プロローグ2 地方・暴動者側
「へぇ、帝都で生物テロだって」
手紙に視線を落としていた青年が、おもしろそうに口角を上げて第一声を発した。
それに真っ先に、わかりやすく反応したのは真昼だ。真昼は犬が尻尾を振っている時のような表情で青年の座る椅子に駆け寄る。
興味津々に、青年に問いかけた。
「生物兵器? すげぇ! 帝都ぶっ潰したんですか?」
「残念ながら、グリーン・バッジが先陣を切って討伐したそうだよ。優秀な人間の集まりだ、そう簡単にはいかないだろうね」
「オレのほうが絶対強いっすよー!」
「その手紙、例の『帝都にいる知り合い』からか?」
テーブルに人数分のコーヒーを置いてから、カズミが青年の手元の物を指差して問う。青年はにこりと優しげに笑った。
「そうだよ。たまにこうやって帝都の状況を教えてくれる」
「たまに俺らの逃亡やら潜伏やらに協力してくれる奴だよな。どこのお偉いさんだよ、お前の友達か?」
「そのうち紹介するよ。向こうにもいろいろあるから慎重にやらないと」
含みのある愉快そうな笑い声を残して、青年は黙る。
それにカズミは、とくになにを思ったわけでもない。隠し事をするのもされるのもここでは当たり前だったからだ。誰も彼も仲良しごっこで集まっているわけではないのだから、隠し事でムキになるわけがない。
「なんで内緒なんすかーーーー!」
ただ一人、真昼を除いては。
「俺、兄貴の仲間っすよぉ。なのにさぁ、兄貴はいっつも一人でなんでもかんでもやっちまうんだからさぁ」
不満を隠すこともなく口を尖らせる。
だけどその表情はそれだけではない。少しの寂しさも滲んでいた。
真昼はくるりと背を向けて、ブツブツ言いながらテーブルの上のコーヒーを手に取る。そのいじけた背中に青年が声をかけようとした。
が、その前に真昼が「ぐわあああぁぁぁぁ」と奇妙な声を出す。それからキッとカズミを睨んだ。
「カズさん! なんすかこのコーヒー! ほとんど牛乳じゃないすか!」
「お前のはカフェオレって何回言わせんだ。コーヒーと牛乳の割合2:8だろ?」
「最近は4:6っすよ!」
「結局ほとんど牛乳じゃねぇかオイ」
心底呆れたように言い捨てて、カズミは「黙って飲め」と一喝する。
不満なことだらけの日に、真昼はさらに機嫌を急降下させてカフェオレを飲み干した。
「真昼」
さらに丸まった背中を見兼ねて、青年がとびきり優しく真昼を呼ぶ。
声に導かれるように、真昼は青年へ振り返った。だがその顔はまだしかめっ面をしている。それにくすりと笑ってから青年が語り出す。幼子をあやすように。
「今度の任務、真昼には重要なことを任せたいと思うのだけど、どう?」
「そうやってオレの機嫌を直そうって魂胆が見え見えっす。話を聞かせてください」
「ノリノリじゃねぇか」
真昼はさっきまでの不満顔を綺麗さっぱり消していた。
真剣な面持ちで青年の指示を待つ。
「ありがとう、真昼にしか頼めないんだ。もうすぐ国をあげた大イベントがあるからね。準備が必要だ」
「国をあげた大イベント? ってなんでしたっけ?」
「皇位継承権第一位、サクラ姫殿下の生誕祭だ。毎年この時期にやってるだろ」
「そんなん興味ねぇもん。オヒメサマなんてオレたちの最大の敵じゃないっすか!」
今度は、とたんに嫌悪の感情を出して叫ぶ。
生誕祭で盛り上がっているのは裕福層や、景気が良く金の周りが活発な地域だけ。地方では姫殿下の祝いどころか、今日のパンすら無い人だっているのだと真昼は続けた。
「オヒメサマは豪華なドレスを着て踊って笑って、呑気なもんすよ」
最後に忌々しげにそう吐き捨て、真昼は黙る。
「そのお姫様になにかあれば、国中が大パニックだろうね」
青年が静かに笑う。これからのことを考えて愉快だとばかりに目を細めて。
悪巧みをしているはずなのに、まるで絵画の中の天使のような表情で語るものだから、カズミは薄ら寒い感覚さえ味わう。
「じゃぁ兄貴! ついに帝都に行くんすね!」
嬉しそうに、真昼が表情を輝かせた。拳を握り、興奮で頬を紅潮させる。
それを受けて、青年は頷いた。跳ね上がって浮かれる真昼を落ち着かせてから、にこりと微笑む。
「荷物をまとめて、出発だ。姫君の生誕祭まであと一週間しかないのだから」
「やった! ずっと待ってたんすよこの時を! いよいよ帝都をぶっ潰すんすね!」
「ふふ」
笑いをこぼして、青年は椅子から立ち上がる。
コーヒーを持って窓辺へ立つ。そこから街を見渡した。薄暗く陰鬱とした世界が広がる、地方の小さな宿場町。副都市である西の都から帝都への快速列車が開通する計画だったのだが、従業員のデモ抗議で工事は停滞。集客の増加を見越してホテルや大型百貨店を次々に建てたのだが、もはや無用の長物となった。大赤字を出して夜逃げしたオーナーもいたという話だ。
立派な建物が並んでいるにも関わらず、明るい雰囲気など少しもない街。青年はそれらを優しげに見渡しながら、ぼそりと呟いた。
「そういえばあの子、元気にしてるかな」
ふと、ある日の思い出が頭に蘇った。街を歩く紺色のスーツが見えたからだ。
帝都の端の町での出来事だ。警察の制服が馴染んでいなかった少年の姿が思い浮かぶ。あの時、自分を殺そうと必死に噛み付いてきた。もしあのまま腐らずに成長していれば、もう少し楽しめるくらいには強くなっているだろう。
「お前は今ごろ、どこにいるんだい? ちゃんと僕を捜しているのかな?」
青年は歌うように声を弾ませる。
その独り言は、誰にも聞かれることはなかった。後ろでは真昼が「オレが皇帝とオヒメサマの首を取ってやるっす!」と意気込んでいる。