第四章 ケーキを運べ!~パティスリー ララメル 15
「こ、これ……この空気のトンネル、何キロ先まで続いてるの?」
「さあな。ただ、継の翁はあれで千里眼だ。車どもの群れが問題なく動ける程度の先までは伸びて行くだろう。この大雨はさほど広範囲ではないようだしな」
うちわから最後の空魚が出ると、水色の紙がぼろぼろと剥がれて、犬若の背中に落ちた。かと思えばさらに細かく風化して、空中に消えてしまう。
「そのうちわもお役御免というわけだ。さて、空魚の働きを見張りがてら、おれたちも先へ行くか」
「……犬若」
「む」
「ありがとう」
私は犬若の背中を撫でた。私の手はすぐに毛並みの中に埋もれてしまう。
「こんなに頼りになっちゃうって、なんとなく分かってたから、頼らないようにしてたんだけど」
「今日のことについてならば、お前が、己で己を助けたようなものだ。相手が小花でなければわざわざおれが出張ったりはせなんだからな」
「でも、犬若じゃなかったら、助けてくれなかったじゃん」
犬若が、左手の防音壁と右手の車列の間を歩き出した。
何台もの車を通り過ぎて行くけれど、誰にも私たちは見えない。
誰からも褒められないし、何ももらえない。特に犬若は、人間の営みそのものと無関係だ。それなのに……
「ま、それが縁というやつだ。おれとの出会いに感謝しろ」
「してるよ。今、凄く」
ずっと先の方で、車列が動き出したのが、テイルランプの動きで分かる。
「それは奇遇だ」
「え? 何が?」
犬若がスピードを上げた。
耳元で風が唸りだす。
私たちの周りで、空中を泳ぐ空魚の群れが、可愛らしかった。
■
一日外泊しただけでも、我が家の玄関は随分と懐かしく思えた。
「着いた……!」
あの後、ララメルのトラックは無事に渋滞を抜けた。
私たちは予定通り工場の中を見学させてもらい、お昼過ぎには愛知を出た。
夕方、会社に着くと一旦犬若とは別れて、一日半留守にしたせいでデスクに溜まった書類の片づけをしていると、あっという間に定時になった。
それでも私が帰って来る前に、手のかかりそうな仕事はほとんど鬼無里さんが終わらせてくれていた。
「本当にありがとうございました、鬼無里さん。忙しかったですよね、昨日と今日と」
「ふっふっふ、忙しくなかったと言えば嘘になるわね……。でも誰かしら急に風邪引いて休むことだってあるんだし、前から分かってた分ましだったわよ。それに、なかなか充実した視察だったみたいじゃない」
「そうなんです、実は」
「そう言ってくれると、送りだした甲斐があるわ」
右肩をぐるぐる回しながら、鬼無里さんは他の事務に「小花ちゃんいないと大変よね」と笑いかけた。
桐林くんの方も蟻ヶ崎さんに必要な報告を済ませて、別の仕事に取りかかっているようだった。
お疲れ様でした、と会社を後にする。
体は疲れていたけれど、不思議な解放感があった。
そして今、ようやく家に着いたのだ。