2-22 ナンシー メザーナさん
本日もよろしくお願いします。
私の名前はナンシー。
今日は私の身に起こったことを語ろうと思います。
私は12歳の頃から、とある商家でメイドをしていました。
その商家には私と同じ年ごろの後継ぎ息子がおりまして、2人が15歳になる頃に私たちは恋仲となりました。
自分で言うのもなんですが、私は可愛らしい顔立ちでしたからね。
12歳からの付き合いだった彼のことはよく知っていますので、遊びだったわけではないでしょう。大人の男性がするような器用な愛情表現ではありませんでしたから。
結婚を考えてくれているほど本気だったのかは今となってはわかりませんが、とにかく、この恋こそが、私の人生を不思議なものに変えていくきっかけになったのです。
彼と逢瀬を重ねて1年と少し経った頃、旦那様が急逝しました。
これにより私と恋仲であった彼が商家を継ぐことになったのですが、そのすぐあとに彼の結婚が決まりました。それは残念ながら私ではありませんでした。
新当主がこれから新婚となる家で、私は邪魔でしかありません。
逢瀬はバレていないと思っていたのですが、大人を舐めてはいけないですね。しっかりバレていたんです。
「これから行く商品の受け渡しに同行しろ」
ある日、番頭からそう言われて、私はこの家ともお別れかと悟りました。
商品の受け渡しに同行するメイドはたしかにいますが、それは上級メイドの役目なのです。
果たして、私に待っているのはなんなのか。
ひっそりと殺されてしまうのか、遠くの町に捨てられるのか。
私は少しだけ時間を貰い、メイド部屋に戻りました。
ベッドの下から私物入れの箱を取り出し、その中から髪飾りをそっと摘まみ上げます。
お祭りの夜に、彼が私のために買ってきてくれた髪飾りでした。
私はその髪飾りを手で包み込みます。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
ありったけの想いを込めて、天井裏にぶん投げておきます。
ぺっ!
こんな家、滅びちまえ!
これでよしっ!
こうして私は商家を後にしたのです。
もうすぐ17歳になる夏の出来事でした。
そんな可哀そうな私を待っていたのは信じられない現実でした。
私が連れてこられたのは、悪名高いゲロス伯爵のお屋敷だったのです。
どう贔屓目に考えても最悪です。
お世話になった商家に呪詛を残したことをちょっと後悔し始めていた私ですが、心優しく甘ちゃんな自分をぶん殴りたくなりました。もっと強い呪詛を残しておけば良かったです!
ドクズで有名なゲロス様ですが、お屋敷について即行で手をつけられることはさすがになく、まずは普通にメイド業務が始まりました。
ゲロス伯爵家は、豪華絢爛なお屋敷なのですが、なぜだか背筋が寒くなるような不吉な印象のある建物でした。
巷で囁かれている噂が本当なら、このお屋敷にはそういった怨念が渦巻いているのかもしれません。
そこで働くメイドの多くは私と同じくらいの若さで、美女美少女が揃っていました。言うほど暗い印象はありませんが、たまに陰のある顔をする人たちです。
「アンタも最悪なところに来たね」
お屋敷に来て初めての夜、メイド部屋で、新しく同僚となったメイドが言いました。
「……やっぱりそういうことあるの?」
眠れなくなるから聞きたくありません。
でも、聞かずにはいられません。
「うん。でも、最近はまったくないけどね」
「え?」
そうなんですか?
「男の人は歳を取るとできなくなるって聞くけど、そういう類?」
ゲロス様はたしか40代半ばだったかと思います。
できなくなる年齢はよくわかりませんが、そのくらいなのでしょうか?
「ううん、今も毎晩。でも1年くらい前かな、凄い美人のメイドが来たの。その日から、私たちが呼ばれることはほとんどなくなったんだ」
「え、じゃあその人がいつも……」
それなんて地獄?
遠くからチラッとゲロス様を見たけど、あれはマジでないです。豚とカエルを合体させたような生き物でした。
「会えば全部わかるわ。本当に凄く綺麗で、凄まじい人だから」
「そう……」
そんな美女なのに、なんだか可哀そうです。
私は、今でこそぶっ殺してやりたいと思っていますが、彼と逢瀬を重ねた日々は幸福に包まれていました。それなのに、その人は……。
「ゲロス様には奥方様やお子様はいらっしゃらないのですか?」
「奥方様は邪魔だから殺されたって噂。内緒よ。ご子息は20歳になるのがいるって話だけど、アルテナ聖国に留学に行ってるわ。ご子息も相当ヤバいって話よ。私は会ったことないけどね」
「アルテナ聖国……」
「そ。ゲロス様のお婆様は聖女だからね。ホント、しょうもない」
そう言った同僚は、いろいろなことを諦めている顔で笑いました。
私は政治に疎いですが、極悪非道で有名なゲロス様が処罰されない理由くらいは知っています。聖女の孫なので、手を出すとアルテナ聖国が出てくるのです。
だから、ゲロス様はやりたい放題なわけです。
やっぱりとんでもないところに来てしまいました。
辞めることって……できるわけありませんよね。辞められるのなら、みんなとっくに辞めているはずですし。
同僚が言っていた女性と初めて会ったのは、お屋敷に来てから1か月ほどたった日でした。
仕事にも慣れ、給仕を初めて任された私は、ついにゲロス様に目をつけられてしまったのです。
「こんなメイドはおったか?」
「この者はひと月ほど前に入ったメイドになります」
「ほう、そうか。ふむ、良かろう。久しぶりに私がメイドとしての躾をしてやるとしよう。4刻(※2時間)ほどしたら寝室へ来るように」
絶望しました。
聞いていた話と違います。
震える私は、その後どうやってメイド部屋に帰ったかわかりません。
ポロポロと涙が溢れる私に、メイドたちが言いました。
「いーい、ナンシー。アンタがこれから見聞きすることは、絶対に誰にも言ってはダメよ」
「そ、そんなにひどいことが起こるの?」
「違うわ。アンタはこれからメザーナさんに会うの。その人がやることを絶対に誰にも言ってはダメ。執事長とか、警備の男とか。いーい?」
わ、わからない。
なにもわからない。
絶望に暮れながら、私はゲロス様の寝室の前までやってきました。
警備に立つ兵士が私の顔をニヤニヤと覗き込み、ドアを開きました。
そこからはゲロス様の下品な笑い声と女性の喘ぎ声が聞こえてきました。
これをこの家にいる人々が見て見ぬふりしていることに思わず嘔吐しそうになりますが、それをしてしまえば殺されるかもしれません。
ドアがパタンと閉まりました。
ベッドの上には、全裸の豚と美女が絡み合っていました。
それは豚が触っていいような美女ではなく、その光景が、なぜだか自分への憐れみよりも悲しく思えました。
思わず涙が溢れ、顔を背けます。
すると、涙で歪んだ視界の中に、1人の人物が映り込みました。
足を組んで椅子に座り、キセルを吸っているメイドです。
ただのメイドではありません。輝くほどに美人なメイドでした。
そして、それは今まさに豚に抱かれているメイド本人だったのです。
「っ!?」
言葉が詰まる私に、美女はニヤリと笑います。
「ようこそ、ゴブリンの見世物小屋へ」
美女はそう言うと、フッとキセルの煙を私にかけました。
絶望の中でさらに意地悪されたと思って涙ぐむ私に、女性は顎をクイッと豚に向けます。
そこには、水に濡れた布団に向かって一生懸命腰を振る豚の姿がありました。
豚は誰もいないベッドサイドを見て言います。
「おー来たか。はようこっちへ来い」
豚はそう言うと、今度は枕を相手にし始めます。
「あの枕はアナタよ。爆笑必至の豚さんハーレム。超滑稽」
美女はそう言うと、ケタケタと笑いました。
私は頭が混乱して全然笑えません。
「ア、アナタは?」
「私はメザーナ。そうねぇ、正義の味方ってところかしら」
その名前を聞いて、同僚たちの言葉を思い出しました。
『いーい、ナンシー。アンタがこれから見聞きすることは、絶対に誰にも言ってはダメよ』
つまり、これがそうなのだ!
「な、んで……こんなことを?」
「それはヒ・ミ・ツ。まあ座りなさい」
メザーナさんに勧められて、私は椅子に腰かけました。
「不快でしょ」と、メザーナさんはキセルの灰をトンと落としました。
すると、不快に、というか恐ろしく感じていた音が聞こえなくなり、ベッドの光景に靄が掛かって見えなくなりました。
これまでの諸々から考えて、この人は魔法の達人なのではないでしょうか。
「あ、あの、メザーナさんはいったいどういう方なのでしょうか?」
「それも秘密。アナタに言えることは、そうねぇ、アナタたちの境遇もそのうちに良くなるということかしら。だから、その時が来るまで決して人生を悲観しちゃダメよ」
「本当に……本当にそんなことが?」
「ええ。まあしばらくは辛抱してもらうことになるし、周りからはアナタが手籠めにされてしまったと思われてしまうけれど、それは我慢してちょうだい。ただ、私はアナタの体だけは守ってあげるわ」
「は、はい……っ。十分です、ありがとうございます……っ!」
私はまた溢れてきた涙を拭いながら、頭を下げました。
「いま行なわれていることは誰にも言ってはダメよ」
「わかりました」
「いい子ね。ご褒美にこれでも召し上がれ」
メザーナさんはそう言うと、上にイチゴが乗った白い食べ物をどこからともなく出しました。
助けてもらったうえに食べ物まで貰うのは気が引けたけれど、その甘い香りに負けて、頂くことにしました。
添えられているのは黒光りする箸です。
見事な箸というのもありますが、ゲロス伯爵家ではフォークを使うので、久しぶりに箸を見て嬉しくなりました。
黒い箸を使って白い物を掬うと、対照的な色合いがとても美しく思えました。
「ふわぁ……」
それは神様の食べ物でした。
一瞬です。一瞬でお皿の上から神様の食べ物がなくなってしまいました!
「あ、あの、今の食べ物はなんというものなのでしょうか?」
「ふふふっ、秘密。でも、そのうちにきっとまた食べられるわ。だから、頑張ってね」
「が、頑張ります!」
食べ物ひとつで単純と思われるかもしれませんが、こんなに美味しいものを私は食べたことが無かったのです。これをいつかまた食べられるのなら、頑張りたい……っ!
メザーナさんとは、こうして出会いました。
お屋敷での生活はそこまで悪いものではありませんでした。
でも、そう思えるのはメザーナさんが私たちを守ってくれていたからです。
ゲロス様はメザーナさんの作り出す幻に夢中なようで、基本的に他のメイドたちに手を出しませんでした。
メザーナさんの美しさは、それはもう尋常なものではありませんから、無理もないです。肌は透き通るように白く、金髪は煌めき、スタイルも抜群ですからね。女の私でも恋心に似たものを抱くほどですから。
私がゲロス様の立場なら後妻に迎えると思いますが、そうしないのはゲロス様の愚かさなのではないでしょうか。
「違うわよ。ゲロス様は帝国思想が強いの。どんなに夢中でも、貴族の女以外を奥さんにはできないのよ」
賢いメイド仲間がこっそりそう教えてくれました。
なるほどと納得しました。
ゾルバ帝国は貴族も平民も女性を装飾品のように扱うそうですが、貴族の場合は女性に血統も必要なのだそうです。ちょっと怖い考え方の国ですね。
こんなふうに、メイド仲間たちは色々なことを教えてくれるようになりました。
それはたぶん、私がメザーナさんと出会ったことで秘密を共有し、他のメイドたちとようやく本当の仲間になれたからでしょう。
「別館があるでしょ? あそこはね、違法奴隷の女の子が運ばれてきてたのよ。獣人を見たって子がいるから、たぶん帝国からね」
超絶ヤバしです。
アアウィオルにいる奴隷は、犯罪奴隷だけです。
他の国では借金奴隷どころか、特に罪もないのに獣人奴隷や亜人奴隷を扱っているところもありますが、アアウィオルはそれらを禁止しています。
それをやっているとかマジでヤバいです。
というか、アアウィオルとゾルバ帝国はかなり仲が悪いので、そこと奴隷取引をしていたなんてガチモンの犯罪者です。
「でも、メザーナさんが来たくらいに全部盗まれちゃったのよ」
「それって……」
「シッ」
警備が厳重な伯爵家のお屋敷から人を盗み出すなんて、魔法の達人のメザーナさんしかいません。本当に正義の味方なんだ。
逆に言えば、メザーナさんがいなかったら、私はとても酷い人生を送ることになっていたのだと寒気がしました。
「きっと今に凄いことが起こるわよ。その時まで我慢するんだよ」
「うん」
我慢、そう我慢。
メザーナさんのおかげでゲロス様からの被害はないけれど、この屋敷で働いている兵士たちからの侮辱は多かったのです。
違法奴隷の件だってゲロス様ひとりで全部できたはずもありませんし、それに関与していたであろう兵士や執事たちの人間性がおかしいのは、ある意味当然でしょう。
時には怖いこともありました。
そんな時はふらりとメザーナさんが現れて、私たちを守ってくれます。
他の子と同じように、私がメザーナさんを崇拝するのにそう時間はかかりませんでした。
他の子なんて実際にゲロスに抱かれてしまった子もいるので、その汚らわしい体験から、なによりも美しいメザーナさんに対して強い恋心を抱く子すらいたように思えます。
秋が終わり、冬が来て。
ゲロス様が王都へ行くことになりました。
私が以前お仕えしていたのは商家だったので知りませんでしたが、貴族は一年の終わりにある『祝福の月』に、国王様主催のパーティに出席するのだそうです。今の国王様は女性なので、女王様主催ですね。
そして、この祝福の月を境にして、私たちは——いいえ、アアウィオルは、大きく変わり始めていくのでした。
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、感想、大変励みになっております。
誤字報告も助かっています、ありがとうございます。




