第四章 ケーキを運べ!~パティスリー ララメル 14
「よかろ。人間はともかく、そんな菓子を見殺しにするのは寝覚めが悪い。おい、犬妖」
「む」
「空魚を貸してやる。百匹もいればいいだろう。好きに使え」
天狗は懐から、今度は別のうちわを取り出し、犬若に投げた。犬若は細かい装飾についたそれを適当に口で受け止め、私に差し出す。
手に持ってみると、うちわに張られているのは水色の布だった、その紙の中を、濃い青色の、小さな魚がたくさん泳いでいる。水槽を上から見下ろしているようだった。
「継の翁、恩に着る」
「借りを返しただけだ。百匹出せばそのうちわも朽ちて消える。いちいち返しにくる必要もない」
天狗は私たちに背中を向けると、獣道を上がっていった。
「あ、ありがとうございました!」
「その犬妖と共にある人間とは、どうも馬が合うようだ。昔からな」
天狗の気配が消えた。
「犬若!」
「やったではないか。さ。乗れ」
私はもう一度犬若にまたがった。雨の中だというのに、その背中はほとんど濡れておらず、いつもと同じにもふもふしている。
「妖怪って素晴らしい!」
それからスマートフォンを取り出して、交通情報を見た。
「豊川だって言ってたよね……まだ事故とかは起きてないみたいだけど、急ごう。ここから、南西へ」
「承知」
犬若が濡れた下草を蹴る。たちまち風を巻いて、私たちは空中に踊った。
高速道路は、ひどい渋滞だった。
激しい雨に、嵐のような風。あおられて横転しそうな車もある。私のレインコートも、風を受けて地面と水平になるくらいに裾がたなびいた。
下限速度どころか、どの車もほとんど停車状態だった。時折、時速十~二十kmくらいでそろそろと車列が動く。
「どうすればいいの、これ」
高速バスの停留所に降りた犬若の上で、私は、呆然と、暗闇の中に連綿と続く赤いテイルランプを見つめた。その目に雨粒がぱしぱしと入り、ろくに前も向けない。路上では、風にあおられて波しぶきまで立っていた。
「そのうちわを、車の進行方向に向けて大きく振れ。その際、雨をかわし、風を避けるように命じるのだ」
「命じるって、何に」
「いいから。そら」
「こ、こう? 雨をかわせ! 風を避けろお!」
私は犬若にまたがったまま、ぶんぶんとうちわを縦にあおいだ。
すると、うちわの中を泳いでいた青い魚が、何匹もしゃっしゃっと空中に飛び出てきた。
「うわ!?」
「もっとだ。百匹と言っていただろう」
言われるがままに、うちわを振り続ける。
その度に飛び出してくる魚たちは、布の中ではメダカくらいだったのが、うちわから出るといわしくらいのサイズになり、みるみるうちに私の前方の空間を埋め尽くしていった。まるで水族館のいわしボールのように。
「とっとと行け空魚ども! 聞こえただろうが!」
犬若が一括すると、一瞬飛び上がるような動きをした後、魚――空魚たちが一斉に、高速道路上の空中を泳ぎ出す。
「な……!?」
空魚の群れは、直径十メートルほどの横倒しの円柱状になり、遥か先へと透明なトンネルを作った。そのトンネルの中は風が止み、雨が降り込んでこない。
「これで、先の方まで風雨が止めば、車も走り出すだろう」




