覚悟
「ニコラス、少し寄り道したいです。帰りが遅くなりますとメリッサ先生に伝えておいてください」
仕事の帰り道にヴィオラは別の道の方を示した。
自分の都合でニコラスの時間を割くのはよくないと声をかけたのだ。
ニコラスははぁと深くため息をついた。
「あのですね、王ひ……」
「イオです」
ヴィオラは慌てて、呼び名を注意した。
「イオ、私はあなたのことを任されているのです。私一人帰れば、メリッサ様に何と言われるか」
言われる程度ではすまないだろう。
自分も一緒に行くとニコラスはヴィオラの後をついていった。
ヴィオラはちらちらと後ろをついてくるニコラスを見ながら、前を歩いた。
ついた先は酒場であった。
閉まった扉から漏れる賑やかな声、仕事帰りに一杯している男たちがいっぱいいるというのが容易に想像がつく。
「こんばんわ」
ヴィオラは扉を開き、中に声をかけた。
奥の店員が嬉しそうにヴィオラに手を振った。店員、いやこの酒場のマスターだ。
顔をみてニコラスは思い出した。
10日前に大けがをしてヴィオラに助けられた男である。
酷い怪我であったが、ヴィオラの治癒によって回復していった。
今日から復帰したのだという。
「さぁ、イオ先生。こっちに座って。ニコラス先生も」
マスターはカウンター席へ案内した。
「さぁて、イオ。何がいいかな。甘いのと辛いの」
「甘いのが好きです」
そういうとマスターはひょいと材料を取り出し、慣れたてつきで酒を作り出した。
ヴィオラの前にフルーツたっぷり入ったカクテルが置かれた。みるからに甘そうだ。
「素敵です」
ヴィオラは目を輝かせ、スプーンでカクテルの中のフルーツをすくいあげ口にいれる。
「ニコラス先生は何がいいかい?」
「あ、では辛いのを」
いくつか質問され答えるとマスターはささっとお酒を作っていく。
渡されたカクテルはシンプルなものであったが、口にいれるとかなり美味しかった。
「これは私からのサービスだよ。回復できたのはイオ先生のおかげだし」
仕事に復帰したのでお礼をしたいとマスターはヴィオラを招待したのだ。
「おお、マスター。それが腕の良い先生か」
「ああ、だがイオ先生の治療は何気にスパルタだ。怪我するなよ」
ヴィオラは苦笑いした。
少しだけ汗をたらとかいていた。
店の者たちが珍し気にヴィオラを注目した。
若いというのに、治療院で働いて多くの患者を救ったという話がどんどん膨れ上がりあちこちの席からヴィオラに声をかけていった。
はじめは笑顔であったヴィオラの表情はだんだん陰り始めた。
確かに笑っているのだが、頬がひきつっていた。
少し肌の色が青白くなっているようにもみえる。
「マスター、家の者がうるさいのでそろそろ退場させてもらいます」
ニコラスは席から立ち上がり、ヴィオラの肩をぽんと叩いた。
ヴィオラはぴくんと震え、こくりと頷いた。
「そうか。イオ、本当にありがとう。店をたたむ覚悟だったけど、イオのおかげでまた仕事ができる。感謝しているんだ。また来てくれよ」
マスターがそういいヴィオラたちを見送った。
店の外を出て数歩たった頃にヴィオラの足ががくんと崩れ、ニコラスは彼女を支えた。
「ありがとうございます」
ヴィオラは震える唇でニコラスにお礼を述べた。
ニコラスはじっとヴィオラの顔をみて馬車を拾うことを決めた。
道端で泊っている馬車をみつけて声をかけ、いくらかの賃金を支払う。
「大丈夫ですか?」
馬車に揺られながらニコラスはヴィオラに声をかけた。
「はい……すみません。気をつかっていただいて」
「丁度家に帰らなければメリッサ様が臍をまげる頃だと思いました」
それにヴィオラはくすくすと笑った。
「私がついていって正解だったようです」
「ええ、ご迷惑をおかけしました」
「いえ、いいのです。あなたは私の恩人ですから」
気にしないようにと言いながら、ニコラスは先ほどのことを思い出した。
まさかあの程度の注目でも辛いのか。
それであれば王城の公式の場はどれだけ我慢をしていたのだろうか。
式典はしょうがないにしても、社交界は耐えられなかったであろう。
「厄介な体質ですよね。私自身思っています」
ニコラスが考えていることを察しヴィオラは苦笑いした。
「治したいと思ったのですが、うまくいかず。姉さまも、メリッサ先生も気にしなくてよいといってくれましたが、あの方に嫁ぐことが決まって……やはり迷惑をかけてしまいました」
もう少しうまく立ち回れればよかったのに。
「マーガレット様のようには無理でも、せめてもう少し……あの方にいらぬ負担をかけずにすんだのに」
「ですが、あなたはしっかりと後宮の管理をしていましたよ」
ニコラスはヴィオラが眠っている間、母国の情報も同時に整理していた。
ヴィオラは自分がいなくなった後も後宮がまわるようにと色々準備をしていた。
マーガレットが妃になると期待されていたが彼女は後宮を去った。
ヴィオラの死がショックだったようで、修道院へと入ったという。
ルジェド王に止めるようにと忠告するものもあったが、ルジェド王はマーガレットの行動を支持した。
事件後ルジェド王の姉・クラリス王女に後宮へ招かれ、後宮は変わらず回せているがクラリス王女がヴィオラの残した引継ぎを褒めていた。
最近のカタリナ王国の王城、後宮の様子を教えられてヴィオラは驚いてしまう。
「後宮の情報をどうしてニコラスが」
「クラリス王女の侍女が従姉なので」
シャロン国にて留学中も手紙のやり取りをしている。
その為、クラリス王女が関わった件を中心にカタリナ王国での出来事をだいたい把握できていた。
「あの、ところで」
話をがらっと変えてしまい申し訳ないと思ったが、数日前から気になっていたことを今ニコラスに聞いた。
「カタリナ王国は戦を行うと」
治療院に訪れる患者から話を聞いたようである。
ここで話をごまかしてもいずれは街中に噂が飛び交うことになるだろう。
「ええ、オーギス国とは長年争っていた国でした。あなたがいた頃は和議が結ばれ比較的平和だったのですが、ここ最近ルース領を狙って宣戦布告をしたと言います」
カタリナ王国の王城では今は騒然としているだろう。噂ではルジェド王も前線に向かうといわれている。
「ルジェド王……」
ヴィオラは顔を俯きしばらく沈黙した。
しばらくして瞼を開き、じっとニコラスを見つめた。
先ほどの青ざめた表情よりだいぶ血色がよくなっている。
「ニコラス、戦場に赴けばルジェド王の姿をみることはできますか?」
「なんと?」
言っている意味が理解できずニコラスはつい聞き返してしまった。
「いえ、その……ルジェド王の姿を一目みたい。お会いするのは敵わなくても、お元気にされているのかなぁと」
戦場で元気にしているもなにもないのだが、彼の現状が気になってしまう。
仮にも夫婦となった間柄である。最近彼がどのように過ごされているか気になっているようである。
メリッサも、アリーシャ女王もルジェド王にはあまり好意的ではない。
ルジェド王について聞こうにもはぐらかされてしまうだろう。
「戦場は淑女が赴く場所ではありませんよ」
「ですが、王城に赴くわけにはいきませんし……その、人がたくさんいる中であれば私の姿もあぶれてわからなくなるでしょう。ちょっとちらっと見たいのです」
「どこの集団に入るつもりですか? そんな細腕では兵士に扮しても使い物にならないと放り出されてしまう始末ですよ」
「治療魔術」
ヴィオラの口から出た言葉にニコラスははっとした。
「治療魔術があります。どんな戦場でも、治療を行う者は必要でしょう。治療専門で控えている部隊があると聞きます。そこに潜り込むことはできないでしょうか」
確かに治療部隊というのは存在している。
治療魔術の専門家、医術の心得を持つ者たちが所属している。
当然、今回の戦争でも彼らは参加するだろう。
「何言っているのですか? 戦場で治療部隊に入るなど……」
そこに来るけが人たちの状況がどんなものかヴィオラは知らない。
治療院に訪れる人たちでも時々顔を顰めてしまう酷い状態がいるが、それでもその比ではないだろう。
しかもたくさん傷病者は出る。死者も当然大勢出る。
体力的にも、精神的にも摩耗してしまうにきまっている。
「そんなことできるわけないでしょう。あなたのような人があんな場所にいて……」
「でも」
「メリッサ様も、女王も認めはしない。あなたは大事な人なのです。そこに赴くべきではない」
「どうしてはじめっから否定するのっ!」
ヴィオラは怒りをあらわにした。
突然大声で言われてニコラスは目をぱちぱちとしていた。
今まで引っ込み思案、それでも治療では物怖じせず堂々としている面はあるがこのように怒りをあらわにすることなどなかった。
この方でもこういう顔をされるのかとニコラスはついつい彼女の顔を見つめ続けた。
その瞳は真摯なもので、じっとニコラスの姿を捕えて離さない。
「ではあなたは耐えられるのですか? 今までのように毎日お風呂にも入れませんよ。髪もべとべとになってしまうし、垢だらけになる。服もぼろぼろになって着替える余裕もない、汗だらけの嫌な匂いの中毎日押し寄せてくる傷病者の相手をしなければならない。王女であり、王妃であったあなたに耐えられますか。毎日、メリッサ様に大事にされ、綺麗なお湯につかり、綺麗なベッドで眠って、今は少し質素なものでも新しいドレスを着ることを当然としているあなたには耐えられないでしょう」
「耐えられることを証明できればいいのですね」
ヴィオラはそういい、1週間の姿をみておいてくださいと宣言した。




