<浮世の燃える幽霊船>
ミーム【meme】
「個々の文化の情報をもち、模倣を通じてヒトの脳から脳へ伝達される仮想の遺伝子。
イギリスの動物学者ドーキンスが著書「利己的な遺伝子」の中で命名・提唱。」
大辞林より
<1>
古事記と乞食、分かってはいるけれど頭の中でこの二つが交錯することがある。
なぜだろう?発音が同じだから?まあ、そうだろう。
そのとき私は夢の中でそんなことを思い浮かべていた。
そのとき急に私を呼ぶ声が聞こえた。
「ソノベ!おい、ソノベ!」
先生の声だ。
驚いた私は、無意識のまま立ち上がり夢の続きを話し始めてしまっていた。
しかし、もう遅かった。
静まり返る教室。私を凝視する教室内の生徒たち・・・・。
私は、じっとりとした嫌な汗をかいた。心臓が止まるきがした。
そして、先生が言った。
「園部!どうした夢でも見とったんちゃうか?」
少し間をおいて教室中がどっと、笑いに包まれた。
笑いに包まれ、夢うつつながら、なんだか救われたような気がした。
放課後になり帰り支度を始めた。私には、この学校で特にしたしい友人もいない。
きょう、寝ぼけて犯した失態は、はじめてのことで、笑ってくれたことで、なんだか
クラスに妙な親しみを覚えた。
かばんを持ち自分の机を離れ、教室を出る。スマホをずっといじっていたので、夕焼け時になっていた。
まだ残っていた別のクラスの生徒たちが、ぽつりぽつりと、夕日を反射したリノリウムの床の廊下へと
吐き出されてくる。
廊下から見えるグラウンドには、部活にいそしむ生徒たちがいた。
季節は夏で暑く、みな汗を流していた。
部活をするでもない身ながら、肌に蒸し暑さを感じ、うっすらと張り付くような汗をかいていた。
ふと、もう一度グラウンドに目をやると、はっと息を呑みたくなるような精悍な顔立ちをし、
まっすぐ前を見つめ、黒い髪をなびかせながら走っている生徒が目に入ってきた。
陸上部員だ。きっと、けっこうな汗を流しているはずで、その汗が夕日を通し輝いているに違いないと思った。
ほかにも、大きな声でなにやら掛け声を出しているものもいたが、その声は空に吸い込まれていった。
校門を出た私は、いつもの通り家へと帰る。
学校から自宅へは、電車に乗り3つ駅を通過し四つ目で乗り換えて2つ駅を過ぎれば、地元の柱水につく、
そこからは、駅前の繁華街を抜け、柱水商店街を通り歩道橋をわたりスナック亜希子の前を通って
細い路地裏をいくつかまがり、自宅となる。
電車に揺られながら、いつも考えていることがある。
学校であったことや家族のことである。学校のことは、今日に限ってはやはりあの失態しかない。
家族に関しては、家には父と母と弟そして私の四人家族で、考えているのは大体父か母のことである。
弟に関しては、まだ小学校で食欲は旺盛、いつもわけの分からないことを言っているなぁというイメージを持っている。
父は、いつもたいてい遅く帰り不機嫌そうな顔をして、タバコとビールとつまみのマグロの刺身などを
口へと運びながらほとんどしゃべらない、たまに、野球のナイターが放送している時間帯に帰ってきても、自分が応援しているチームが負けていると、凄く不機嫌な雰囲気を出す。それが原因だと私は推測するのだが、子供のころから野球が大嫌いなのだ。なぜなら、不機嫌、タバコの煙、険悪な雰囲気、無言。これである。
知らずすらずのうちに、心がささくれ立っていた。
でも、私は学校にいる不良のようにグレることもできずに、内側にそのタバコの煙や険悪な雰囲気を抱いたまま、大きくなってしまった。
母は、基本的にはまじめなのだが、あるときには野生が開放されたようになる。
父が急に仕事を辞め家で酒を飲むようになった頃からだ。
その事で、家計を支えるため母は仕事に出かけ昼はパートで、夜には自宅に帰ってきており私たちの夕食を作ってくれた。その日は、家で父は飲んだくれており、いつも家にいるなりに皿洗いなどはやってくれていたのだが、その日は、酔っ払ってやる気がうせたのか、前日の夕食で使った魚焼きグリルを洗っていなかったのだ。
2階にいた私はそのとき大きな音を聞いた、ガシャン!という。驚いて、1階に下りてみると母が床に魚焼きのグリルを床にたたきつけていた。油まみれの魚焼き器そして、その下になぎ倒されたグリル。漂う魚臭さ。
母も、仕事の疲れもあったのだろう。帰宅して、父の酔った姿を見たことや疲れ苛立ちなどから、そうなったのだと思う。
そういう時きまって私は、もう嫌だ!死んでしまいたい!と思うのだった。
どこか、知らない遠くの世界へ行きたい。そうも思った。
弟は、まだ小学校で、いつも変な歌を歌っている。「ちんちん!うんこ!はどうけん!!」などとリズムに乗せてさけんでいる。「ブクシュウッ!」などの漫画やゲームの効果音も口で言う。
それでも、弟は自分なりに家庭のことをしっかりと見ていて、私と同じように、
心がささくれ立っていたのではないかと思う。食欲だけは流石に食べ盛りで、ご飯を何杯もおかわりすることも、しばしばある。好物は鶏の唐揚げのようだ。
友達もいるようで、放課後、家から少し離れた場所にある公園で、携帯ゲーム機を数人の友達とおぼしき人物たちと代わる代わる遊んでいる所を見たことがあった。
いつしかそうなっていたのだ・・・・。気づいたときには・・・・。
そんな日はよく音楽聴いた。特にお気に入りだったのが「Slipknot - Wait And Bleed 」だった。
ジャンルは良くわからないが、まるでこの世の地獄をハードなギターやドラムで表現しているようだ。
私の胸の中の言いようのない、不安や怒り、それをかき消してくれるように・・・。
そんなことを考えているうちにいつも、柱水の駅につく。
柱水駅にいつものように降りて、改札を抜ける。
柱水はベッドタウンで人口も結構多い、その割りに平和な町である。平凡という言葉が似合う町である、
しかし、私はどこか、いつも、この町に思うことがあった。昔らある近所のお寿司屋さんには一度も行ったことが無く。当たり前の風景になりながらも、どこか寂しげだと。人が入っているところを見たことも無いのだ。小さいころに一度、そのお寿司屋の前で白い服に白い長靴、白い短い帽子のようなものをかぶったおそらく、そのお寿司屋の料理人で今から思えば、ヤンキーと呼ばれるようなおにいちゃんだったと記憶しているが、その人が店の前で水を出したままの緑色のホースを地面に置いたまま、水が這う地面に包丁をこすり付けていたのを思い出すことがある。あれは、包丁を研いでいたのだろうと思うのだが、地面にこすり付けるなんて聴いたことも無い。
あのヤンキーのおにいちゃんは、今どうしているだろうか?
生きているのか、死んでいるのかも知らない。本当にそれだけのことなのになぜか、印象に残っている。
寿司屋、白い衣服に白い長靴、ヤンキーのおにいちゃん、包丁、緑色のホース。
父には兄がいて、近所に住んでいた。犬を飼っておりちょっとした空き地のようなものが、家のすぐ横にあった。
その叔父さんも、緑色のホースを使っていていて、小さいころ私は、なぜかその緑色のホースから目を離せなかった。
そんな時、それを見た叔父さんは、ぼーっとしている私を少し、いぶかしんだ、というよりは、
緑色のホースなどこの世界で重要なことでは無いといった風だった。叔父さんは「優!優!!」といって私の肩をゆすった。
私は分かっていた、分かってきていた、この世界で緑色のホースということがさして重要な事でもないし、重要に思うような余裕も無く、またそんなことに関心を持つような人間は、少し変なのだと。
太陽の光にすかされると、翡翠色なのに・・・・・。
なんだかそれが、幼いころの記憶の小さな傷だったり、怒りにも似た感情だった。
私は、その後大きくなってから知ったロックバンドBLANKEY JET CITYの曲「ICE CANDY」は、緑色のホースだとな思った。
利口な人は、BLANKEY JET CITYの曲がわかるはずだ。
家の近所とは違い駅前には、色々なお店がある、コンビニ、ファーストフードのチェーン店、本屋、古本屋、カラオケ、居酒屋、レンタルショップ、中華料理屋など。
小さなスクランブル交差点を中心に寄せ合うようにそれらが立ち並んでいる。
今日は、駅を出ると小雨が降っていて、私はとりあえずという思いと、なんだか今日は寄って行きたいという思いから、駅前のすぐの本屋へ小走りに入った。本屋に入ると本屋特有のにおいがる、これも小さなころ、母にそのことを言ってみたところ、母もそのことが分かるようだった。私は、なんだかうれしかったし、同時に母もおかしな人間なのだろうか?と思ってみたりもした。でも、別段これは特別な事でもないようだ。
本屋は、町の本屋さんといった感じの大きさで、真ん中に柱があり、それを境に右と左に分かれていて
それぞれに、本棚が2列ずつ並んでいて、入り口すぐ横にはレジがあるといったようすだ。もっと小さなお店を見たことがあるから、中ぐらいの大きさだろうか。あまりよくはわからない。
中には、2,3人の客が入っていて、立ち読みをするものや、本を物色してゆっくりとあるいているものなのがいた。
ある一人の立ち読みをしている客の本に目をやると、幸運になる27のレシピ!、と書かれた本をよんでいた。
本屋からの帰り、雨はすでにやんでいたが、もうあたりは暗くなっていた。
ふと、家へ向かうさなか、思いにふけっていた。
私には趣味がある、いや、習慣というべきだろうか?腕立て伏せである。
高校に入ってから、ずっと続けている。もう3年目にはいる。
たまたま何の因果か動画投稿サイトのYouTubeで、三島由紀夫の市ヶ谷での自決の日の演説をみたのだ。
その後、彼を検索してみると自決したとき他に、もう一人の仲間に腹を切った後すぐ首を斬られたのであろう彼の生首の画像が載っていた。初めはそのことを学校にいるときに思い切って知っていそうな人に話したことがある、そのときその人は、「ああ、三島由紀夫か。うちになんかその人の最後の演説?のときのレコードがあるんだよね」といっていた。そのとき、その人は、なんだか不気味なものが家にあるといった感じで話していた。
それを聞いたとき、私もその人に同調するように「そう、それは不気味だね・・・」という感じで答えた。
それから、数ヶ月たち、家での父の姿を見ているうちに、いつか私もああなるんだ、酒におぼれ、暗い部屋で、テレビだけつけ、クスリとも笑わずに死んだ人の抜け殻のようになるんだ。そう考えていると、暗澹たる思いにかられ、死の匂いが、あたりに漂い始めたかのように、暗く、落ち込んだ。それでも、周りのみんなに追いつかなければ、という焦りが、いつしか自分を覆うようになっていった。そんな時、その死の匂いに私の中で共鳴?したのが、三島由紀夫だったのだ。
彼はなぜあそこまでして、何を訴えたかったんだろうか?なぜ、自ら死を選んだのか?
あの、グロテスクな生首・・・・。私は、徐々に彼に引かれていくようになった。
そして、はじめたのが、腕立て伏せである。なぜ、腕立て伏せかは、うまく説明できない。
ただ、始めたての頃は凄く大変で、こんなにもしんどいのか?と思ったが、なぜか、三島由紀夫のことを思い出すとたとえこの腕立て伏せで、自分が死んだとしてもかまわない!という、強い意志がうまれた。
頭が痛い日や、風邪気味の日もあったが、死んでもかまわないと思っていたのだから続けることができた。
そうしているうちに、彼の書いた小説や、ネットで名言集などを読んで、さらに彼に興味を持っていった。
日がたつにつれ、腕立て伏せも徐々に板についてきた。自分の居場所を発見できたような気持ちだった。
そして翌日。朝の目覚めは悪くなかった、いつものように、私は死んだ抜け殻を尻目に家を出る。
また私の一日が始まった。
<2>
秋。
枯葉を踏んで、自転車を押し、並木道を歩く。
枯葉を踏んだときの音や雰囲気はピアノの演奏は相性がいいと思う。
こういった風景の中で、私は中学のころを思い出すことがある。
音楽の教室、先生のピアノに合わせて皆が「夢の世界を」を歌っている場面だ。
そのとき、好きだった人がいた、ちょうどその歌を歌っていたのは・・・何年生だったか?
秋だったのはたしかだ。窓から見えるイチョウの木、黄色いイメージ、そして、「夢の世界を」を皆で歌いながら、その人のことを胸に思い、いとおしい気持ちになっていた。
思い出になって、さらに美しく見える。
発育の途上にある生徒たちが奏でる初々しいその合唱!なんとすばらしく、切なく、美しさそのものだったことか!
私は、その歌を歌いながら思ったものだ、この夢の世界も、いつかは終わり、忘れ去られていくのだと。
そのとき、死の気配を感じた。ずっとこの日が続けばいいと思った。
並木道を歩きながら、私はYouTubeで「夢の世界を」を聴いていた。
やっぱり、思ったとおり、心地よい。心がやわらかく優しい何かに包まれていくような気がした。
ふと思った。あのとき好きだったあの人は今何をしているだろうか?
並木道の途中にあるベンチに腰を下ろし、少しの間物思いにふけった。
また歩き出す、スーパーへ行き母に頼まれていた今日の晩御飯の食材をさがす。
店内にはコミカルで陽気なメロディーが流れていた、それはコミカルで先ほどの感傷的な気分とは異なり、私を「今」という現実に確かに戻した。しかし、それはあながち悪いものではなかった。
生鮮食品売り場の冷蔵装置の冷気が肌にキリッとした冷たさを与えてくれるのと同じように新鮮な気持ちになった。
レジで、おばさんが買い物かごに入れた商品の値段を読み上げながら、機会にバーコードを読み込ませる
作業を淡々と行っていた。
スーパーからの帰り道、盲人だろう、杖を手にそれを地面に左右へとカッカッと当てながら
ゆっくりと歩いている。私は自転車でその横を通り抜け、家へと急いだ。
その日の夕飯には、ハンバーグが出た、母が作るハンバーグに実は少し不満があるものの、おいしい、
おいしいのだから少しくらいの不満は口に出すべきではないと思った。
しかしながら、いつかこの不満を口にするのではないかという危惧が私の中に芽生えた。
それは、些細な事かもしれないが。
この頃からだろうか、私の中に空虚感が芽生え始めたのは、すべての事物に対してリアリティを
感じなくなったは。ハーンバーグと空虚感とは関係が無いが、母が作ったハンバーグの味に、少し
不満のようなものを感じ始めた頃ということである。
そうだ、この頃からすべての物事の根源を探るようになったのも。
例えば、十円玉があったとしよう、その十円玉がどのように作られ、どこまで遡ればスタート地点となるのか?
その答えは、銅の鉱山の採掘から始まり、そしてその、原料となるものを加工し・・・・・。と、つながっていくのだ。なぜそのような事を考え始めたのかは定かではない、しかし、誰に教わるでもなく、
自分は間抜けだから、まともな世渡りができないのではないのか?という不安から、物事の根源を探るようになったのではないかと思う。
そうしているうちに、ミクロにマクロに物事を見るようになった。
それは、簡単な経済の話でもあったし、物質の素粒子がどうこう、ということにも関心が及んだ。
それが一体なにを意味するのかは、定かではなかった。しかし、これも、現代の青春ではなかろうか?
と考えることにした。
日曜日の朝。
私は、YouTubeで阿部公房と分子生物学を研究しているというその当時の第一人者の
動画を見ていた。結構古い動画らしい。
阿部公房は読書をしているうち、ネットで調べるうちに、なんだか凄い小説を書いているらしい、
というのを知って興味を持ち始めたのである。
なにやら、難しい話をしているようだ。分からないなりに、分かった気になって見てみる。
その流れで、関連動画にあった「安部公房 × 養老孟司」と題されたタイトルの動画が特に興味深かった。
ああ、こんなに昔から現代の文明社会について考えていて、的を得た考えをもった人がいたのだな、
と思った。
なかでも、「ピジン」、「クレオール」という異なる文明言語同士の人で交わされる言葉が特に興味深かった。
「異なる文明同士の言葉か・・・」
私は、ここに人類社会の未来を予見するものを感じた。
ただ、私がそんなことに関心を持ってどうなるのだ?という疑問もあった。
私が、こういったことに関心を持つことは、私にとって空虚さを埋めることでもあったが、同時に
空虚さを生むことにもなっていた。
その空虚さは、「一体何のためにいきているのか?」という疑問をはらんだものだった。
この難解な動画を見終わった後、他の関連動画を意味も無く再生してみた。
それは、ある女性が引越しをする動画でダンボールにぬいぐるみを必死で詰めている動画だった。
そのぬいぐるみは、何かのキャラクターだろうか?大きな口をあけ笑っている怪獣のようだ。
ぬいぐるみとは、人の孤独や豊かさを求める心に、すっぽりと収まるのだろう。
いわば、寄る辺となるものだろう。
あの間の抜けたような怪獣は、その女性の心の隙間を満たすことが果たしてできたのだろうか?
皆が皆ぬいぐるみを必要としているわけでわない、私もぬいぐるみを必要とは思わなかった。
そうこうしているうちに、今日一日ほとんどをYouTubeの動画を見て過ごしあと少しは、
はまっていたスマホのゲームをほんの少しさわっただけだった。
「いったい私の今日一日はなんだったのか?」そう思いながら、一日は過ぎていった。
次の日、学校から帰ってきた私は自室に閉じこもり昨日の自分を悔いるように、
腕立て伏せをしようと思った。
意識を集中させ、ゆっくりと呼吸しながら「いち、にぃ、さん、し、・・・」
と、いつものリズムで腕立てをはじめる。
体中に喜びが広がっていくのがわかる。
私は、あせっていた、言いようの無い焦燥感。今の自分、未来の自分。
「じゅういち、じゅうに、・・・」腕立てをしながら、信じているのかどうかも分からない神に願った、
「神様!どうか!、どうか私の未来を幸福で満たしてください!」と。
、「にゅじゅう、にじゅういち、にじゅうさん、・・・」、「・・・・・」徐々に体に乳酸がたまってきてもちあげるのが、辛くなってきた「ごじゅうに、ごじゅうさぁああん、うぅぅぅうう・・・」私は、
いつもの、75回を一回過ぎる76回で力果てた・・・。
「はぁはぁはぁはぁはぁはあはあはあはぁ」すべてが真っ白になる。
しばらくして、呼吸も徐々に収まってくる。外の車の音意外は静寂だった。
腕立てをした後は、爽快感、充実感が満ち溢れる。自由や忘れていたリアリティもよみがえるようだ。
肝心な事は何かはわからなかった。でも、何かせずにはいられなかった。
たしか、誰かがこのような事を言っていた。「自傷行為をしたりをしました、例えば筋トレとか」のようなことを。
私としては、これは心外だった。私にとって、筋トレの一種である腕立て伏せは、生きがいであり、
生きる希望のようなものを見出せるものなのに。しかし、そんなくだらない言葉さえも、吹き飛ばしてしまうのが腕立て伏せの魅力でもあった。
たしかに、その一言は、気にはなるものの、それを圧倒するほどの力を持っていたのだった。
ちょうど、腕立てが終わって休憩し少し時間がたった頃、夕飯の時間になった。
下の階から母のが「優、ばんごはんできたで!おりといで!」という声が聞こえた。
私は階段を下りながら考えた、体を動かした後なので今は気分爽快しかし。
これの爽快感も徐々に時間がたつにつれ、日常という怠惰と混沌の中にまた少しずつ侵食されていくのだ。
ちょどそれは、トランプカードに描かれたジョーカーのような鉤鼻の身体の細い道化師が魔道師から手紙を受け取り、禍禍しい大きな城のてっぺんから、螺旋階段を一気に駆け下りてくる。
一番下までたどり着くと、ジョーカーは魔王に会い、その手紙を手渡す。
魔王がその手紙を読み上げる、手紙には怠惰に陥る呪文がびっしりと書かれているのだ。
その呪文が読み上げられると、もはや感動や純粋さ、勇敢さ、聡明さ、そういった人間の美しい感情が果物が腐っていくがごとく、失ってしまうのだ。ジョーカーが階段を下りるスピードも年々速くなっていく。
私はこのことを、「穢れ」と呼んでいた。
穢れ・・・・・・・。
<3>
小さな子供の手を母親とおぼしき人物が手を引いて歩いている。
小さな子供はまだ母親のひざくらいの高さしか身長がなく、とことこと、小さな足で母親に遅れまいと歩いている。
私は思った、例えば動物園に行ったとして、そのときに小さな子供のパンダがいて、そのことを
母親が「かわいいねぇ」と子供に話しかけてあげる、その母親の愛情、ごく普通の愛情だと思うが、
今の世の中、社会がその優しさをかき消しはしないだろうか?かえって優しさが生きる際の、あだとは
ならないだろうか?混沌としたこの世の中、私は目の前の親子を見ていたたまれないような気がした。
YouTubeで有名人が「金!、金!」といって騒いでいたのを見たのを思い出した。
私はそっと、その親子の背中に祈るような気持ちで、安寧を願った。
ごく些細な、平凡などこにでもある愛のひとつ風景だった。
寒い冬も終わり、春の兆しが感じられるようになった。柔らかな日差しがさしていた。
そんなある日。「ただいま」いつものように学校から帰宅した私。
すぐさま、死んだ抜け殻を無視して、2階へと急ぐ。自室のドアを開ける、
するとカーテンがゆれていた。
窓をいつもは閉めているのに今日は閉め忘れていたのだ。かばんをいつもの机の横のS字のフックに引っ掛け、ベットへ寝転んだ。
「ん?なんだろう?」ちょうど窓のヘリのところに何かがいるようだ。
「ん?」あっ!猫だ!驚いた、猫が部屋に入ってきていたのである。その猫は真っ黒の黒猫だった。
「おっ!お前さんは猫やな!」と私が独り言を言うと、まるで答えるかのようにその黒猫は「にゃー」と
答えるようにないた。
最初は追っ払おうと思ったが、ものめずらしさに独り言のように話しかけてみた。
「お前さん、一人なん?」というとまた「にゃー」とないた。
なかなか逃げる様子も無い。少し悩んだ末に私は「おいで」といってみた。
黒猫は窓のヘリからスルリとしなやかに床へととびおり、音もなくスマートに着地した。
私は徐々にその猫への関心が芽生えてきた。「おいで、おいで」「にゃー」よく答えてくれる賢い猫ちゃんのようだ。しばらく待っていると、私の足元までやってきた。私は少し躊躇したが、そっと、猫の頭をなでてみた、すると、愛想よく私が差し出した手に頭をスリスリとこすり付けてきた。
そのやわらかな毛に触れた瞬間、私の胸の辺りに、あたたかい何かが、ポッと明かりがともるような感覚がおきた。
私はすっかりお尻を床につけ、しばらくその黒猫のアゴをさすったり、頭をなでたりを繰り返した。
そして、また独り言のつもりで「お前さん、どこから来たん?」と言うと、その猫は「にゃー」となき、
私から離れ、窓のヘリにスッと飛び乗った。そして、視線を隣の家の赤茶色の屋根にむけた。
そして私は「そうか、屋根ずたいにきたん?」と半ば冗談半分に答えた。
すると、黒猫はまた「にゃー」とないた。
そのなきごえで私はこの猫は、本当に私の言っている言葉が分かるのではないか?と思い始めた。
黒猫はまたヘリからスルリと床へと下り、まん丸な瞳で私をみている。「にゃー」とまたないた。
こんどはなんだろうか?私には、なんだかその泣き声が分かる気がした。
「かまってほしいん?」これまた半ば冗談半分で黒猫に問うてみた。するとまたその黒猫は「にゃあ」とないた。ここまで来ると私は直感的というべきか?、神秘的というべきか?いよいよ、この黒猫は私の言っていることが分かるのだ、と分かってくるようだった。
「うーん、お前は私の言うことが分かるん?」と言うと「にゃおん」とないた。
これがもし単なる偶然だとしても、私はなんだかうれしくなった。初めて中学校へ入学して、
不安ばかりだった頃に初めて話しかけてくれた人がいたが、その瞬間を思い出した。
やがてそうこうするうちに、夕暮れ時となっていた。
すると、黒猫はまた窓のヘリにしなやかに、シュッと飛び乗り、私にさよならの「にゃー」をいって、
窓から隣の赤茶色の屋根へ、スッと音もなく飛び移り、しばらくこちらのほうを少し振り向いていた。
そして、音もなく優雅に体をくねらせ屋根の上をゆっくりと歩き去っていった。
私はその後姿を見えなくなるまで見守った。
その後あの猫が来なくなって数週間がたった。あれからなんだか、私は心もとなかった。
あの日の出来事のことを、何度も考えていた。あのやわらかな・・・・。
そうだ!窓を開けていなかった!と私は気がついた。窓を開けていなければ、来ようにも来れないではないか。
私はその当たり前ともいうべきことに気がつき、学校へ行く前には窓をあけたままにしておくことにした。
窓を開けて学校に行った日の帰り道、少し浮き足立っていた。また、来てないかな?もうくるわけないよね。
などと考えながらも、早足で帰宅した。「ただいま」「おかえり」今日は母も休みの日で家に居た。
そわそわしながら、2階へあがる。部屋の前で少し立ち止まり、ゆっくりと戸を開けた。
部屋はひっそりと静まりかえっており、窓のヘリに目を向けてもあの黒猫の姿はなかった。
あたりまえか・・・。
それが普通。日常というものである。私は、思っていた以上に落胆している自分に気がついた。
いつものように、S字フックにかばんを掛け、いすに座った。しばらく何も考えていなかった。
おもむろにいすから立ち上がり、窓の外をのぞいてみた、いつもの光景だった。
赤茶色の屋根、なにもかわらない。
私はそっと窓のヘリをなでてみた。「うん、そうやんな」そうして、頭はいつものつまらない現実に
戻ろうとしていた。「今日は疲れたな」ベッドのほうへ体を向け横になろうと思った。
そのときだった。ベッドの下にきらりと光るものが見えた。「う?ん?」そう思っているうちに、
ベッドの下の隙間から、ひょっこりと、あのときの黒猫が頭を出した。「あっ!」「にゃ」。
やった!また来てくれた!私は心の中でそう叫んだ。そっと近くにより、挨拶のつもりで頭をなでた。
「ゴロゴロ、んにゃ」「よう来たな!窓締めとってごめんな」「んにゃおん」どうやら黒猫のほうも
まんざらではなく、会いたかったようだ。「うん、うん。私もや・・・、会いたかったで」
私の部屋は、四畳半あり東側に窓があり、反対側の西にベッド、入り口近くに勉強机、
その横に簡素な本棚、部屋の真ん中に座って使うテーブル、テーブルの上にはノートPCを
置いているという状態だった。
黒猫はおもむろに、くるりと反対側を向き尻尾を左右にぴょこぴょこと動かしながらまたベッドの下にまた入っていった。
「おーい」しばらくすると出てきた。何かを口にくわえているようだ。
黒猫はお辞儀をするようにしてそれを大事そうに床に置いた。
「ん?なんやろ?」私は、黒猫が頭を上げたときにそれが見えた。
ペットボトルのキャップだった。「あっ!キャップやん、ひろってきたん?」黒猫は前足をそろえ首をうんと伸ばし得意げだった。
私は少し考え「これ、貰ってもええ?」すると猫は「にゃおぉん!」と答えた。
「プレゼントやねぇ、ありがとう」私は心からそういった。
キャップを手に取って立ち上がり、勉強机の引き出しにそっとしまった。
ふと私はこの黒猫にまだ名前をつけていないことに気がついた。
「あっそうだ。名前!名前付けたろか?」黒猫はまん丸な瞳で私を見つめていた。
「うーん、そやなぁ。なにがええかなぁ?」しばし考えた。「あっ、まる!まるはどう?」とっさに思いついた。
黒猫はそばに寄ってきて私に頭をぐりぐりとこすりつけた。
「うん。そうやな、<まる>って呼ぶことにするな。まるに決定や」まるは「みゃおん」といった。
のどの辺りからかすかにゴロゴロと音が聞こえる。
ためしに私はちょっとテーブルの方へ移動してそこへ座り、<まる>、と呼んでみた。
すると、<まる>はテッテッテとシッポをくねらせながらこちらへやって来た。
「やっぱり!まる、お前さんは私の言葉がわかるんやね、これから友達やな」「にゃおぉん」。
その日から、私にとって黒猫の<まる>はいなくてはならない存在へと変わっていた。
今日も何事もなく学校から帰宅。死んだ抜け殻は相変わらず電気もつけずにウイスキーのビンを横に置きテレビを見ていた。父の横顔は青白い光に照らされ不気味だった。
今日も父を無視し2階へと上がる。2階へと上がりながら考えてみた。
なぜ母は、このような豚と結婚したのだろうか?恋愛?恋愛とは?・・・・。
恋愛とは知恵の輪のようなもので、どう繋がった環と環が解けるのかを考えている時間が最も楽しいのであって、解けてしまえばもう以前のような楽しさは無いのである。
なぜならば、もう解き方を知ってしまったからである。
だから恋人たちは、倦怠期などと呼ばれる時期に入ると、距離を置こうなどといったりするのである。
距離を置いて時間がたてば、知恵の輪のとき方を忘れるか新鮮味が出るなどしてまた寄り添い合える場合がある。
深く、相手のことを知るというのは、新鮮味をなくし熟した甘みを過ぎ、腐っていく林檎のごとく、
美しい感動を失っていく事なのである。永遠の愛などというものがもしあるとすれば、それは知恵の輪を
解くことを放棄することである。
しかしながら、それはもはや愛と呼べるのであろうか?
恋愛を長続きさせるには、あるいは夫婦として長く仲が良いということは、すなわち、
ある種の才能であり、奇跡的なめぐり合わせなのである。他は、妥協、哀れみ、嫌々、見栄、経済的理由、
そんなところだろう。私は、両親を見ていつしかそんな風に考えるようになっていた。
今日も<まる>は居るだろうか?そっとあけてみた。すると、ちょうど窓のふちの所で、ちょこん座るようにしてこちらに背を見けるようなかたちで、外を眺めていた。
時刻はちょうど夕焼け時で、夕日越しに見るその背中は、なんだか哀愁に満ちていた。
私は言った。「まる。ただいま。」すると<まる>はこちらに頭をクルリと向け、「にゃああん」と
いった。そして、いつものスルリと音も無いエレガントな着地をし、
こちらへ少し急ぎ足に近づいてきた。私は、S字フックにかばんを掛け、家着に着替えた。
ふと今日の疲れが少し出て独り言を言った。
「はぁ、今日も疲れたわー。」私はいつもの癖で、部屋の中央にあるノートPCが置かれたテーブルの前に座った。
胡坐をかき、いつもどうり、なにげにPCに電源を入れる。<まる>を呼んでみようと思い、足のふくらはぎを手でポンポンと軽く叩いて「<まる>おいで!」と言うと、ベッドの近くに居た<まる>は、しなやかな足取りでこちらへやってきて、ちょうど胡坐をかいている股の所あたりへ丸くなって座った。
初めはかすかに、そして徐々に暖かみが感じられてきた。
まるで春が乗っているような、やわらかな感触だった。
そうこうするうちに、PCの起動も終わりデスクトップ画面が表示されていた。
私は<まる>を脚に乗せたまま、インターネットブラウザを開き、YouTubeにアクセスした。
どの動画を見たいという訳でもなく、惰性でいつもそうしている様に、適当に動画を探し始めた。
学校の皆は、流行の動画を見たりしているようだが、私はそういうわけでもなく、政治の動画や学問の動画を主に見ていた。今日は<まる>が居ることもあり、動物の動画を見せてみようと思った。
猫と検索してみた。すると愛らしいいかにも人気が出そうな猫やお風呂に入れてあげる動画や、
まさかの展開が!などとタイトルに入れて視聴者の興味を引こうとしていそうな動画もあった。
私は、海が見える港にいる猫を撮影した動画を<まる>に見せてみた。
すると<まる>は、興味津々で、動画の猫が素早く動くとその方向へ頭を向けたり、画面へ前足をピョコピョコとだしてみたりしている。どうやら<まる>も自分の仲間だという事が分かるらしく、興奮して体を動かしていた。私は、<まる>のこんな姿、いや、猫のこんな姿を目の前で見ることがはじめてだったので、妙に感動した。画面を見て必死になっている<まる>の横顔はとても素敵だった。
その動画も見飽きた頃、私は関連動画で、暗殺武術!世界最強の達人!というタイトルの動画が目に
入ってきた。いつもならば、そういう動画は見ないところなのだが、今日に限っては不思議となんだか興味がわいてきたのである。
動画を再生してみる。初め竹笛が鳴りはじめ黒い画面からタイトルが黄色の文字で表示され、その後黒い柔道着のようなものを着たひげの長い老人が現れた。
老人は緑色の畳がしかれた大きな道場の真ん中にたって。
「私が古来より伝わる暗殺武術の伝承者である!」と言って、大声で「でえぇぇえい!」と叫び、体を大きくそらしポーズを決めた。
そしてまた、画面が黒くなりこれより暗殺武術を披露いたします、と表示されその後、先ほどの
道場の壁を背にして少し間をあけた場所に、お正月のときに鏡餅を置くための木でできた台のようなものに、水晶玉らしきものが乗っている画面に切り替わった。そこへ例の老人が現れた。老人は水晶玉の前へ正座して座り、目をつむり眉間に皺をよせていた。
そして水晶玉に手をかざし、「でええええぇえぇぇぇえええい!!」と大声で叫んだ。
<まる>はどうやらこの動画に関心があるようで、ものすごく前のめりになっていた。
老人はそれを2,3回繰り返したのち、道場の真ん中へ神妙な面持ちですたすたと歩いていく。
するとここでまた、画面が暗くなり、いよいよこれから
本番の暗殺術をお見せします!と画面下に黄色いテロップが入った。するとまた、画面は先ほどの道場に戻り老人は、いや、暗殺術の達人は、道場中央で目隠しをしていた。
画面の下にキャプションが白で暗殺術は心で見る技なので一切の視覚の力を必要としない!と書かれていた。
その後、5秒後くらいに「でやーーーー!!」と言う叫び声とともに、白い胴着を着た若者が達人に襲いかかっていった。すると例の暗殺術の達人は胸の前に人差し指を突き出し、クルリとまわした、
すると襲いかかった若者は、まるで老人の指先の動きに連動するかのように、クルリと回転し空中へ放り出され、ドサリと道場の床に叩きつけられた。
その後も後から後から老人の弟子と思われる人物たちが老人に急速に向かっていったが、
老人が素早く人差し指を空中でクルリと回すと、その弟子たちはことごとく床へ叩きつけられていった。
<まる>は特にこのシーンがお気に入りらしく、先ほどの猫の動画のときよりも前のめりになり、
真剣に画面を見つめていた。そのとき私は<まる>をとても愛おしく思った。理由はよくわからない。
脚がとても暖かかった。
動画のコメント欄は、誹謗中傷だらけで、マイナス評価ばかりが大半を占めていた。
やがて、暗殺武術の達人の老人がお辞儀をして、動画はフェードアウトしていき終わった。
動画が終わると<まる>は、私のほうを振り向いて「あおぉん!」と言い、また私の脚の上に座りなおした。
私は<まる>の頭をなでながら<まる>の無邪気さを愛した。
私はそのまま、<まる>を抱っこしてみた。最初<まる>は慣ずに緊張しているせいか、私の服に爪を立てていたが、やがてゆっくりと、かわいらしい前足に吸い込まれるように爪が引っ込んでいくのがわかった。
そのとき私は、たしかなぬくもりを感じた。しかし、そのぬくもりは、<まる>のものか自分の<心>なのか分からなくなっていた。
窓の外はすっかり暗くなっていた。
<まる>は私の腕からスルリと床に着地し、いつものように窓のふちにヒョイと飛び乗り、こちらを一瞥したあと軽やかにシュッと隣の屋根へ飛び移り、ゆっくりと私の部屋を後にした。
私はいつものように、見えなくなるまでその後姿を見守った。
まるで愛しい恋人とのひと時の別れのように・・・・。
<4>
父が死んだ。酒に酔っ払って路上に倒れていたそうだ。死因は心臓発作らしい。
その日から私は学校を休みがちになり、次第に不登校状態になっていった。卒業は成績が悪いわけではなかったのと、卒業式までの日数が短かったこともあり、留年は避けられるようだ。
担任の教師にも母から理由を話してくれ、教師も立場上学校に来るように進めたようだが、無理にとまでは言わなかったようだ。それには、感謝している。
私は、終日ベッドにもぐったままだった、<まる>もなぜだか、最近来なくなってしまった。
そんなある日、私は何気なく窓の外を眺めていると<まる>と思われる猫が子猫を連れてそろそろと、塀の上をゆっくりと歩いているのが分かった。
<まる>と子猫は私が思うに親子なのようだ、<まる>は立派な親になっていた。
「そうか、<まる>・・・」私はこのとき瞬間的に<まる>との別れをさとった。
心の中で「元気でな!」と言った。そして私は、またベッドにもぐりこんだ。やはり、それ以来<まる>はもう来なくなった。深夜4時、私は服を着替え机の引き出しからペットボトルのキャップを取り出しポケットにしまった。
家から自転車で10分ほどの所には川が流れており堤防があった。
私は、暗い中を自転車で堤防へと急いだ。
堤防に着くとあたりは薄明かりになり霧も出ていた。
私は堤防の上から川面を眺めながら、「さよなら」と言った。
そして、あれだ!と直感的にポケットからイヤホンとスマホを取り出してYouTubeで、
<ディズニーランド(1995 08 26 代々木公園 フリーライブ)>を検索して再生した。
そのライブの音にあわせて徐々に堤防の上を全速力で走り出した。
なんども、なんども、なんども、つぶやいた!さようなら!さようなら!さようなら!と。
息が苦しくなっても、走り続けた、走って、走って、走り続けた!全速力で!曲が終わりに差し掛かる頃、ゆっくりと歩を緩めていき、少しずつ息をぜいぜい言わせながら私は堤防の上で立ち止まった。
そして、ポケットからキャップを取り出し、川めがけて思い切りそれを投げつけた。
さようなら!さようなら!さようなら!
そのとき私は、霧がさす川面の向こうに、浮世の燃える幽霊船を見た。
完
補完 『BLANKEY JET CITY 「ディズニーランドへ」 歌詞』
ノイローゼになってしまった
友達が僕に言う
「あの楽しそうな
ディズニーランドへ
一緒に行こうよ」って
でも僕は行く気がしない
なぜなら彼は気が狂ってるから
一緒にいるのが
とてもつらくてたまらないから
一緒にいるのが
とても恥ずかしくてたまらないから
でも僕はこう答えたんだ
「もちろん行こうぜ
約束するよ」って
でも僕はたぶんその約束を
破る事にになるだろう
彼は悲しくて涙も流さないだろう
一緒にいるのが
とてもつらくてたまらないから
一緒にいるのが
とても恥ずかしくてたまらないから
そして僕は冷たい人間の仲間入り
そして僕は冷たい
人間の仲間入りさ
アーティスト: BLANKEY JET CITY
アルバム: Bang!
リリース: 1992年
ジャンル: ロック