第一章 小花 さち 犬若 3
「ただいまー」
私とお姉ちゃんが二人で暮らし、半ば居候状態の犬若と一緒に住んでいる家。木造瓦屋根の二階建てで、ちょっと大きめの日本家屋だ。
両親が頑張って建てたと聞いているけど、私たち姉妹が小さい頃に離婚していて、お母さんは仕事で家をしょっちゅう空けている。
母屋と離れがあり、私の姉の輪道さちは、離れを自室にしている。私は母屋に自分の部屋があるので、母屋の玄関から帰宅して、外廊下を通って離れに向かうのが常だった。
「お姉ちゃん、いる?」
「いますとも」
離れのふすまを開けると、畳の上に置かれたベッドに、お姉ちゃんが半身を起こして座っていた。
手元には文庫本と、ビデオゲームのコントローラーがある。ベッドの足元側の先には、テレビがでんと置かれていた。
「本読んでたの、ゲームしてたの?」
「ゲームは朝、一日分やってしまったから、今は読書。この後仕事」
お姉ちゃんは、ゲームは一日二時間までしかやらない。でも、「手に持っていると落ちつく」という理由で、プレイしていない時でもよくコントローラーを持ったまま本を読んだりする。
「お姉ちゃん、お腹空いたでしょ。すぐ晩ご飯の準備するからね。犬若、お姉ちゃんと待っててね」
時計を見ると、十九時を少し過ぎている。我が家では、だいたい夕食は少し遅めで、二十時前後になることも多かった。私は一人で母屋に戻ると、台所に入ってエプロンをつける。
「よーし、いくぞ」
ご飯は、炊飯器にお姉ちゃんが炊いてくれている。
IHではないので、ガスコンロがふたつ。電子レンジがひとつ。古いせいで最近調子が悪いグリルがひとつ。これがうちの台所の火力の全てだった。
それぞれの間をせわしなく行き来しながら、しごく簡単ながら私たち姉妹の間ではなじみのおかずを、一品ずつ仕上げていく。
焼き鮭は、グリルではなくコンロを使って幽庵焼き。それとほうれん草のごまよごし。スープは、うちの課にサンプルでもらった徳用ワンタン。デイリー課ばんざい。ついでに言うと、鮭も鮮魚チームの余り物だった。
私もお姉ちゃんもあまりたくさん食べる方ではないので、これで充分だ。自分で言うのもなんだけど、簡単である。
「できたよ、お姉ちゃん」
母屋から離れへ続く廊下の入り口でそう声をかければ、充分離れには聞こえる。何分もしないうちに、部屋着姿のお姉ちゃんがやってきた。
「小花、今日もありがとう。いただきます」
テーブルに着いたお姉ちゃんが両手をうやうやしく合わせた。
この簡潔な献立を、犬若の言葉を信じるならば、お姉ちゃんがそんなに評価してくれているとは。
「ワンタンはサンプルだから、味の感想も教えてね。十六粒百五十円で売れるかどうか、意見が欲しいって言われてるから」
やや遅れてのっそりと、犬若もやってくる。
「うむ。今日も小花の料理は温かそうだな」
「できれば、温度以外を評価してほしいんだけど……」
犬若は特に食事をとる必要はないはずなのだけど、夕食の時間はできるだけ三人(?)で過ごすようにしている。
私は犬若が食べやすいよう、平たいお皿に鮭とほうれん草を載せてテーブルに出した。普通の犬なら食べてはいけない食材もあるけれど、基本的に犬若は私たちが食べられるものならなんでも平気で食べる。
「小花、鮭いいにおい。おいしい」
「うちのグリルで幽庵焼きするとまず焦げるから、この間営業に来たメーカーさんの教えてくれた焼き器で焼いたの。うまくいってよかった」
「ほうれん草も、ごまがいい香り」
「今は旬の真逆なんで、寒くなってきたら根も今よりおいしくなるから楽しみにしててね」
「ワンタンも、皮がつるつるしてておいしいよ」
「ほんとだ。これなら、営業チームも自信持って売れそう。スープ入りでパックしてるから、お湯注ぐだけでできるのいいよね」
「朝忙しい時とかに、パン派の人にもいいんじゃない? 温まるし、食べやすいし」
それはなかなかいいかもしれない。スープはほとんど透明なので、着替えてから食べる派の人も、服への跳ねを気にせずに食べられそうだ。
「む。鮭が一番いい出来だな」
手を使わずに器用に食べていた犬若も、そう言ってきた。
「いつか、幽庵地も小袋とかにパックして売られるようになるのかなあ。ていうか、もうどこかにありそう」
「凄い小花、社会人みたい」
「社会人なんですが……」
いつも通りの光景。いつも通りの食事。
私が働くのは、この日々を守るためと言っても過言ではなかった。