第四章 ケーキを運べ!~パティスリー ララメル 13
「わしが思うに黒というのは、食欲を湧かせる色でもないわな。単に美観のためとも違うぞ。はてさて……」
「ヒントっぽいこと言いながら指折らないでください逆に集中できないえーとええとお……」
残りは五秒ほどだった。考えようとしても、どうにもまとまらない。
仕方なく、ごく普通の回答をする。
「それ、大きさからして子供用ですよね? それなら色が黒いことで、『ご飯粒がよく見えて、残さずきれいに食べられるから』とか」
天狗の動きがぴたりと止まった。
犬若がほうと息を吐く。
「え? 当たり?」
「見事だ娘……この椀の問いを破るとは」
「いや、試しの椀なんぞと大げさに言うが、もともと新八郎があんたに出した豆知識問題だろうが。来る者来る者に同じことを訊いて、余程あの時自分が答えられなかったのが悔しかったのだな」
「黙れこの犬が高下駄で踏むぞ。よかろう、娘の智に免じて無礼を許し、聞くだけは話を聞いてやろう」
茶碗をしまった天狗の顔からは、いくらか険が取れていた。
私は「智かなあ……」とつぶやきつつ、降りるタイミングを逃して無礼にも乗りっぱなしになっていた犬若の背中から飛び降り、おじぎする。
「実は、この大雨で、荷物を載せたトラックが配送できずに困っているんです。助けてもらえないでしょうか」
「荷物? そんなに大切なものなのか?」
「人の生き死にに関わったりするわけではないんです……でも、大勢の人が一生懸命に作った、とても大事なものなんです。ケーキっていう洋菓子です」
天狗の目がきらりと光った。
「ほう。食い物か」
「はい。それが何百個か、何台ものトラックに載せて」
「何百とな。しかし、それが少々遅れるくらいのことが、それほど問題か」
「賞味期限が短いんです。このままだと、全部ロス――廃棄になります」
「何い!? 全部!?」
天狗がぐるんと首を曲げて犬若を見る。
「事実だ。おれも知っているが、ケーキというのはえらく繊細でな。中には冷凍して運べるものがあるが、今往生しているやつはこの二日三日で人が食えなくなってしまうらしい」
今日の、工場の様子が頭の中によみがえった。緊張感の中、丁寧に、迅速に人の手で作られていくケーキは、パンフレットで見た何倍も輝いて見えた。あれが全て棄てられてしまうなんて、耐えられない。
「日本の物流網は、それは凄いです。特に陸路のトラックは生活の基盤といってもいいくらいです。早くて、丁寧で、確実で、便利で。それだけに、天候でのトラブルがあると反動も大きいんです。お願いです、力を貸してください」
天狗は、長いあごひげを右手でさすった。思案顔になっている。
「その物流網とやらは、随分と頼りない薄氷の上に成り立っているようだな。むしろ、助けてやらん方がいいのではないか? わしは戦後の混乱期も見ているが、それからえらく精妙になり過ぎたのではないか。雨で車が止まったくらいで、積んだ食い物を丸ごと棄てねばならんとは」
「おっしゃること、分かります。でもこれは、……私が偉そうに言えることではないんですが、戦後というならそれこそ今日まで、少しでも安定した日常を送りたいっていう、人々の願いが作り上げたものだと思うんです。私の会社の物流チームの人たちだって、荷物の集荷や配送に毎日毎日必死で取り組んでいます。彼らとやり取りしている、物流会社の人たちも同じです。注文したものが、毎日、注文した通りに届く――それは本当は魔法みたいなものなんですけど、その魔法を、人の力で日常にしているんです。今日、改めてそう思ったんです。だから、……何とか、してあげたい」
「人の身で、えらく高望みしたものだな。それを実現したのは大したものだがな」
天狗の目は、冷めていた。
そうだ。私が言いたいことも、そんな総体的なことじゃない。
私は天狗の、ぎょろりとした双眸をまっすぐに見た。
「助けたいのは、今、トラックの中で困っているドライバーさんです。それに、積まれているケーキです。届くべき人のところへ届けてあげたいんです。お願いします」
私は深々と頭を下げた。
少しの間の沈黙。
天狗が、ふっと息を吐くのが聞こえた。




