第7話 欠陥品(ディフェクティブ)の武術大会
遊一郎が見事に運転技術の競技で一位を獲得したのを見届けて、大志はいよいよ自分の番だと深呼吸を一つ。
更衣室で道着に着替えて、観客席にいる堤たちのところへ戻る。
「よし、みやもっちゃん。キミなら大丈夫だよ、優勝しておいで!」
「はい、精一杯やってきます」
堤に肩を叩かれて熱い激励を受けていると、後ろから声が掛かった。
「大志、か?」
「え?」
自分の名前が呼ばれたことに、大志は不思議に思って振り返る。
警察の武術大会ならまだしも、この会場は軍人ばかり。自分の顔と名前が一致する人なんてまだまだいないはずだと。
「やっぱり大志だ。俺だよ、覚えてるか? 警察学校で一緒だったろ」
「将!」
筋肉のついた、同年代の中でも特に体格が良い上に背も高い。なのに気の良さそうな朗らかな口調と笑顔が、爽やかな体育会系の印象を持たせる好青年。
厳しい訓練ばかりの警察学校時代を共に過ごした級友だった。授業だけでなく寮の部屋も一緒だったので、学生の頃はほとんど彼と行動していた。
だからこそ大志の頭に疑問が浮かぶ。
「なんでお前、ここに。確か特殊機動隊に受かってそこに行くって」
「おう、そこにいたんだけどよ、軍から引き抜きの話が来て受けたんだ。今は東方第一支部にいる」
懐かしい顔に、大志は喜色の笑みを乗せて駆け寄る。知っている顔に会ってほっとしたのもあるかもしれない。
「そうか、そうだったのか。引き抜きなんてすごいな。お前は昔から体力も根性もあったし、軍でも活躍できるよ」
「大志こそどうしてここにいるんだ? お前も引き抜きか?」
純粋な将の疑問に、大志は口ごもる。
どう言えばいいのか迷っていると、助け舟を出したのは意外にも銀臣だった。
「ジェヴォーダンの獣事件で、ソイツにオーパーツの適性反応が出たんだよ。うちで仕方なく預かってる」
「え、突然変異の警察官って大志のことだったのか!?」
「うん、まぁ……」
将は、これでもかというほどに驚いて目を見開く。
支部局だけでなく、軍の間で大志の話はだいぶ広まっていた。突然変異としてグリーン・バッジに入隊したはずが、一度も失われた叡智を起動できていない欠陥品、と。
「そうか、そりゃ妙なことになっちまったな、大志。まぁでも、お前って結構図太くて面の皮厚いとこあるから大丈夫だって!」
「それ激励のつもりか?」
珍しく気遣わしげな神妙な声を出したと思ったのは束の間で、将は白い歯を見せて笑った。親指を立てて。
「もっと筋肉つければ起動できるかもしれねぇぞ!」
「本気で言ってる?」
コイツは相変わらずだなぁと、むしろ安心感を味わった大志は思わず笑ってしまった。
知っている顔が軍にいるという事実も、安心した要因だった。
「へぇ〜、キミ、みやもっちゃんのお友達?」
興味津々なのを全身で表現するかの如く将を見上げる堤。
大志の方に気を取られていて上官の存在に気づかなかった将は、すぐに姿勢を正して腹から声を出した。
「ご挨拶もせず失礼しました! 自分は東方第一支部所属、難波将二等軍士です!」
「あ、いいよいいよそんなかしこまらなくて。俺そういうの苦手〜」
「あ、そうなんですか。俺もなんですよ、良かったです!」
「え、なにこの素直な良い子。やば〜、大人になるとこういう子がものすっごくバカかわいく見える。バカわ〜」
「素直というより脳まで筋肉なんです」
「なに言ってんだ大志! 脳まで筋肉だったらもっとテストの成績良かったはずだぜ!」
「………」
顔を覆って黙りこくった大志。
堤の後ろでは遊一郎とほのかが「ホントにバカだ」「バカそのものだ」と呟いた。
それに気づいているのかいないのか、将は近くの壁掛け時計に視線をやって「お」と慌てたように声を上げる。
「大志、もうすぐ躰道部門の集合時間じゃないか?」
「え、あっ」
「やべ、急げ! また連絡するから会おうぜ!」
「あぁ、また!」
大志は慌てて走り出してから、しばらくして堤に挨拶していないことに気づいたらしい。
律儀にも、わざわざ振り返って頭を下げてから再び走り出した。
それを見送ってから、堤はニヤーッと怪しげに笑って将を見た。
「キミ、みやもっちゃんと仲良いんだね」
「うっす!」
「みやもっちゃんて、どんな子だった? この子がみやもっちゃんと仲良くなりたいんだけど、どうも上手くいかなくてね〜」
「誰もそんなこと言ってないですよ!」
肩に寄りかかってきた堤を払いのけながら、銀臣は心底迷惑そうに顔を歪ませる。
堤の言葉と銀臣の態度に、将は驚いて目を丸くした。
「え、そうなんですか? 大志って誰とでも上手く付き合える奴だと思ってましたけど」
「礼儀正しいし、いい子だよね〜」
「そうなんですよ。あ、でも、格闘術の時は別人ですよ。なんて言うか__……」
アリーナを見下ろすと、ちょうど大志が一回戦目を開始するところだった。
「お前だろ? オーパーツを一度しか起動できなかった使い物にならない元警察官ってのは」
悪意の乗った嫌な物言いに大志が顔を上げると、顔からして意地の悪そうな男がそこにいた。
「なのにグリーン・バッジに居座り続けるんだから、お前もお前のとこの局長も図々しいっていうか……ま、あの人は変わり者で前々から有名だけどよ。俺ら真のグリーン・バッジの評判を落とすようなことはやめて欲しいんだけどな」
この男もグリーン・バッジらしい。
グリーン・バッジは選ばれた者、国最高の戦力という誇りを持つ者が多い。自分のような存在は許せないのだろうということは、大志には理解も納得もできることだった。
「すみません」
あまり色々と言えば、言い訳のように聞こえてさらに気分を悪くさせるかもしれない。
そう思って、大志はそれだけ言って黙った。
相手の方は、言い返して来なかったのが意外だったらしい。聞こえるように舌打ちをこぼして背を向けた。
「お前の相手は俺だ。ここで負かして恥かかせてやるよ」
言い残して、男は去って行った。
「おい、宮本、なにか言い返せよ」
支部局ごとに別れて設置されているベンチから、同じ南方第二支部代表の一人が苛立たしげに語気を強める。
「アイツ……堤局長のことなんも知らねぇくせに……」
その横にいるもう一人も、さっきの男の背中を睨んだ。
堤は確かに、変わり者で有名だ。だがそれ以上に慕われる上官でもある。特に直属の部下は、堤の人柄に惹かれて南方第二支部を離れて行きたがらない人もいるらしい。
「言い返したって仕方ないですよ」
困ったように眉を垂れさせて笑っていると、審判に声を掛けられる。
大志はさっさとベンチにいる仲間から離れて、誰にも聞こえないような小さい声で囁いた。
「それに、ああいうのは力でねじ伏せないと黙らないしな」
中央に立って、相手とお辞儀。
そうして審判の試合開始の掛け声の次には、勝敗は決まっていた。
大志の回転蹴りが、相手選手の右胴体に命中している。
何が起こったかわからず、相手は衝撃に負けて後ろへ倒れた。審判が「一本!」と旗を上げる。
あまりにも早い展開の試合に呆然とする会場の中、将だけは爽やかに笑いながら言った。
「大志のやり方って、武術ってよりは喧嘩道って言う方がしっくりくるんすよね」
◇◆◇
三回戦目までを順当に勝ち上がった大志は、再び自分の番になるまで少し出歩くことにした。
顔でも洗おうと思い至ったが、そういえば控え室にタオルを置いてきたことを思い出す。
控え室の前まで行くと、中から賑やかな声が聞こえてきた。
誰かいるのだろうかとわずかに開いた扉の隙間から覗けば、予想外の人物だった。
「通過点四の時のお前のアレ、なんであんなキレのあるドリフトかましたんだよ。運転技術にひれ伏すわ」
「ふん、そうだろう。日々のパトロール時に、逃走車を追うフリをしてコツコツと練習したのだ」
「お前とパトロールは絶対に行かねぇ」
「そうか……堤局長は喜んでくれるのだが」
「いや上司公認なのかよ。率先して危険運転を止めなきゃいけないだろあの人は!」
「お前こそ、次のトラップ射撃で下手な点数を取ったら堤さんの固め技だぞ」
「あの人、ノーモーションでやってくるから避けられねぇんだよなぁ」
賑やかさの正体は、なんと銀臣だったのだ。大志は驚いて固まる。
遊一郎と肩を組んで、楽しそうに笑う銀臣。誰にでも冷たいのかと思えば、そんな顔で話せる相手がいたのかと。大志は『鳩が豆鉄砲を食ったような』と表現するにぴったりな心情になった。
パチパチと瞬きをしているうちにも、会話は弾んでいる。
銀臣は普段は人前で見せないような、気の抜けた顔をしている。遊一郎も仏頂面ながら雰囲気が穏やかだった。
自分が今部屋に入ったら水を差す気がして、大志は気配を殺してそっとその場から離れる。
自販機で飲み物でも買おうと、無理やり時間潰しを作ってみた。
一番近い自販機を無視して、次の自販機まで。
そこでなんとなく目に留まった『西条地方の美味しい水』を買って喉に流し込んでいると、横から「おーっす」と声が掛かる。
「あ、三浦さん、お疲れさまです」
首にタオルを掛けたほのかが、手をヒラヒラと振りながら大志の隣に立った。ニッカリと笑う。
「ほのかでいいよ、歳も大して変わらないんだし」
「あ、えっと、はい」
「戦況はどう?」
「なんとか勝ち上がってます。今は別ブロックの予選です。ほのか、さんは?」
「これから柔道。時間丸かぶりだから大志くんの応援行けそうにないや」
「そうですか、お互い頑張りましょう」
「もっちろーん! てか、なにしてんの? 躰道の会場反対側だし、控え室からも遠いよここ」
もっともな見解に、大志はギクリと息を詰める。
とりあえず笑ってうやむやにしようとした。
「あーっと……ちょっと散歩したい気分だったというか……」
しかし大志の様子が変なことに気づいたほのかは、厳しい顔をする。
「まーた銀臣がなにか言ってきた? あのヤロー今度こそ物申してやる、任せて!」
「違います違います! そういうのじゃなくて!」
今にも走り出してしまいそうな勢いに、大志は慌ててストップをかける。
かいつまんで経緯を説明すれば、ほのかは「あぁ」と納得した。
「ま、アイツら幼馴染だしね。仲良くて当然だよ」
「え、そうなんですか」
「うちらはさ、あり得ない遺物の純血性を保つ為に、帝都の決められた区画で生活してんの。銀臣と遊一郎は家が近所だったって聞いてるよ。アタシが二人と会ったのはグリーン・バッジの訓練校なんだ」
ほのかの話によると、軍人になった者は別として、あり得ない遺物の血筋は帝都に存在する『特別区画』でのみ生活ができるらしい。国からの補助も手厚く、整備もされていて不自由なことはない。ただその血を次の世代に繋げることを最大の責務としている。
これは、純粋な血筋であればあるほど失われた叡智の適性者である可能性が高くなるからだそうだ。
銀臣と遊一郎は、そこで共に育った。
「なんだか柴尾さん、紀州さんとは自然体で話しているように見えて。普段の俺への態度があからさまなのが浮き彫りになったというか」
「まぁ、銀臣が素っ気ないのは大志くんだけじゃないよ。私にも最初会った時はものすっごい素っ気なかったし。私の場合は気にせずグイグイ行ってたら諦められた感じだけど。大体の人には冷たいよ」
明るく笑いながら話すほのかに、大志は「確かに押しが強そうですもんね」と返した。ほのかは怒りもせず「それが特技」とさらに笑う。
「アイツ、人と仲良くなるのを怖がってる感じなんだよね。だからわざと冷たくして、相手から嫌われるようにしてるって言うかさ」
「………」
想像もしていなかった言葉に、大志は面食らって黙る。
ほのかはいつになく神妙に語り出した。
「とくに、近い場所にいる相手にはそれが顕著になるんだよ。顔見知り程度の人や普段あまり関わることもない人には親しげなんだけどね。だから、大志くんにはあんな感じでいるわけ」
「そういえば……柴尾さんが冷たくなったの、チームの話が出てからでした。着任日に駅まで迎えに来てくれた時は、普通に話せたんですけど」
「でしょ? だから、まぁ大志くんの問題じゃなくてアイツの問題なんだよ。ごめんね」
「ほのかさんが謝ることじゃないですよ」
片手を上げて謝るほのかにそう言ってから、大志は考えた。
(確かに柴尾さん、人嫌いって感じじゃないよな)
例えば、面倒見がいい。
大志が書類の書き方でわからないところがあると、ふらっと後ろに立って指導してくれる。
迷路のような支部局で迷っていると、銀臣の方から声を掛けて案内してくれる。
訓練で大志の気力が限界に来ていると「休め」と真っ先に声をかけるのだ。それは、なんやかんや新人を気にかけているということではないだろうか。
パトロール中に市民に声を掛けられれば、どんな相手でも気さくに話す。言い寄ってくる女性にだって、迷惑そうにはしているが決してキツい言葉は使わない。
そう思い返すと柴尾銀臣という男は、元来人当たりが良くて優しい人なのではと思えた。
「あの、なぜ柴尾さんが人と親密になるのを怖がっているのか、ご存知ですか?」
ならば、この理由さえ解ければ今より少しはマシな関係になれるのではないか。嫌われていないなら尚更。大志はそう考えた。
その問いに、ほのかは唸る。難しい顔をした。それから、こぼすように一言。
「お兄さんを亡くしたの、銀臣」
周りには誰もいないのに、囁くように声を潜める。
「お兄さんもグリーン・バッジだったらしいの。すっごく優秀で、将来有望な人だったんだって。だけど任務中に、なにかあったらしくて。そこらへんはよく知らないけど。でも、なんかそれに堤さんも関わってるみたい。これ以上はアタシの口からは言えないんだけど……」
「そう、なんですか……」
「たぶん銀臣のああいう態度は、それが原因だと思うんだよね。失った時が怖くて、誰かと親しい関係になるのを躊躇っちゃうの。心根はすごい優しい奴だから、なおさら。自分を二の次して見ず知らずの人を助けちゃったりさ。家族を失う痛みを知ってるから、誰かの家族であるその人を助けたいって思っちゃうみたい。本来は軍人向きの性格じゃないんだよ、って、これはアタシの感想だけど」
そこで大志は思い出した。
初任務の日、商店街に日本刀を持って乗り込んだ男に人質にされた女の子。
銀臣は迷いもせず『自分が身代わりになる』と言った。大志には、自分が人質の身代わりになるなんて発想すらなかった。それ故、強く印象に残っている。
「ちょっと込み入った話をしちゃったね。ま、要するに大志くんの所為じゃないからあんま気にすんなってこと!」
「はい、ありがとうございます」
「そんじゃーね! アタシもう行くね。大志くんもガンバレよー!」
「はい、ほのかさんも」
手を振り合って、大志は控え室には寄らず会場に戻る。
◇◆◇
「おつかれさまです」
「あ、シバちゃーん。おつかれ〜、どうだった?」
観戦席の上の方。柔道畳が引かれたアリーナにいる選手の顔が、辛うじて判別できるくらいの位置で堤は観戦をしているようだった。
出場種目を終えた銀臣が、堤の横に立つ。
「トラップ射撃、四十七点で一位獲得です」
「おぉ〜、さすがシバちゃん! よし、今度堤お兄さんが美味しいお店連れてってあげるよぉ」
嬉しい報せに、堤は銀臣の肩を抱いて叩く。
ここで無理やり剥がそうとすると余計粘ってくるのを学習しているので、銀臣は大人しく熱い抱擁を受けることにした。目だけは逸らして、せめてもの抵抗を表してみる。
「アイツは?」
会場を見下ろして、銀臣はその姿を探す。
アリーナには、向かい合って立つ大志と相手選手の姿がある。
「みやもっちゃん、なんと今から決勝」
「マジですか」
「ホントにトロフィー持って帰って来てくれるかも♪」
「いや、わかんないですよ。相手、前年度の優勝者じゃないですか」
相手の顔には見覚えがある。
軍組織の中でも屈指の強者である、軍歴七年の大会出場常連者。昨年、南方第二支部局の代表選手は運悪く一回戦で当たり、まんまと敗退した。
「みやもっちゃんの実力なら問題無いと思うんだけどなー」
なぜか自慢げに笑う堤。
大志を見る目は、心底楽しんでいる時のものだった。堤は変化や新しいことが好きな性分なので、大志の存在そのものが彼の興味の対象なのだろうと、銀臣は予想している。
そこで、試合開始のホイッスルが鳴った。
相手との間合いを取りながら、隙を狙うように足をさばく大志。
新星のごとく現れて、いきなり決勝まで進んだ十七歳。その肩書きは若い女を興奮させるには十分であるのか、観客席の前方からは黄色い声が飛ぶ。
「いいなぁ〜。俺も女の子にキャーキャー言われたい」
「堤さんも出れば良かったのに」
「俺ねぇ〜、基本なんでもできるんだけど、突出してるもんが無いって言うかねぇ。マルチ過ぎて器用貧乏みたいな」
「なにシレッと嘘ついてるんですか。むしろどれもすごかったって聞いてますよ」
「それでも、結局は届かなかったなぁ」
昔を思い出して、懐かしさと少しの寂しさを滲ませるような声。
堤のそんな声は久しぶりに聞いて、銀臣は全てを察して黙った。堤自身も、まだ割り切れていない部分があるのだろうと思って。
「みやもっちゃんとは仲良くなれそう?」
そんな銀臣の気持ちを裏切るような、堤の一言。むっと眉を寄せ、銀臣は素っ気なくぼやく。
「別に、ビジネスパートナーと仲良いもなにもないです」
「ビジネスパートナーこそ仲良くしなきゃダメよん」
「いつもの『先輩の経験談』ってやつですか?」
「いんや? ただ、仲良くしてほしいなぁ〜って」
そう、子供を見守る親のような目で見るものだから、銀臣の抵抗心に火がつく。
「……誰と仲良くするかなんて、俺の勝手です。いくら上官でも堤さんにそこまで言われる筋合いないです」
「そりゃそうだ〜」
棘のある言い方にも、堤は呑気に笑って答える。
それがなんだか、堤の罪悪感を刺激しているようで途端に心苦しくなった。銀臣は彼を恨んだことなんてないし、彼の所為だとも思っていない。
そこは絶対に勘違いしてほしくないので、銀臣はしばし悩んだ後、深呼吸をしてから意を決して言う。
「……べつに、仕事は協力してちゃんとやりますよ。足引っ張ったりしません。嫌ってるわけじゃ、ねぇし……」
「シバちゃん……」
尻すぼみに消えていく言葉を聞き取って、堤はポカンと口を開ける。
それからじわじわと喜びを実感するように笑って、堤は銀臣の肩を勢いよく引き寄せた。
「うんうん、それでいいよ! シバちゃんはホントにいい子なんだから〜!」
「だぁーーーくっつくなよ! チーム解体までの話だっての!」
あまりの勢いに、条件反射で堤の体を押し返す。
「あ、さっきぶりっす」
急に、後ろから声が掛かる。
あまり聞き慣れない声に二人同時に振り返ると、難波将がいた。
堤はそれに手を振って応える。昔からの知人のような距離感で。
「はいは〜い、マーちゃん」
「え、なんかもうアダ名付いた感じっすか?」
「すまねぇ、この人は誰に対してもこうなんだ」
呆れながら謝罪を入れる銀臣に、将は人懐っこく笑う。
「いいっすよ全然。なんか距離の近い上司って感じでいいっすね」
「そうそう、俺は親しみを感じやすい上司ベスト5の常連なんだから」
「まーた適当な嘘を……」
「え、そのランキング実在するっすよ」
「は?」
「女性軍人の間で出回ってるらしいっす。他にも『付き合いたい男性軍人ベスト10』とか『壁ドンされたい男性軍人ベスト3』とか『微妙に闇がありそうな男性軍人ベスト3』とか」
「最後のランキングいるか?」
「あ、ちなシバちゃんは『いざという時に愛を囁かれたい男性軍人』第2位だったよ! おめでとう!」
「なんだよ人の知らないところでよぉ……しかもそこまで来たら1位が気になるじぇねぇか……」
いろいろなショックで力無く顔を覆う銀臣。
その横に並んで、将はアリーナを見下ろした。
「大志、どうですか?」
「決勝中よん」
「おー、さすが大志だな。準決までは行ってるだろうと思って急いで来た甲斐があった」
「そういえば、アンタは柔道に出てるんだよな?」
将はそれに、爽やかに歯を見せて笑う。自慢気なのに嫌味を感じさせないのが、この男の人となりを物語っているようだった。
「うっす。一位獲って馳せ参じました」
「えー、なんで盗っちゃうのさ!」
「堤さん、大会になんでもなにもないです」
それに比べてどこまでも大人気無い堤に、銀臣は冷めた口調で言い放つ。
「おもしろい人っすね」
だけど将は全く気にした様子が無い。本当に気の良い体育会系なのだろうと銀臣が思っていると、ワッと会場が沸いた。
「一本! 勝負あり!」
審判の声と、黄色い叫び声。そして今年の優勝者が決まった。
アリーナを見れば、大志と相手選手が向かい合ってお辞儀をしている。頭を上げた大志の顔は、喜びを滲ませていた。
「あんたが変な話振るから全然観てなかったじゃないですか!」
「ありゃりゃ〜、うちの子の優勝した瞬間だったのにぃ」
「でも優勝っすよね? スゲェな大志!」
違うチームなのに、手放しで心からの祝福を送る将。さっきも思ったが声が大きい。
の、声に負けないくらいの甲高い声。
「大志くーん!」
「かっこよかったよー!」
「すごーい!」
声を一層高くする女の集団。
大志は観客席を見上げて、それからはにかみながら頭を下げた。そそくさとチームのベンチに戻る。
その初心な様も、都会の成熟した女を虜にするらしい。女たちはうっとりと瞳を潤ませて、カワイイカワイイと連発していた。
さっきまでカッコいいって言ったてくせにと、女のよくわからない『カワイイ』に銀臣は辟易する。
「ん?」
「どうしたんですか?」
「躰道部門総監督と、審判がなにか話し合ってる」
いつもは競技を終えれば、さっさと片付けてしまう柔道畳もそのままに、スッタフ側に回っている軍人たちが話していた。
「なにかあったんすかね?」
「まさかなんらかの反則技で優勝取り消しとか?」
「えー、それはマズイよ! 加勢に行こう、反則だって勝ちは勝ちなだから取り消されて堪るかって!」
「アンタ……ホントそういうとこありますよね……」
堤に腕を引っ張られ、銀臣は強制的にアリーナまで下りていくこととなった。
「みやもっちゃーん、どうしたのー!」
「あ、支部局長」
審判と話していた大志が、くるりと振り返った。
堤はすかさず大志の肩をバシバシと叩く。
「大丈夫だよみやもっちゃん、反則ギリギリセーフだってアウトだって勝ちは勝ち! ここで一番強いのはみやもっちゃんなんだから! 堤さんが巧みな話術であんな審判丸め込んでみせるから任せてチョ!」
「おい堤、お前それ目の前で言うなよ……」
顔見知りらしい審判が、口元を引くつかせて睨んだ。
大志が「ち、ちがいますよ」と慌てて訂正を入れる横で、審判から説明が入る。
「さっき、躰道部門70kg級の優勝者から、宮本くんへ審査外試合が申し込まれたんだ」
「え、なんだ、そうなんだ〜。ビックリさせないでよ」
ホッと胸を撫で下ろす堤をジーっと見て、大志は真顔で尋ねる。
「私が反則技使うように見えるんですか?」
「まさかまさかー! ぜんっぜん信頼してたけどね!」
「堤さん……アンタどの口が……」
軽蔑したように呟く銀臣。
大志も疑いの眼差しをじっとりと送る。堤はお得意の笑って誤魔化し作戦を行いながら、すぐに話題を変えた。
「受けるの?」
審査外試合とは、選手の申し立てにより行える試合だ。おもに体重別に試合が組まれている格闘技で申し立てがあることが多い。
大会の戦績には加算されないが、体格の違う選手たちの取っ組み合いにハラハラすると、観客からは人気のたまにあるボーナスイベントのようなもの。
もちろん、申し立てを断ることもできる。全ての決定権は申し立てられた方にあるので、大志の判断次第だ。
「はい、受けていいかと思ってます」
「そっかそっか、ガンバっておいで」
「はい」
大志はわりとあっさり受諾して、審判はそれを総監督に伝えに走る。
「負けんなよ、大志!」
「おわ、将。いたのか」
「ひっでーな!」
将はバシバシと力強く大志の背を叩いて、優勝の祝福と試合の激励を送る。体格が一回り以上違うからか、痛そうに見えた。
躰道チームからも次々に「やっちまえよ宮本!」「お前がナンバーワンだ!」と激励が飛んだ。この短い時間を共に戦い、あっという間に友情が芽生えたらしい。
「ほら、シバちゃん」
そこで堤が、銀臣を大志の前に押し出した。
お互い向かい合う。
なんだこれ、なんか言えってことかと後ろの堤を睨み付けると、親指を立てて励まされた。ここまで来ては逃げられないと、銀臣は素直に前を向き直る。
「あー……まぁ、ここまできたんだし勝ってこいよ。それ以外なにもできないんだし」
「シバちゃん、最後余計」
後ろからドスッと、拳が背中に入る。
銀臣はウッと短く呻いて、それから大志を見た。
怒っているか、あるいは気まずくさせたかと思ったが、大志は平然としている。
「はい、これくらいは局の為に貢献しないと」
「……おう」
そこで再び来た審判が大志を連れて行った。
「さてさて、今度こそみやもっちゃんの大活躍を見なきゃ。ここ座っていい?」
「はい、もちろんです」
チームのベンチにどっかりと腰を下ろして、堤は特等席を確保した。
「あ、じゃあ俺はここで」
将は軽く頭を下げて、アリーナから出て行こうとする。それを堤が「待って待って」と止めた。
「マーちゃんもここにいていいよ」
「つっても俺、別チームですし……」
「いいよぉ、べっつにこれ大会に関係ない試合だし。ほらほら、隣おいで」
「は、はぁ、失礼します」
将は他の南方第二支部局の面々にも気を使ったように、礼儀正しく頭を下げてからベンチに座る。銀臣も堤に手招きされたが、横に立って「ここでいいです」と押し切った。
柔道畳の上では、今まさに試合が開始されようとしている。ボーナスイベントである試合に、会場の空気が沸き立った。
大志を応援する若い女たちの声が、一層近くに聞こえる。そんな声どこから出るのだろうと頭の端で考えていると、大志と相手選手が向かい合って立ったところだ。
相手の方が当たり前だが、上背がある。筋肉も大志よりガッシリしているようだった。
「どっちが勝つと思う?」
堤が、両隣の銀臣と将に問いかけた。
将はすぐに「大志なら勝てますよ」と答える。
それに対し銀臣は、あくまでも興味の無いフリを通した。
「アイツの実力なら、まぁ問題無いんじゃないですか」
「それ、さっき同じようなこと俺言ったよー」
「始め!」
審判の声が響くのと同時に、一瞬の緊張が走った。
さすが優勝者同士の試合だけあって、足さばき一つ取っても動きが違う。相手との間合いを正確に測りながら、探り合うようにしばし睨み合う。
観客も固唾を飲んで見入っている。選手二人から発せられる気迫が素人目にもわかったのかもしれない。
最初に空気を動かしたのは、大志だった。
運足で一気に相手との距離を縮める。相手がそれを受けて、右足を振り上げた。
大志はそれを両手で受け止めていなす。相手の体勢が完全に伸びきったところで、軽々と飛んだ。
「一本!」
勝敗は決した。相手選手は、腹を押さえて尻もちを付く。
あまりに早い展開に、場は一瞬シンと静まる。そんな中で、銀臣と堤は呆然と呟いた。
「飛び後ろ回し蹴り……」
「みやもっちゃん、ここに来てそんな大技……」
「言ったでしょう、大志のあれは武術ってより喧嘩道だって。度胸の塊なんですよ」
将は友人の活躍が嬉しいのか、誇らしそうに言った。
会場中の注目の浴びる大志は、尻もちを付いた相手選手の手を取って立たせる。
相手選手は晴れ晴れとした顔で大志を見た。
「いい蹴りだった。悔しさも感じないほどに感服だよ」
「こちらこそ。勉強になりました」
がっしりと握手を交わし、お互い頭を下げて別れる。
チームの面々が大志の元に駆け寄る。次々に祝福の言葉を送り、頭を押さえつけるように撫でたり背中を叩いたりと激しい祝いの品を送った。
大志は照れ臭そうに、または少し困ったように成すがままにされている。
堤と将もそこに飛び込んで行く中、銀臣だけはそこを動かなかった。祝福すら素直にできないなんて、自分はなんて面倒くさい奴なのだろうと思いながらも足は一向に動かない。
だけど大志の噂も、これで良い方に向くだろうと考えた。
もちろんやっかみもあるのだろうが、それでも第一歩目としては申し分ない。
躰道部門歴代最年少優勝記録である十六歳とわずか一歳違いで、宮本大志は軍組織に華々しいデビューを果たしたのだから。
◇◆◇
西条地方・皆島村
ある少年が、ふと家の中から外を見た。
別に理由はなんてことない。まだ幼い妹を寝かしつける為に絵本を読んでいて、やっと寝た妹を寝室に置いて、その時になんとなしに外を見たのだ。
金も正気も無い、晴れているのにどこか暗い街並みが目に入る。
だけどふと、なにかがおかしいと思った。
妙な焦げ臭さが、家のあちこちの隙間から漂ってくる。よくよく外を見れば、黒い巨大な雲が立っていた。
連なる家々の向こう、黒いそれは空へと逃げていく。
一瞬、雷雲かと思ったそれは全く違うもので、少年はちょうど部屋に入ってきた母親に振り返った。
「お母さん、火事だよ」
「えらく燃えてんなぁ」
「ガソリンをあるだけ大量にぶちまけました!」
二ヒヒと屈託なく笑う真昼の頭に、男は渾身のゲンコツを落とす。
「いってええぇぇぇ! なんでっすか! なんで殴ったんすか⁉︎」
「ガソリンだって高いんだぞこのバカヤロウ。節約しろ節約」
「燃やせって指示したのカズさんじゃないですかー!」
「少ないガソリンでもなぁ。配線の仕方で十分に燃えてくれんだよ、それをテメェは。ちょうどいいから今度それも教えてやる」
「げーーー! やぶ蛇ーーーーーー!」
「なにがやぶ蛇だバカ」
そうしてもう一発ゲンコツを入れて、男は人集りに視線をやった。
燃え上がる屋敷に異変を感じ、集まって来た村の人々だ。その群衆の、頭一つ飛び出た白い存在。
遠くからでもわかるその姿を確認してから、男は屋敷を燃やす前に運び出した金貨を村人たちに配り歩く。
誰も彼も頭を垂れて、まるで下賜されるように男から受け取っていった。
(俺はそんな大層なもんじゃねぇぞ……)
眉をひそめはしたが、黙って作業を続ける。子供には屋敷の厨房からくすねて来たお菓子も持たせた。
一方、白い頭の青年は、適当な台座の上に立って群衆を見下ろしている。
その傍らには、片腕の無い領主の男が膝をついて座らされている。もう抵抗する気力も無いのか、縛ってもいないのに大人しいものだった。いや、意識が半分飛んでいて自分の状況がわかっていないだけかもしれない。
「権力とは化け物だ。だけどその化けの皮一枚を剥げば、そこに鎮座しているのはこんなに脆い人間なんだよ。刀で斬れば血が出るし、腕を捥げば骨が見える。お前たちは、なにに怯えているんだい? なにに恐れている。権力を持つのは同じ人間だ、化け物じゃない。なのになぜ従う必要がある。なぜ飼われる必要がある。なぜ、飼われていることに疑問を持たない」
角の一切無い、つっかえること無く流れる言葉。
秋の澄んだ空のように穏やかで、妙なもの寂しさと安らぎを感じさせる。不思議な声の持ち主だった。
集まった群衆に言葉を降り注ぐ。まるで神の啓示を告げる天使が、地上に降り立ったかのような光景。
「悪いのは権力か、人間か。権力を持てばどんな人間も悪に身を落とすのか? もしお前たちが権力を持っていたのなら、ここにこうして無様に息をしているのはお前たちだったのか、僕だったのか。そもそも権力とはなんだ。人の上に立つ者か。人を罰する者か。それとも、ただ不条理で理不尽なものなのか。僕はどれも違うと思う」
群衆の意識は、完全に青年へと惹き込まれている。
もしくは。呑み込まれていると言った方が正しいかもしれない。
「権力とは『大多数』だと、僕は思う。大多数が支持し正解だと思うものこそが権力であり威力であり、暴力であり常識だ。今、この世界には、見掛け倒しの権力を持つ人間よりも、それにより理不尽な苦痛を強いられる人間の方が多い。なら、お前たちこそが権力であるんじゃないだろうか」
青年は話すのが上手い。
声の抑揚、間の取り方、距離感、心地良いと思わせるトーン、ペース。
重要なところで一拍置いて、相手の注意を引いてみたりする。そうして相手を持ち上げて思い通りに動かすことも、逆に自分のペースに引き込むこともできた。
「権力であるお前たちが、何故こんなところで燻っているのか僕にはわからない」
場の空気が変わる。ぞわりと脈打ったのが手に取るようにわかった。
「この男は放っておいても、いつか死ぬ。わざわざお前たちが手に掛ける必要も無い」
青年は領主の髪を掴み、体を持ち上げる。
群衆の視線は、一気に領主に向けられた。
「だけど、お前たちはそれでいいのかい? どうせ死ぬとしても、お前たちを苦しめた張本人が目の前で生き絶えるのを、ただ見ているのかい? それじゃぁ傍観者のままだ。権力者のすることじゃない。人を傷付けるのは怖い、手を下したくないと言うのなら、僕はそれも十分に尊い決断だと思う。しかしその時、お前はただの観客だ。役者ではない」
そして青年は、領主を台座から突き落とした。
領主はなんの抵抗もできず、転がり落ちる。群衆の輪の中でピタリと止まった。
「お前たちがただの観客者で満足だというのなら、それもまた良し。だけど新世界のドアノブに手を掛けるチャンスは、今、すぐそこに転がっている」
いつもは上から自分たちを見下ろしていた憎々しい顔が、今は足元にある。自分が、踏みつけられる場所に。
「非力な僕に、どうかお前たちの手で、扉のその向こうを見せてはくれないだろうか」
最後の一言をきっかけに、群衆はわっと走り出した。
その勢いのまま領主を踏みつけ、殴り、髪の毛を抜いて爪を剥いだ。たまに「よくも息子を!」と一層怨念に満ちた怒声も聞こえる。
怒りのままに復讐は続き、領主の顔は元の状態がわからないくらいにひしゃげていく。
「火に投げ入れろ!」
「燃やせ燃やせ!」
誰かがそう言ったのを皮切りに、周りの雰囲気もそれに呑まれる。
領主を持ち上げる。その下に群がった民たちの手から手へ渡り、燃え盛る屋敷の方へ流れて行った。
「や、やめ、て……く、れ……たす……て…………」
弱々しい声は、怒る民たちの猛り声にかき消された。
「さぁ、薪を焚べろ」
その中で、どこまでも静謐な声は語る。
「それは天高く燃え上がる。煙は雲に、炎は太陽の代わりになる」
領主はあっという間に燃える屋敷の前まで晒された。
民の足は止まらない。掛け声と共に領主は放り投げられた宙を舞う。
「虐げれらた過去の自分も火に投げ入れて、生まれ変わったなら歩むべきだ。我々は搾取されるべき消耗品ではない。意思のある権力者なのだから」
静かな語り部を邪魔する絶叫。
赤い炎の中でダンスをしているように見えた。のた打ち回っていたのは最初だけで、それは徐々に動かなくなる。
「ありがとう、お前たちのおかげで、僕はその向こうの景色を見ることができた」
拍手と歓声。
一層強く瞬く炎はまるで後光のように、青年を輝かせる。
希望が生まれたのだろう。群衆にとっては、初めて自分たちの自由を具体的に見せてくれた出来事だったのだから。
彼らが青年を見る目は、どれもこれもまるで神聖なものを拝んでいるようだった。
救いのヒーロー。救世主。英雄。あるいは、それらを通り越すような。
喜びの声に溢れるその光景を見て、男は内心で呆れるように溜め息を吐いた。
お前は神さまにでもなる気かよ、と___……。