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第五章 キムチと餃子は裏切らない~東信漬物と夢見亭 3

 週末は土曜日の午後、私は中堅スーパーのハローマツザワというお店に買い物に来ていた。

 ここは、メガカシワなどのような大型店がやって来る前からの地元の優良店で、私たち一家も昔からよく買い物に来ている。自転車で十分もかからない立地がありがたい。

 漬物コーナーの前を通ると、ちょうど陳列に出ていた、顔なじみのおじさんが声をかけてくれた。マツザワで、今はデイリーのチーフを務めている。

「おう、小花ちゃんじゃないの。いらっしゃい」

「こんにちは。どうですか、売れ行きは」

「そうね、漬物は浅漬け中心で、キュウリと水茄子が売れるのは例年通りだけどね。あとはやっぱりキムチかな」

「あ、いい新商品があるみたいですよ」

「ああ、そういえば小花ちゃんのとこの、ヨシツネさんから提案されてたな。東信漬物の刻みキムチってやつだろ? 導入するか迷ってたけど、一度入れてみるか」

「私も食べましたけど、おいしかったですよ」

「刻みキムチ、うちの売り場だと百グラムちょっとの食べきり用しかなかったからね。いいよ、発注してみる。小花ちゃんからのお勧めもあったしね」

 思わぬ営業になりつつも、必要な買い物を済ませて、お店を出た。

 自転車のカゴにお気に入りの緑のエコバッグを入れ、ペダルを漕ぎ出す。

 すぐに家に到着し、冷蔵庫に手早く荷物を入れていると、お姉ちゃんが台所にやってきた。

「小花、今帰ってきたところ? よかったら、犬若と散歩にでも行かない? 今夜原稿の締め切りなんだけど、ちょっと煮詰まっちゃって」

 その後ろから、犬若もぬうと首を出してくる。普通の人の目には見えないので、散歩くらいならいつも堂々と出歩いている。

「私は大丈夫だよ。その辺でいいの?」

「二三十分でいいの。暑いから、それ以上になると疲れちゃうし、そんなに時間もないし」

 犬若はその気になれば、お姉ちゃんくらい乗せて帰って来られる。それでも、明るい時間に犬若だけでなくお姉ちゃんも人の目に映らないように術をかけるのはなかなか難しい。夕方まではまだ間があるので、犬若には頼らない方向で考えた方がよさそうだ。


 私たちは散歩に出た。

 午後四時。ちょうどよく曇っていたものの、それでも七月末の太陽は、容赦なく地上に熱を伝えてきていた。これは確かに、長時間出歩いていると気分転換にもならない。

 うちの近くに林があるので、そこを回ることにした。なお、その林を抜けてまっすぐ進むと、私たちが犬若と出会った裏山に続いている。

 開発が進んでいるこの街の中にあって、いまだこんもりと市の傍らに鎮座している裏山は、なかなかの存在感があった。さすがに鹿や猿はいないものの、野鳥は豊富に住んでいる。

 林の入り口につき、ようやく私たちは木陰に入って一息ついた。

 と思ったら、いきなり、

「わっ!? い、痛っ」

と悲鳴を上げて、お姉ちゃんが転んだ。少なくとも十代になってから以降はあまり見ないような見事な尻餅で、熱を持ったアスファルトに手をついたお姉ちゃんが「しかも熱いっ」と短く言う。

「……お姉ちゃん? 何かにつまづいた?」

 でも、私の見る限り、地面には何も変わったところはない。何もない場所でも人は転ぶというのは、聞いたことはあるけれど。

「ち、違う! 小花、今何か見えなかった? 足元に……」

 そう言って立ち上がったお姉ちゃんが、周囲を警戒するようにくるりと歩きだす。

 そうして二三歩歩いたところで、

「ひえっ!」

と叫んで、また転んでしまう。地面には、やはり何もない。

「お姉……ちゃん……」

「ま、待って! 小花、そんな目で私を見ないで! 違うの!」

「ううん、そういうこともあるよね……ライターっていう仕事は、座り仕事だから、やっぱりそういうその、運動神経的なものが……」

「やっぱりって言わない! 私は確かに運動は全然だめだけど! でも、違うの、今のは!」

 顔を真っ赤にしてそう言うお姉ちゃんに、犬若がずいぶん真剣な視線を送っていることに気付いた。

「犬若?」

 私が聞くと、犬若はすっと目を細める。

「二人とも、動くな。いや、大した害があるわけではないか、やはり不快だろう。何もないところで……何もないのに、転ばされると、いうのは」

「犬若、笑ってない?」

 お姉ちゃんが半目になって訊く。犬若はそれを振り切るように、

「そこだ!」

と言って、右手に向かって短く吠えた。咆術(ほうじゅつ)だ。

「ぎゃいんっ!」

 私たちのうちの、誰とも違う声がした。いや、声というより、鳴き声だ。

 右手の林の木立の中に、黒い影が転がっているのが見える。

「さち、小花、もう歩いてもいいぞ。そいつが犯人だ」

 私とお姉ちゃんは恐る恐る、その黒い影に近づく。ほんの数歩の距離まで来たとき、ようやくその姿がはっきりと分かった。

「小花、これって、オコジョとかテンとかいうやつ……?」

 小さな頭に、濃褐色の細長い体。気絶しているらしい顔の中心で、小さな鼻がひくひくと震えている。

「なんか、フォルム的にはそんな感じだけどね」

「かまいたちだ。それは」

「えっ!?」とお姉ちゃん。

「あの!? かまいたち!? これが!」と私も続く。

「うわあ小花どうしよう、私そんな有名な妖怪見るの初めて!」

 はしゃぐお姉ちゃんに、なんとなく、「私こないだ天狗見たよ」と言うのが憚られる。

「ぬ。しかしおかしいな。かまいたちといえば、三匹一組で行動するはずだ。先頭が転ばせ、二匹目が足などを切りつけ、三匹目が血止めの薬を塗って去る。こいつはさっきのさちの様子を見る限り、先頭の奴のようだが。他の二匹はどうした?」

 私たちはきょろきょろと辺りを見回した。けれど、近くにそれらしきものはいない。

 それから三対の視線が、目を回しているかまいたちに注ぎ直される。するとちょうど、「彼」はぱちりと目を開き、慌てて私たちに目を走らせた。

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