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第五章 キムチと餃子は裏切らない~東信漬物と夢見亭 7


 そうして、あっという間に、七月最後の土曜日はやって来た。

 午前十一時。

「お邪魔します」

「きー」

 そう言って、太陽くんとジライヤは我が家の玄関をくぐる。

 ジライヤの方は先週犬若に気絶させられているので警戒気味にしながらも、太陽くんの足元にとことこと寄り添っている。

「本日はお招きいただき、ありがとうございます。さち様、小花さん、犬若さん」

 呼び方に若干の格差を感じたものの、あまり気にせずに居間へ通して、荷物を下ろしてもらった。人間三人に妖怪二匹となると、さすがに台所では狭いので、今日は居間のちゃぶ台を使う。

「これ、母さんからです」

 太陽くんが紙袋を差し出してくる。

 お姉ちゃんは反射的に受け取りながらも、

「え、いやいや、そんなに気を遣ってもらうつもりじゃないんだけど……」

と狼狽した。

「いえ、母さんに、ぜひにとお渡ししなさいって言われてるんで。さち様に受け取ってもらえないと、俺帰れません」

 若干かしこまった口調でそう言われ、お姉ちゃんもありがとうと答えた。さすがに、突き返すわけにもいかない。

「太陽くんのお母さん、ちゃんとした方なのね」

 お姉ちゃんがそう言うと、太陽くんはわずかに表情を曇らせた。

「外の人に対しては、そうなんですけど……最近ますます家の中では冷たくて……たまに俺、母さんといると、家の中のどこにいていいか分からなくなる時があるんですよね」

 私は犬若と顔を見合わせた。妖怪の悪影響のせいなのか、その可能性は高い、と目配せでやりとりする。

「ま、まあまあ。じゃあ今日は小花おねーさんが、太陽くんと一緒にお料理しちゃおうかなー! といっても、ごく簡単なやつだけどね」

「え、俺もですか?」

「嫌だった?」

「全然。俺ほとんど料理ってできないし、母さんに教えてもらうチャンスもあんまりないから、やってみたいです」

 お姉ちゃんが胸の前で手のひらを合わせ、「偉いね、太陽くんは」と明るく褒める。

「は、はい! 見ててください、さち様。俺の料理デビューを!」

 やはりなかなか素直ないい子だな、と思う。

 私なりにできることをしてあげなくては、と胸の中でつぶやきながら、私は太陽くんを台所へ連れて行った。

 二人でエプロンをつけ、道具を流し台に並べる。

「では今日のメニューですが、焼き餃子、キムチのツナ和え、ほうれん草のバター炒めです。」

「ほっ……ほうれん草ですか」

「あ、苦手だった?」

「苦いのと、あとあの匂いがあんまり……。普段食べないんで、こないだ好き嫌い聞かれた時、嫌いなものとして頭に浮かびませんでした……」

 しまった、「食べられないものはある?」と聞くのではなく、「何々は食べられる?」と聞くべきだった。先週はまだメニューが思い浮かんでいなかったせいではあるのだけど。

「で、でも今日は挑戦してみます。ずっと食べてないから、もしかしたら今なら平気かもしれないし。それに、小花さんやさち様に恥はかかせられないです」

「は、恥はかかないけど。無理しなくていいからね。私こそごめん」

 好き嫌いがないのは自分の長所だと思っていたけれど、こういう時の配慮が欠けやすいということは自覚しておこう。

 それにしても、初対面の私たちにいきなり啖呵を切っていった威勢の良さから考えると、太陽くんは驚くほど落ち着いている。こちらの方が地で、あの時は、それだけジライヤのことを心配したということかもしれない。

「キムチやツナは平気?」

「どっちも好きです」

「餃子も?」

「無限に食べられるんじゃないかって思う時があります」

 さすが男子。

「でも小花さん、餃子って作るの難しくないですか? 昔母さんが皮作ってたけど、大変そうでした」

「確かに、コツがいるところはあるね。でも今日は、その辺の心配はいりません。なぜなら……」

 私は、冷蔵庫からそれを取り出した。

「今回はこの、『夢見亭の大粒生餃子 八粒』を使うからです! 多めに買ってあるから、たっぷり食べてね!」

 桐林君と同じく、私もすっかり業界の癖で、ブランド名と量目を唱えてしまう。

「あ! なるほど、スーパーで売ってるやつですね!」

「そう。これなら皮作りで失敗したり、中のあんを包み損ねることもなく、忙しい時や料理初心者にもばっちり! 自作にこだわるのもいいけど、メーカーの商品を試してみるのもいいことだよ! チルドだけじゃなくて冷凍もあるから、用途によって使い分けや買い置きもできるしね。何より――」

「何より?」

 ぐぐっと前のめりになって両手を顎の辺りで握り、私の言葉を待つ太陽くんは結構かわいい。

「レンジで加熱してトースターで仕上げれば、火も使いません。洗い物も減るっ。太陽くんの家、オーブントースターある?」

「ありますっ。パンくらいなら毎朝自分で焼いてます」

「よしよし。キムチのツナ和えは混ぜるだけだし、ほうれん草だけは私が料理します」

「凄え……なるほど、材料の組み合わせ次第で、俺でも安全においしい料理ができるってわけか……」

 なかなかのコメント力をひとりごとで発揮する太陽くんに手を洗ってもらい、餃子のパッケージを開けていく。

「じゃあ、準備ができたら先にキムチを仕上げちゃおうか。といっても、ボウルに食べたい量をあけてツナと混ぜるだけだけどね。お好みで、レタスやトマト、キュウリなんかを一口大にして。手でちぎれる野菜は、包丁も使わないでいいからね」

 ツナは缶詰、キムチはもちろん東信漬物の刻みキムチだ。

「あれ、このキムチ、最初から刻んであるんですか?」

「そう。これも包丁いらず」

「前に母さんが、キムチ切ると包丁やまな板に色と匂いがついて困るって言ってました。その心配もないんだ……」

「太陽くんは、さっきからいいセリフが連発だね……」

 そうですか? と照れながら、太陽君はアルミのボウルの中をかき混ぜる。完全に混ぜ切らないくらいで止めてもらい、サラダ皿に盛りつけた。

 私はほうれん草をフライパンで炒めて、バターを加える。その間に少量の水を振った餃子を太陽くんがレンジで温め、続けてポットで沸かしたお湯で餃子用の大皿と取り皿を、こちらも温めてもらう。餃子に熱が通ったらオーブントースターに移して、最後の加熱。フライパンで焼くのと同等にはならないけど、レンジだけで温めるよりはずっといい。

 炊いておいたご飯をお茶碗によそい、サラダのお皿に水のグラスなどなども、次々にお盆に乗せ、太陽くんが居間に運んでいく。

 餃子はこのやり方だと大人数の分を一度には調理できないけれど、食器を充分温めたところに先に出来上がった分を置いて、保温性のある蓋を被せれば、ある程度の保温はできる。あとはレンジとトースターを数回往復するだけだ。効率よくリレーすれば、何分もかからない。

 そして人数分に分けたほうれん草と、対照的に大皿に盛った餃子を運び終わると、人間三人と妖怪二匹は、揃ってちゃぶ台を囲んだ。

「いただきます」

 一様に口にしてから(ジライヤだけは「きい」だった)、私たちはめいめい餃子を取り皿に移していく。お姉ちゃんなどは「小花が皮から作る餃子は最高だけど、メーカー品にはメーカー品の良さがあるよね~」とだらしなく頬を緩めていた。

 しかし太陽くんだけは、真っ先にほうれん草に箸をつけた。

 私は小声で告げる。

「太陽くん、無理そうなら言ってね。残しても、これくらい犬若なら一口だし」

「いえ、大丈夫です。普段ほうれん草を食べない俺でもわかります、これは餃子以上に、熱いうちがおいしいメニュー。ならば、俺はまさに今こそ挑まなくては」

 そこまで意気込んでくれるのはありがたい、とは思いつつ、私は太陽くんが、湯気を立てているほうれん草を箸先でつまんで口に入れるのを見守った。

 太陽くんの小さな口が、もぐもぐと動く。そして……

「食べられ……ます」

「本当? 無理してない?」

「はい。俺、ほうれん草のおひたしは味だけじゃなくて、ジャギジャギした歯触りも苦手だったんです。でも温かいと、ほうれん草ってこんなにふわっとするんですね。それにバターの匂いと塩気で、ほうれん草のクセが気にならないです」

 そういえば、私も昔はほうれん草のおひたしは苦手だったような気がする。醤油の味もきつすぎる気がして、積極的においしいとは思えなかった。食べられるようになってからは、あまり気にしたことがなかったけれど。

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