたってのに」
「チッ。それにしてもすげぇキレ方だったけど、なにがあったんだ?」
「知らねえよ。いつもの癇癪だろ」
そんなことを話していますが、聞いたそばから耳を通り抜けてしまいます。
頭は真っ白で、兵士たちがなにをしているのかもわかりません。
ガコンと音が鳴り、聖堂の壁の一部が動きます。
そこに現れたのは地下へと続く階段でした。
「さっ、メイドちゃん。窓の外を見てごらん。あれがお前の見る最後の空の色だ。あちらには創造神様。きっとあの世でお世話してくれるぜ。お祈りしておけ」
ニヤニヤしながらそう言う兵士の言葉は、とてもではありませんが憐れみから来るものではないでしょう。
男性に対する失望と絶望で声も出ません。
「オラッ、んなことしてねえで早く連れて行こうぜ。ボヤボヤしてたらこっちにも火の粉が飛ぶぞ」
「おっとそうだな。これでも抱いた女だからな。俺は情に厚いから優しくしちまうんだ」
「へいへい。でも俺は抱いてねえから厳しく行くぞ」
そんな話をする兵士に抱えられ、私は階段の下へと運ばれました。
そこは金銀をあしらった豪奢な内装で、高級そうな家具や椅子がある一方、そこら中に用途を想像したくない物が置かれた異様な部屋でした。
恐ろしさでカチカチと歯が鳴り、心が絶望で染まっていきます。
「そういや、新しい奴隷は見つかったのか?」
「この前、執事が闇商人を怒鳴り散らしてたから、たぶん見つかってねえんじゃねえか?」
「奴隷が見つからねえってのもおかしな話だよな。冒険者ギルドのガキ共を攫っちまえばいいだけだし」
「エメロードが王座についてから仕事がやりづらくなってるんじゃねえか。知らんけど」
「少年食いのエメロードか。とっとと暗殺しちまえばいいのにな」
「簡単に暗殺できるなら、ゲロスの旦那だってゾルバ帝国と内通なんてしてねえだろ」
「そりゃそうだ」
「まあ、夏頃にはゾルバ帝国が戦争をおっぱじめるはずだから、この国も終わりだろ」
「そうなりゃ俺も公国王様の近衛か。ワクワクが止まらないねえ」
「俺はこういう部屋を作るつもりだぜ」
兵士たちはそんな恐ろしい話をしながら、手慣れた様子で何かを準備し始めます。
きっと私が聞いていい話ではないのでしょうが、それはつまり絶対に助からないということなのでしょう。
片方の兵士が床と繋がる鎖についた鉄の輪を開き、ゆっくりと私を見ました。
「……っ」
その嗜虐的な瞳に、私は視界がぐにゃりと歪むほど怯えます。
けれど、その時、おかしなことが起こったのです。
「あ? 女はどこにいった?」
まるで私のことが見えていないようなのです。
それは今日までに何度も見てきた光景にとても似ていました。
「え? いや、そこにいるじゃねえか」
「あん? おいおい、これから大変な目に遭うってのに元気いっぱいだな」
兵士たちは、私のいる場所とは違う方向を見てそう言いました。
そこには私とそっくりな女性が怯えた顔で座っています。
「ごめん、怖い想いをさせた」
ふいに、真横からそんな声が掛かりました。
ハッとそちらを見ると、そこにはランさんがいました。
すでにぐしょぐしょだった目元から、さらにぶわりと涙が溢れてきます。
「ら、ランさんっ! ランさん……っ!」
私が縋りつくと、ランさんは優しく抱きしめてくれました。
私たちが当たり前に会話をしているのに、兵士たちは気づきもしません。この光景もまたいつものことでした。
「これから偽物のナンシーは死ぬ。だから、ナンシーはもうここにはいられない」
「はい……」
もうこんなところに居たくありません。
どうかここから連れ去ってください……っ!
そう考えた時に、ふと気づきました。
「ら、ランさん。『偽物のナンシー』は……誰? また濡れたお布団とかぶよぶよな人形ですか?」
「……今回は死体が出る。だから幻術のタネも人でなければならない」
私が恐る恐る尋ねると、ランさんは少し考えた様子を見せてから、私の目の下を親指でなぞりました。
それで私に掛けられていた魔法の一つが解かれたのでしょう、兵士たちが鉄の輪を嵌めている人物の真の姿がわかりました。
「あ、あの人は……」
それは以前に失踪した兵士でした。
彼の顔は土色で、生きているのか死んでいるのかもわかりません。ですが、「やめて! やめて!」と私と同じ声が彼の下から聞こえてきます。
「あのゴブリン返りはもう死んでいる。最後にナンシーたちへ罪を償って消えていく」
「ゴブリン……返り?」
なんだかとても恐ろしい響きです。
こんな場所で聞いたから、そう思うのでしょうか。
ゴブリン返りと呼ばれた兵士が鎖に繋がれて準備が整うとほぼ同時に、ドアが開きました。
やってきたのは、ゲロスと執事です。
「奴隷をそこの牢屋が埋まるまで集めろ。聖国の使者殿を迎える準備をするのだ!」
「ハッ」
「キャサグメぇええええええええええ!」
ゲロスは冷静に指示を送っていたと思っていたら、突然豹変してよくわからない言葉を叫んで駆け出しました。
ですが、木馬の形をした器具に足を取られ、まな板にハムを転がしたように無様に転びます。
なにをしたいのか全然わかりませんが、その奇行が恐ろしくてたまりません。
「行こう。見ていて気持ちの良いものじゃない」
「は、はい……」
ランさんは自分よりも背の高い私をお姫様のように抱えると、堂々とドアを開けて部屋から出ました。
私を連れてきた兵士が、ゲロスから重そうな鉄の棒で殴りつけられる光景を最後に、ドアが音もなく閉まります。
そして、暗い階段を上るのかと思ったその瞬間、私の視界は光の世界に変わりました。
「え?」
ランさんの腕の中で思わず身を硬くした私は、目を白黒させて周りを見回しました。
「こ、ここは? え、ど……え?」
「ここは屋敷から遠く離れた平原」
ランさんが言うように、たしかにそんな光景でした。
もう二度と見られないと告げられた太陽が、青い空の中で笑っています。
安心して気を失っていた……?
それとも魔法……?
ランさんは私を優しく下ろしてくれますが、腰が抜けた私はすぐにその場に座り込んでしまいました。
ランさんはそんな私に厚手のマントをかけ、背中をポンポンと叩いてあやしてくれます。
その優しさに、私の目からまた涙が溢れてきます。
一生分を流したと思うほど泣いています。
それからどれくらい経ったでしょう。
私がやっと落ち着くと、ランさんは言いました。
「ナンシー、聞いて。これからナンシーには2つの人生が開かれる」
「は、はい」
真剣な話だ。私の人生の話だ。
心は弱っていようとも、ちゃんと聞かなくてはなりません。
「1つは、ナンシーが望む国や町へ連れていってあげる。そのあとはナンシーの自由」
私はおずおずと頷きました。
望む国や町と言っても、私はアアウィオルの北部地域の町しか知りません。だから、あまりピンと来なかったのです。
「もう1つは、私たちの主様たちの村で暮らす」
「ら、ランさんの主様の村ですか? メザーナさんもそこの人なんですか?」
「うん。私やメザーナもアアウィオルから遠く離れた国で主様たちに救われた。2年くらい前に」
「い、行きたいです! ランさんとメザーナさんの村へ行きたいです!」
私はランさんに縋りつきました。
もう、こんなに怖い世界にはいたくありませんでした。
「ナンシー。主様たちの村の住民になるには条件がある」
「……条、件?」
「この世への恨みを全て捨て、世界を良くするために働かなければならない。感情や思い出を捨てる必要はないけれど、復讐心だけは抑え込まなければならない」
「それが条件ですか?」
「もう1つある。これからの世界はアアウィオルから順番に良くなっていく。人々はきっと今までよりも自由を謳歌できるようになる。ゲロスの下で働いているメイドたちも自由に笑える日がやってくる」
「そんな日が本当に?」
「うん。でも、主様たちの村の住民になったら、自由を謳歌し始めるのは世界で一番最後になる」
「それは……メザーナさんやランさんのように、隠密として働くということですか?」
「私たちは特殊。みんな、自分に合った方法で世界の礎となる。それができるのなら連れていく」
そう頷いたランさんの瞳には、私にはない人生の深みがありました。
きっと私には想像もつかない人生を送ってきたのでしょう。
話を聞いた私は、もう決めていました。
「私はメイドです。これまで誰かの生活のために働いてきました。寝るのも最後でした。ご奉仕するのが世界に変わるだけです。これまでの人生で抱いてきた怒りや恨みも全部捨てます。だから、連れていってください」
ランさんやメザーナさんたちのような優しい人たちの主様が治める村なら、きっと素晴らしいところに違いないから。少なくとも、ゲロスのところと比べるまでもないでしょう。
そこに行けるのなら、商家の彼のことも、その結婚相手のことも、ゲロスや兵士たちのことも、全部この草原に捨てていけます。
「わかった。じゃあ行こう」
「はい……っ!」
まるで曇り空の道を歩くような私の人生は、この時になってやっと太陽が差したのでした。
読んでくださりありがとうございます。
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