第二章 定番品を増やしたい~切石豆腐店 2
とんとん拍子に、二日後に蟻ヶ崎さんと飯田君が切石豆腐店に商談に行くことが決まった。
商品の値段、サイズ、質、生産量や発注タイミング、それに支払関係の都合を確認し、ヨシツネと契約が結べるか。
その上で、メガカシワストアーへの売り込みについて打合せができれば万々歳だ。
一応アポイントは蟻ヶ崎さんがとっていたけど、紹介者として、それに幼馴染として、私も一言くらい挨拶に行っておこうと思った。
会議のあった翌日、終業後に、私は切石豆腐店に向かった。
うちの近所の、歩いて十分ほどのところにお店がある。商店街の一部として完全に風景に馴染んでおり、私が子供の頃は、お豆腐と言えば切石だった。
もう日は沈んでいたけど、今日は少し話をして、帰るだけだ。あまり気負うこともなく、私は最近ご無沙汰していた、豆腐店の前に立った。
「会議では思いついたことを口にしただけだったんだけど、もしかして迷惑だったりしたかな」
独り言をこぼした。この日も会社まで迎えに来てくれていた犬若は、一足先に家に帰っている。
切石豆腐点は、朝が早いので夕方には早めに店を閉める。それは昔から変わらない。でも、なんだか妙に、お店が薄暗く見えた。
すでにシャッターを下ろした店舗部分はもちろん、二階も電気が消えていて、人の気配がない。
「こんなに寂しい感じだったっけ。……ごめん、ください」
シャッターの右脇にある通用口に声をかける。切石さんの家の実質的な玄関だ。ドアを閉めたままのせいで中まで聞こえていないのか、返事はない。
周囲には人通りも途切れていた。大手スーパーの台頭で商店街は活気が減ったと言われていたけど、それにしても閑散としている。
まるで、私の知っている商店街ではないような気がした。
六月だというのに、風が冷たい。
「切石さん。響一郎くん。いませんか?」
ドアを手のひらで叩いて声をかけた。でもやはり反応はない。
すると、叩いた反応でドアが少し開いた。鍵がかかっていない。
妙に、嫌な予感がした。こちらの方が屋外だというのに、ドアの隙間から冷たい風が吹き込んで来るようだった。
「切石……さん」
ドアノブに手をかける。何かが変だ。開けていいものか。でも――
「小花、何をしている! そこは異界だ!」
私はドアを開けてしまった。後ろから響いた声が犬若のものだと気づいたのは、その直後だった。
「犬、若」
「開けてしまったか。くそ、こうなったらいつまでも狭間にいるな。中に入れ」
犬若がその巨体とともに、窮屈そうに私を切石豆腐店の通用口に押し込んだ。
お店の中は、暗かった。すぐ左隣が豆腐店のスペースのはずなのに、ほとんど暗がりに沈んで見えない。
「どうして……暗すぎる」
「ここは異界だ。おれから離れるな、小花」
「異界? ってなに?」
「人間や妖怪が張る結界のようなものだ。普通は、気づかずに素通りしてそれまでなんだが。お前たち姉妹はおれが見えるし、勘のいい方だと思ってはいたが、まさか他者の異界を開くほどだとはな。見ろ」
犬若が促した方を見る。そこには――
「何あれ!? ってなんだか見覚えがある!」
――紫色の、私の手のひらほどもある軟体動物が、暗闇の中で壁を這っていた。
「虫妖だ。そして、あいつが宿主のようだな」
犬若の視線は、豆腐店の店内に向いていた。
そこには、一人の男性が、豆腐用の水槽の間に立っている。
「う、うわっ!?」
私は思わず声を上げた。男性の体には、虫妖というらしい物体が、何匹もあちこちにへばりついている。
でも――
「響一郎くん!」
面影があった。長い黒髪、簡素なTシャツとデニムに包まれた細い体。子供の頃と、服の趣味も印象も変わっていない。
「小花、あれと知り合いのようだがな。向こうはこっちを歓迎していない」
「え……?」
よく見ると、床にも虫妖が這っている。十数匹はいそうだ。それがつかず離れず、じりじりと私たちの傍でうごめいていた。
「俺がいれば寄っては来ない。だが、油断す……」
「出て行くんだ」
犬若の言葉を遮って、響一郎君がそう告げてきた。