第五章 キムチと餃子は裏切らない~東信漬物と夢見亭 8
キムチとツナのサラダも、お姉ちゃんが「おおー、これはこの間のメーカーのやつだよね」と一瞬で見抜きながら食べだした。
それを横目で見ていた太陽君が、「そ、それ、俺が作ったんです。混ぜただけですけど……」と消え入りそうな声で言う。
「それは立派な料理だよ。ね、小花。うん、おいしい。水気の多い野菜と合わさったことで、辛さがほど良く抑えられて、ちょうどいい調味具合になってる。ツナのあっさり感が、キムチとよく合うよね。それでいて普通のサラダよりも食べ応えがあるし、辛さのおかげで食欲も刺激されて、最高だよ」
太陽君の顔がぱあっと明るくなった。
「お、俺……簡単なものなら、自分でも料理してみようかな。子供だって、料理してる奴は結構いるだろうし、俺がやってみたっていいですよね」
私が、頬張った餃子を飲み込んでから、
「いいと思うよ。慣れないうちは火をなるべく使わないことと、刃物の扱いに気を付けること。お母さんとよく相談してね」
と言うと、太陽くんはこくりとうなずいた。これで、この親子が会話するきっかけが増えるといいのだけど、と犬若と目配せする。
「俺がほうれん草食べられるようになったって聞いたら、母さん驚くと思います。」
「ほうれん草のビタミンは脂溶性だから、バターやマヨネーズみたいに油分のあるものと一緒に食べるといいんだよ」と私。
「そう聞くと、なおさら苦手感がなくなりそうです」
「この餃子もそうだけど、スーパーの中華総菜の、焼売、小籠包、春巻き、ニラ饅頭なんかは、レンジで調理できるものが多いから、今度見てみてね。好きなブランド……って、メーカーのことなんだけど。そういうのを探すのも楽しいよ」
「はいっ」
ジライヤも餃子が食べられるようで、太陽くんが細かくばらして醤油を垂らしたものを口元に持っていってやると、さくさくと食べていた。犬若もそうだけど、妖怪ってアレルギーとかないんだろうか。
「小花さん……今日って、俺が自分でも作れそうなメニューにしてくれたんですよね」
「うん。露骨だったかな、簡単すぎて。ほうれん草とバターは、レンジでもソテー風に作れるし」
「こんな風に、給食以外で人としゃべりながら食べるのって、何だか凄く久しぶりです。それも、そんな風に思いやってくれるなんて……。ジライヤも一緒で、さち様もいてくれて、あったかい料理がたくさんあって……」
俺もいるだろうが、と犬若が肩をいからせたけど、残念ながら太陽くんの目には入っていない。
「今日は母さん遅くなるみたいだから、明日にでも、レンジで料理してみようかな。明日は確か、夕方には帰ってくるはずなんで。日曜日も仕事って日が、結構あるんですよね」
それを聞いたお姉ちゃんが、
「お母さん、忙しいんだね」
とため息のように言う。
まあ前からそうなんで、と笑う太陽くんは、やはり少し寂しそうだった。
太陽くんは、きっちり後片付けまでお姉ちゃんと一緒に済ませてから帰った。時々流しの前で二人の肘がぶつかると、太陽くんが小さく悲鳴を上げ、顔を真っ赤にしていた。
夜、夕食を済ませた私たちは揃って台所のテーブルにつき、お茶をすすりながら、太陽くんのことを話した。
私は深めのスープ皿の中のお茶を大きな舌で舐めている犬若に、
「あんな感じでよかったの?」と訊く。
「ふ。上首尾だ。恐らくあの小僧、明日の夜に母親に料理を振る舞うだろう。そこを狙う」
お姉ちゃんが首を傾げた。
「狙う?」
「小僧の家の場所は聞いたな? 待ち伏せて、奴の母親から蝦蟇を引き剥がす」
私は、思わず聞き返した。
「引き剥がすって、明日? そんなに急に?」
「世の中、ことが起きる時というのは、大抵、何らかの変化が生じる日だ。新しいことに手を出す時、今までに会ったこともないような奴に出会った時。この件はそも俺がけしかけたようなものだからな、それを分かって傍観というわけにもいくまい」
お姉ちゃんが、さらに思案顔で犬若を見つめた。「犬若、」
「ん?」
「どうして太陽くんに、そんなに肩入れするの?」
それは私も気になった。元々犬若は人間に好意的だとは思っていたけど、こんなに世話を焼こうとするのは珍しい。
「か。さてな。獣やら、獣の妖怪やら、そんな連中と気のおけん仲の坊主に、少しばかり甘いというのは、自覚があるがな」
それで、私もお姉ちゃんも思い当たった。
「む。……なんださち、そのにやけた目は」
「もしかして、犬若が犬だった頃の飼い主くんに、似てるんだ。太陽くん」
「け。別に似とらんでも、俺は元々情け深い妖だ。女子供には優しかろう」
「私と小花には、確かに優しいよね。……女子供にはってことは、成人男性には?」
「何故俺が、とうに元服も済ませたような野郎共に情けなんぞかけなくちゃならんのだ。人の牡なんぞ、勝手に生きて勝手に死ね」
フェミニストというのとは、ちょっと違うらしい。
犬若がひとつ、咳払いをした。
「まあとにかく、一度縁のあった人間と似たような奴らなら、慈悲深い俺はそれなりに情を移すこともあるわ。お前たちとここのところ一緒にいたお陰で、女児から今のお前らくらいの年齢の人の女なら、難渋している時に助けてやるくらいはやぶさかでもない」
「それは慈悲深い」と私は小さく拍手する。
お姉ちゃんは右手を伸ばして、伏せている犬若の背を撫でた。
「じゃあ、これからも私たちとずっと一緒にいれば、おばさんでも、おばあさんでも、犬若は助けてくれるようになるんだ」
犬若の喉の奥が、気持ちがいいのか、ころころと鳴る。それは猫の癖ではなかったかという気はしたけれど、言わないでおいた。
「確約はできんが、まあ、そうなるだろうな。実際気忙しくて仕方なくなるだろうから、あまりありがたくもないが」
お姉ちゃんの、「ずっと一緒」という言葉には、どこか深い思いが感じ取れた。
今までは、私たちは犬若とずっと一緒だった。この「ずっと」はいつまで続くのだろうと、時々考えはする。
寂しい思いが頭をもたげそうになったので、私はゆっくりとお茶をすすって、気持ちを落ち着かせた。
ともあれ、こうして、明日の日曜日は太陽くんの家に張り込みをすることが決定してしまった。




