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革命のエチュード  作者: 佐藤あきら
16/17

第9話 二人の姫殿下

 地方では反皇帝思想の反乱軍の動きが活発になってきている。表面上の安寧あんねいは保っているが、水面下でドス黒いものがうごめくような気配はちらほらと感じるようになった。

 帝都は権力者や政治の中心部が集まっているので、テロの標的にされやすい。

 最近は駅や街中での警備が厳重になり、銃を持って見張りに立つ軍人が増えた。華やかな街中に、確かに存在する不穏ふおんな空気。


「なぁ、聞いたか?」


 自分の職場である南方第二支部局の廊下を歩いている宮本大志みやもとたいしの耳に、ひそめた声が届いた。

 それは自分に語りかけられているのではなく、誰かと誰かの噂話だ。

 二人の若い男が廊下のはしに寄ってヒソヒソと話している。

「あぁ、西条さいじょう地方のことだろ?」

「いよいよ革命の動きが活発になってきたな。領主が燃やされたって」

「うわ、マジか。やっぱ革命過激派の仕業しわざか?」

「わからねぇけど、噂はもう広まってるぜ。俺の親戚がその村の近くに住んでるんだ、なんでも反乱軍を率いていたのは__……」

 大志の耳は、なぜかもの凄く明瞭めいりょうに噂話を拾った。


「白い髪の、日本刀を持った男だって」


 それを聞いた途端とたん、走り出した。

 後ろでは「え、俺が聞いたのはつえをついた茶髪の男だって」と続いたが、大志の耳にそこまでは入らなかった。

 早る心臓を自覚もしないまま目的の場所に向かった。走っているのとは別の理由で呼吸が乱れる。冷や汗のようなものも出ていた。やはりそれらを自覚はせず、大志は一室の扉を乱暴に開ける。ノックをしていないことには後で気づいた。

「おーっとビックリした。どうしたのみやもっちゃん」

 部屋のあるじである堤凪沙つつみなぎさは、言うわりに驚いた素ぶりもせず出迎える。

 だが大志の形相ぎょうそうが尋常ではないと察して、椅子に預けていた背を起こす。

 勢いが殺しきれていない足取りの大志は、堤の席の前まで行くと、挨拶もせず喋り出した。

「西条地方で起きた事件の捜査、私に加わらせて頂けませんか」

「え、どうしたの急に」

「お願いします。ワガママは承知です。でも、どうしても行きたいんです」

 突然の部下の申し出に、堤はぞんざいにすることもなく聞く姿勢になる。

唐突とうとつだねー、どうしたの。理由も言ってくれないんじゃ俺も困っちゃうよ」

「す、すみません」

 堤のさとすようなおっとりした口調に、大志はハッと冷静さを取り戻した。

 姿勢を正して、まず非礼を詫びた。堤は全く気にした様子もなく「いいよいいよ」と許す。

「西条地方の事件に関わっている人物が、私の探し人かもしれないんです」

「なになに、生き別れた家族とか?」

「違います!」

「はいはい落ち着いて。でもねー、そう言われてもねー。あそこの捜査は西条警察署のお仕事だから。そりゃ、状況によっては軍が出向くこともあるけど。なによりウチの管轄かんかつじゃないのよあそこ」

「口添えして頂けませんか」

「俺にそこまでの権力ないって。ま、なにか情報が入ってきたら伝えるくらいはしてあげるよ。そうだ、そこのお偉いさん、俺の知り合いだからあとで電話で聞いてあげる。それじゃダメ?」

 それを聞いて、消沈しょうちんしていた大志の顔が華やいだ。

「本当ですか⁉︎ ぜひお願いします!」

「うんうん、だから今日は元気にがんばろ」

「はい、本当にありがとうございます」

 礼儀正しく下がった頭に、堤がうんうんと頷いた。

 大志は失礼しますと一声かけて、局長室を出て行く。

 必死な様子の少年を平然と見送って、堤は口の端だけで笑う。

「あれって復讐ってより執着でしょ。困るんだよねぇ」





「そっち行ったぞ!」

「!」


 大志が銀臣かねおみの声に気づいた時には、犯人はすぐ横を通り抜けていった。

 しまったと思いすぐ振り返る。が、目的の背中は路地裏から飛び出して、雑踏ざっとうまぎれ消えた。

「なにやってんだよ、ぼーっとして」

 銀臣が駆け寄ってくる。

 責めるような口調ではなかったが、大志はまず頭を下げた。

「すみません」

「いいって、謝られたところでどうにもならねぇ。それより、どうかしたのか?」

 大志が集中できないわだかまりをかかえているのだと、確信を持って聞くような銀臣の声。

 今さら「なんでもない」とは言えず、かと言って私事しじの都合を持ち出せば言い訳になりそうでにごした。

「少し気がかりが……本当にすみません、集中します」

「まぁ言いたくないならいいけどよ。頼むぜ、姫殿下の生誕祭が近づいて、街がテロリストだらけになってきてる」

 今、真横を逃げて行った男もそうだ。

 汚い身なりの浮浪者ふろうしゃたちは金でやとわれて、街中に散らばるテロリストたちの連絡役をになっている。それらを捕まえて、犯罪者たちの隠れ家を吐かせるのが軍の仕事だ。

「とにかく、手分けして捜すぞ。三十分経って見つけられなかったら諦めてここに集合だ」

「わかりました」

 言いながら人通りの多い道に出て、左右に別れた。

 商人や買い物客でにぎわう大通り。大志は人をかき分け、辺りを見回す。

 しばらくかんに任せて走っていると、人混みから「きゃあっ!」と悲鳴があがった。条件反射でそこに顔を振れば、目立つ汚い身なりの男が人にぶつかりながら逃げて行く。

 どうやらこっちが当たりだったらしいと、大志は目標に向かって走る。

 ひょいひょいと身軽に人を避け、相手との距離を縮める。向こうも大志に気づいたのか「どけ!」と乱暴に人を突き飛ばした。

 赤子を抱いた婦人が前に倒れる。すんでのところで大志が腕を差し入れて、上半身を抱きとめた。

「ご無事ですか?」

「は、はい……」

「追跡中ですので、申し訳ないですがこれで失礼します」

 簡潔に言い置いて、婦人がしっかり立ったのを確認すると再び走り出す。

 少し距離が空いてしまったが、大志にとっては追いつけない距離ではない。冷静に呼吸しながらまた加速する。

「良い男だわぁ……」

 後ろでは赤子を抱いたまま、婦人がぼんやりとつぶやいた。

 それを知ることもなく、大志は男を追う。大きな川に横たわる橋を越え、男がぶつかって商人がまき散らかしたリンゴを越え、道端みちばたに落書きしている子供たちを越え。

 普段はあまりパトロールに来ない街まで来た。帝都は町の名が変わると、街並みもがらりと変わる。どうやらここは小金持ちの多い区画らしい。一等地に住めるほどの財産ではないが、それでも立派な一軒家を建てられる人間たちの集まる場所。


「あの、これ!」

「⁉︎」


 目の前に、突如とつじょとして花が咲いた。

 赤に黄色にオレンジに、明るい色の花々。大志は条件反射で受け取ってしまう。

 耳まで真っ赤にして恥じらいながら、花束を差し出した若い町娘がおずおずと話し出す。

「宮本さん、この前の大会、見てました! 優勝おめでとうございます!」

「あ、ありがとうございます⁉︎」

 言葉を理解するよりも先に、勢いで礼を言う。

「さっき、二階の窓から見えて、私のお部屋にあった花束です。また今度、改めて送らせて頂きます」

「あ、どうも、お気になさらず!」

 男の背中が街角まちかどに消えようとしていて、おざなりにお辞儀をして走る。小脇に抱えるくらいの大きさの花束を片手に、全速力で走った。花びらが散ってしまうとか、そういう気遣いもせず。

「なんだなんだ?」

「軍人さんが花束を持って追いかけてるよ!」

 街の人々の見世物になりながら、花弁かべんを散らして走る。だけど少し男との距離が空いてきて、だんだんと花束が邪魔になってきた。

 せっかくの貰い物だが、仕方がないと決断する。心の中で先ほどの町娘に謝りながら、大志は近くの若い女に花束を差し出した。

「これ、どうぞ!」

「え⁉︎」

 当たり前だが、女は驚く。

 小綺麗な身なりの女は、深く被ったフードの奥で目をまたたかせた。大志はそんな女の様子にも構わず、押し付けるように持たせる。

「差し上げます、家に飾ってください。すみません!」

「え、あ、あの……」

 不審者そのものであったが、今の大志はそれどころではない。

 女の顔も見ずに、身軽になった体で走る。後ろでは女がポカンと口を開けていた。




 男は人通りの無い道へ入っていく。無闇に走り回って体力の限界だったのか、ペースは明らかに落ちていた。

 荒く息を吐きながら、男はさらに角を曲がる。だがそこは行き止まりで、引き返す前に大志が道をふさいだ。

 大志は、浮浪者の男に最後の警告を出す。

「悪いようにはしない。テロリストたちの隠れ家を教えてほしい。軍に協力してくれれば、それなりの報酬もある」

「う、うそだ! 知ってんだぞ、テロに加担すれば死刑だって!」

「このままじゃ本当にテロリストの仲間として終わる。だから軍に協力してほしいと言ってるんだ」

 強く言ったあと、それから力を抜く。相手を興奮させないように、穏やかに。

「私を信じてください。私の上官は思慮深い人です、必ずよくはからってくれます」

「………そうやって甘い言葉で、俺は何度もだまされた。そうやって金も財産も取られて、今じゃ職無しだ!」

 ヤケのように叫んで肩を震わせる男を、大志は冷静に見据みすえる。

 元はどこかの社員として、立派に働いていたのかもしれない。身なりのわりに理知的な顔をしている。なのにその目は、憎悪に燃えていた。

 立派な道を歩んできたからこその、世の中への憎しみがあるのだ。

 だからこそわかってくれるだろう。大志は、はっきりと返した。

「悪いのはその人であって、私ではありません」

「!」

「今が……これが最後です。最後の立ち直るチャンスです。私の上官は、今までに何度もあなたみたいな人を助けました。就職の面倒を見たこともあります。あなたがお金に困って、やむなくテロリストたちに手を貸してしまったのを理解してくださる方です。決して悪いようにはしません」

 テロリストに協力してしまった浮浪者たちを捕縛ほばくする任務に向かう前、堤は必ず部下に言う。


『相手をさげすむのは許さないよ。理解しようと思いながら説得してほしい。理解していない奴のクサれた説教ほど、腹立つものはないからね』


 その言葉が、とても重いのだ。

 堤は素晴らしい人柄の持ち主であると、大志は思っている。元の職業柄、人を説得する場面も多かった。元上司である佐江島も説得は得意だったが、堤はそれ以上だ。

 堤のやり方を意識しながら、男へ語りかける。

 声の強弱、間の取り方。堤に比べればまだまだつたないものだが、それでも言葉をしぼり出した。

 別に、目の前の男の為にではない。

 この技術が、いつか自分の為に使えると思うからだ。

 そんな『自分の為に必死な』大志の様子に、なにを勘違いしたのか、男は体から力を抜く。

「……本当に、捕まえないのか?」

「はい」

「俺は、また、まっとうに生きられるだろうか……」

「あなたが努力すれば」

 男は、ふと表情をやわらげた。

 諦めではない。新しい希望を持った、どこまでも前向きな顔だ。

「迷惑をかけて、すまなかったな……君、名前は?」

 男の問いに、大志はカツンとかかとを鳴らして敬礼をした。

 背筋を伸ばし、顔を堂々と上げる。

「帝国軍南方第二支部局七班所属、宮本大志二等軍士です。元は警察官を勤めておりました」

「そうか、警察か、立派だな。俺は、弁護士を目指していたんだ……」

 最後は少しだけ誇らしげに言い捨てて、男は自ら大志へ近づく。

 もう逃げる気も抵抗する気も無い男を引き連れて、路地裏から出た。

 すると喧騒けんそうと人が溢れる、の光の中へ出る。

 ため息をつく程の美しい街並み。色鮮やかに着飾った貴婦人。荷物を運ぶ商人。呼び込みをするボーイに、みょうにませた歩き方をする子供。路上で歌を披露してスカウトを待つ女。恵みを求めて座る難民たち。

 誰もが希望を持ち、この街を目指すと聞く。

 誰をも受け入れ、誰をも飲み込んでしまう見栄と権力の街。



 それが今の、大志の職場である。






「へっっっっっくしゅ‼︎」

「大丈夫かよ」

「だいじょーぶだいじょーぶ」


 翌日、深い森の中。

 柴尾銀臣しばおかねおみの問いに、三浦みうらほのかは鼻をすすりながらニヘッと笑った。

 誰がどう見ても風邪だ。鼻水は止まらず、調子も好調ではないようだった。いつも元気なだけに余計そう見える。

「ほのかさん、治りかけなんですから、大事を取って今日はお休みしたほうがよかったんじゃないですか?」

 横に立っていた大志も気遣わしげに声をかけた。

 ほのかは「だって」と、まるで子供のように口火を切る。


「最新の船だよ⁉︎ 見たいに決まってんじゃん!」


 ほのかの言葉通り、今、目の前の湖には巨大な船が悠然ゆうぜんと浮かんでいる。

 商業や交通の手段として使われるものではない。湖よりも遥かに広大で未知の領域である、海へと出るためのものだ。

 人類は再び、海の向こうへ行く夢を叶えようとしている。この船はその最初の一歩だ。

「技術者、今ごろしかばねになってんじゃねぇの?」

 銀臣の想像はあながち間違っていない。実際、この船の研究や製造に関わった人々はどろのように眠っていた。

姫殿下ひめでんかの生誕祭に合わせて、船の処女航海をするらしいからな。この国のさらなる団結を目論もくろんでのことだろうが」

 紀州遊一郎きしゅうゆういちろうもメガネを指で掛け直しながら、いつもの仏頂面で淡々と言った。が、その声音には少しの感嘆が見え隠れしている。鋭い双眸で、見上げるほどの巨体をまじまじと見ていた。


 一週間後に、サクラ姫殿下の二十歳の生誕祭が控えている。

 現皇帝の孫娘。この国の次の最高権力者。未来の女帝になる方だ。


 姫君の生誕祭は毎年、国中が盛り上がりをみせる。

 帝都では真っ白い馬が馬車を引き、姫君を乗せて練り歩くパレードが行われる。裕福層の市民たちは街道に出て、「皇帝万歳、姫殿下万歳」と両手を挙げて祝うのだ。

 その日だけはあらゆる店で無礼講ぶれいこう。飲んで歌って踊って吐いて、騒ぎは夜が明けるまで続く。

 皇室の生誕祭を帝都で見るのは、大志にとっては初めてのこととなる。

 そもそも興味無いのもあるが、お巡りさんとして勤めていた地元の穂住町ほすみちょうでは、顔見知り同士がいつもの如く飲んでいるだけだった。

 いつもより酔っ払いの保護案件が多いくらいで、大志にとってはそこまで楽しいものでもない。

「今日の俺たちの任務は、船が最後の調整に入るから、それを守ること。ここで船を浮かしてるって情報は漏洩ろうえいしてないと思うが、万が一のこともあるしな。縁起えんぎでもねぇが船が沈んだ場合、船員の救助。そこそこ気張って行こうぜ」

 銀臣の言葉に、最新型ニューモデルを背負い直しながら大志は「はい」と答える。

 両隣の遊一郎とほのかは「あぁ」とか「おっけー」とか、のんびりしたものだ。

 大志たちの役目は、万が一、反皇帝思想のテロリストが襲撃してきた場合、それを殲滅せんめつすること。

 ここに船を浮かべているという情報は一部の人間しか知らないし、民間人にはもちろん公表されていない。深い森の中、ひっそりと行われる。

 堤は「ま、基本大丈夫だと思うから、今日はのんびりでいいと思うよ〜」と軽く言っていた。

 おそらく今日は、ただの船の見学になるだろう。油断しているわけではないが。

 湖のほとりで出航準備をしている船を、全員で見上げる。

 船には詳しく無い大志だが、その立派なたたずまいには思わずため息が出た。帝都の街を初めて見た時のような高揚と、少しの不安。

 これが海に浮かんで波をかき分けて進むのかと思うと、見てみたい気もした。

「ほんとに立派な船だな〜。もう家じゃん、な、大志」

「あぁ、まさもそう思ったか___って、なんでいるんだよ⁉︎」

 自分の後ろに立って呑気のんきに話しかけてきた存在に、大志は思いっきり振り向いて声を荒げた。

 それに難波将なんばまさは、白い歯を見せて快活に笑う。

 先日の武術大会で出会った、大志の警察学校時代の同期である東方第一支部の軍人である。彼は黒いスーツを着て、普通軍人の標準装備である火薬銃を肩に下げていた。

「よぉ、体育会系くん」

「爽やかくんじゃん」

「脳筋くん、どうしてここにいる」

「いつの間にかあだ名増えてるっすね?」

「なんでここに? ここの警護は南方第二が請け負ってるって聞いたけど。東方第一も参加することになったのか?」

「おう、そのことなんだけどよ」

「彼も今日から南方第二のお仲間だよ〜」

 大志の問いに答えようとした将。それより先に答えたのは、ひょっこり輪の中に入ってきた堤だ。

 堤はいつもの軽薄けいはくな笑みで、将と両手を合わせて「いえ〜い、ヨロシクね」とはしゃぐ。将も「うっす!」と、上官相手になんの気負いもなく手を合わせた。

「異動の時期には早すぎないですか?」

 二人が盛り上がる場に、冷静に疑問を投げたのは銀臣だ。

 それに大志はハッと息を飲んだ。

「まさかお前……向こうでなにかしたのか⁉︎」

「ちっげーよ! お前たまに失礼だぞ!」

「気に入ったから、東方第一から貰って来た!」

「堤局長、犬猫ではないんですよ」

「なんでこの人、ほいほい貰って来ちゃうの?」

 堤は年齢を感じさせない(自分の年齢を考えていないとも言う)仕草で舌を出す。

 本当は先週にでも南方第二支部に配属予定だったのだが、引き継ぎに手間取って今日まで押してしまったらしい。

 午前中に東方第一支部を離れ、その足でここまで来たという。

「堤さんの一存いちぞんで、よく東方第一の支部局長がオーケーしてくれましたね」

「余裕よシバちゃん。あそこのキョクチョーさん、俺にデッカい借りあるし」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「はいはーい、汚い大人を見るような目で見ない見ない。さすがの堤お兄さんも泣くよ。じゃ、マーちゃん、今日からうちでガンバッて」

「うっす! ご期待に添いたいです!」

「ん、いい子いい子」

 自分よりもガタイの良い将の頭をわしわしと撫でる。気の良い将はそれに抵抗することなく、爽やかに笑って受け入れた。


「堤局長、そろそろテントの中にお戻りください。警備隊が指示をお待ちです」


 そこにするどくく割って入る声。

 将以外の全員がその声の主に検討をつけて振り返れば、戸倉重春とくらしげはるが睨むように立っていた。堤以外の全員を。

「はいはい、ゴメンねシゲちゃん。すぐ行くから」

「新人にかまってばかりでは困ります。新人の教育など柴尾銀臣たちに任せて、あなたは威厳いげんあるおかたであられるべきです」

「そうだねぇ、いつも助言ありがとねシゲちゃん。よしよし」

 設営されたテントの方へ戻りながら、堤は重春の頭を包んでわしわしとかき回す。

 抵抗するかと思ったが、重春は大人しく成すがままだった。なんなら、必死に『仕方なく受け入れている』ような顔を作っているが、嬉しさがにじみ出ている。

 一通り撫でて、堤はいよいよテントに向かった。

 堤が背を向けたのを確認してから、重春が首だけを大志たちに向ける。

 それから小馬鹿にしたように、または自慢するように鼻を鳴らしてから堤のあとを追って行った。

「アイツはなにをあんなに自慢気なの?」

「さぁな、堤さんに撫でられることをステータスくらいに思ってんじゃね?」

「それをステータスとして考えているのはお前だけだと、いつになったら気づくのだろうな」

 ほのかと銀臣、遊一郎は重春の態度を気にした様子も無い。

 冷めた目で重春の背を見送っていると、ほのかが「へ……」と鼻を膨らませた。

「へっっっっくしゅ‼︎」

「ほのかさん、体調ダメそうですか?」

「うーーーん、ちょっと悪いかも。重春の顔見たらからかなぁ?」

「そういうことにしとけ」

 けっこう失礼なことを言い置いて、銀臣たちもテントのほうへ向かう。



 場の空気が変わったのは、そのすぐ後だ。



 堤が警備隊の配置を地図に書き起こしていると、突然、周りが騒がしくなった。

 船員や技術者、軍人たちがざわめく。何事かと顔を上げれば、黒塗りの高級車が止まった。

 そこから出てきた人物に、その場の全員が驚きつつも頭を下げる。

 騒ぎの中心人物は、それを気にした様子もなく船を見上げて声を躍らせた。

「まぁ、なんて立派な船なんでしょう」

「サクラ、わたくしとショッピングの予定ではなかったの⁉︎」

 最初に車を降りたのは、長い髪が美しい若い女。

 優しげな顔立ちと、上品に微笑む口元。指の先までも優美に見える。

 その人を追うようにあとから出てきたのは、肩で切りそろえた髪と、気の強そうな目元。気難しい印象の同じ年頃の女だ。

「サクラ姫殿下と菊乃きくの姫殿下だ」

「なんでここに」

 頭を上げた銀臣とほのかの言葉に二人の正体を教えてもらった大志は、まじまじとその姿を見た。確かに、そこらの町娘に比べれば品がある。

 てっきり王宮で幾人いくにんもの従者に囲まれているものとばかり思っていた。だが、運転手含めたった二人の従者を連れているだけである。

 技術開発代表の老人が、二人の前でうやうやしく一礼してから切り出した。

「姫殿下、ご機嫌麗しゅう」

「かしこまらないでください。お忙しいのにお邪魔しているのはこちらですわ」

 ほがらかに笑い、サクラは腰を落として挨拶をする。

 文句を言いたい視線をサクラに送りながらも、菊乃もそれにならった。

「おじい様から今日のことを聞いて、居ても立っても居られず参りましたの。私も船を見たくて」

「皇帝陛下はお二人がここにいらっしゃることをご存知で?」

「内緒に決まっているじゃない」

「なぜ誇らしげなのあなたは!」

 いよいよ文句が口から出た菊乃に、サクラはまぁまぁと笑い見る。見た目の印象とは反対に、実はサクラのほうが気が強いのかもしれない。

「素敵な船よ、菊乃もご覧なさい」

「わたくしは船になんて興味ないわ」

 製造者たちの前で、なんの遠慮もなくその言葉を口に出す菊乃。

 サクラは「こら、ダメでしょう」とたしなめる。一方のサクラは、じっと、まるで恋するように船を見上げる。

「船長さんはどちら?」

「私です」

 サクラの問いに、船長の男は帽子を取って前に出る。

「この船、もう動くのかしら?」

「はい、まもなく出航します」

「ぜひ私も乗ってみたいわ!」

「な⁉︎」

 興奮したように言い出すサクラに、菊乃が信じられないと素っ頓狂な声をあげた。

「サクラ! これは調整中の船なのよ、もしなにかあったらどうする気よ!」

「でも、海に出したらもう乗れないのでしょう? その前に乗ってみたいわ」

「あなたには宮廷の湖に専用のボートがあるじゃない! それで満足しなさい!」

「ボートと船じゃ違うじゃない、菊乃はなにもわかってないわ」

 可愛らしくほほを膨らませて、サクラは抗議する。

 しかし菊乃は一歩も引かなかった。危ない、あなたはここで見ているべきと畳み掛ける。

「ねぇ、船長さん、いいでしょう?」

 菊乃に言ってもダメだと思ったのか、サクラはくるりと船長に振り返る。

 いきなり矛先の向いた船長はしどろもどろと曖昧あいまいに返した。そこにそっと入ったのは堤だ。

「サクラ姫殿下。私も手放しに賛成はできません」

「あら、失礼ですがあなたは?」

「名乗りもせず失礼を。船の警護の全指揮を取っています、帝国軍南方第二支部の支部局長、堤凪沙と申します。お会いできて光栄です」

「まぁ、そうでしたの。私こそ光栄ですわ」

 スカートをそろっと持ち上げて、腰を少し落とす。

 優美に挨拶をして手を差し出すサクラに、堤も慣れたようにその手を取って挨拶のキスを落とす。

 普段は軟派なんぱな男のくせをして、堤のそういう仕草は妙にさまになる。彼も一応大人の男なのだなと当たり前のことを再認識する周りを置いて、堤はおだやかにサクラに向かった。

「姫殿下、船は最終調整の段階です。エンジントラブル、突然の故障と、なにが起こるかわかりません。最悪の場合、船から投げ出されることもあり得ます」

「あら、私、一応泳げますのよ」

「私は姫殿下の泳ぎを拝見はいけんしたことがないので、それにはなんとも言えません」

 どちらも引かない静かな言い合い。周りは内心で堤にエールを送る。

 その雰囲気を察してかそうでないのか、そこでふと、サクラが声の調子を変えた。

「堤凪沙さん。あなたは、この箱舟はこぶねに夢をお持ち?」

「夢、と、おっしゃいますと?」

「私はこの船に夢を見ています。人類は再び海の向こうへ出て、そこに広がる世界を見るのです。これはその第一歩。でも、夢を見ているのは私だけではないでしょう?」

「………」

「この船を設計した研究者たちも、造った技術者たちも、誰も彼も夢を見たに違いないのです。ご自分の夢を追ったに違いないのです。その夢のすえにできたこの船が、生半可なまはんかなものであるはずがない。この船に乗って海を渡る英雄たちの腕も、信じられるものですわ」

 それから、ふわりと笑う。

 その笑顔は可憐そのもので、なのに口調はどこか強い。その有様が、やはり一国の後継なのだと思わせる。


「私が信頼し尊敬する優秀な方々の船ですもの、沈むはずがないわ」


 その、まるで女神のような微笑みと殺し文句に、隣で聞いていた船長はいよいよ首をたてに振った。

 堤は「小悪魔め」と、内心で舌を巻く。


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