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戦場の裏

 カタリナ王国ルース領とオーギス国の国境付近はすっかり様子が変わってしまった。

 美しい景色は、土と血の混ざった匂いの陰惨たる戦場となっていた。

 前線で剣を振るう騎士、兵士たち、共に前線に立ち援助する魔術師の争いの中毎日負傷者が耐えることはない。


「イオ、そっちお願い!」


 ヴィオラ、いやここではイオと呼ぼう。

 彼女が所属する治療部隊は後方で運ばれてくる兵士たちの手当てを行っていた。

 薬を調合する者、治療魔術で傷を癒す者たちは休む間もなく治療にあたった。


 イオはすぐに治療部隊で仕事を任されててきぱきと優先度を確認して治療にあたった。

 できることであれば全てを助けたいが、力が及ばない。

 治療魔術を行わなければならない者、魔術ではなく外科術が必要な者、応急処置でよい者を振るい分け治療魔術を効率よく回転させた。


「なんだよ。こっちは包帯巻くだけで済ませる気か」


 声を荒げて不満を爆発する兵士を宥める余裕はない。それが苛立ちをさらに増長させイオの足を引っ張った。


「申し訳ありません。こちらを優先しなければならないので」

「俺は優先されなくて当然なのか、っけ」


 そういいながら兵士はイオの背をどんと叩こうとするが、その前に横から腕を掴まれた。

 ニコラスであった。


「ニ、ニコラス卿」

「イオの見立ては間違いではない。今彼女の目の前にいる者は一刻も争う。幸い君は臓腑をやられておらず、骨も折れていない。薬を塗って包帯を巻くので十分だ」

「だけど、魔術さえ使えばすぐに」

「魔術も有限ではない。1日に消費できる魔力の中我々はいかに多くを救うかを使命づけられている。さ、治療の邪魔だ。休みたければ後方の療養所に向かえばいい」


 あれこれと言いたげな兵士をニコラスは睨みきかせ、兵士は縮こまりそそくさと治療部隊のテントから出ていった。


「イオ、手伝おう」

「ありがとうございます。足の方の止血をお願いします」


 イオは重症の兵士の確認をした。

 肺、右足の血管の損傷を受けている。呼吸困難と出血で死んでしまう。

 イオは魔術で肺の機能を維持し、呼吸を邪魔している空気と水を抜いてやる。

 ニコラスは足の血管の損傷を食い止め、止血を行いながら修復していった。

 何とか生存可能なぎりぎりの状態まで食い留め、維持管理の者に手渡した。

 療養テントの中の重症管理エリアの方へ運ばれて行った。


「ありがとうございます」

「イオ、こっちを手伝って」


 ニコラスにお礼を言っている最中に呼ばれイオは礼をして呼ばれた方へと走った。一息つく暇すらない。

 ニコラスは他の手伝いの必要そうな者に声をかけ、補助を行っていった。

 テントの外、遠くから多くの人々の声が響き渡る。

 重い金属音、悲鳴が重なれば負傷兵がどんどん運ばれてきていた。


「ふぅ……」


 抗争の声がやみ、負傷者の運ばれる数が減っていく。

 治療部隊にほんの少しゆとりが現れ、交代で食事をとるようになっていった。


「イオ、こっちにおいで」


 同じ治療部隊のアンナが手招きをしてくる。

 はじめはシャロン国からやってきた魔術師ということで警戒していたようであるが、彼女の働きをみてすぐに認めていった。


「今日もありがとう」


 アンナはこそっとイオに支給された肉を渡した。


「え、私」

「あんたはもっと食べるべきよ。ひょろっこいからいつ倒れるかひやひやしているもの」

「それを言ったらアンナだって。そんな筋肉質、肉を大量に食わないとやっていけないんじゃないのかい?」

「うるさいわね」


 アンナはきっと揶揄する男を睨みつけた。


「いやー、ニコラス卿も来てくれて色々助かるよ。シャロン国に留学されると聞いてどうしたんだと思ったけど、私たちとしては治療部隊に来てくれて万々歳さ。文句ばかりいう兵士の相手もしてくれるし」

「ニコラス……様は有名なのですか?」


 アンナはきょとんとイオを見つめた。


「何を言っているのさ。ニコラス卿は魔術師だけど、騎士の称号も得てもおかしくない方だよ」


 初耳である。


「ライネス戦争の英雄で、魔術だけではなく剣にも優れていて騎士たちに並んでも遜色ない功績を残されている。先王から騎士の称号を与えようとしていたけど辞退している」


 ライネス戦争、イオが王妃として招かれる1年前に終わった戦争である。

 大規模な戦争で多くの命が犠牲になったという。


「ルジェド王からの覚えも目出度くて、出世頭間違いなしと言われていたのだけど変人でなかなか昇進を受けてくれなくて、ルジェド王がいろいろ画策していたようだったけどそこで王妃が亡くなられてそのお体を母国に運ぶ任についてそのままシャーリー国で留学しちゃって」


 そんなすごい方が自分の為シャーリー国にとどまってくれていたのか。

 今更ながら恥ずかしい。彼にいろいろと失礼なことを言ってしまった。


「まぁ、彼の出世を妬んでいた臣下の人たちは大手を振るってニコラス卿の希望を後押ししたのよ。ニコラス卿が戻ってきても彼の居場所は中枢にはないように色々動いていたって噂だよ。でも、そこで今回の戦争が起きて……かつての英雄にも声がかかったんだけど、彼が希望した場所はここだった。すごい驚いたよ」


 アンナとしては特にいやというわけではないようである。


「隊長がやりづらそうだけど、ニコラス卿のおかげで私たちの生存率がアップしているしね」

「生存率アップ……」


 戦争が起きた時、狙われる危険のある部隊は食糧庫、武器庫、そして治療部隊である。

 治療部隊の戦闘能力は低いこと、叩けば兵士を治療する者がいなくなることで狙われることがあった。

 ニコラスがこの部隊に入ったおかげで、危険性は軽減されている。

 敵につかれそうな要所を抑え対策を練ってくれているのだ。


「ニコラス卿ともあろうものが治療部隊に所属など腕がなまったか、平和ぼけしたのかと言っている連中いるけど彼の腕は決して落ちていない。むしろ治療魔術を勉強され、さらに広範囲の知識を身につけられている」


 シャーリー国に留学したのは全く無駄でなかった。


「はじめは私らもどうしようとびくびくしていたけど、ニコラス卿は高圧的じゃないし、むしろうるさいクレーム兵士の対応してくれるし、隊長不在の時に場が混乱しそうになったら一喝してまとめてくれるし……こっちに来てくれてありがたいわ」

「それはわかりましたが、何故私の頭を撫でるのでしょうか」


 アンナはイオの頭をなでなでした。


「いやいや、あのニコラス卿をこちらに引き込んでくれたであろう乙女に感謝をと」


 にやにやと笑うアンナにイオは首を傾げた。

 確かにニコラスがここに所属することとなったのはイオのことを守る為である。

 本来であれば前線部隊に所属するはずであるが、彼自身治療部隊の所属を強く希望した。

 ルジェド王、臣下の推薦を蹴ったこともあり地位を降格して所属されたと聞いてイオは恐縮してしまったがニコラスはそれも覚悟の上だったと気にしないようにと宥めてくれた。


「ねぇ、イオ」


 アンナはにこにこと笑って耳元に声をあてる。


「ニコラス卿とのこと応援しているからね」


 その言葉にイオは顔を真っ赤にして首をぶんぶんと振った。


「わ、私たちはそのような関係ではありません」

「えー、ニコラス卿がわざわざ降格されても一緒に治療部隊へ所属したいというのだから君とは絶対何かあると思ったんだけど」


 確かにあるにはあるが、アンナが期待するようなものではない。


「違います。私とニコラス様はシャーリー国で同じ師の元で勉学を励んだから、いわば兄弟弟子です」

「でも、兄弟弟子で一緒? 君のことをよっぽど大事に想っているのかなぁと思ったけど」

「違います」


 いくらなんでもニコラスに悪い。

 だが、世間からはそのようにみられているのか。


 内心どうしてメリッサはニコラスにそんな条件を出したのだと恨んでしまった。

 自分の我儘が故であるということもすぐに思い出しては落ち込んだ。


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