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革命のエチュード  作者: 佐藤あきら
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第3話 グリーン・バッジ入隊

 山をけている。

 深い深い木々の間をい、地を蹴り、爆発しそうな心臓を自覚しながらも足は止められない。


「なにやってんだノロマ! 置いてくぞ!」


 最近名前を知ったばかりの人に怒鳴どなられつつ、大志は必死に足を動かした。

 先程は駆けていると表現したが、その実、足はほとんど動いていない。傾斜けいしゃのキツい獣道で、彼は前に進めてはいなかった。

 周りの景色に溶け込むような色の迷彩服めいさいふくのおかげでそこまでボロボロには見えない。が、山中さんちゅういずり回った後なので、実際には結構汚れている。


「訓練でこんなんじゃ実戦で死ぬぞ! 俺にまで迷惑かけんじゃねぇ!」


 少し前を走っていた銀髪ぎんぱつの青年__柴尾銀臣(しばおかねおみ)が、大志の所まで戻ってきた。

 そして腕を掴んで無理矢理立ち上がらせる。大志は呼吸が上手く整わず、き込むように息を吐いた。

「はっ……っ、ウ……っ」

「所定時刻まで時間がねぇんだよ! お前に足引っ張られてよ!」

「す、すみませっ……」

 あまりにわずらわしい呼吸が、言葉すら最後まで言わせてくれない。

 ただただ息を整えようと、吸って吐いてを繰り返すのが精一杯だった。

 立ち上がろうとするのに、背負ったリュックが潰そうとしているかのように伸し掛かる。重量は約40kgあるので、本当に潰されかねない。大志のような瀕死ひんしの状態では。

「この山を越えたら集合地点だ、立て!」

 震えも痛みも通り越して、麻痺している足を何とかふるい立たせた。

「いけるか?」

「いけ、ます」

 いけない、なんて言えない。

 条件反射で答えて、大志は足を前に出した。

「よし、行くぞ」

 大志の新しい仕事仲間である銀臣は、去りぎわに大志のリュックから荷物を少し抜いていった。少しでも大志の負担を軽くする為に。

 申し訳ないと思いつつ、しかし大志はなぜ自分はこんなことになっているのか理解できなかった。正直なところ、帰りたいと思っている。

 数週間前までは、町の交番でお巡りさんをしていたのに。

 迷子まいごの保護や道案内、酔っ払いの乱闘を仲裁ちゅうさいしていたあの頃が急激に懐かしく感じる。たった数週間なのに。

 安定した収入と、そこそこの仕事と、休日は幼馴染と出かけるあの日常が天国のようだった。ならばここは地獄だ。大志は確信する。

 何が何かわからないまま連れて来られ、様変さまがわりした日常。狂った人生計画。仲良くなれそうにない仕事仲間。


(なんでこんなことに!)


 そう叫びたいのに、叫ぶ体力などあるはずもなく。

 大志は銀臣の後をついて行く。仲良くなれそうにない仕事仲間の後を。



 事の始まりは、本当に、たったの数週間前だ__……。




 ◇◆◇


「中央支部へ異動⁉︎」

「あぁ、明日から」

「え、ちょ、え、ごめん、いきなりすぎてよくわかんない……え、本当に?」

「夢なら覚めてくれって、俺が一番思ってるよ……」

 奈都なとの働くレストランの一席で、大志は頭を抱えてうめいた。

 己の『そこそこ人生』が狂っていく予感がしたからだ。そこそこの仕事をして、そこそこの収入、そこそこの暮らし、それがそこそこの人生。

 平凡だがそれ故に幸せを感じられるはずの人生計画。それがここに来て、大いに狂い出した。


 それは大志が失われた叡智(オーパーツ)を起動しジェヴォーダンの獣を倒した、二日後のことだ。


 朝、いつものように交番に出勤した大志。

 だけどそこにいた佐江島の表情はどこかかたい。何事かと大志がたずねると、このまま本署ほんしょに行けと言われた。

 事情も教えてもらえず、何もわからないままバスを乗り継いだ場所にある本署の門をくぐる。

 受付に名前を告げると、すぐに署長室まで通された。

 そこで一言、淡々(たんたん)と告げられる。


『君は警察組織を抜け、特殊技能保有戦闘員として帝国軍に入隊が決まった。はげみたまえ』


 __とくしゅぎのうほゆうせんとういん?

 __え、なんだそれ? 軍の栄養管理する仕事とか? 確かにカレーには自信ありますけど?


 あまりに理解不能な言葉に、大志は本気でそんなアホなことを考えた。

 呆然ぼうぜんとしている間も、署長はなんやかんや言っていたが何も覚えていない。ほとんど聞いていなかった。

 そうして辞令書と書類を何枚か渡され追い出される。交番に帰る道すがら、思ったのは「荷造りしなきゃ……」だけだった。あまりに現実が理解できなくて、あるしゅの逃避だったのかもしれない。

 交番に戻って佐江島に辞令書を出して見せれば、彼はなんとも微妙な顔をした。

「お前を一人前にするのは俺だと思ってたんだがな……」

 そう、少し残念そうに言った。

 親はいないと言った大志に、まるで本当の父親のように接してくれた佐江島。時には本気で怒鳴られたし、そのあとは必ず食事に誘ってくれた。酒が入った佐江島は、いつも必ず「お前は立派な警察官になるぞぉ」とからんできた。

 それにグリーン・バッジはう作戦の危険性が高く、それ故に死亡率も高い。それも心配したのだろう。

 餞別せんべつにと、佐江島が愛煙している煙草を貰った。

 大志が「俺、タバコ吸わないです。未成年ですし」と言ったら「持って行くだけしろやター坊」と、たまに出る愛称に押されて、それをポケットに入れた。

 そうして警察寮に帰り、荷物を粗方あらかたまとめて宅配業者に頼む。寮生活だとあまり私物も増えなかったので、すぐに済んだ。

 カバン一つに手荷物を収め、それから奈都の勤めるレストランを訪れた。そして冒頭に至る。


「だって、え、じゃぁもう、明日からは会えないってこと?」


 じわじわと現実を理解し始めて、奈都は瞳をうるませる。

 大志は慌てて付け足した。

「いや、会おうと思えば、な? 一応帝都内なんだし、時間はかかるけど会えるから。俺も休日には帰ってくるから」

「う、うん、そうだよね、ごめん……」

 細い肩を震わせて、奈都は涙を拭った。

 しゃくり上げながら、たどたどしく言葉を続ける。

「ツ、ツバメにも教えた……?」

「いや、アイツが居候いそうろうしてるって聞いた家に電話してみたんだけど、ツバメの知り合いですって言った瞬間『あんな男の話は二度としないで』って切られた」

「また行方不明なの?」

「そういうことになる」

「もうっ! こんな時に!」

 今度は打って変わって、奈都はもう一人の幼馴染への怒りと呆れを募らせる。

 二人の幼馴染である男は、またも音信不通の行方不明になった。そうなってしまえばもうどうしようもないので、気にしないことにする。別に行方不明になるなんていつものことだ。

「さみしくなるなぁ、大志。でも栄転ってやつなんだろ? 胸張って、向こうでも元気にやれよ」

「はい、店長さん。奈都のこと、よろしくお願いします」

「うちの看板娘だ、大事にするさ」

 大志は椅子から立ち上がり、とどろきに頭を下げる。轟はその頭をわしわしと撫でた。

 奈都も立ち上がり、大志に抱きつく。

「毎日電話するからねぇ」

 まだじわりとにじむ涙を、大志の肩に顔を埋めて隠す。大志よりも若干背の高い奈都にその体勢は苦しくないかと思ったが、大志は今日だけは何も言わずに頭を撫でた。

 それから、努めて優しく声をかける。

「いや、夜勤や任務で寮にいないこともあるから、手紙にしてくれた方がいい」

「じゃあ毎日手紙書く」

「お前が負担じゃないならいいけど、俺の返事は遅くなると思うぞ。たぶん、激務げきむのところだろうから」

「いいもん。大志が元気でいてくれたら返事なんてなくてもいいもん」

「……ほんとか?」

「……うそ。たまにはちょうだい」

「はいはい」

 いつまで経っても子供のような幼馴染に、大志はやっと心から笑うことができた。

 全てがいきなり過ぎて、なんだかずっと他人事のような気持ちでいたが、やっと現実を実感してくる。


 明日、この町を離れて、全く新しい世界に行くのだと。


 胸の高鳴りは無い。むしろまだ納得していない。拒否できるならしたい。この町を離れたくない。

 だけど、どうしようもない権力が己をしばる。行けと言われればどこへなりと行かなければならない。めることもできない。大志は奈都を慰めながら、隠れて小さく溜め息を吐いた。

「じゃあ俺、明日は早いから、もう帰って寝るよ」

「うん、ゆっくり休んでね。体が一番だよ」

「ありがとな」

 轟と、それから見知った常連客にも挨拶をして、まだ仕事の残っている奈都に手を振って店を後にする。

 帰ってベッドに入って、気づいたら朝だった。精神的な疲れでぐっすり眠ってしまったらしい。しかし心も体も軽くはなっていなかった。

 警察の制服は返納してしまったので、私服に着替える。カバン一つを持って寮を出た。

 窓からは、同期たちがずっと手を振っていてくれた。大志の急な異動をどこからか聞きつけたらしい。

 大志も大きく手を振り返して、今度こそ背を向ける。浮かない足取りで駅に向かった。



 さすが中央方面のホームは人が多い。



 少し小洒落た身なりの貴婦人やら、スマートに歩く商人やらでごった返していた。

 そんな中で大志は、鉄道が到着するのを待っている。深呼吸の名目で息を吸って、溜め息を誤魔化ごまかすように吐く。早朝の冷えた空気を取り込めば、少しだけすっきりした気がした。

 隣に立つ老人の読んでいる新聞に、横からこっそり目を落とす。一面いちめんには大きな文字で『ジェヴォーダンの獣、ついに討伐とうばつ!』と載っていた。この獣が自分の運命を変えたと思うと、憎たらしく思えてくる。

 視界から消そうと悪足掻わるあがきそのもので顔を背けると、線路の向こうからちょうど来ているところだった。駅員の「おさがりください」の声が雑踏ざっとうに混ざってける。

 錆色さびいろの車体が、遠くで揺れている。

 それは夢と希望を乗せた箱舟はこぶねでは無く、地獄へ連れて行く六文船ろくもんせんだ。その先に救いがあればいいが、地獄に叩き込まれる予感しかしない。

 しかし列車は定刻通りに到着し、旅人を乗せる。大志はやはり重い足を必死に踏み出して、六文船に乗った。

 とりあえず席の確保だと、さっさと空いている席を探す。中央までの三時間、立ちっぱなしは辛い。二席ずつ向かい合う形の、向かいには老夫婦が仲良く座っているところで適当に腰を掛けた。

 カバンをひざの上に置いて、なんとなく窓の外を見る。あれだけホームをめていた人たちがほとんど見えない。列車に乗ったのだろう。その割には降りる人はあまりいないらしく、ホームは一気に閑散かんさんとした。

「発車しまーす、発車しまーす。ご注意くださーい」

 駅員の、妙に淡々とした声を合図に列車の扉は閉められる。

 話によると、大昔は電気を使って自動で閉まったらしい。今はその技術は消えてしまい、人類は再び手で扉を閉めている。手で開け閉めするなんて当たり前のことのように感じる、そもそも手で開ける必要の無い扉ってどんなだと、大志はどうでもいいことを深く考える。

 席に背を預けて、前を向いた。

 一人旅で寝てしまうとカバンを引ったくられる心配があるので、寝るわけにはいかない。そもそも寝られる自信も無いので、署長から渡された書類を読み返すことにした。

 中央駅の南口で、軍から迎えが来るらしい。そこからは車で移動とのことだった。

 この書類はその案内人との身分証明にも使うので、大切にジャケットの内ポケットに仕舞い直す。別に大事にもしたくないのだが、失くした方が面倒めんどうなことになるのはわかりきっている。

「あ、コラッ! 危ないだろ、もう発車するんだぞ!」

 窓越しに、怒鳴り声が聞こえた。

 誰かが乗り遅れて駆け込もうとしたのかと予想し、再び外を見る。

 必死の形相ぎょうそうで走るその姿に、大志は思わず席から腰を浮かせた。

 窓のロックを外し、押し上げるタイプのそれを乱暴に上げる。顔を出した。


「奈都!」

「大志!」


 予想外の人物、奈都もすぐに大志に気づく。長いスカートを振り乱して、大志のところまで走る。

 背が高い車体からだと、いつもは少し高い奈都の顔がずっと下になる。大志は窓から上半身を出す勢いで奈都を見下ろした。

「どうしたんだ奈都、今日は休みだろ。ゆっくり寝てればいいのに」

「大志が、遠くへ、行っちゃうの、に、寝てなんていられないよ!」

 泣きそうな顔で、奈都は息を整える。

「ほん、とは、もっと早く来られたらよかった、んだけど、どうしても、買いたいものがあって」

 すると、手に持っていた紙袋を大志に渡す。

 手を伸ばしてそれを受け取る。包装紙を解いている間に、奈都は続けた。

「朝一番で文房具屋やさんに行って来たの。それ、大志に使ってほしくて」

「……万年筆?」

 つやたたえる、黒を基調に金色のアクセントカラーが入った万年筆だった。大志はそれをまじまじと見る。

「丁寧に包装してもらう時間がなくて、包装紙で包むだけになっちゃった」

「これ、俺が貰っていいのか?」

「うん、だから、気が向いたらでいいから、お手紙書いてね。それで、インクが無くなってきたら、教えて。また万年筆を贈るから」

 その時の奈都の、まるですがるような言い方に、断れるわけも無い。

「……ありがとな、奈都。絶対に手紙書くから」

「うん、うん、大志、しっかりね、体に気をつけてね、()()()()()しちゃダメだよ」

 最後の言葉にはどうしても返事ができず、眉を下げて誤魔化すように笑う。

 いよいよ発車のベルが鳴って、大志は半身はんしんを車内に戻した。顔だけ少し出す。

「お前も、何かあったら連絡しろ。ツバメの連絡先がわかったら教えてくれ」

「うん、わかったよ。大志、大志、お仕事がんばってね」

 ガタンと車体がわずかに揺れて、ゆっくりと進んでいく。

 奈都は目尻に涙を溜めながら、走り出した。流れた涙が大志の心に刺さる。ツバメも混ぜて、みんなで協力して生きていこうと約束してこの駅のホームに降りた日のことを思い出した。

「奈都、危ないからやめろ! 休日には帰ってくるから、絶対!」

「大志、大志! 無茶しちゃダメだよ、ツバメのことは私に任せて! 大志は強いから何があっても大丈夫だよ!」

 列車は速度を上げる。

 そして、あっという間に奈都を置いていった。全てが遠くなった中で、奈都はいつまでも手を振っていた。大志も、その姿が見えなくなるまで手を振る。

 心に妙な静けさが訪れて、やっと席に腰を落とした。

 奈都から貰った万年筆に視線を落としてから、大切にカバンに仕舞う。

 なんとなしに視線を上げると、車内のほぼ全員からの注目を浴びていることに気づいた。むしろ気づくのが遅すぎた。あんなの、他人からしたらただの見世物だ。

「……お、お騒がせしました」

 最後の方は消え入りそうな声で一言入れる。すると、真っ先に反応したのは前に座る老夫婦だ。

「まぁまぁ、まるで小説の中の出来事のようだったわ」

「若い頃を思い出すなぁ」

 微笑ましそうに話す老夫婦は、すぐに二人の世界に入ってしまった。仲睦なかむつまじく昔話に花を咲かせる。

 それを皮切りに、近くの席の商人や旅人もにこやかに大志に激励げきれいを送った。

「さびしいなぁ。がんばれよ、兄ちゃん」

「定期的に帰ってやんないと、女ってのはすぐにねるぞ」

「いえ、あの………はい、そうします」

 恋人では無いのだが、奈都はパッと見は女性に見える。実際に大志も奈都を女性として扱っているし、恋人だと思われても仕方がないとうなずけた。わざわざ訂正する必要も無いと思ったので、そのままにしておく。この旅路たびじだけの付き合いだ。

 もう一度、視線を窓の外にやる。

 思い出の町ははるかに遠く、朝日の中で輝いている。これから朝市あさいちが開かれ、商人たちの声で町が目覚めていくのだろう。

 奈都と……時々ツバメも混ぜて市場に行ったのを、ふと思い出した。仕事に向かう前の、ほんの少しの幼馴染とのふざけ合い。それら全てを、急に失った気持ちだった。

 あの町から出るつもりはなかったし、昇進しても、せめて地方署の中堅刑事とかに収まっているつもりだったのだ。

 それが、まさか中央に行くことになるなんて。

 大志は思わず大きな溜め息をこぼした。「もうさみしくなったか?」と通路を挟んだ隣の席の人に揶揄からかわれ、愛想笑いで適当に流す。


 __いや、考えようだ。中央の方が()()()()()かもしれない。


 中央は警察と軍の本部がある街。地方には流れてこない情報もあるかもしれない。大志は不安の中に希望を無理やり見つけて、少し心を落ち着かせた。



 ◇◆◇



 あざやかだった。

 いや、正確には何と言えばいいのだろう。きらびやかの方がしっくりくるのだろうか。

 しかし、やはりそれは鮮やかなものだった。



 歩く貴婦人の、着飾った鮮やかさ。

 走っている車はどれもみがかれていて、町をにぎやかな色にしている。

 商人が気軽に声を掛けるような出店は無く、しっかりと屋根を構えた店がずらりと並び、その鮮やかさも目を楽しませた。

 さらには、駅前の広場には道化師どうけしり歩いている。風船ふうせんを配っているようだった。ツギハギだらけの気球かと思うほど大量の風船の鮮やかさ。

 子供が受け取り損なって、一つ、空へと逃げていった。

 それをなんとなしに目で追っていた大志は、ハッと意識を取り戻す。

(違う違う、見惚みほれてる場合じゃない)

 気を取り直して、歩き出す。

 中央駅南口のどこかに立っている、黒いスーツを着た人を探す。それが大志のするべきことだ。

 視線を彷徨さまよわせる大志のすぐ横を、子供が走って行く。

 さすが中央街を歩く子供はお洒落しゃれだ。大志の育った穂住町ほすみちょうも一応帝都内ではあるが、その中でも田舎の方なので雰囲気が全然違う。

 華美で豪華で、無駄なものだらけ。ここはそんな印象だった。悪い意味では無いのだが。

「きゃっ」

「あ、すみません」

「気をつけてくださる?」

 人があまりに多くて、後ろから押された拍子ひょうしに前の人を押してしまった。

 鳥の羽根やら木の実やらのかざりがわんさか付いた帽子を被る貴婦人だった。身なりからして貴族か大商人の妻といったところか。

 見慣れない派手な帽子に視線が行った隙に、貴婦人は鼻を鳴らしてさっさと背を向ける。「田舎者が」と思ったのかもしれない。

 どうせ田舎者ですよと心の中で愚痴ぐちって、大志は再びやるべきことに戻る。

 人が壁になって、先がまるで見えない。こんなに大量の人が本当にこの街に収まるのかと思うほど。だけど実際にはしっかりと飲み込んでしまうのだから、中央街の規模の膨大さが感じられる。

 大志はその波をかき分け、何とか人混みの中から抜けた。道路のはしに立ってキョロキョロと辺りを見渡す。

 すると目の前に車が止まる。だけど大志が聞いていた色と車種ではなかったので、気にせず再び視線を彷徨さまよわせた。

 ガチャリと音がする。運転席から、運転手が半身を出した。

「乗らないの?」

 中年の男がそう尋ねて、それはタクシーなのだと気づいた。そういえばタクシーの証である角が、車のてっぺんに付いていた。

 確かに道端に立ってキョロキョロしていれば、タクシーを探していると思われても不思議じゃない。大志は慌てて否定する。

「あ、違います。すみません、人をさがしてて」

「なんだ」

 それだけ言うと、運転手は運転席に戻る。

 ここにいるとまた勘違いされそうだと、大志は一旦離れることにした。タクシーに背を向けた大志の横を派手な身なりの美しい女性がすれ違う。ドアを開けて「高坂通り。四番」と慣れたように言うと、タクシーはその人を乗せてさっさと走り出した。

 地元の駅前でひまそうに話しているタクシー運転手たちと違って、ここのタクシーは忙しそうだと思いながら見送る。

 そうしていると、再び目の前に車が止まった。

(しまった、また勘違いさせた)

 また謝るのかと辟易へきえきしていると、運転席の扉が開く。

 こうなったら声を掛けられる前に離れてしまおうと思っていると、予想外の言葉が掛けられた。


「宮本大志くん?」


 若い男の声だ。軽い調子で、どこか気怠げな印象を与える。

 大志が顔を上げると、思った通り若い男が一人立っていた。黒スーツの胸には、グリーン・バッジが光っている。

 そして驚く。見覚えのある顔だとすぐに思い至った。それ故に、その人が軍の人間であると疑う必要もなくなった。佐江島からは『軍や警察の人間だと名乗って連行し、適当な罪をふっかけて釈放代しゃくほうだいを出せば見逃してやるっていう手口の詐欺が多い。中央は特にな。気をつけろ』と言われていたのである。

 だがその男は、大志が獣を撃ち抜く時にそばにいた男だ。

 陽の光を反射して輝く銀髪に、通った鼻筋。適度に日焼けした端正たんせいな顔立ちの中に、夜の海のような色の瞳が存在を主張している。そのどこか浮世離れした美貌を持つ青年は、一度見れば中々忘れないだろう。

 先輩にあたるその人を前に、背筋を伸ばす。

「はい、宮本大志です」

「だよな。会ったのちょっと前だし」

 相手も当たり前だが自分を覚えている。大志はそれになんとなくホッとした。全く知らない土地で知っている人に会ったような心地を味わう。目の前の男を知人に分類できるのかと言われたら、できるほど知ってはいないのだが。

 青年の片手がびた。

「…………?」

 握手あくしゅかと思った大志は、手を伸ばしかける。

 それを制するように男は無愛想に付け足した。

「身元証明書、ある?」

「あ、はい」

 危うく恥ずかしい思いをするところだったと内心冷や汗を垂らし、ジャケットの内ポケットからそれを取り出す。相手側に正面が向くように持ち直してから渡した。

 男はお構い無しに手繰たくるるように受け取り、さっさと封筒ふうとうを開いた。中身を確認するために目が左右におどる。

 終わるのをじっと待ちながら、大志は内心で大きな溜め息をついた。決して顔には出さず。

(……愛想の悪い人だな)

 別にいい。別にいいんだと思い直す。

 迎えに来てくれただけの人だ。本部までの道のり、当たり障りなく接していれば乗り切れると。

「荷物はそれだけ?」

「はい。ほとんどは配達にしました」

「じゃ、このまま支部に行くか」

 その言葉は大志に向けられたというより、男の独り言に近い響きだった。慎重に探りながら、ここだと思うタイミングで挨拶を入れる。

「あの、本日からよろしくお願いします」

 丁重に頭を下げる。その頭に、男の「あぁ、よろしく」と素っ気ない返事。

「行くぞ、助手席座って」

 確認作業が終わった男は、書類を全て手持ちのファイルに仕舞しまってさっさと運転席に戻る。

 大志も助手席のドアを開けて、乗り込んだ。大志がシートベルトを締めると車は発進する。運転はかなり丁重であったのを大志は意外に思った。ブレーキやアクセルの踏み方がゆるやかで、車体が大きく揺れない。

 沈黙が流れる車内。その気まずさを感じるのが苦痛になってきて、大志は視線を外に向けた。


 そこに広がる景色の、なんとも雑多とした鮮やかさに目を奪われる。


 街を歩く人々の服装はもちろん、洒落たデザインの街灯や店の看板。

 整備された道。統一されたデザインの建物がずらりと並ぶ。その窓からは色鮮やかな花が飾られ、完成されきった街並みに温かみをれている。

 磨かれた車たちが色の見本市みほんいちのように並ぶ。お金持ちは持つ車のランクで己の経済力を誇示こじするのだと聞いていたが、まさにそんな感じだった。どれもデザインと性能に優れたブランドマークを付けている。その中に、時折真っ赤な二階建てバスが通った。目立つ色のそれも、鮮やかなものだ。

 どこにも風船売りはいるようで、それも単純に鮮やかに映った。

 全てがチグハグで、故に全てが調和されたような世界。

「中央は初めてか」

 しばらく街並みに魅入みいっていると、運転席の男がその様子を察して声を掛ける。

 口が半開きになっていることすら気づいていない大志であったが、男のよく通る声に反応して運転席へ振り返った。

「は、はい。地元から出たことが無いもので……わかりやすかったですか?」

「地方から来た奴、みんな似たような反応するからな」

「すごいですね、ここ。色があふれてて、なんでもそろってて、どんな物もありそうです」

「案外、中身は空っぽかもよ」

「……?」

 男の発言の意味が理解できず、大志は反応に困る。返す言葉が思い浮かばず黙っていると、男は表情一つ動かさず続けた。

身辺しんぺんが落ち着いたら、観光でもすりゃぁいい。って言いたいところだが、ここ周辺の地図は頭に入れて貰わないと困るからな、観光も素直に楽しめないと思うぜ」

「いえそんな、仕事で来ているので」

「うわ、お堅いねぇ」

 そこで初めて、男が表情を変えた。

 口の端を緩く上げて、気さくな笑顔を咲かせる。

「あの、まさか一緒にお仕事をすることになるとは思わなかったです」

 少し場の空気が変わったところで、大志の方から話題を振ってみる。

 年齢もほぼ変わらないくらいだし萎縮いしゅくしてばかりもいられないと。

「アンタからしたら、みょうなことになっちまったな」

 あわれみとも楽しげとも取れぬ笑みで言う男に、大志も当たり障りなく笑っておいた。

「うちじゃアンタの話題で持ちきりだ。いきなりオーパーツをぶっぱなした掘り出しものってな」

 それには小さく肩を揺らす。

 冷や汗が出た。だってそれは、大志の運命を変えてしまった最も重大な要因なのだから。

「………誤作動ごさどう、とかの可能性はないですかね?」

「ねぇな。オーパーツは戦闘中に破壊されることこそあっても、故障したって報告は一度もねぇ。アンタは間違いなく突然変異ミュータントだよ」

「…………」

 容赦ようしゃない現実を突きつけられ、大志はひっそりと深く呼吸する。車にはっていないのに吐きそうだった。列車の中では「都合がいいかも」とか思ったのだが。


 突然変異ミュータント。まさか自分がそう呼ばれることになるなんて、大志は予想すらしていなかった。

 それは、あり得ない遺物(オーパーツ)の血筋でなくとも、失われた叡智(オーパーツ)を使える者の総称。

 五万人に一人の割合でいるとされる。なぜそのような者が誕生するのかは解明されていないが、健康面では全く問題は無いらしい。

 原則、警察と軍人は訓練校入校時に必ず適性検査を受ける。その項目こうもくの中に『特殊技能の兆候ちょうこうの有無』がある。

 この項目が、失われた叡智(オーパーツ)を使えるかどうかという欄だ。失われた叡智のトリガーに指をえて、起動できるか確かめるだけの簡単なものである。

 もちろん、大志だってこの検査を受けている。


「ですが、僕、検査結果は『無』でした……」

「そこがわかんねぇとこなんだよな。普通、使える奴は最初っから検査結果に出るはずなんだけどな」

 突然変異ミュータントは通常であれば、九歳頃までにはその資質が出現するとされる。訓練校入学時には当然検査結果に出るはずだ。

 大志のように、もう十七にもなって突然変異になるなんて聞いたことがない。

「ま、だから上もアンタを急いでこっちに引き入れたんだろ。人体実験されたりしてな」

「ひぃっ」

 思わず肩を跳ねさせて悲鳴を上げる大志に、男はまた笑った。

 なんだ、案外表情の豊かな人かもしれないと、大志は彼への印象を更新する。

「うそうそ。それは法で禁止されてるし、なによりつつみさんが許さねぇって」

「堤さん?」

「俺の……もうアンタの上司でもある。怒るとおっかねぇ人だけど、良い人だから安心しとけよ」

「はぁ……」

 怒るとおっかない。

 その単語の方が強烈に頭に残って、大志はまた少しだけ気落ちする。

 そして、今日も交番に立っているだろう佐江島を思い出した。

 怒ると怖いと言うなら、佐江島もそうだ。新人でまだまだ足を引っ張るだけだった時、毎日のように怒鳴られた。だが、どこか温かみのあるカミナリ親父のような人だった。

 今頃どうしているだろうか。あの交番には、もう新しい人が配属されたのだろうか。奈都は元気にやっていけるだろうか。ツバメはそもそも生きているのだろうか。

 すでに郷愁きょうしゅうられた大志は、それを振り払うように窓の外に視線を戻す。

 今日からここが自分の住む街なんだ、うじうじするなといましめる為に。


「…………車、進みませんね?」

「この時間は運送トラックやらタクシーやらで混むんだよなぁ」


 鮮やかな街並みを見ようと思ったのだが、先程からその景色は一向に変わらない。

 三車線道路の大通りは、どの車線もほとんど動いていない。反対車線も同じようで、客を乗せていないタクシーの運転手がボーッと座席に背をあずけている。

「あ」

 その顔を見て、男が運転席の窓を開ける。少し顔を出して手を振ると、タクシーの運転手の方も気づいたらしい。窓を開けて笑みを見せた。

「よう、サボりか?」

 中年の運転手は、軽い口調でそう言った。男は相変わらず気怠けだるげに答える。

「オッチャンと一緒にすんなよ。どうせ裏道で昼寝でもしてたんだろ」

「バカヤロー、昼寝にはまだ早いっての。客を乗せた後だ」

「ちゃんと仕事できたんだな」

「やかましいわボンちゃんよぉ。オメーこそどうしたよ」

「新人を駅まで迎えに行った帰り」

「ほぉー?」

 そこで運転手の視線が、初めて大志へと向けられる。

 大志は軽く頭を下げて、小さい声で「こんにちは」と挨拶をした。運転手は「おう。頑張れよ兄ちゃん」と、初対面でも気さくに声を掛ける。

「この先、まだ混んでる?」

 男が渋滞じゅうたいの先を指差して問うと、運転手は大きく頷いた。

「やっべーぞ。スミレ通りの信号までは激混みだ」

「支部に着くのが夕方になっちまうじゃねぇか」

「その分、仕事サボれて嬉しいだろ?」

「まぁな」

「駅の方はどうよ?」

「かなり混んでるけど、そのぶん客は釣り放題だと思うぜ」

「お、いいねぇ。行ってみるか」

「じゃあな、オッチャン」

「おう」

 そこで少し渋滞が進んで、お互い軽く手を振って窓を閉める。

 少し進んだ先でまた停車する。少し流れた沈黙の後、大志が口を開いた。


「ボンちゃんっておっしゃるんですか?」

「ぶふっ」


 美青年にあるまじき声を上げて、男は吹き出した。

 頭をゴツンとハンドルに打ち付けて肩を震わせる。笑いを必死にこらえた後、収まったところで顔を上げる。

「あれはオッチャンの出身地方でよく使ってる愛称。ほら、ぼっちゃんとかよく言うだろ。あれがなまった言い方だよ」

「あぁ、なるほど」

「なんでさっきの会話でそこをピックアップするんだよ。笑っちまったわ」

「すみません」

「いや、別にいいけどよ」

 手で口を押さえてのどを鳴らす男に、やっぱり表情豊かな人だなと大志は思う。

 なぜか無愛想に振る舞うが、怖い人では無い。そんな印象を持った。

「よし、裏道行くか」

「えっ」

 言うと同時に、男はハンドルを右へ切った。

 ウインカーを出して、小さい道へ入る。民家の間を何度か曲がって、少し大きい道へ出た。

 交通量は少なくないが、ちゃんと車は流れている。渋滞はあの大通りだけのものだったらしい。

「………あんなに渋滞するものなんですね」

「時間帯によるけどな。大通りは店やら何やらが並んでて、品物乗せたトラックで溢れるんだよ」

「僕の地元ではあんなに混んだことがないので、驚きました」

「あぁ、確かに田舎だったわ、あそこ」

「良い感じの田舎加減でしょう?」

 最初の無愛想が嘘のように、男は気さくだった。もしかしたら人見知りで、緊張していてあんな素っ気ない感じだったのかもしれないとすら考えてしまう。

(怖い人じゃなくてよかった……)

 せめて人間関係は上手くやらないと。どこの職場でもそうだと思うが。

 歳も同じくらいで、こんなに気さくに話す人だ。仲良くなれたらきっと頼りになる。

(本部に着くまでの道のりで少しでも距離を縮めよう)

 それが大志の、精一杯の前向きな取り組みだった。


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