第9話:親子②
第9話です。
「……ありえない」
思わず、そう呟くほどに、今、私の目の前で超常的な現象が起きていた。
まず、閉ざされていた私の太ももの辺りから、白い骨格が飛び出し、次にそれを包むように繊維状のものが纏わりついていく。
一度瞬きしたころには、私の足は完全に元に、そう、あの日足を失ったその前の時点に戻っていた。
「これで大丈夫そうですね。念のため、動くか確認して下さい。あと、後で補助具をお渡ししますから、リハビリも兼ねてたくさん動いて下さい」
足の感覚が、復活した。
年単位で消え去った感覚が、まるでずっとあったかのように戻っていた。
私は足を慎重に動かした。少しだけ、上半身が驚くような感覚はあったが、それだけだった。
私は無言で立ち上がり、無言で応接室を歩き回った。
「上手くいったようで何よりです」
「ああ……」
私は、言葉では表現できない感情に襲われた。
***
「………」
オーガスト様を助けてくれた方は、この学校の責任者のセリさんと言うらしい。
彼は、僕から見てもとても強い。見た目は細く、力強くは見えないけれど、あの化け物を一瞬で消し飛ばしてしまった。
そんな彼は、一旦僕に応接室の隣の教室にいるように言った。オーガスト様もそれに同意したので、僕はそれに従った。
数分経ってから、オーガスト様と、セリさんが僕のいる部屋に入ってきた。
「………え?」
僕は困惑した。戻ってきたオーガスト様は、自力で歩くことができていた。そしてどこか嬉しそうに見えた。
「シリル、私はセリさんに、足を直してもらえたんだ。それに、これからもっと良いことがあるよ」
「オーガスト様……?」
「セリさん、お願いします」
「少し、失礼しますね」
「……っ」
セリさんは、僕の左胸のあたりに手を当てた。そして、着ていた服を少しだけずらした。
そこにあったのは、奴隷紋だった。
「〈この世界の法則を削除せよ〉〈『削除デリート・範囲指定:一部法則』〉『変化:解放』」
聞いたことがない言葉で、彼は呪文のようなものを唱えた気がした。
「はい。これでもう、シリルさんは奴隷ではありません」
「え?」
「良かった、シリル。紋章が綺麗に消えているよ」
オーガスト様が、僕の手を取った。オーガスト様は、少し涙を流していた。
僕は何が起きたのか分からなかった。確かに僕の左胸にあった紋章は綺麗に消えていた。でも、セリさんの「もう奴隷ではない」という言葉が理解できなかったのだ。
「奴隷紋が消えても、僕は奴隷のままです。そういうものですよね?」
「いいえ。そんなことはありません。貴方はもう奴隷ではないのです。オーガストさん、宜しいですか?」
「はい」
「オーガスト様?」
オーガスト様は、僕に近づくと、布に包まれた何かを僕に手渡した。
僕は布をほどいた。
それは……ナイフだった。
「……………………………………え?」
一瞬、思考が停止した。そのあまりに鋭利な銀色の輝きに、目を焼かれ、脳を水につけられたような感覚に襲われた。
そんな僕を見て、オーガスト様は言った。
「シリル、そのナイフで、主である私を刺し殺しなさい。これは、命令です」
「……へ?……オーガスト様……何を言って……?」
僕は、上手く言葉を発することができなかった。ナイフを持った手は震え、心臓はかつてないくらい速く脈打っていた。僕は必至でオーガスト様の真意を探ろうとするが、分からない。
「命令です。早くしなさい」
「あ……あ……ぁ……」
僕は、正体不明の感情……いや、これは、絶望かもしれない。それに押しつぶされそうになっていた。
奴隷は、主人の命令に逆らうことができない。
つまり、僕は……オーガスト様を殺さなければならない。
僕がそれを拒否しても、奴隷としての契約がそれを許さない。
拒否した瞬間に、僕の体は僕の意思を無視して動き出すことになるだろう。
「嘘だ……嫌だ……ぁぁぁぁぁぁぁ……」
血のつながっていない、何の取り柄もない、ただの奴隷でしかない僕を、オーガスト様は、本当の家族のように触れてくれた。
僕の本当の父も、母も、どこにいるか分からない。僕を奴隷商人に売って、どこかへ行ってしまった。
父と母を責めることはできない。
だから、もう僕には、オーガスト様しかいない。
「……ははは」
そうだ!そんなことをしなくても、いい方法がある。
「……っ!」
僕は、胸のあたりに力を込めた。
そして、手に持ったナイフを、心臓の中心に、なるべく楽に死ねるように、狙いを定めて振り下ろそうとした。
──でも、僕の手に持ったナイフが心臓を突き刺すよりも先に、目で追うことができない速さで僕の手を掴んだ人がいた。
「……シリル。本当に申し訳ない。大丈夫、君は自由になったよ」
「オーガスト……様?」
「私は命令をした。しかし君は、僕ではなく自分自身を殺そうとした。それは決して良いことではないけれど、君がもう、僕の支配から解き離れたということなんだよ」
「……あ」
「もし君が、そのまま私を刺し殺しても、君は主を失い、自動的に自由になるのだから、それはそれで良いと思っていた。そうなったときに君が罪人にならぬよう、セリさんに場を整えてもらっていた」
「…………」
確かに、おかしな話だった。
僕は明確に、オーガスト様に命令された。そのはずなのに、僕は僕の意思で、僕自身を殺そうとした。
そんなことは、奴隷に許されている行為ではない。
「強引なやり方になってしまってすまなかった。私は君の保護者として十分な人間ではない。だけれど、それでも君を自由な、未来のある子どもにしたかった」
「……」
オーガスト様は、僕に頭を下げた。その異様な光景に、僕は違和感を拭うことができない。
そんな僕の表情を見てか、セリさんが微笑みながら「一応言っておきますと、これは私が考えた案ですので、オーガストさんはひどい人ではありませんから、安心してください。シリルさん」と言った。
「……だから、シリル、君はもう奴隷じゃないのだから、私の言うことなんて聞かなくていいんだ。君は自分の好きなように生きて良いんだよ」
オーガスト様も、畳みかけて、そんなことを言った。
僕は、何を言えば良いのか、分からない。想像できない。
「……困り……ます……そんなことになったら、僕は……僕は、どこに行けば良いのですか……?」
僕は声を震わせ、喉を乾かしながら、喉よりも上だけを湿らせていた。
僕には、信頼できる方が、オーガスト様しかいない。オーガスト様に捨てられたら、僕には居場所がない。
「……ぁ」
喉の奥が痛い。息が苦しい。
僕は耐えきれずに、教室の床に座り込んだ。
「シリル」
「……?」
「私は君を、捨てようとしているわけじゃない。もちろん、君は私のものではないのだから、捨てる捨てないなんて表現も適切じゃない」
「……」
「でもね、君が1人で自立して、私なんかが必要なくなるまで、私は保護者として君を守りたい」
「……ぇ?」
「これからはもっと、保護者として君を見たいんだ」
そう言ったオーガスト様の眼差しは、まるで僕の心の影のかかった部分を照らそうとしているようだった。
-第9話 完-
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