第5話 見栄と権力の街で
「堤さん! どういうことですか!」
「いや、そんなん俺に言われても困るよって」
翌日の支部局長室には、朝から柴尾銀臣の声が木霊する勢いで飛んでいた。
椅子にどっかり座った堤は、やはり軽薄な口調で答える。が、その顔には少し困惑の色が滲んでいた。彼も、まさかこんな事態になるとは思っていなかったのだ。
「失われた叡智が起動しないなんてオカシイだろ!」
前代未聞のこの出来事に、誰も解決法が見出せずにいる。
話は、昨日まで遡る。
一通りの案内を終えて、最後に大志を訓練場に連れて行った。
古城の裏手に、離れのように設立された巨大な施設。ここで日夜訓練が行われている。
確かに、威勢のいい声は外まで漏れ聞こえている。中に入れば、広場で格闘術の訓練をしているようだ。二人一組で組手をしている。
「……本当に、すごい気迫だ」
「代表選出戦があるからな。気合いが五割り増しだ」
「優勝者にはなにかあったりするんですか?」
「とくに。強いて言えば出世に有利になったりするくらい。あとモテる」
「へぇ…………?」
「あんたも優勝すればわかる」
そうして組手を横目に通り過ぎ、奥へと進む。古城が支部局として改築されてから建てられたここは、壁や床も比較的新しい。市民体育館のような造りになっていて、室内競技場や畳の部屋まであった。主に槍術や空手、柔道の訓練に使うらしい。
しばらく歩いた先、屋外射撃場に出る。
青芝が広がる敷地の向こうに、丸い的がいくつも並んでいた。
そこにはすでに堤と三島もいて、三島の手には失われた叡智があった。
「ハイハイみやもっちゃん、どうだった、ここは?」
堤は笑いかけながら大志に問う。
銀臣と二人きりの気まずさに参っていた大志は、その笑顔に安心して素直に答えた。
「広くて驚きました。町の小さい交番で働いていた身からすると、なんだか落ち着かないです」
「そっかそっか、迷子にならないようにね。そこら中に案内板があるから、まぁそれ見て慣れていって。んじゃ、さっそくだけど」
「これが宮本大志二等軍士のオーパーツよ」
堤のアイコンタクトで、三島は手に持った物を差し出した。
鈍い銀色を放つ、大きな箱。一見アタッシュケースのようにも見えるそれが、これからの大志のもう一人の相棒。
「基本、一人一つが原則ね。メンテナンスは国お抱えの専門技師がやるけど、キミに合わせて細かいパーツやトリガーの硬さを調整してくれるから、だんだん手に馴染んでくるはず。破壊された場合はなるべく回収すること。残骸までね。一応、帝国の最重要極秘技術だから」
三島からそれを受け取り、大志は縦に横にと眺めた。
見た目の割に軽く、手触りは少しザラザラとしている。妙に馴染む感覚に何度か表面を摩った。
「世界崩壊前とは、使ってる材料がちょっと違うんだよーん。今は家畜種の小竜の皮膚を使ってる。中のギミックは、残念ながら今の技術じゃ再現不可能でね。誰も弄れない」
「もしオーパーツが全て破壊された場合、代わりになる戦闘器具は用意があるのですか?」
「いい質問。今、国中の技術士や発明家が必死に開発中。もう何回か試運転の実験もしてるのよん。でもオーパーツほどの威力は無くてね、とりま一番出来が良かったのを生産するかどうかって会議中。んでも、それはまだたっくさんあるからしばらくは大丈夫って感じ」
「なるほど、わかりました」
「よーし、みやもっちゃん。景気付けに一発撃ってみようよ。あそこの的に向かってドーンって。あ、威力は最小ね。間違って『四』あたりで撃ったら訓練場が壊れちゃう」
「昨年の新人の実話です」
「あの時は雷が落ちたのかと思ったぜ」
「ま、壊しても堤お兄さんが本部から予算ぶん取ってくるから大丈夫だけど」
ケラケラと笑う堤の声の横で、大志は的を睨みつける。
いくつも丸が描かれ、点数が細かく割り振ってあるよくある物だ。
(……よし)
堤と三島の値踏みするような視線を受けながら、大志は意気込んだ。
射台に立つ。失われた叡智のハンドルに手を掛ける。
「オーパーツは生体反応があるものは標的ロックしてくれるけど、無機物はロックできないから使い手の腕次第になる。でも気張らないで気楽にね、みやもっちゃん」
(ならなおさら、的に当てるくらいはしないとな……)
堤の説明に、大志は逆に強く意気込んだ。
銀臣は冷めた目で大志を見ていた。
もしこれがお粗末な結果であれば、それ見たことかと堤にチーム解体を申し出るだろう。
(もう俺の職場はここなんだ、なんとか上手くやっていかないと)
いまだに納得はしていないが、彼はそれでも理解はしている。今日からここで仕事をすることを。それならば上司である堤に三島、チームである銀臣にも認めてもらわなければ話にならない。
大志は深呼吸を一つ。そして失われた叡智のハンドル内側に付いているスイッチを押す。
そうすれば僅かな起動音が鳴って、それは銃の形を成す。
銃の形を__……。
銃の形を__…………。
銃の_____……………。
「あれ?」
思わず言葉が飛び出る。
何度スイッチを押しても、失われた叡智はうんともすんとも言わない。
カチカチカチカチと起動スイッチの音が鳴るだけで、大志は後ろに待機していた三人に振り返る。
「起動しない……です」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「え、そんなことある?」
たっぷり四人分の沈黙を流した後、堤が素っ頓狂な声を上げた。
それから横の三島を見る。
「三島チャン、どういうこと?」
「私に聞かないでくださいよ」
「ちょっとちょっとシバちゃーん。いくらチーム組みたくないからって偽物を掴ませるのはダメでしょ。アウトだよ」
「あの流れでどうやって俺が偽物掴ませたっていうんですか。そんな技術あったら手品師になって稼いでますよ」
「えー。じゃあオーパーツの故障とか? ヤバイじゃん。人類史上初だよ、初。やったねみやもっちゃん、人類初めてのことを体験した男だよ」
「え、それって喜んでいいんですか? 故障しないんじゃ?」
「確かにそう言ったのは俺だけど、今まで起きなかったからってこれからも起きないなんてことは無いだろ。俺を見るなよ」
「すみません」
「三島チャーン。別の持って来てちょ」
「わかりました」
三島が駆け足でどこかへ消えて行き、しばらくしてから戻って来た。
大志の持っているものと交換して、彼は再び的を向く。
よし、今度こそと意気込んでスイッチを押したそれは、またもなんの反応も示さない。
カチカチカチカチ。それだけを虚しく響かせてから、大志はゆっくりと振り返った。
「え、なにこれ。集団感染ならぬ集団故障? それかオーパーツのストライキ? 働かせすぎ的な?」
「堤さん、意味不明です」
三島が鋭くツッコミを入れてから、大志をジロリと見た。
「……考えられるとすれば」
信じられないがと、そう言外に含むような声音。
「宮本大志二等軍士が適性者では無い、ということくらいですが……」
そして奇妙な物を見るような三人分の目が、大志へと向いた。
大志はそれに、ただ「へ?」と混乱するばかりの頭でなんとか答えた。
「オーパーツが使えねぇとか話にもならねぇよ!」
銀臣は机をバンと叩いて、興奮したように堤に詰め寄る。
「いやいや、全くその通りなんだけどね、うん。てかシバちゃん、キミ、ホントにちゃんと見たの? みやもっちゃんがオーパーツを使うところ。あの件のあの場での生き残りはキミと東雲さんしかいないんだけど、東雲さんは意識半分飛んでたらしいし、え、キミ、ホントにちゃんと見た?」
「見ましたよ、なんで俺を疑う方向にいったんですか! それに意識飛んでた東雲さんでも、間に合わなかった役立たずの俺でも無いなら誰がジェヴォーダンの獣を倒したって言うんですか!」
「そうだよね、うん、それにみやもっちゃん自身もオーパーツを起動したってちゃんと言ってたし」
じゃあなんでだろーねぇと、銀臣よりか幾分も緊張感の無い声で堤は頭を掻く。
銀臣は内心で苛立ちを募らせた。堤にでは無い。この状況にだ。
いきなりチームを組まされ、相棒となる男は武器を使えない。その理由も今のところ解明できそうにない。
銀臣自身にとっても目まぐるしい環境の変化に、心が追いついていなかった。
「とにかく、武器が使えない奴なんて俺は認めません。チーム結成の話は無かったことにしてください」
「ヤーダ」
「なんでですか!」
なんとか落ち着いた声音で申請したのに一瞬で破棄され、銀臣はまたも声を荒げる。
堤は「ど〜ど〜、そんなに興奮しないで、堤お兄さん困っちゃうよ」と茶化す。しかしそれは、今の銀臣には完全に火に油だ。
堤は今度は落ち着いた声音で、銀臣をまっすぐに見る。
「確かに、状況から考えるとみやもっちゃんは『適性者では無い』と言える」
「だったら__……」
「でも適性者で無いなら、なぜ一回でもオーパーツが反応したのか。奇跡的に誤作動を起こしたのか、それともみやもっちゃん自身になにかがあるのか。それを確かめなきゃさ」
「確かめる必要なんて無いでしょ。アイツは適性者じゃない。武器は使えない。これが全ての結論です。さっさと警察に返しましょう」
「も〜そうやってすぐに捨てるような真似をさぁ。女の子にもしてるの? そういうのね、ヤリ捨てって言うんだよ〜?」
「なんで女の話になったんだよ、アンタの頭そればっかりか!」
そうしてまた机を叩いて、ダメだ冷静になろうと、銀臣は静かに深く呼吸する。
「………俺は認めませんよ、チームなんて。しかも武器も使えない役立たず」
「じゃあ認めてもらえるように、みやもっちゃんにはガンバッてもらおうか。それにシバちゃんもね」
その言葉に、銀臣は眉を寄せる。
「………なんで俺が頑張るんですか」
「人を認めるのって、けっこう勇気がいることなんだよ。勇気を出すなんて、五股がバレた男の修羅場より大変なんだから。シバちゃんもガンバらないと」
「………五股がバレたことあるんですか?」
「今の忘れて。んじゃ、チーム結成後初勤務。励みたまえよ少年!」
「…………チッ」
チーム解体を真剣に取り合う気は無いなとすぐにわかった銀臣は、一旦引き下がることにした。
それにあまりにしつこくすれば、堤は頑なに「大丈夫」を連呼し始める。
こうなったら多少長期戦になるのを覚悟して、毎日じわじわと文句を言って根負けさせようと考えた。
そんな自分の算段とは裏腹に呑気に手を振って送り出す堤。容赦なく扉を閉めて、銀臣は本日の勤務に入る。
◇◆◇
「おはようございます」
礼儀正しく下がる頭に、銀臣は気勢を削がれる。
条件反射で「……はよ」と返した。それを受けて、大志は頭を上げた。
「今日の予定は市中の見回りだそうです。よろしくお願いします」
その顔は淡々としたものだった。
てっきり焦燥するなりなんなりしてるかと思ったが、大志の様子は初めて会った時と変わらない。
礼儀正しく、適度な距離感を心がけ、あまり煩くしない。
チームを組む上では最高の人材であると言えるが、しかし銀臣は納得していなかった。なにがそんなに気に入らないのかと問われれば、彼はすぐには答えられない。
大志と視線すら合わさず、背中を向ける。
「………車のキー、取ってくる」
「あ、もうお借りしてきました」
振り返ると、大志の左手には車のキーが握られている。
「………出動帳簿、付けてくる」
「それもやってあります」
「………手際いいな? 俺、教えてないけど」
「さっき、廊下で声を掛けてくださった方がいて。ついでに教えて頂きました」
「……ふーん」
大志はそれでも前に出過ぎることはしない。
今も、銀臣が「出発するか」と言うのを待っている。決して出しゃばって動かず、あくまでも『先輩である銀臣の指示待ち』の姿勢を保っている。
いや、初日で銀臣自身が『付き合い辛い奴』と印象を植え付けてしまったので、様子見をしているだけなのかもしれない。彼だってきっと、同年代の気の合う相棒であったならばもっと前面に出てきただろうと思い直した。
「……じゃ、行くか」
「はい」
試しに銀臣が声をかければ、すぐに足が動く。銀臣の半歩後ろを保つのも忘れずに。
その様子に、銀臣は妙な印象を受けた。
「うわ、立派なホテル……」
少しの気まずさを共に乗せ、車は帝都中央街を走行していた。
今日も今日とて人で溢れかえる街を助手席から眺めていた大志は、思わずといった調子で声を漏らす。
銀臣が同じ方へ視線をやれば、立派な玄関を構えた灰白色の建物があった。太陽を全身で反射するそれに、目がちくりと焼かれる。
すぐに視線を逸らして、前を見る。
「あれはホテルじゃなくて銀行」
そして素っ気なく説明を入れた。
「えぇ、銀行なんですか? あんなに立派なのに!」
大志は素直な反応を返してくる。
帝都の街並みは、どうにも一日だけでは飽きないらしい。初日の感動をそのままにしている大志は、物珍しそうに窓の外を見る。
「帝都中央駅前戸倉紋上銀行。戸倉っていう五大財閥の銀行。アンタの地元にも支店くらいあるだろ」
「あぁ、戸倉銀行なんですか。オシャレなのでホテルかと思いました」
少し後ろに去った銀行をもう一度見直してから、大志は前を向く。
だがまたすぐにキョロキョロとし始めた。感心したように息を吐きながら過ぎていく街並みを見る。
聳えるようにどっしりと構える建物。財力を窺わせるような車。派手な服装のご婦人。その足元には、恵みを求める浮浪者。いかにもビジネスマンの風体をした紳士。
全てが寄り集まって、なんとか構成されているような。全てがチグハグ故に完璧だとも思える世界。
「綺麗な街だ……」
まるでオモチャ箱の中のような混沌の中で、大志は素直にそう呟いた。
それは運転席の銀臣にも聞こえたようで、彼は鼻を鳴らす。
「実に嘆かわしいことだ。ここは見栄とそれ故に成り立つ秩序の街であり、私の徳を求む気持ちなどを全て跳ね除けてしまうのだ。金と権力に溺れ、彼らは何一つ価値を得ないままその人生に幕を閉じると思うと、私はやはり嘆かわしく思えてならない」
芝居のかかった口調で、銀臣は静かなのによく通る声で語った。
まるで御伽噺を聞かせるようなそれに一瞬驚いて、大志は銀臣の方を見て目を瞬かせる。
「………なんですか、それ?」
「上仙寺譲治っつー、昔の人が書いた本の一節。冷笑主義って知ってるか?」
「えっと……徳こそが全ての価値であり、贅沢や社会的慣習など、その他全てを蔑む思想……でしたっけ」
「案外物知りだな。んで、そのオッサンが帝都に上京してきた時のことを書いた本だよ。帝都の人間は見栄で取り繕った豪華なものに囲まれて、誰も自分の説教なんて聞きやしねぇ。他人によく見られたいが故に法を守り、それが結局秩序となっているのだから哀れに思うってな」
「……随分皮肉な物の見方ですね……」
「だろ? 結局は反皇帝思想犯にまででっち上げられて処刑されたんだよ。本は禁書として燃やされた。けど、裏ではまだ流通してる」
「読んだことがあるんですか?」
「単身任務で出向いた先で、ホームレスのオッちゃんが持っててな。今晩の寝床にするっつって腰の下に引いてたやつだけど」
銀臣は運転しながら、後ろへ流れていく街並みを見送った。
絢爛な建物。華美な服。過ぎてしまえば忘れてしまうような人との繋がり。どんな人間も受け入れるかのような雑多な世界。
「綺麗で完璧なものほど偶像なんだよ。見栄と権力でなんとか自分を大きく見せるのに必死で、心の繋がりなんて求めてない。感嘆の溜め息を吐くほどの街並みを見上げればそれは張りぼてで、下を見れば空っぽな人間が行き交う。こんな世界に価値はあるのかってな」
「……柴尾さんは、冷笑主義者なんですか?」
「いや? 俺は小難しいことはなるべく考えたくねぇ主義」
「ははっ、どんな主義ですかそれ。楽観主義とは違いますし」
「アンタはどう思う? ここの人間は空っぽだと思うか?」
「んー、そうですねぇ」
ちょうど、赤信号で車が停車する。
すぐ横の歩道を、子供たちが駆けていった。ペット用に品種改良された超小型の竜を連れている。そのすぐ後ろを貴婦人が。なにかの店先では老夫婦はウィンドウショッピングを楽しんでいた。
そういう、ありふれていて、どこにでもありそうで、それ故に印象にも残らないような風景を見ながら、大志は銀臣に返す。
「例え虚栄心や偶像の産物だとしても、それでもここには笑顔がある。ならそれは、全くの無価値では無いと思います。見栄だって人間の一部なのだから、見栄がある限り『空っぽ』ってことは無いんじゃないですか?」
と、思います。
最後の最後に遠慮がちに付け足された小さな声を聞き届けてから、銀臣は「なるほどねぇ」と漏らした。
「人が笑顔であるか、それは価値ある物の基準になるってことか」
「誰だって、笑って暮らしたいじゃないですか」
「………」
にこやかに語る大志に、銀臣はまたも違和感を覚える。その感覚の正体について、もう少し探ってみようと口を開いた時だ。
突然、車内に無線が入る。
ピーーーピーーーと鳴る、車のメインパネルに備えられた無線機。
大志はすかさず受話器を取った。さすが元警察官だけあって、反応が早い。
「はいナンバー四車、宮本です。どうぞ」
《応援要請、応援要請、遊泉町南公園で違法演説者。テロリスト思考の可能性あり、警察と取っ組み中。どうぞ》
銀臣がハンドルを切る。ウィンカーを出して、道を曲がった。
「了解、向かいます。どうぞ」
《演説者の背格好は五十代と見られます。えー、メガネを掛けて小太り。『日本再建』のたすき掛け。信者のような付き人が六名》
無線を聴きながら、銀臣は道を迷いなく進んでいく。
効率よく仕事をするにも、やはり地理が頭に入っていないことにはどうにもならない。街の地図が完璧に頭にあるのだろう。
大志だって、地元で警察官をしていた時はそうだった。
番地や建物の名前を聞いただけで急行できたものだ。規模の小さい田舎町ではあったのだが。
だが、この巨大過ぎるカラクリの街は、どうにも迷路のようで覚えられる自信が無い。大志は街の風景を少しでも覚えようと、目印になりそうなものに検討を付けながら現場へと向かう。
そうして公園で違法演説者の集団を押さえ、薬物中毒者が暴れているというレストランへ飛び込み、時には迷子の子供を交番に預けることまで。
大きな街に比例するかのように引っ切り無しに入る無線と事件。田舎で町のお巡りさんをしていた大志にとっては目が回る忙しさだった。
そうやって見回りももうすぐ終えようかという時、またも無線が入る。
《応援要請、応援要請。道尊坂商店街で日本刀を持った男が通行人に斬りかかる。警察が交渉するも失敗。現在人質を取って硬直状態。えー、どうやら反乱軍の一味である模様》
ドクリと、大志の心臓が脈打った。
手に汗が浮かんで、ギュッとそれを握りつぶす。じんわりと熱くなる目の前と、上がる呼吸。
「了解、向かいます」
無線に向かって返事をする声は、やけに低かった。
手が震えている。なんとか受話器を元の位置に戻して、大志は浅く呼吸を繰り返した。
「……おい」
大丈夫か?
そう言おうとして、銀臣は口を閉じる。
(気にかける必要なんて、ない)
自分に言い聞かせる。
大志と深く関わるつもりなんてない。すぐにチームを解消させて、また一人に戻るのだ。誰かの心配をするのも、誰かに心配されるのも御免だ。
気にかける必要はない。声をかける必要なんてない。すぐに終わる関係だ。そう、言い聞かせる。
銀臣はふいと視線を逸らして、ハンドルを切る。現場に急行した。
◇◆◇
到着した現場では、すでに辺りは騒然となっていた。
昼間の、本来なら人通りが多いであろう商店街。しかし今は、紺色のスーツを着た警察官数名と犯人の睨み合いの場になっている。
「どうした、国家組織のクソ犬ども。オレに手が出せねぇか?」
挑発している犯人の手には日本刀。それを人質の少女の首に当てている。目深く被ったフードで男の顔はイマイチ見えない。
「状況は?」
二人は近くに車を止めて駆けつけた。銀臣がすぐに手近な警察官に尋ねる。
「自称反乱軍の一味だそうです。名前を明かさないので確認が取れません。拳銃を捨てないと人質を殺すと喚くので、拳銃は出さないでください。今、狙撃班が急行しています」
潜めた声で警察官も返した。
それに銀臣は眉を顰める。
「こんな人の多い場所で狙撃は、下手をしたら周りの住民に被害が出ます。まず野次馬どもをどうにかしないと」
「はい、そうなのですが……こちらが変に動くと人質を殺すと……」
「犯人の要求は?」
「現在投獄中の反乱軍首領、小山十郎の釈放です」
その名前には覚えがあった。
確か反皇帝思想の過激派武装集団の長だ。規模は小さいが、捨て身のテロでよく世間を騒がせている。
「オイ、いつまで待たせるんだ! 早く小山さんを解放しないとコイツを殺すぞ!」
徐々に興奮する男は、人質の少女を見せつけるようにその首根っこを引っ張る。
少女は短く悲鳴を上げた。離れた野次馬の中から「カナ!」と女性の叫び声。少女の母親は、前に出ようとして近くの警察官に押さえられた。
「お願いします、私が代わりに人質になりますから! 娘を放してください!」
「うるせぇ! ほんとに殺すぞ!」
「落ち着け! 今、小山十郎の解放にあたっていろいろと話が進められている! 少し時間をくれ!」
「話ってなんだよ! さっさと解放しろ!」
「囚人を一人を解放するにも、いろいろと手続きが必要なんだ、わかってくれ!」
そのやり取りの端で、新人らしい警察官と年配の警察官が声を潜めた。
「本当に小山十郎を釈放する手続きが?」
「いや、それは無い。小山十郎を世間に放したら、それこそ次はもっと大きな被害が生まれる。国は解放する気なんて無いだろうな」
かなり過激な犯罪手口で有名な小山十郎を世に放せば、また甚大な被害が起こるだろう。捨て身の爆破テロや列車ジャックで何十人もの犠牲者を出した大罪人だ。手続きをしているとは言うが、実際にはそんなことされていない。警察の上層部は『最小限の被害で制圧しろ』と、現場の人間に簡単に言うのだ。
「え、じゃぁ……」
「選択肢は二つだ。人質を巻き込んでアイツを確保するか、交渉決裂して人質を殺した犯人を確保するか、だ。どうにか隙をつければ人質を助け出せるんだがな」
「………」
正義心に燃える新人警官の瞳が、揺らぐ。
その横を、銀臣が通る。
一瞬で、場の空気が変わった。
突如として前線に躍り出た軍人の存在に、犯人の男はもちろん周りの人間もポカンと口を開ける。
「なんだ、テメェ」
男が警戒するように半歩引いた。
それに対し銀臣は、ゆっくりと両手の平を男に向けながら上げた。武器を持っていないことのアピールだろう。
そしてさらりと男へ言う。
「人質、俺が代わりになる」
「は⁉︎」
「君、なにを考えているんだ!」
犯人より警察の方が驚いて声を上げる。銀臣の肩を掴んで止めさせようとするが、銀臣は犯人から視線を外さず続けた。
「なぁ、よく考えてみろよ。どうせマスコミがこの事件を書き立てる。『現役軍人が人質になる』なんて最高の見出しになると思わねぇ? 警察や軍の印象を下げる大チャンスだぜ」
「図体のデカイ男なんて人質にするには邪魔なんだよ」
「子供だって邪魔になるだろ。体力もねぇし体も弱いから長期戦になったら弱る。長期戦を覚悟するなら、俺みたいな丈夫なのの方が役に立つ」
「ガキが弱る前に要求を飲めばいい話だろうが!」
「さっきも言った通り、囚人の釈放には時間がかかるんだよ。その間にその子が死んだら、アンタもう確保されるしか道は無くなるぜ」
冷静に話す銀臣の耳に、警察官が小さく呟く。
「なにか算段が?」
「なにも」
「無いのにそんな提案を⁉︎」
しれっと言ってのける銀臣に、警察は声を裏返った声で慌てふためいた。
しかし銀臣は、静かに前を見据える。
「それでも、あの子は助かるだろ」
男を刺激しないように、泣き出すのを必死に堪えている少女。
なんとか助けてやりたかった。家族の元へ無事に返して、それでまた、なんて事の無い日常に戻ってほしかった。
だけどそんな願いとは裏腹に、男は首を縦には振らない。
「……ダメだ。鍛えた軍人を人質にするなんてなにをするかわからねぇ。すっこんでろ」
(ダメか……)
意外にも冷静な判断をする男に、銀臣は内心舌を打つ。
さて、次はどう説得するかと考え始めた銀臣の意識に、突然素っ頓狂な声が割って入った。
「わ、ちょ、やめてください! 押さないで!」
つんのめりながら、銀臣の横を転がるように飛び出た存在。
それは、現場を見ようと押し寄せる群衆の波に押されたようで、ヨロヨロと犯人の前で転んだ。
着込んでくすんだジャケットを羽織る、若い男。それが顔を上げた瞬間、銀臣は叫びそうになった己をすんでの所で抑える。
(なにをやってんだテメェはーーーーー!!)
代わりに、心の中で思いっきり叫んでやった。
いてて、と鈍臭そうに石畳みに付いた手を払っているのは、さっきまで自分と一緒にいた大志だったからだ。
(なんだその服! なにをしてんだマジで! せめて俺になにか言ってからにしろよ!)
叫びたいが、それがどういう意図の行動なのかわからない現状では、銀臣は見守るしかない。
わざわざスーツのジャケットを脱いで、どこからか借りたジャケットで一般市民に扮している。彼にはなにか考えがあるのだろう、と。
「……今度はなんだ」
「ヒッ! す、すみませんすみません! あの、僕、押されただけで! すぐに消えますから!」
「クソッ、次から次へと妙なのが湧いてきやがる」
その、いかにもトロそうな大志の様子に犯人も毒気を抜かれたらしい。舌打ち混じりにぼやく。
「すみません、すみません、斬らないでください」
両手を上げて気弱そうに謝ると、大志はゆっくりと立ち上がる。
「さっさと消えろ、邪魔だ」
「はい、すみません、すみません」
その目が、一瞬でギラリと光る。
立ち上がりざまに、素早く男の懐まで距離を詰めた。鈍臭そうな様子だった大志からの予想外の行動に、男の反応が遅れる。
まず、人質の少女に首筋に当てられていた日本刀を蹴る。刃の部分ではなく、斬れない部分を見極めて。
反動で日本刀が少女から離れた瞬間、男の目に向かって躊躇わず手刀を入れようとした。
そうすれば男は、条件反射で少女の襟首を掴んでいた手を放して目を守ろうとする。瞬間、大志はそれを見越したかのように手刀をやめて、少女の脇に手を入れる。
そして後ろへ向かって叫んだ。
「柴尾さん、投げるのでお願いします!」
「は?」
銀臣がその言葉の意味を理解する前に、少女が宙を舞っている。あまりの光景に一瞬、なにが起こっているのかわからなかった。
「投げるってそういうーーーーーーーー‼︎」
叫びながら走り出す。
大志に投げられた少女は、すぐに重力に従って落ちていく。人間の体がふわりと飛んでくるわけない。
銀臣は持ち前の身体能力で、ギリギリ少女と地面の間に滑り込んだ。
小さい体を抱き止めて、ホッとしたのも束の間。すぐに後ろへ下がる。母親が駆け寄ってきたので渡した。少女は堰を切ったように泣き出す。
その間も、大志と男の攻防は続いていた。
「くそっ! 舐めた真似しやがって!」
男が刀を横に振る。
それを身を屈めて避けてから、日本刀を持つ男の手を掴んで固定する。それを軸に両足で地面を蹴った。男の顔面に二連続で蹴りを入れてから、体を捻って見事に着地する。男の方は武器こそ手放さなかったものの、背中から倒れた。
すぐに立ち上がって日本刀で応戦するが、大志の軽い身のこなしと的確な技に全く追いついていない。
大志のそれは、躰道の基本を見事に実戦に応用した動きだった。足さばきに全く無駄がない。
「さすがチャンピオン……」
銀臣の口に、思わず苦笑いがこぼれる。
大人しめで礼儀正しい普段のあれは仮の姿か、と言いたくなる程に容赦の無い攻撃の連続だった。
攻撃を受け止めるのではなく、相手の動きに合わせて躱す。相手の攻撃の勢いを利用して、自分よりも体格のある相手を軽々と投げ飛ばす。そういう技。
「く、そぉ……」
段々と敵わないことを悟った男が、最後の悪足掻きとばかりに刀を全力で振った。
しかし大志は、やはり冷静であった。
刀を振り下ろした男の肩に手を置いて、それを支えに飛び越える。一瞬で男の背後を取った。
どこまで身軽なんだと銀臣が感心した次の瞬間には、勝敗は決した。
男が振り向くのと同時に、大志の回し蹴りが顔面に直撃する。
鼻血を吹きながら男は倒れる。なんなら歯も何本か転がっていった。そしてもう、起き上がることはできなかったらしい。
完全に倒れた男を、駆け付けた警察官が一気に囲む。半分意識の無いその体を手錠で固定した。
そうして場が収まると、わっと歓声が上がる。
野次馬たちが次々に大志を褒め称える。調子のよい口笛や女たちの黄色い声まで。
「お兄ちゃん! ありがとう!」
人質だった少女が、大志に駆け寄った。
大志の腰へ抱きついて、まるで恋する乙女のような瞳で見上げる。そして息を詰めた。
その瞳が見上げたものは、寒気すらするほどの大志の無表情だったからだ。口元だけがぶつぶつと呟いている。
「違う……アイツはもっと強かった………アイツじゃない…………」
尋常ではない気迫さえ感じさせる大志のそれに、少女は一瞬固まった。
慄いてそっと腰から手を放すと、そのわずかな刺激で大志はハッと意識を取り戻す。
怯えた表情の少女を見下ろして、慌てて笑顔を作った。
「無事でよかった。投げてごめんね」
途端に人当たりの良い雰囲気になった大志に、少女は子供特有の無邪気さで、また顔を真っ赤にする。
「ううん、カッコよかった! わたしが大きくなったら、およめさんになってあげる!」
拒絶されることを想定すらしていない、純真無垢な言葉。大志はあらん限りの笑顔で「ありがとう、待ってるよ」なんて答えて。まるで町のお巡りさんだ。
市民に褒め称えられる大志を見る銀臣は、どっと肩の力を抜いて笑った。
失われた叡智を使えない人間なんて、仲間として認めたくなかった。が、どうやら思ったよりは動けるらしい、と。
「……案外、使えそうじゃん………」
明日に控えた武術大会代表選出戦。もしかしたら本当に代表になってしまう勢いだと、銀臣は感服の息を吐く。