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第五章 キムチと餃子は裏切らない~東信漬物と夢見亭 6


 太陽くんとの昼食会は、次の土曜日に決まった。

 彼のお母さんには思ったよりもあっさりと許してもらえ、日曜日には直接出向いてくれて、お互いに挨拶を済ませた。

 太陽君のお母さんは細身でセミロングの髪がよく似合う、うちの会社で言えば蟻ヶ崎さんに近い、キャリアウーマン然とした人だった。

 犬若は新しい人間との出会いのせいか、きょときょととお母さんとその周りと見回していた。お母さんにこの犬妖が見えていたら、大騒ぎされていただろう。

 ただお母さんはどうしても外せない仕事があって、昼食会に来るのは太陽くんだけということになった。

 場所はうちで、何か太陽くんが喜んで食べてくれそうなものを私が作ることにした。


 そんなイベントを三日後に控えた、水曜日の夕方。桐林くんが、事務所の私のデスクの脇にやってきた。

「輪道。営業をありがとう」

「営業? ……あ、もしかして、ハローマツザワに東信漬物が入った?」

「当たり。以前、バイヤーに渡している商品台帳には記載しておいたんだ。そうしたら現場から要望があったんで置いてみたと。売れ行きはまた確認するけど、さっき聞いた様子では、順調みたいだ。これで、今まで地元の老舗漬物メーカー一辺倒だったマツザワの漬物棚の鉄のガードに、うちが踏み込める……! 次は梅干し! 浅漬け! たくあんにぬか漬けも……!」

 右腕をL字に曲げて拳を握る桐林くんに指先で拍手などしつつ、私は、この間の太陽くんに勝るとも劣らない彼の目の輝きを眺めていた。桐林くんは意外にまつ毛が長い。

「また世話になってしまったな」

「いや、全然お世話はしてないけど……」

「地元に勝る信頼なし。しかしそれも、輪道がしっかりとこの地に足をつけて生きて来たからこそだな。ミズ(くすのき)と呼ばせてくれ」

 彼は私が思っていたより、なかなか変わったところもあるような気がしてきた。

「ああ、楠ってしっかり根を張るらしいよね……桐林くん、今、かなり興奮してるでしょ? あんまりハイな時にしゃべらない方がいいかもしれないよ。後からこう、思い出した時に」

「確かに鉄のガードが開いて、熱くなってるかもな。何かまたお礼をさせて欲しい」

「いいんだって、そんなの。その売り上げが私たちの給料にもなるんだし」

「そう言わずに。気軽なところで、食卓のお役立ち商材とかでよければ、見つくろえるんだが」

「あ、それは大変有り難いかも。ちょうど、今週末男の子がうちにきて、私がご飯作るから」

 ぴた、と桐林くんが動きを止めた。

「男の子?」

「うん。この間知り合って、ちょっと仲良くなったの」

「そうなんだな。なるほど。二人で食事を?」

「ううん、私のお姉ちゃんも一緒」

 本当は、そこに人外の存在が二匹ほど加わるのだけど。

 桐林くんが細かく眼鏡の中央を指先でつつき上げた。キムチをもらった時も見た動作だ。今まで気付かなかったけど、彼の癖なのかもしれない。

「そうか。分かった。輪道やお姉さん、それにその男性の、食べられないものとか、苦手なものはあるかな?」

「一般的なものなら、特にないみたいだけど。辛いものも平気だって言ってたし。実は、これにしようかなって私の中で思ってたメニューはあるんだよね。だから、その方向でお勧めを教えてくれると嬉しい!」


 その夜は珍しく残業もなく、スムーズに家に帰ることができた。

 いつも通りの台所で、茄子の肉詰めとポテトサラダの夕食を三人――うち一人は妖怪ながら――で囲みつつ、私は昼食会の話を切り出した。

「餃子にしようと思うんだ。大皿に盛って、小皿に好きなだけ取り分けながら食べる、っていう。食べる量もそれぞれ調節できるし、犬若やジライヤも食べやすいでしょ。それに、何か野菜系のおかずをつけると」

「おお~。敢えて、ホットメニューなんだね」

「八月になる前に、温かい小麦粉、肉、野菜で体力をつけようと! 夏バテしてから何を食べるかより、夏バテしないように何を食べようか、食欲喚起と共に考えることが大事ではないでしょうか!」

「その通りですさすが我が妹! まさに今、温かくて水気たっぷりのお茄子にしっかり詰められたひき肉、それをトマトケチャップの酸味が食欲を――」

 唐突に始まったお姉ちゃんの食レポがひと段落つく頃、犬若がぽつりと言った。

「ん。そうだな。子供が一人だと、何かと食うものが偏るだろう。ついでに、料理も少々教えてやったらどうだ。あくまで未熟な小僧用にだがな」

 そうだ。そう言えば、犬若がなぜ山の中で太陽くんを気にかけていたのか、聞きそびれていた。

「犬若さ、どうして太陽くんをこのまま返すなって言ったの?」

 私がそう言うと、お姉ちゃんも身を乗り出した。

「そうそう。匂う、って言ってたよね」

「む。あいつからは、かまいたち以外の妖怪の匂いがする。かすかにだがな」

 かまいたち以外?

「お姉ちゃんや私に見えなかったってことは、その別の妖怪って、あの場にいたわけじゃないんだよね?」

「ん。すぐにどうということはないと思うが……それでもいついかに転ぶかも分からん。今のうちに手を打っておいた方がよかろう」

「それが、私が料理を教えることなの?」

「ああ。それをきっかけに、母親と何かもっと話すように仕向けたいところだ。見たところ、その妖怪は母親に憑いている。この間母親がここへ来た時は姿をくらましていたが、恐らく俺の気配を感じて隠れたのだろう。そうするとそれなりに知能があり、少なくとも――」

 嘆息気味に言う犬若に、私が続けた。

「少なくともいい影響を与えるつもりなら、人間と仲良くしてる犬若から隠れたりしない、ってことかあ……」

 何だか物騒に思えてきて、私は小さくため息をついた。

「ん。人の心の隙間に忍び込むことを好む妖怪は少なくない。そしてそういう輩はろくなことをしない。典型的なのは、取り憑いた人間の周囲とのつながりを断つことだ。孤立した人間の傍らほど、日陰を好む(あやかし)にとって居心地のいいものはない。あの、かまいたちの見える子供でも気付いている様子はないから、よほど巧妙に母親に隠れているのだろう。ただ幸い、向こうは大妖の類ではない。尻尾さえつかめば、俺がどうにかできると思うがな」

 お姉ちゃんが、

「その妖怪、どんなのだか犬若には分かってるの?」

と聞く。

「む。匂いで、ほぼな。あれはどうやら――」

 どうやら?

蝦蟇(がま)だ」

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