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革命のエチュード  作者: 佐藤あきら
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第4話 同僚は、気さくで冷たい人

 進む車の中、男の流暢りゅうちょうな声が静かに響く。

 声を張り上げているわけでもないのに、よく通る。その声を音楽に、車窓を流れる景色が大志の心をとりこにした。


「ここが市庁舎しちょうしゃ。正面に建ってる偉そうなオッさんのぞうは、この市庁舎の最初の所長の秋山本郷あきやまほんごう。その向かいの建物は帝都で一番デカい国立病院。ずっと向こうに見える緑の屋根の建物は、警察本署。創立三百年をとうにすんだぜ」

「地方警察署よりずっと立派ですね」

「どこよりも立派にしてぇっつープライドだろ。ま、みんな立派って言うけどただのボロだ。トイレの扉が素人じゃ閉められねぇってのは有名な話」

「そんなトイレ嫌すぎますね。あ、都会の中に森がある」

いこいの森公園ってな、帝都で二番目にデカい公園だよ。五年前に皇帝陛下が設計して作らせたんだ」

「はーー……ほーー……」


 まるで観光ツアーのようだった。いや、観光ツアーそのものだ。

 洗練されたデザインの立派な建物。壁のくぼみには像が立てられ、ちょっとした場所に金箔きんぱくほどこされている。それが太陽に反射して、建物全体を輝かせているように見えた。

 大志の口からは感嘆の溜め息しか出てこない。帝都になど興味も無かったが、実際に見てみると素晴らしい街並みだった。

「で、それらと並び立つあのレンガ造りの建物が、我らが帝国軍本部」

 男が指差す先には、レンガ造りの立派な要塞ようさいがある。

 へいで仕切られた、他の建物よりも重厚感と閉塞感がある建物だった。しかし立派には違いない。一度見た地方都市の軍支部局も大層立派だと大志は思ったものだが、ここはその比では無い。

「つっても、ここはお飾り。実際に俺たちが訓練したりめたりするのは、中央街から少しはずれた場所。ここは景観にうるせぇから、むさ苦しい訓練場は置いちゃダメなんだと。今日はここはスルーな」

 そうして、軍本部は景色と一緒に流れていく。

 中も見てみたかったなと少し残念に思いながらも、大志は視線を前に戻した。

 しかし次々に目立つ建物が現れ、残念に思った気持ちなどすぐに散ってしまう。帝都の街並みは目を楽しませ、休ませることすらできない。

 奈都にも見せてやりたいなと、現金にも思うほどだ。綺麗で可愛いものが好きな奈都ならこの街はきないことだろう。

「そら、着いたぜ。俺らの職場」

 前方に見えるそれに、大志の中の不安な気持ちが一気に押し戻ってきた。それは素直に、その建物から受ける印象がそうさせたのかもしれないが。


 牢獄ろうごくのようだな、と、思ったのだ。素直に。決して比喩ひゆではなく。


 高く設けられた塀がぐるりと囲む建物。

 鉄製の重たい門を潜ると、石造りの重厚感ある建物が奥まで広がっていた。古城こじょうと呼ぶに相応ふさわしい堂々たるたたずまい。質実剛健しつじつごうけんと言えば聞こえが良いが、閉塞感もある。だが、どこか洗練されたデザインだった。

「元は大貴族の屋敷だったんだよ。没落してここを維持できなくなって、長年廃墟だったのを国が買い取って牢獄にしたんだ。で、今は改築を繰り返して帝国軍支部になってる」

 顔に出ていたのか、男は大志の内情を悟るような説明を入れる。

 大貴族の屋敷と言われれば、確かに納得した。広大な規模や妙に立派な装飾が、かつての栄光を垣間見ているような気にさせる。

「帝都中央区には、他にもいくつか支部がある。これはその内の一つ。支部の中じゃぁ、わりと最近できた方だな」

 説明している間に、車は地下へと潜る。

 どうやら古城の下は駐車場になっているらしく、ライトで僅かに照らされた薄暗い中には、ずらりと車が並んでいた。

 乗用車と、それ以上の数の軍用車が大小様々に並んでいる。

 その一角に車と止めて、男と一緒に降りる。

 男はさっさと歩いていく。大志もその後について、地上へと繋がる階段を登った。

 鉄製のドアを開けると、日差しが目を刺激する。少し白んだ視界の中、段差を登り続けた。

「ようこそ、帝国軍南方第二支部局へ」

 男の声に導かれ、光へ足を踏み出した。


 そこに広がっている世界は、煌びやかな世界でも輝かしい未来でもなく、やはり牢獄だった。


 閉塞感のある造り。せたベージュ系の色の煉瓦れんがに、み空色そらいろの屋根が乗っている。大貴族の屋敷らしい外観だった。地元にも人の住んでいない古城はいくつかあるが、やはり帝都中央にきょを構える大貴族の屋敷は格が違う気がした。

 つい先日まで小さい交番の前で道案内をしていた大志からしてみれば、立派すぎる建物は不安でしかなかった。小さい部屋に慣れた人間がいきなり大きな部屋を与えられたような、そんな種類の不安だった。

「こっち」

 漠然ばくぜんとした心のわずらわしさに足を止めている大志を引き寄せる、男の声。カバンを抱え直してあとを追った。

 駐車場の出入り口から程近い扉を開ける。正面玄関では無く裏口らしい簡素な造りのそれを越えて、中に入った。

 中も外観に見合った古いデザイン。石造りだからか空気がヒヤリとしている。革靴かわぐつの底をコツコツと鳴らした。

 しばらく男の半歩後ろをついて回る。右へ左へと曲がり、階段を上がった三階で再び長い廊下を進む。

 改築工事で付け足されたであろう新しい窓枠から、大志は外を見る。

 塀の向こうには鮮やかな街並みが広がっている。こんなに人と物が溢れる場所で暮らしたことが無い大志にとっては、まさに未知の世界に映った。

 むしろこの牢獄のような仕事場が自分を守ってくれているとすら、変なことを考える。


「あまりに遅いのではないかしら?」


 その思考をさえぎる女性の声が耳に入った。

 大志は窓の外から視線を外し、前を向く。いかめしく眉を寄せた若い女性が立っていた。

 肩まで伸びた髪を垂らす、素朴な顔の中で気の強そうな目元が印象的だ。

 黒いスーツの左腕には、腕章が付いている。星の数からしてそこそこの地位の上官らしい。

 なのに男の方は、女性の強い視線を物ともせず口を開いた。

「道が混んでたんですよ。この時間は混むの、ご存知ですよね?」

「それにしてもあまりに遅いのではと言っているの。寄り道していたのではないでしょうね」

「真面目に新人くんを迎えに行く任務を遂行しましたよ」

 そこで女性の視線が、大志へと向けられる。

 睨まれた大志は背筋をぐっと伸ばし、右手のひらを頭にかかげて敬礼をした。警察も軍も、敬礼の仕方は同じだ。

「本日付けで配属されました、宮本大志です」

「帝国軍南方第二支部局三班班長、三島美馬みしまみま。長旅ご苦労です、これから励みなさい」

 三島も返礼で答え、キビキビとした動きできびすを返す。

つつみさんがお待ちよ。柴尾しばおも一緒に」

「え、俺の仕事ここまでじゃないんですか?」

「堤さんに送り届けるまでが仕事よ」

 三島はさっさと歩き出す。

 柴尾と呼ばれた男も、肩をすくめてから歩き出した。


(柴尾さんって言うんだ……)


 そういえば街に見惚れていて名前すら聞いてなかったと、大志はやっと思い至る。

 名乗ってくれればいいのにと、目の前を歩く男に責任転嫁までしてしまった。



 ◇◆◇


「やぁやぁ、おつかれちゃーん。どうだった、帝都の街は? ごっちゃごちゃで面白いでしょ。今度案内するよぉ。安くて美味しい居酒屋と合法賭場(とば)と綺麗な女の子がいる店なら堤お兄さんにお任せ。あ、ねぇねぇ三島チャン、お茶おかわり〜」

「私、あなたの召使いじゃないのですけど」


 そう言いながらも、三島は部屋のすみに備え付けられている棚からティーセットを取り出した。茶葉をポットに入れて、保温動物の皮膚で作られた魔法瓶からお湯を注ぐ。それを尻目に、大志は肩透かしを食らった気分を落ち着かせた。

「シバちゃーん、遅いから心配したよ。新人くんをさっそく観光案内しちゃった感じ?」

「まさか。道が混んでたので裏道使ったくらいですよ。その道中に名建築物の数々があるのは、帝都じゃ仕方ないでしょ」

「ハハッ、なるほどね、そりゃ仕方ないわ。ここって、駅からも遠いしバスも乗り換え不便だし物件としては悪いよねぇ。あ、みやもっちゃん、帝都中央駅って複雑でしょ。すぐに南口まで出れた?」

 みやもっちゃん、それが自分を呼んでいるのだと文脈から察した大志は、恐る恐る返す。

「あ、えっと、案内板に沿ってなんとか」

「そっかそっか、よかった。毎年必ず迷子になる子がいるのよね。新人が駅構内で遭難そうなんするのが恒例行事こうれいぎょうじみたいな」

「そうなんですか……」

「この能天気のうてんきそうなのは、こう見えて南方第二支部の支部局長をお勤めになっている堤凪沙つつみなぎさ支部局長です」

「三島チャーン、こう見えてもはよ・け・い」

 怒ると怖いと聞いていた男。怖い顔のご老人とか。筋肉隆々の大男を想像していた。

 しかし実際は、軽薄けいはくそのもののような男だった。

 歳は三十手前。明るい色の髪。薄く色の付いたメガネを掛け、着崩したスーツともあいまって遊び人の風体ふうてい。なのにどこかしぶみのある落ち着いた声が、チグハグな印象を受ける。

 堤は執務椅子しつむいすから立ち上がり、手を伸ばす。

「ここで一番偉い、堤凪沙支部局長でーす。呼び方はなんでもいいよん。堤さんでも堤お兄さんでも凪沙チャンでも」

「あ、えっと、はい、支部局長……」

「え〜、堅苦しいなぁ。ま、まずはハイ、握手握手」

「え、は、はい!」

 堤が手を上下に振ってアピールするので、大志は慌てて手を出した。

 しっかりと手を握って、それから離す。まさか軍での上官との挨拶に握手を求められるとは思わず、大志は困惑した。

 その様子を見ていた三島が、堤の机に新しいティーカップを置きながら睨みつける。

「全く……もっと威厳いげんを持ってください」

「いいじゃん。だって敬礼なんて形式的なものより、握手の方が仲間意識持てそうじゃない?」

「敬礼を軽んじる軍人なんて、あなたくらいのものですよ」

「軽んじてないよぉ」

 ヘラヘラと笑い、堤は再び椅子に腰を降ろす。

 長い足を組んでから緑茶に口をつけた。

(ティーカップに緑茶……)

 初対面の人ばかりのアウェイな空間で、自身の気まずさを払拭ふっしょくするように細かいところに目が行く大志。

「じゃ、俺はこれで」

 その横で、大志を送り届けた男はさっさと部屋を出て行こうとした。

「待ってよ、シーバちゃん♡」

 その背中に、堤の猫なで声が掛かった。

 男はいぶかしげに振り返る。

「……まだなにかあるんですか?」

「あるある。大あり。はい、カムバッーク」

 手招きする堤に、男は大人しく従う。大志の横まで来て足を止めた。


「じゃ、今日からチームなわけだし。仲良くね」


 そして沈黙。

「…………誰と誰がですか?」

 それを破って、男が堤に問う。

「え〜〜、シバちゃんとみやもっちゃんがに決まってるでしょ。文脈からお察しして」

「はっ⁉︎ 聞いてないですよ!」

「だって今言ったもん」

「ふざけんなよ! 俺は単独専門のはずだろ!」

「んー、確かに能力傾向で単独任務ばかり入る人もいるけど、基本単独()()ってのは無いからねぇ」

「チーム組んでない人なんて他にもいるじゃないですか! そっちに回してくださいよ!」

「だからぁ、俺がいろいろ考えた結果、シバちゃんが良いって思ったんだって」

「でも……!」

「しつこいわよ、柴尾一等軍士。上官の判断に口を出すというの?」

 三島のすような声が割って入る。

 しかし男は引き下がらない。堤に食って掛かるように執務机を叩いた。

「俺はチームなんて組みません!」

「シバちゃん」

 そこでふと、堤の声のトーンが落ちた。

 それには男もぐっと黙る。大志も思わずすくんだ。堤の表情は先程までの軽薄さが鳴りを潜め、射抜くように真剣なものだったからだ。

 そして少しだけ声のトーンを明るいものに戻して、堤は続ける。

「俺はキミの事情はかなりよく知ってるし、俺自身、キミに対する申し訳無さもある。だから今までチームは組ませなかったし、キミのことは気にかけてきた」

「………」

「でも、もうそれだけじゃダメなんだよ。キミも前に進むべきだ。このままじゃ、俺は俺でアイツに顔向けできないからさ」

「………あんたに、俺のなにがわかんだよ」

 男は悲痛そうな、あるいは苛立たしげな顔をした。

 眉根まゆねを寄せて、睨みつけるような目で。だけど決して堤を睨んでいるわけではなかった。彼は、どこかそこじゃない遠くを見ていたように大志には思えた。

 堤もそれを敏感びんかんに感じ取って、ゆったりと声を掛ける

「……ま、どうしても合わないとかだったら、また相談しにきてよ。お互いね。話を聞くくらいはするからさ」

 そこで急に「みやもっちゃん」と声を掛けられた大志は、肩を跳ねさせながら返事をした。

「この子、柴尾銀臣しばおかねおみくん。キミより二つ歳上の十九歳。この若さでうちの支部じゃトップの戦績なんだよ。歳も近いし頼りになるから、よろしくね」

「は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」

 柴尾に向かって頭を下げたが、彼はこれといって反応を返さなかった。

 頭を上げて視線が合わさった時に、ふいと顔をらしたのが唯一の反応と言える。堤はその様子を見て苦笑した。

「さてさて、若者たちの輝かしいチーム誕生話はここまでにして、みやもっちゃん」

「はい」

「着任早々だけど、キミには重要な任務を頼みたい」

 大志はぐっと息を詰める。生唾なまつばを飲み込んだ。

 警察組織に所属していた全くの素人では無いにしても、軍組織においては新人である大志に頼む重要な任務。

 一体どんな内容なのかと一抹いちまつの不安を感じる。グリーン・バッジはその任務の危険性から、死亡率もかなり高い。さらば平穏な日々よ、大志はそう心の中で告げた。

 堤は真剣な面持ちで、机の上で腕を組んだ。


「来月にひかえた帝国軍中央地方武術大会、ぜひ代表になって南方第二支部局にトロフィーを持ち帰ってほしい」

「…………………………はい?」

「来月に控えた帝国軍中央地方武術大会、ぜひ代表になって南方第二し」

「いえ、聞こえてはいました」

「あ、そうなの? ってことでヨロシクねーん」


 堤はとたんに軽薄な笑みを浮かべる。

 大志は再び混乱し始めた頭で考えた。

 堤は重要な任務と言っていた。これが重要な任務なのか。もしかしてこの大会にはとてつもない何かがあるのか、と。

 固まる大志に助け舟を出すのは、三島だった。

「堤さん、それだけでは新人は混乱するかと」

「えぇ、でも警察だって武術大会あるもんね? おんなじおんなじ、大丈夫でしょー?」

「いえ、あの、重要な任務とおっしゃっていたので……」

「これだってすっごく重要! 我が支部局はここ五年間、格闘技で賞を取ったことがない。射撃や槍術と一緒に、ぜひとも今年こそは格闘術のトロフィーもゲットしたいじゃん!」

「はぁ……」

「そこでキミだよみやもっちゃん!」

「はぁ……え、私がなにか……?」

「キミ、昨年さくねんの全国警察武術大会の躰道たいどう部門優勝者でしょ?」

「えぇ、まぁ、一応。偶然ですけど」

「はい謙遜謙遜。んで、キミなら今年こそ格闘術のトロフィーがゲットできるかもじゃん? とりま、明後日に開催される支部局代表選出戦に出て、代表になって大会でチャチャっとトロフィー取ってきてよ」

「はぁ……」

 なんか「ちょっとそこのペン取って」みたいなノリだなと、大志は口にも顔にも出さず思う。

 確かに昨年の優勝者は大志である。格闘術の部門は柔道、空手、躰道の三つがあって、大志の得意分野は躰道だ。

 優勝した時は、嬉しくなかったと言えば嘘になる。ある程度は注目もされたし、同期たちには優勝パーティーまで開いてもらった。奈都は泣いて喜んでくれたし、ツバメは……あの時もそういえば行方不明だったなと、大志はしばしの回想に入る。

 まさか軍に入隊してからの初任務がトロフィーを持ってくることなんて、張り詰めていた心がへし折れた気分だ。

 ゆるんだのではない。へし折れた。だが同時に、少し安堵あんどした。

 上司は嫌な人では無いし、自分とチームを組むことになった銀臣かねおみという男も、決して悪い人では無い。車内でのあの気さくな態度を見ているからこそ、嫌がられはしたがなんやかんや上手くやっていける確信がある。

「ちなみに、去年の射撃優勝者はシバちゃんなの。シバちゃんはもうね、すっごいよ、百発百中」

「それは言い過ぎです」

「えー」

 すかさず入るツッコミに、堤は口を尖らせる。

 だけど大志はおぉ、と思わず声を上げた。尊敬の眼差しで銀臣を見る。

「そうなんですか。すごいですね。俺、射撃は全然で」

「じゃあシバちゃんに教えてもらいなよ。教えるのも上手いよ。ね、シバちゃん」

「いや別に」

「はい謙遜謙遜。じゃ、みやもっちゃんのことヨロシクねん。ロッカールームなりなんなり案内してあげて」

「………わかりました」

「ん、いい子。さてみやもっちゃん、ちょっとこっち来て」

「は、はい!」

 堤に手招きされて、大志は彼のいる執務机の前まで出る。

 堤はかたわらの引き出しから何かを取り出した。それを大志に差し出す。

「はい、これ」

「………あ」

 両手を出して受け取ると、手のひらにはコロリと転がるバッジがある。近くで見れば綺麗な細工さいくが施してあって、それが太陽光に乱反射した。

 運命に選ばれた者しか付けることを許されない、グリーン・バッジ。

 それを複雑な感情で見下ろしていると、堤が少しだけ声を張る。


「宮本大志二等軍士。就任おめでとう、ってのを言うのはキミにはちょっとこくかもしれないけど、ウチはいい人いい子ばかりだから。いろいろ思うところはあるかもしれないけどガンバッてほしいな」

「はい!」


 それに敬礼と共に応え、微笑ましそうに手を振る堤に見送られ局長室から出る。

 廊下に二人並んで立って、大志は自分より少しだけ頭の位置が高い銀臣を見上げた。

「あの、今日からよろしくお願いします」

 最初が肝心、愛想よく。大志はそう心の中で念じながら、自分でも気持ち悪いほどの作った声音で挨拶をする。

 しかしそんな大志とは真逆に、銀臣は無表情で大志を横目に見る。

 それからふいっと顔を逸らして背を向けた。

「こっち」

 と、それだけ無感情に言って。ついて来いということなのだろう。

 大人しく後をついて行く大志は、しばらくしてから銀臣に声を掛けた。

「あの、柴尾さん、十九歳なんですね。ということは、軍には四年いらっしゃるんですか?」

「そう」

 素っ気なく答えて、早足に行ってしまう。大志も歩調を早める。

「………」

「………」

「あの、帝都の街並み、感動しました。おすすめの観光スポットってありますか?」

「帝都はどこ行っても観光になるだろ。田舎から出てきたんなら特に」

「………」

「………」

「名物料理とかってありますか?」

鹿蝶鶏鍋かちょうどりなべ。本屋で観光雑誌でも買った方がわかりやすいだろ」

「………」

「………」

「本屋って、この近くにあります?」

「車で五分。路面電車で7分。行きたいなら帰りに寄ってく」

「あ、えっと、今日はいいです」

「そう」

「………」

「………」

(か、会話続かねぇ〜〜〜〜〜〜)

 大志は心の中で叫んだ。本来なら暴れ出したいくらいだ。気まず過ぎて。

 道中の車内ではあれだけ気さくな態度だったというのに、一体どうしたのだろうと困惑すらする。

 銀臣は本当にさっさと歩いて行く。そのままはずんだ会話も無く、廊下を進む。特になんの説明も無く。

「あの、今はどちらに向かっているんですか?」

「ロッカー」

 振り返りもせず答えられ、大志の心にはいよいよ暗雲が見え始めた。


(これはもしや……仲良くできないのでは………?)


 さっきまで確かにあった確信が、へし折れそうだ。もう半分折れている。

 職場において一番重要なのは、人間関係であると大志は思っている。

 だから誰にでも愛想良く、かと言って当たり障りの無い距離を保ってきた。自分の為に。

 他人とそこそこの距離感で、そこそこに心地よい関係。それが大志の理想だ。深入りもしたくないし、されたくもない。

 だから、銀臣との関係だって『そこそこ』でいい。そこそこの仲の良さ。大志はそう思っている。

「…………」

 なのに、その『そこそこ』にすらなれない予感。溜め息を吐き出したい気分だ。

 それをぐっとえ、目の前を歩く銀臣に黙ってついて行く。階段を下まで降りて、一階に着いた。そこからまた暫く歩くと『更衣室(男)』と書いてある。

「ここに着替えとか荷物とか置く。奥にはシャワールームもあるから好きに使っていい」

「わかりました」

 言いながら、銀臣は扉を開ける。

 大志も「失礼します」と小声で付け足してから足を踏み入れる。中には誰もおらず、独特の男臭さと乱雑さがある部屋が広がっていた。

「アンタのロッカーはここ」

 銀臣の指差す先に従って、視線を上げた。

 背の高いロッカーは二段構造で、大志は上の段らしい。ネームプレートには、すでに名前が書かれていた。

「開けて」

 銀臣の言う通りに、ロッカーを開ける。ガコンと薄い造りの鉄板てっぱんの音が響いた。

「それ、アンタの制服」

 ハンガーに掛かった、黒いもの。

 それは間違いなく、銀臣が着ているものと同じ帝国軍の制服だった。

 手を伸ばして、大志はそれをロッカーから引っ張り出す。肌触りは、警察の制服である紺色のスーツのものと然程さほど変わらない。

「中のシャツは決まりないから、好きな色を着ればいい。式典の時は白。そこは警察と一緒。さっさと着替えて次行くぞ」

 相変わらず素っ気ない態度で、大志をうながす。

 大志はなるべく刺激しないように、すぐにカバンを中に突っ込んで着替えを始めた。

 黒い袖に手を通す日が来るなんて、彼は今この瞬間まであまり実感をしていなかった。だけどいよいよ、それが現実なのだと身をもって実感する。ロッカーの扉に付いた小さい鏡の中には、黒いえりとネクタイに包まれた自分がいた。

 背後に小さく映る銀臣と、全く同じ格好。違いと言えば大志はシャツの色が白だということくらいだ。

 銀臣は、自身の瞳の色に合わせたような青色のシャツを着ている。

「終わった?」

 鏡の中の男が喋る。

 大志はくるりと振り返った。

「サイズ、ぴったりです」

「ま、警察の情報帳にアンタのプロフィールなんて載ってるから」

(そりゃそうか)

 大志が警察で着ていたスーツの色違いが用意されただけの話だ。

 白シャツの襟元えりもとを正してから、グリーン・バッジを胸に付ける。鏡でそんな自分を見てからロッカーの扉を閉める。

かぎは無いから、貴重品や大金とかは持ってこないようにな。たまーに金品きんぴん盗まれたりするから」

「はい」

「んじゃ、軽く案内しながら訓練場まで行く。代表選出試合が近いから、みんな張り切ってるぜ」

 どこか冷たい声の響き。

 銀臣の顔をチラリとうかがい見る。冷たい、深い海の色を思わせる瞳は、先程から一向に大志には向けられない。

 車内での気の良さそうな笑顔はどこへ行ってしまったのかと、不思議に思った。

(チームとしては認められてない、って、ことだよな)

 確かに自分は軍人では無かった。が、ズブの素人でも無いつもりだ。大志は隠れて拳を握る。

(なら見返してやる)

 人間関係、大事絶対。

 そう心の中でとなえて、大志の軍人生活は始まった。


 そう、始まる。



 __始まるはずだ。



 __始まるはずなのに。



失われた叡智(オーパーツ)が、起動しない?」



 すでにいろいろと終わりそうな雲行きになってきた。


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