第8話 幼馴染三人、集結
大志が武術大会の表彰台に立って数日。
「欠陥品の突然変異」と噂する声は、次々に「やたら格闘技が強い新人」と変わっていく。
今朝も食堂の片隅で見世物のごとく囁かれながら、大志は朝食を取っていた。
前の席に座るほのかと「あ、大志くんって左利きなんだ」なんて取るに足らない雑談をしながら。
膳のものを半分くらい消費した時、銀臣が食堂に入ってくる。窓口で膳を受け取って、賑わう食堂を見渡していた。
「銀臣ー、ここ空いてるよー」
席を探しているのだろうと思って、ほのかは自身の隣を指差す。
それに気づいた銀臣の視線は、ほのかから隣の席へ、それから大志へと移った。
ふいっと顔を逸らし、銀臣はどこかへ行ってしまう。人混みの中から遊一郎を見つけて、その隣へ座った。
「ったく、アイツは……」
苛立ちと呆れ半分のようなほのかを、大志はまぁまぁと宥めた。
「べつにいいですよ。仕事では助けてくれますし」
「まぁ大志くんがいいならいいんだけどさ。人と仲良くすることなんて周りが強制するもんじゃないし」
「そうそう、気長にいきましょう」
「ほんとその点、大志くんは社交的で良い子でカワイイね〜」
「あんまりからかわないでくださいよ」
「頭撫でさせろー!」
「やめてくださいって!」
年相応のじゃれ合いのようなことをしていると、すぐ近くで鼻を鳴らす音が聞こえた。
大志とほのかが顔を上げると、男が一人、二人を見下ろしていた。いや、見下していた。
蔑むような、敵意を隠そうともせず大志を睨みつける。そして歪んだ口から吐き出される言葉に目を見張った。
「役立たずのくせにまだいるのか。普通は自分から退役を申し出るものじゃないのかな?」
「はぁ……すみません」
咄嗟に大志が返したのはそれだけだった。べつに自分が悪いと思っているからではなく、条件反射で無意識に出ていた言葉である。
男は大志と同じくらいの年齢で、どちらかというと色素の薄い髪色をしている。表情や声音、全身で不遜な雰囲気を出していた。自分以外の全ては格下というようなオーラがひしひしと伝わる。胸にグリーン・バッジが無いことから、普通の軍人なのだろう。
「ちょっと重春、なんなのアンタ。ケンカならアタシが買うよ」
「君には関係ない、黙っててくれないか」
すかさず言い返したほのかと男は睨み合う。
不穏なムードを感じ取った大志が、とりあえずほのかを落ち着かせようと「大丈夫だから」と押し通した。
ほのかは納得できないながらも大志の意思を尊重し、睨むだけに留めている。
それをいいことに、男は続けた。
「全く……堤局長もなぜこんな役立たずをいつまでも置いておくのか理解に苦しむよ。オーパーツが使えないなら警察にでも帰ればいいのに」
「そうですね、俺もそう思ったのですが、支部局長にはここにいるように言われていて。ですが、他のことではなんとかお役に立てるよう精進します」
「……ふん、局長に媚を売っていたら許さないぞ」
笑顔で応対する大志に勢いを削がれた男は、膳を持って返却口に向かった。その周りには取り巻きらしき仲間が数人、金魚のフンのように付いている。
最後にもう一度大志を睨みつけてから、今度こそ去って行った。それを見送ってから大志は何事も無かったかのように食事を再開しようとしたが、ほのかが苛立たしげに声を荒げる。
「あー! アイツ本当にムカつくんだけど! 家がお金持ちだかなんだか知らないけどアンタが偉いわけじゃないっつーの!」
彼らが出て行った扉の方に向かってべーっと舌を出すほのか。まるで自分のことのように怒ってくれる彼女に、大志は困ったように笑った。
「アイツ、戸倉重春っての。嫌味で上から目線のすっごく嫌な奴だから気をつけなよ」
「戸倉……? なんだかつい最近聞いたような……」
「そりゃそうだよ。てか、毎日どこかしらで支店は見てるんじゃない? 戸倉紋上銀行。アイツ、戸倉財閥の息子だよ。確か四男だか五男だけど」
「え、そんなお坊ちゃんがなぜ軍に?」
戸倉財閥。銀臣と初めて市中パトロールに出た日に、大志がホテルと間違えた立派な銀行だ。
総資産額はこの国でも指折りだと聞く。なぜそんな、働かなくても困らないような人間がここにいるのか、大志は驚いて箸を止めた。
ほのかはまだ機嫌が悪そうに答える。
「お金持ちなんてそんなもんだよ、家を継げるのは一人でしょ。継がない子供は独立したり軍に勤めるなんてよくある話」
「そうなんですか……」
「てかさー、ちょっと銀臣、アンタ自分の後輩があんな風に言われてなんで黙って見てるわけ? アタシが一番ムカついてるのはアンタになんだけど!」
ほのかの大きな声は食堂に響いて、離れた位置の銀臣の耳にも入った。
銀臣は迷惑そうに眉を寄せてほのかを睨む。それから興味無さそうに食事に戻った。
無視されたことに気づいたほのかはヒートアップする。大志は困ったように笑いながら落ち着かせた。
「いいんですいいんです、言われても仕方のないようなことしか言われてませんし。柴尾さんを巻き込むのも変な話じゃないですか」
そう、人が良さそうな笑顔に、ほのかも勢いを削がれる。
大志は、なんだか曖昧な印象の男だった。少なくともほのかにとっては。
年相応にふざけることもあれば、急に大人びた態度になる。武術大会ではまるで生死に関わるような気迫で相手に向かっていくのに、普段は人当たりが良くて、大人しく礼儀正しい。
なによりまず、人に対して苛立ったり感情を昂らせることが無い。本来であれば、銀臣の態度や重春の言葉に食ってかかってもいいようなものを。
「……ホーント、いい子すぎるのは美徳じゃないよ?」
「心配されるほどいい子じゃないですよ」
大志は相変わらず、笑って場を収める。
それを睨むように見てから、銀臣は遊一郎との会話を再開した。
◇◆◇
帝都中央駅前
「わぁ、すごい、すごい……こんな世界があるんだ……」
奈都は感嘆の溜め息を吐いた。
瞬きすら勿体無いと思える程の街並みを前に、口を開けたままなのに気づいたのは数分経ってからだ。
ハッとして口を閉じる。はしたないと一人恥ずかしくなったが、誰も自分なんて気にしていないようだった。皆、目的地へ向かってそこしか見ていない。
派手な格好をした婦人、風船配りのピエロ、奇抜な髪型の若者、妙にませた歩き方をする子供。
どんな人間も受け入れて、街の一部にしてしまうような光景。
自分のような存在すら受け入れてくれているような錯覚にさせるここに、奈都は確かな高揚を感じた。
上を向いて歩く。田舎にはあまりない立派な装飾を施した建物に見惚れながら歩く。
そのいかにも上京したての田舎者の仕草は、一部の者には目立って仕方無いらしい。
奈都が通り過ぎたすぐ横に立っていた若者は、仲間にアイコンタクトを取る。
それから獣のような足取りで、後ろから数人で奈都に迫る。
「すみません」
意識して人当たりの良さそうな声を掛ければ、奈都はすぐに振り向いた。
「ちょっとお話しいいですか?」
◇◆◇
帝都中央街・路地裏
「………準備はいいか?」
男は仲間に向かって呼びかける。
それを受け、誰もが神妙な面持ちで頷いた。地味な格好に、どこか冴えない印象。いかにも中央の人間ではない風貌の男たちは、淀んだ目をしている。世の中全てを恨んで、全てに不満があるような飢えた目だ。
「始めるぞ。呑気なバカどもに地獄を見せてやる」
運送業者に偽装したトラックの荷台を開ける。
途端に、こもった臭いが広がる。それに若干顔をしかめたが、男たちはすぐにその場を離れた。
中からは、ざわざわと気味の悪い音が何重にも聞こえてくる。それらは辺りの気配に感覚を研ぎ澄ませながら、車から飛び出して行った。
◇◆◇
朝の穏やかな空気を一変させたのは、市民からの一本の電話だ。
市民が警察に通報し事態が発覚。警察から軍に出動要請が入ったことで、南方第二支部も一気に慌ただしい雰囲気になる。
「最低限を残して全員出動! 各割り当ての通りに避難誘導と討伐を急げ!」
街中に突然現れた怪物が、通行人を襲ったらしい。
しかも数体いることが確認されている。次々に人を襲い、被害は広がっている。
普段の訓練通り、軍人たちは迅速に準備を済ませて次々に支部局を出発していく。
大志もホルスターに拳銃をセットしてスーツを羽織った。銀臣は隣で失われた叡智を担いでいる。
「宮本二等軍士」
三島の声に振り返ると、その手にある物に真っ先に目がいった。
「堤さんよりこれを貴方に渡すように言付かっているわ」
大志に差し出したのは、失われた叡智によく似た外見のケース状のもの。
大きさ、形もほぼ似ていて、違う点といえば色と細部の構造だろうか。
失われた叡智は鈍い銀色をしているが、これは光を反射しない黒だ。
「技術研究部が最新で発表した、オーパーツを再現したものよ。適性者でなくても使えるわ。威力も精度もオーパーツには遥かに劣るけど、これがしばらく貴方専用の兵器ということになるから。堤さんに感謝なさい」
「わざわざ、俺の為に?」
「研究者たちは、まだ外には出したくなかったみたいだけどね」
「すごいですね。あの頑固なジイさんたちをよく説得したもんだ」
銀臣が後ろで、ここにはいない堤への賞賛を送る。
三島はそれに視線を逸らした。
「説得……説得、うん、そうね、説得、説得だったわ」
ハハッと、どこか遠い目をして笑う三島に全てを察した大志は「一体なにが……」と聞いたが、三島は真顔になって答えなかった。
「とにかく、名目上はモニターということになっているわ。それが研究者を頷かせた条件でもあるの。帰ってきたら報告書に書いてもらうから。二人とも、気をつけて」
ハイッと声を揃えて返事をし、大志は新しい相棒を肩に担ぐ。
《緊急車両が通ります。通ります、ご協力ありがとうございます》
サイレンを鳴らす車を運転する銀臣の横で、大志は交差点に差し掛かるとアナウンスを流した。
いつもは活発な街も、今日は雰囲気が違った。
慌てて逃げていく通行人たちは、赤子を抱く者、若い夫婦、足の悪い老人と様々《さまざま》だ。
警察が避難誘導をしている。車に乗っていた人は、緊急車両の邪魔にならないように端に寄せて、警察の指示通り近くの建物に避難していく。
帝都は人が多い分、避難に要する時間はかなり掛かる。恐らく警察も人手不足で、まだ避難が完了していない場所もあるだろう。
《通ります、通ります、緊急車両が通ります》
そこで大志は「あれ」と声を漏らした。
緊急速度で走行する車では、景色は一瞬で過ぎる。それでも大志は振り返って目を凝らした。が、やはり確認することは叶わなかった。
「どうした」
「今の人、支部局長だったような……?」
街の雑踏の中、逃げ惑う人々の間に見慣れた黒いスーツと明るい髪色がいた気がしたのだ。
背の高い建物で挟まれた路地裏に立っていた。
それともう一人。顔までは見えなかったが、堤の横に誰かがいた。
それを銀臣に伝える。
「どうしますか、支部局長だったら拾って同行して頂いた方がいいでしょうか」
「いや、街がこんだけ騒がしいのに、堤さんが事態に気づいてない訳がない。堤さんなりの考えがあっての行動だろ」
信頼して言い切る銀臣に、大志はすぐに納得して「わかりました」と返す。
「一緒にいたのはたぶん堤さんの糸だろ。ヤーンと会ってる時は声を掛けないのが暗黙の了解だ」
聞きなれない単語に、大志は首を傾げる。
「ヤーン?」
銀臣は素っ気ないながらも丁重に説明を入れた。
「協力者の隠語。軍人が個人で繋がってる一般市民のことだよ。情報を貰ったり、人によっては軍規や法に触れることもしてくれる。使い方は様々だ」
「それってつまり……」
銀臣は随分さらっと言うが、その言葉が意味することは一つしかない。
「そ、違法手段。べつに珍しいことじゃねぇよ。そうやって手柄をあげて上に行く奴だって多い。上位階級くらいなら誰でも四、五人はいるって話だ。堤さんは……やたら顔が広いから二十人くらいいたりしてな」
「へぇ……」
「ああやってヤーンと会うのを『ネットする』とか『ネットワークに繋ぐ』とか言うんだよ。軍での隠語だから覚えとけ」
「なるほど、糸を張り巡らせた網ですか」
「アンタも一人くらい持っておいていいと思うぜ。いざという時に自分の代わりに動いてくれるし、情報も入れてくれる。ただし、人選は慎重にな。利用しているつもりが利用されるってことも、誘導されて情報ゲロッちまったり、嵌められて犯罪者にされることもある」
「柴尾さんもいらっしゃるんですか?」
大志の問いに、彼は軽く肩を竦めた。
「俺は駆け引きとか心理戦とか苦手だから御免だね。自分の腕一本でのし上がる方が燃えるしな」
「なんか、妙なところで熱いですね」
「ああいうのは向き不向きがはっきり別れるもんだ。アンタも向いてるならやった方が手柄は拾えるぜ。なにせ世界中に自分の目がいるわけだしな」
「う〜ん……違法行為をするリスクと手柄の兼ね合いが重要ですね……」
違法行為を影で行うなんて、と、あいにくと大志はそんな熱い正義心は持っていない。利用できるならするべきだと肯定的な考えである。
だけど次の銀臣の一言で、彼はドキリとした。
「それで出世するのさ、世の中。堤さんだって、お綺麗なままであの地位にいるわけじゃねぇと思うぜ」
そして思い出したのは、大会会場で前道文近に言われた言葉。
__君からみて、堤凪沙になにか不審な動きは無いか?
協力者と話す堤。それは、前道の言う『不審な動き』に該当するのだろうかと考えた。
だが銀臣の話によれば、わりと誰でも協力者はいるらしい。それ自体は不審なものではないが、もしかしたら危険な人物と繋がっているということだろうか。
そもそも、危険な人物とはどの範疇までの人のことだろう。
思考が迷路に入る一歩手前まで行きそうになったところで、やめた。
(前道さんは忘れてくれって言った。関わる必要は無いし、俺には関係ない)
車が交差点に入る。無駄な思考を全て追い出し、大志はアナウンスに戻った。
◇◆◇
中央街・高坂通り四番地 ある高級住宅の寝室
豪華なベッドからのそりと起き上がったのは、長い髪が美しい二十代後半の女。
豊満な体を柔らかいシーツで包み、重だるい腰を労わりながら横に視線を落とす。
それから、極上に優しい笑みを浮かべた。
愛しいという感情を瞳に溜め込んで降り注ぐような視線。それを向けているのは、まだ二十歳にもいかない少年だ。
成長しきっていない体をシーツにくるんで、子供のような寝顔をさらけ出している。女はその髪に指を絡めるように撫でた。しばらくは、細くて柔らかい毛の感触を楽しむ。
それから、優しい声を紡ぐ。
「ねぇツバメ、牛乳買ってきてくれる?」
「えー……」
少年は面倒臭そうに眉を寄せた。眠気と戦っている顔すら愛おしくて、女はいつも寝起きの彼に用事を言い付ける。
「お小遣いあげるわよ。そうだ、この前欲しがっていたピアスも買ってあげる。きっと似合うわ」
「ホント? じゃあ行くー」
現金にも、少年は嬉しそうに笑った。猫のように吊り上がった目、なのに垂れた眉が特徴的な少年。子供っぽさと妙な色気が同時に存在しているような、地に足のついていない印象を持たせる少年だった。だからこそ彼女は、少年がどこかへふわふわ消えていかないようにいろんな物を買い与えた。
そうして現実の物に囲まれていれば、その存在をはっきりしたものにできると思っているからだ。
「ますます良い男にしてあげるからね、私のカフェラテちゃん」
「ん……」
女は堪らず、唇を少年の唇に重ねる。押し付けるようにすれば柔らかさを感じて、少年もくすぐったそうに笑う。それだけで、女はわりと満足だった。
例え少年が、愛の言葉もなくあっさりと体を離していくとしても。
◇◆◇
大志たちが接敵したのは、高坂通り前の広場。
貴族や成り金ばかりが居を構える高級住宅地は、今やたった一匹の蟲に蹂躙されていた。
着飾った婦人が、綺麗にセットした髪を振り乱して自宅に駆け込む。蟲は全長二メートルはあろうかという巨大ムカデだ。世界大戦時に地球環境の変化で巨大化する生き物が急増した中、昆虫類も例外では無かった。
巨大なムカデは、おぞましく足を動かしながら獲物に向かって這い回っている。
「ちょうどいい、アンタのそれ使ってみようぜ」
車を止めた銀臣が、大志の膝の上に乗せた新型兵器を視線だけで差す。
初めての武器を訓練もなく、こんな切羽詰まった場面で使うのに大志は若干躊躇った。
「安心しろ、外しても俺が撃つ」
という言葉に押されて、車を降りる。
起動スイッチを押す。操作法はオーパーツとほぼ変わらないと説明書にはあった。起動できずとも操作法の勉強だけはしていた大志にとって、完全に手に余る代物では無い__希望的観測ではあるが。
まず受けた印象としては、オーパーツよりも起動してから銃の形状になるまでが遅い。これは銀臣が訓練で起動するところを見ていたので、わかることができた。
それと、変形していく過程で振動が大きい。オーパーツは変形している最中、全く振動が無かった。これはたった一度起動した時の感想であるので、後で銀臣に確かめてもらおうと頭の隅にメモする。
これが国最高の研究者たちの最新技術だと言うのだから、オーパーツの技術の高さは計り知れない。再現不可能という話はまだまだそのままであり続けるだろう。
一通りの感想を頭の中に書いてから、大志は構えた。
膝立ちになり、ムカデに銃口を向ける。
リアサイトとフロントサイトで標的を狙い、引き金に指を掛けた。
細く長く息を吐いて、それから止める。ここだと思う瞬間に引き金を引く。
ギャッ
短い悲鳴を上げたムカデは、真っ赤な不気味な目を大志に向ける。
弾はムカデの頭部を外し、幾多もある足の一部を吹き飛ばしただけとなった。
もう一度狙う。
が、ムカデはものすごい速さで大志に向かって這い寄ってくる。蛇行しながら黒光りする巨大な生物が襲ってくる光景にぞっとしながらも、冷静になろうと呼吸は乱さないようにしながら引き金に力を込める。
しかし、一発の銃声がムカデの頭部を吹き飛ばす。
それは当たり前だが銀臣の弾で、彼は大志の横でずっと狙いを定めていた。
頭部を失ってなおも動くムカデに連続で弾を命中させ、標的が動かなくなったのを確認してから銃口を下げる。
「どうだった、それ」
外してしまったことを咎められるかと思ったが、銀臣はそれには一切触れずに視線を大志の持っているものに向けた。
「………反動が凄いです」
とりあえず撃った感想を述べた大志に、銀臣は「今度、俺にもいじらせろよ」と無愛想に返す。
◇◆◇
帝都大衆住宅街・路地裏
「あ、の、なんでしょうか……」
背後に壁、目の前に怪しい男三人。
奈都は恐怖で震える声で聞いた。聞いたところでろくな事では無いのは確かだと思いながらも。
昼間はあまり人気の無い住宅街の死角になる場所で、男たちは威圧すら感じさせる真剣な表情だった。ジャケットを着て、一見すると良い職に就いているようにも思える。
「君がある殺人事件の最有力容疑者にされている。我々は覆面警察の者だ」
「え⁉︎」
予想もしていなかった言葉に、奈都は固まった。なんで、なんの、どうしてと頭の中でぐるぐると言葉が回る。
「落ち着いてくれ、大丈夫。我々は犯人は君ではないと思っているんだ」
「そ、そうです、殺人なんて、私……」
「だが、証拠を集めるのに資金がどうしても足りない。必ず我々が君の無実を証明してみせるから、どうか少しばかり援助してもらえないだろうか」
「お、お金、ですか。でも私、そんなに持ってない……」
心臓がバクバクと嫌に暴れて、奈都は混乱した頭でなんとか男たちの質問に受け答える。
親はいない、遺産なども相続していない、それを聞いた男たちは、次第にその仮面を剥がし始めた。
「保険金などもかけていないのかい? 友人はどういうご家庭の子がいる? その子から借りてきてもいい。もちろん、極秘調査だから親には内緒にしてほしい」
「………すみません、警察の方なんですよね? あの、身分証などを見せていただけますか?」
「あぁ、もちろん」
男の一人があっさりと内ポケットから手帳を出して見せた。
奈都はまじまじとそれを見る。顔写真はもちろん目の前の男のものだ。
「……ちがいます」
「は?」
「これ、正式な手帳じゃないですよね? 手帳の印刷が違ってる」
「はぁ? いえ、そんなはずないですよ。勘違いしていませんか?」
「勘違いしていません。私の家族、元警察官なので」
「え、やべっ」
間抜けにも、奈都のその一言で男たちは慌てだした。
明らかに動揺しながら、男の一人が今度は小型ナイフを取り出して奈都に向ける。
「おい女装男! 絶対にこのことを家族に言うなよ! 言ったら殺すからな!」
「言いませんよねぇ。こんなお粗末なシノギをするアホの話なんて、笑い話にもできないですから」
「⁉︎」
「誰だ!」
突然の声に、男たちは焦って勢いよく振り返る。元警察官の家族かと思ったのか、冷や汗まで垂らして。
だけどそこにいたのは、明らかに警察官ではない。なんならカタギでもなさそうな雰囲気の、ホワイトスーツの男。
「それはこちらのセリフですよ。誰の許可得てこのシマでそんなチャチな商売をしてんだい」
男はぎらりと鋭く睨みながら、懐に手を忍ばせる。
取り出した懐刀の柄の部分を見て、男たちは情けなく悲鳴を上げてから走り去っていった。
急展開に頭のついていかない奈都は、しばらく逃げていく背中を見送ってから、ハッとしてスーツの男に頭を下げる。
「あ、ありがとうございます!」
男はニコリと、とたんに人当たりの良い紳士的な笑顔になる。
「いえいえ、お嬢さんにお怪我がなくてなによりです。ここにはああいう警察を名乗るバカが多いので、お気をつけなさい」
「はい、都会に慣れていない田舎者で……」
「大丈夫ですよ、今日の帝都は誰も慣れていないでしょうから」
「え?」
「さぁ、こちらに。ここは危険だ」
男は、それだけ言って歩き出した。
奈都はついて行くべきか悩んで足踏みをしたが、突如近くから聞こえてきた人の叫び声に肩を震わせる。
続いて大通りを横切っていくおぞましい生き物を見た。それが危険なものであるとすぐに理解して、足を竦ませる。男がもう一度「来なさい、この先に避難所がある」と促してくれて、ようやく一歩を前に出した。
◇◆◇
帝都中央街・高坂通り付近ショッピングエリア
「おい、なにやってんだ急げ!」
「もっとスピード上げろ!」
この地獄絵図のような生物兵器テロを企てた革命家たちは、自身の策により生死の合間を彷徨うことになった。
アクセルを全開にして、最高速度で車を走らせる。
後ろからは巨大蟻が追いかけてくる。大きさは車のタイヤより少し大きい程度だが、大型トラックさえ持ち上げてしまう怪力の持ち主だ。
「おいおいおいもっと急げ!」
「急いでるよ!」
ハンドルを握る男は怒鳴り、恐怖からか何度もサイドミラーを覗く。脅威がどこまで迫っているのかを確認したい心理によるものだったが、結果的にはそれがいけなかった。
男がサイドミラーの中にいる蟻に気を取られていると、すぐ隣から焦った声。
「おい前、前!」
「え?」
気づいたが、反応するまではできなかった。
運転手が前を向いた時、すでにそれは目の前にいたのだから。
小型の乗用車と同じサイズはある蜘蛛が、車の前に飛び出してきた。ハンドルを切ろうとしたが間に合わず、蜘蛛を轢いた衝撃でタイヤが浮いた。
車は横転し、道路に火花を散らしながら滑った。何度か回転し、最後には店のウィンドウに突っ込む。
そしてその光景を見ていた少年は、あまり日常ではお見かけしない大事故に「え、え?」と困惑することしかできなかった。
少年__ツバメは、街の様子がおかしいことには気づいていた。
昨晩は世話になっている女と朝方までベッドの中で戯れて、独特の心地良さから目覚めたら昼も間近だった。
女に買い出しを言い付けられ街に出てみれば、様子がおかしい。いつもこのショッピングエリアは金持ちが贅沢を楽しんでいるのに、全く人影がなかった。
優美さに命を懸けたような道は、物が散乱し荒れていた。並ぶ店の窓にはなにかで引っ掻いたような痕と、なにやら緑や黄色の液体。店の中からはたまに人の気配がするが、ドアにバリケードのようなものを張って出てくる気配は無い。
「え、ヤバイ感じかな? 警察呼んだ方がいいの、こういうのって?」
街が異様な雰囲気に包まれていても、どこか呑気な声音のツバメは、しかし次の瞬間には「只事どころではない」と確信する。
角から、巨大蟻が顔を出したのだ。
触覚をピクピクと動かしながら、二股に割れた歯をギシギシと不気味に鳴らす。
「え、なに? どゆこと?」
口の先だけで呟いて、後ずさる。
巨大化した昆虫たちは、普段は人里の、しかもこんな都会になど出るはずがないのだ。住処と餌が充実している山奥で、野生動物などを捕食して生きているはずであり、ツバメは膨張類(世界大戦時またはそれ以降に巨大化していった生物の総称)を見るのは初めてだった。
一瞬の間に過ぎる死の予感に固まっていると、しかし蟻はツバメには目もくれず、大破寸前の事故車の方へ向かう。
「う……たすけて……」
運転席から這い出てきた男は、どこまでタイミングが悪いのだろう。
そのまま車に身を潜めて息を殺していればよかったかもしれないのに、男は上半身を外に出したあたりで、やっと自分が狙われていることに気づいた。
「あ、あ、たすけて……たすけてくれぇ……」
ツバメを見る。
助けてくれと縋る、または見捨てないよなと脅すような瞳で。
ツバメはすぐに背を向けた。
「ま、待ってくれ! 待って………待てよ‼︎」
恫喝する声に、ツバメは振り返りもしない。ただただ、自分が逃げることを優先する。蟻が男の方に行ってくれてラッキー、とさえ思った。後ろでは、男の呼び止める声。しかしその後すぐに叫び声と、なにかを砕くパキパキとした音。男の声も止んだ。
その音を聞かないように、ツバメは自分の声でかき消す。
「知んねーって、ホント、ボクは。自分の運命呪えよ」
そして角を曲がったところで、今度は自分の運命を呪うことになる。
二つの鎌が見えた。死神の鎌かなと場違いな冗談を心でぼやきながら視線を上げる。逆三角の恐ろしい顔が、自分を見下ろしている。
「う、わ……」
見上げるほどに巨大なカマキリ。
ツバメは背を向けることができなかった。背を見せた瞬間、その鎌で八つ裂きにされそうな気がした。震え出す足と、抜けそうな腰。だけど自分ではコイツから逃げ切れないと、なぜか冷静に判断できた。
「た、すけて……」
さっきまで男が言っていたのと、同じ言葉が口から出る。
だけどツバメが頼る先は、いつも決まっていた。
「大志……!」
カマキリが鎌を振り下ろそうとする。それにただ、目を瞑ることしかできなかった。
衝撃を覚悟していると、車の走行音。続いて何かにぶつかった派手な音。
またどこかで事故かと思ってツバメが目を開けると、さっきまで自分を見下ろしていたカマキリがいない。
代わりに、一台の車がそこにいた。国最高の部隊であるグリーン・バッジの紋が刻まれている。
「体当たりとか、案外やること凄まじいな」
「すみません、一般人が近かったので銃よりいいかと思って」
「ユウの運転よりは安全だったぜ」
車から出てきた男二人のうちの片方が、吹っ飛んでいったらしいカマキリに銃を向ける。立ち上がろうとしていたカマキリは、頭と腹部を撃たれ絶命した。
「大丈夫ですか!」
もう一人はツバメに駆け寄る。
ツバメは呆然とする頭で「生きてる……」とだけ呟いて、あまりの安堵に力が抜けて尻もちを突いた。
「お怪我はありませんか?」
「だ、だいじょーぶ……」
それを見た男が慌てて尋ねる。ツバメが顔を上げて無事を伝えると、二人同時に「え?」と声を上げていた。
「ツバメ……?」
「大志……?」
お互いの名前を呼んで、それからツバメはよろっと立ち上がる。
信じられない、ひさしぶり、なにやってんのお前、あれ、警察じゃなかったっけ、なんで軍にと、言いたいことが回り回ってどれも口から出てこないようだった。
両手を伸ばしてもう一度大志を呼び、それから涙を浮かべて思いきり抱きつく。
「大志いいいぃぃぃぃぃ‼︎」
「このクソボケがあああぁぁぁぁ‼︎」
「なんでえええぇぇぇぇ⁉︎」
張り倒され、ツバメは頬を押さえながら女々しく地面に伏した。
「ここは普通さ! 幼馴染の偶然の再会しかも命を助けた編で熱く抱擁するとこじゃないの⁉︎」
「なに甘ったれたこと言ってんだ張っ倒すぞ!」
「もう張っ倒されたよ!」
別の意味で泣き始めるツバメの胸ぐらを、大志は乱暴に掴む。
「お前いつもいつもいつも音信不通になって……住所変えたら連絡しろっつったよなオイ。一体いつになったらそのゴミしか詰まってない脳みそは学習するんだ。しかも地元離れて帝都にいるならなおさらだ。お前が女に刺されて死んだ時に供養もできないだろ」
「す、すみません、すみません……てかボクの死因、女に刺されるってのは決定なのね……」
久々に見た大志のマジギレの顔に、ツバメは冷や汗を垂らしながら誠心誠意謝罪する。
腕っ節で大志に挑んで勝てるわけないので、彼はわりとすぐに謝ることにしている。そこから学習はあまりしないのだが。
「とりあえず、お前のことは安全な場所まで連れて行くから。後で迎えに行くから絶対いなくなるなよ。いなくなったらお前、わかってるだろうな?」
「はい、わかってます。もうラリアットはイヤです。大丈夫です」
「よし、やっと学習してきたな」
「……おーい」
二人の後ろから遠慮がちに掛けられる銀臣の声に、大志はハッとして振り返ると笑った。
ツバメからすれば気持ち悪さすら感じる大志の愛想笑いに「こわ……」と小さい声を漏らす。
「すみません、柴尾さん。コイツ、俺の幼馴染なんです。行方不明だったからつい力んじゃって」
「力むと張っ倒す幼馴染とか危険すぎるってぇ」
そこで再び顔だけをツバメに向けた大志が、ニッコリ笑う。
ツバメは一瞬でラリアットの気配を感じて口を閉じる。普段の関係性が見える無言のやり取りだった。
「まぁ……無事に見つかってよかったんじゃねぇ? とりあえず、どこかに避難させよう」
「はい、お手数おかけします」
「………」
礼儀正しく頭を下げる大志とは対照的に、ツバメはジッと銀臣を見た。
その顔は警戒と面白くなさそうな不服さが遠慮なく滲み出ていて、大志と話している時とは随分違う印象を受ける。
「ほら、ツバメ、行くぞ」
「うん」
大志に促され三人で車に向かおうとした時、またも不気味な姿が現れる。
先程の巨大蟻だ。獲物を捕食し終わって、気配のする方に来たのだろう。
ぐるんと首を振って三人に狙いを定めたらしい蟻に、銀臣はすぐに失われた叡智を構える。
「おいアンタ、急いで車に乗れ!」
「ドア閉めとけよ!」
「わ、わかった!」
大志を信じて背を向けて走るツバメ。
それを見送ってから、大志も最新型を起動する。
「頭を狙え。アイツは瞬発力は鈍い方だから落ち着けば当たる」
「わかりました」
銀臣の指示を受け、今まさに引き金を引こうとした時。
蟻が突然倒れた。いや、首がごろりと転がっただけで、体自体はまだ立っている。
そして、蟻の背に跨っている一人の男。上から飛ぶように蟻の背後を取って、手に持った懐刀で首を一瞬で刎ねたのだ。
「全く、華の都はいつから昆虫博物館になったのやら」
皮肉とも余裕とも取れる、落ち着いているのにどこか楽しんでいるような声。
きっちり整えた黒い髪と、見るからに仕立ての良いコートとホワイトスーツをセンスよく着る、洗練された雰囲気の二十後半から三十前半くらいの男。
しかし鋭い双眸は笑っていなかった。口元だけに薄っすらと笑みを乗せ、男は懐刀を鞘に納める。
「絶対カタギじゃないだろ……」
聞こえないように呟いた銀臣に、大志は心の中で同意する。
男もこちらの存在に気づいたらしい。ニッコリと笑って、建物の影の方へ呼びかけた。
「お嬢さん、軍の方がいらっしゃるようです。保護してもらいなさい」
そしてひょっこり顔を出した人物に、大志とツバメはまたも声を合わせる。向こうも気づいて、ポカンと口を開けた。
「奈都⁉︎」
「え、え、大志?」
地元にいるはずの奈都が、やっと会えたという顔で大志を見つめる。
ツバメはそれに手を振り回して声を強めに出した。
「奈都、ボクのことも視界に入れてくれよぉ〜」
「え……ツバメ……?」
「そうだよぉ〜! すごい、幼馴染が揃った、これってすっごい偶然じゃん! 奇跡じゃん⁉︎」
奈都は、堪らず走り出す。
「ツバメェ!」
「奈都!」
駆け寄る奈都に、ツバメは両手を広げて受け入れる。
「このアホンダラァ!」
「ぎゃふっ」
感動の再会だとばかりに泣き笑っていたツバメに、奈都は胸に飛び込む直前に張り手をかます。
それから胸ぐらを掴んで固定し、往復ビンタも。
「このバカ! アホ! ゴミ! カス!」
「すっげぇ……なんで一日二回も幼馴染に罵倒されてんだろボク……」
「連絡先は教えないさいよ! なんで帝都にいるのよアンタは!」
「い、今ね、帝都に住んでる貴族の家でお世話になってて、それで……」
「だったらそう言いなさいよ! 大志のアイアンクローまた食らいたいの⁉︎」
「それはイヤです……」
「心配したじゃない!」
そうして奈都は、急に勢いをなくしてツバメを抱きしめる。大切な幼馴染の無事がわかっての安堵の涙に、ツバメは「ごめんねぇ」と落ち着かせるように背中を叩いた。その場で反省はするが学習しないのが彼の欠点なのだが。
「奈都、どうしてここに!」
状況がわからず率直に聞く大志に、奈都は泣きながら答える。
「お店が休みだから、大志に会いに来たの。でも来てから、軍にお勤めしてる大志にどう会うか考えてなかったことに気づいて……なんとかなると思って駅を出たら、変な人にお金を巻き上げられそうになったの。でも、あの人が助けてくれてね、街がこんなことになっちゃって、私を避難所まで連れて行ってくれる途中だったの」
奈都の視線の先には、例の絶対にカタギじゃない男。
大志はすぐに男に体ごと向き直り、腰を深く折って頭を下げた。心からの感謝を述べる。
「幼馴染を助けてくださってありがとうございます。後日必ずお礼に伺いますので、お名前を教えて頂いてもよろしいですか?」
「いえいえ、一度やってみたかったんですよ。悪役からピンチの女性を助けるヒーロー役」
相手に気負わせない洒落たことを言う。上品で優雅さもある男だった。
そうしてさらっと名前の件を濁したことに、大志と銀臣はなんとなく気づく。
「君がお嬢さんの探し人だったのだね。お嬢さんが心配していましたよ、手紙の返事が来ないからなにかあったのではと」
「え……」
男の口から予想もしていなかった言葉を聞いて、大志は再び奈都に向き直った。
奈都は胸の前で両手を揉むようにもじもじとしてから、申し訳なさそうに俯く。
「ごめんなさい、迷惑かとも思ったんだけど……大志からのお手紙が来なくて、なにかあったんじゃないかって……私は正式な家族じゃないし未成年だから、大志になにかあっても連絡が来ないもの。だから、もし、大志が怪我してたらとか思って……」
話しているうちにどんどん目に涙を溜める。大志はやっと、自分のしていたことに気づいた。
罪悪感と自己嫌悪に陥りながら、奈都の肩に手を置いて顔を覗き込んだ。
「ごめん、奈都。新しい職場の仕事や武術大会でいろいろあって、奈都にまで気が回らなかった。休日は疲れて一日中寝たりとかしてて、手紙は読んでたけど返事書く元気もなくて……いや、言い訳だよな、ホントにごめん」
心底申し訳なさそうにする大志に、奈都は慌てて顔を横に振る。
「ううん、私が勝手に心配しただけなの。そうだよね、お仕事忙しいもんね、押しかけちゃってごめんなさい」
「ボクも行方不明になってごめん」
「それは許さないから」
「えっ」
「謝り合戦してるとこ悪いんだけど、今は安全な場所に行くことを優先させていいか?」
横から入った銀臣の言葉に、幼馴染三人はまたも声を揃えて謝る。
「おや、くもが」
そこで、男が上を見ながら呟いた。
「え、雲?」
大志が空を見上げると、視界に入ったのは雲でも青空でもなく、蜘蛛だった。
建物の間に糸を張り、六つの目が見つめてくるのが背筋をぞわりとさせる。
蜘蛛の糸は鉛筆ほどの太さがあり、蜘蛛もそれに見合う巨大さだ。しかも三体。
「どうしますか、柴尾さん」
刺激しないように、大志が小さい声で耳打ちする。
銀臣は蜘蛛の動向に気を張りながら返した。
「糸が厄介だ。あの怪しい男に俺たちが乗ってきた車を運転してもらって、三人を逃して俺たちは残るって考えもあるが……糸が車に絡まったら走れなくなる。近くの建物に避難させるのがベストだな」
「どこか入れてくれそうな建物は……」
周りの建物はバリケードを築いて籠城していたり留守だったりと、すぐには入れないだろう。仮に逃げ込もうとした建物に鍵が掛かっていれば、それが命取りになるロスタイムかもしれない。
(どうする、奈都とツバメだけは守らないと……俺が囮になって……いや、蜘蛛が三体だけとは限らないのに、下手に奈都たちから離れたら守れなくなる)
「こっちに!」
考えあぐねていると、若い男の声が響いた。
視線をやると、数メートル先のカフェの店員が扉を開けて迎え入れてくれている。店の中には人が数人いて、通れるように店内のバリケードをズラしてくれていた。
「早く逃げ込め!」
銀臣に言われて、奈都はツバメの手を取って走り出す。
「あなたも__……!」
男の方に振り返ったら、さっきまでそこにいたはずの場所にいなかった。
辺りを見渡すと、ちょうど数ブロック先の角を曲がるところだった。最後に男はこちらに手を振って、その姿を消す。
「あの!」
呼び止めようとした大志だが、銀臣が肩を掴んでやめさせた。
「幼馴染を助けてくれた人に言うのもあれだが、ありゃ関わらない方がいい人種だと思うぜ。それに、あの腕なら問題なく生き残れるだろ」
「そう、ですね……」
「それより目の前の敵だ。手早く片付けようぜ、クモは嫌いなんだ」
「まさか怖いんですか?」
「目が何個もあるのってゾワッとするだろ」
「確かに」
そうして二人、背中合わせに立つ。
「はぁーーーーーーー」
二人同時に、地面に倒れこむように腰を落とした。
周りには昆虫たちの死骸。ちょうど通った軍の車が、ほとんどを討伐しただろうということを告げ去って行った。しかしまだ警戒中で、潜んでいる蟲がいないかを見回っているらしい。
銀臣たちはをいうと、逃げる蜘蛛を追いかけていたら奈都たちが逃げ込んだカフェからだいぶ離れていた。
戦闘中、地面に撃ち落とした蜘蛛にまだ息があった時はしまったと思ったが、すかさず大志が踵落としで頭部を砕いた。いつかの堤の「怒らせないようにしよっと」という言葉が銀臣の頭を過ぎる。
さすがに疲れた二人は、スーツが汚れるのも厭わず地べたに座りこんだ。話す気力もなく息を整える。
暫く続いた沈黙の後、銀臣の方から口を開いた。面白いものを見た、とでも言いたげに口の端で笑っている。
「……アンタ、あっちが素だろ」
「え?」
「さっき、幼馴染二人と話してた時」
「あ、あぁ……」
大志は一瞬、しまったという顔をした。それを見逃さず、銀臣は余計な勘違いをさせないようにすぐに言葉を続ける。
「あれくらいでいる方がちょうどいいと思うぜ」
「え……」
予想外の銀臣の言葉に、大志は思考を停止したように固まった。ポカンと口を開けて銀臣を見る。
一方の銀臣は、どこか吹っ切れたような顔をしていた。大志が今までに見たことの無いくらいすっきりした顔だ。
「なぁーんか猫かぶってる気配はしてたんだよな。人に遠慮してるってより、『人に合わせてる』だろ」
核心をついたそれには、ドキッとした。大志はどう反応するべきか必死に考える。
「人が心地良いと思えるペースで話して、人が望む返事を探ってる。相手に自分の要求を飲んでもらいやすくする話し方だ。身近だと堤さんがそうだからな、なんとなくアンタもそうっぽいって」
「……べつに、そんなんじゃ……」
「俺さ、兄貴が死んだんだ」
なんの脈絡も無い言葉。
意図を汲み取れず黙っている大志に、銀臣は気にしていないように続けた。
「任務中に崖から落ちたんだ。その時、堤さんと前道さんもいたらしい。兄さんの同期なんだ。俺はまだ軍の訓練校にも入ってないガキだった」
「………」
「遺体も見つからなかった。何度も捜索隊が向かって、危険生物ばかりの地帯だったから捕食されたんだろうって。これ以上の捜索は二次災害の恐れがあるからできないって打ち切り。書類上も、つい最近『行方不明者』から『死亡者』に変わった」
「そんなことが……」
銀臣の口調は、穏やかで本当に吹っ切れた様子だ。
だけど、どこか悲しそうに聞こえてしまうのは、それが家族の話だからだろうかと大志は深読みのようなことをしてしまう。
「兄さんに憧れて、俺もグリーン・バッジに入った。まぁ適性者だったから入る以外の選択肢も無かったんだけどよ。そうだ、武術大会の躰道部門、最年少優勝者はアンタと一つ違いの十六歳って聞いたろ? あれ、兄さんなんだ」
「え、すごいですね!」
「いや、そこはアンタもあんま変わらねぇだろ。だから、ホントはアンタの技を見る度にすげぇ懐かしい気持ちになってた。堤さんと喧嘩してる時の兄さんそっくりだったし」
「そういえば支部局長、よく『みやもっちゃんは怒ったら足出ないよね? 大丈夫だよね?』って確認してきました」
「ははっ、いつも兄さんに負けてたからだよ、それ」
__失った時が怖くて、誰かと親しい関係になるのを躊躇っちゃうの。心根はすごい優しい奴だから、なおさら。
ほのかが言った言葉が、大志の頭にふと舞い戻る。
もしかして銀臣がこのタイミングで自ら兄の話をしたのは、お互い腹を割って話そうということかもしれないと思った。
大志は盗み見るように横に視線をやる。気の良い同年代。銀臣の顔はまさしくそれだった。
わざと人に冷たくする仮面はもう被っていなくて、世話好きでお人好しそうな顔をしている。
「………悪役、向いてないですよ」
「言うなって。自分が一番思ってんだ」
ぽろっと出た大志の言葉に、今度は気恥ずかしそうに笑う。
「なぁにが『小難しいことは考えたくねぇ主義』ですか。めちゃくちゃ考えてるじゃないですか」
「アンタが猫被ってるから、俺も意地になってたんだぜ」
「なんで俺の所為っぽくするんですか、柴尾さんが勝手にやってたんでしょ」
大志は言い捨て、心底呆れたように睨みつける。
彼の雑で粗暴な部分が徐々に見えてくるようだった。いつもニコニコ笑って、当たり障りの無いことを言っている彼じゃない。
大志は「んー……」と唸りガシガシと頭を掻く。それから「ま、いいか、バレてるし」と独りごちた。
「俺、捨て子なんです」
そして、なんて事の無いようにさらりと言ってのけた。
何かあるだろうとは思っていたが、予想以上に重い事実に銀臣は反応できず黙る。大人しく礼儀正しい彼は、穏やかな家庭で過ごしたのだろうと勝手に思っていた。
「赤ん坊の時に捨てられて、親の顔も知りません。スラム街で盗みをしながら暮らしてました。育ててくれたのは血の繋がらないお爺さんで、その人が病気と飢えでいなくなってからは一人で。ツバメと出会ったのはその後です。ツバメはその時、親に置き去りにされたばかりでスラムでの生き残り方も喧嘩の仕方も知らない子だった。クスリで頭イカれた浮浪者に殺されそうになってたのを、俺がソイツを殺して保護したんです」
だから俺、実は犯罪者なんですよ、内緒にしててくださいと、大志はお願いするわりにどこか高圧的な物言いだ。
「その後、国の政策でスラム街の大幅な改善が行われて、特に子供は孤児院に入ることになりました。俺とツバメも地方都市の孤児院に入ったんです。そこで奈都と出会いました」
「なぁ、あの子って……」
言い出したものの、どう言っていいのかわからない銀臣は口ごもる。それを察して大志から言った。
「えぇ、体と心の性が一致してないんです。だから親に捨てられたって自分で言ってました。でもその孤児院も酷いところで、国の援助金目当ての極悪施設なんですよ。それに俺らみたいなスラム出身や、奈都みたいな子はいじめの対象にされるんです」
「………」
「俺は、せめてツバメと奈都だけでも守ろうと思いました。喧嘩の腕には自信があったので、力で守ろうと思ったんです。ガキですよね。奈都が綺麗に伸ばしていた髪を切った奴を、骨が折れるまで殴って懲罰房に入れられたこともあります」
「……そうか」
銀臣はそれを聞いて、武術大会で難波将が大志の格闘術を「武術というより喧嘩道」と評価していたことを心から納得する。
幼い頃から生死に関わる場所にいれば、生き残ろうとさぞ必死に腕を磨いたのだろう。それこそ、武術大会なんて『ルールのある殴り合い』がお粗末に思えるほど。
「スラムでは奪い合い殺し合い、孤児院ではクソガキと助けてくれない職員相手に暴力で解決しようとしてた。そんな時、もう一人出会った子がいるんです。近所の裕福な家の一人娘で、気が強くて正義感の強い女の子でした。一年前まで軍にいましたよ」
「………」
いた、という過去形。それはあまり触れてはいけないような気がして、銀臣はそれについて何を言わない。
「初恋だったんです。奈都やツバメのことも守ってくれて、こっそり俺たちにお菓子を持ってきてくれる。施しだったのかもしれないけど、俺にはそれが嬉しかった。その子が周りの大人や町の人に可愛がられてるのを見て、ある日思ったんです」
大嫌いな奴こそ、利用してやろうと。
大志は睨むように前を見ている。それは何を睨んでいるのか銀臣にはなんとなくわかった。きっと、世界を睨んでいるのだ。そこにいる人間全ても睨んで憎んでいる。
「笑って相手に合わせて、いい印象を与えておけば、俺になにかあっても三人のことは守ってくれるかもしれない。そばに置いておけばいつか利用できるかもしれない。なにかあった時、身代わりに使えるかもしれない。だから俺が猫被ってるってのは正解です。俺は自分と、家族が守れればそれでいい。国の未来も市民の平和も子供の笑顔もどうでもいいです。三人を守れればそれで良かった。だけど、それをぶち壊した奴がいる」
大志はそこで、一年前のテロリスト処刑場襲撃事件の名前を口にした。そこに、軍に入った幼馴染がいたことも。
「目の前で殺された。その瞬間、俺の人生に目標が一つ増えた」
いつもの大人しく礼儀正しい大志の姿はなかった。人を私怨により殺せる、背筋がゾッとするような冷たい目。
「そいつを捜し出して、必ず殺します。だから軍に編入するのも、ある意味都合がいいと考えました。情報が入って来ると思って」
「復讐ってやつか」
「はい、憎悪を込めた」
「その殺された家族は、お前にそんなこと望んでないかもしれないぜ」
「死人に口はありません。ハルカが望んでいるかいないかなんて関係ない。俺が納得できればそれで」
その強すぎる意思は止まらない。銀臣はすぐに察する。
ましてや家族でもなんでもない銀臣の言葉なんて、きっと大志は聞きもしない。
それに家族を失った気持ちがわかる優しい彼は、それを無理矢理止めることもできなかった。
銀臣は懐のホルスターから拳銃を取り出す。
「俺、最初の頃は銃がド下手でよ。目も当てられないくらいだったぜ、今のお前より全然下手だった」
手に持った銃に視線を落として静かに語る銀臣の表情は、優しげだ。
「堤さんには苦笑いされるし、ユウにも『向き不向きがあるから他を磨け』って言われてさ。意地と根性でやっと今くらいになった。俺がコイツの扱いに執着するのは、俺なりに信念があるからだ」
安全装置を下ろしているそれを構える。片目をつぶって誰もいない空間を、フロントサイト越しに見据えた。
「俺より速く飛んで行けるコイツが、誰かの命を救えるかもしれねぇって」
純真。まさにそんな言葉が相応しい声の響き。
全てが純真そのもので、大志は「あぁ、この人は本当に優しい人なんだな」と確信する。優しすぎるから、きっと見も知らぬ他人の傷にも涙してしまうような人。だから自分を守るため、他人から嫌われようとわざと冷たくする。
大志は、自分とはまるで正反対であると悟った。そして銀臣もそれに勘付いたことも。
「……こういうの、凸凹コンビって言うんですかね?」
「だからこそ、どこかで噛み合ってるだろ」
それにお互い短く笑って、それから立ち上がる。
大志がスーツの土埃を払っていると、銀臣はニッと笑った。それは今までになく親しげで、この男本来の気の良さが伺えるようだった。
「銃、俺が教える」
あんなに嫌がっていたのに、この短時間で心情の変化が凄まじい銀臣の提案。大志は嬉しいはずの言葉なのに、キョトンと表情を落とした。
「銃は使えて損することは無い。お前がソイツを殺したいってなら、それくらいの協力はする」
「あ、ありがとうございます!」
優しいこの人は、復讐に直接手を貸しはしない。大志はなんとなくそう思った。
大志の意思も尊重するし、復讐なんてやめとけという気持ちも同時に存在しているのだろう。だけど優しすぎるが故に、兄を失った悲しみがわかるが故に、彼はなにも言わない。
蟲の死骸を蹴って道の端にやった銀臣は、やはり気の良さそうな顔をしていた。あの似合わない仏頂面の仮面は、もう無い。
「とりあえず、あの賑やかな二人を迎えに行くか、宮本くん」
「……そうですね」
大志はあることに気づいたが、あえてそれには触れず銀臣の隣を歩く。
なんだか勢いで話して勢いで認め合ったような、そんなチームの始まりだった。