第三章 風を裂いた日、光明の夜 8
お姉ちゃんの舌を治せるかもしれない、と犬若に言われたすぐ後。
私は二階にある自分の部屋でベッドに腰かけ、後ろから着いてきた犬若が私の前でスフィンクスのような格好で床に座った。窮屈そうだけど、仕方がない。
お姉ちゃんはお風呂に入っているので、内緒話をするなら今のうちだ。
今では私もお姉ちゃんも社会人だ。私が食品関係の会社に入ったのは、お姉ちゃんの影響が間違いなくあった。そのお姉ちゃんを最も苦しめているものを、私がどうにかできるというなら、是非もない。
でも。
「犬若、さっきのどういうこと」
「簡単に言うぞ。まず、長年のさちの不調の原因だが。これは、蛇妖の仕業だ。それも一体ではない」
「へびよう……蛇の妖怪? でも、そんなの……見たことない」
私は半信半疑だった。少なくとも犬若は私には見える。お姉ちゃんとは一緒に暮らしていて毎日顔を合わせているのに、そんな妖怪の仕業だなんて。
「身も心も共に、真に厄介な病巣というのは、常に、見えないものなんだ。お前にも、さちにも見えない。それほど巧妙にさちに取り憑いている。おれが不覚だった。なにかおかしいとは思っていたが、見抜くのに時間がかかった」
「犬若は、いつ知ったの? それ」
「おれがこの家に棲み出した日だ」
私は絶句した。それは確か、私が小学校六年生、お姉ちゃんが中学二年生の時だったはずだ。
「十年くらい前ってこと? それなら、なんでずっと黙ってたのよ」
「お前が、先刻のように考えるだろうと思ったのだよ」
「先刻って……」
「自分のせいで、さちは舌を患った」
「……それは」
確かに、その通りだった。
「いいか。かなり簡略化して言うが――人間には誰でも陰と陽の気がある。どちらが強まり過ぎても、弱まり過ぎても均衡を失う。小花、お前は陽の気がかなり強い。そして、さちは陰の気が」
「……うん。そんな感じはちょっとする」
「蛇妖は陰の気を好み、陽のそれを厭う。だからさちに近づくのは道理ではある。だがお前たちは、よく二人揃って幼少期を過ごしていたな。それによって、お前の持つ陽の気から逃れて、さちの体内に逃げ込む蛇妖が多くいたのだ。大抵の蛇妖は、人間に取り憑いた後は適当なところで去っていく。だがさちの体は入り込みやすく居心地がいい上に、外に出ようとすると小花の陽の気に当てられる。いきおい、どの蛇もさちの体に巣食ってしまう」
両肩が、ずっしりと重く感じられた。
これまでの私たちの生活を思い出す。
泣きそうになってきた。
お姉ちゃんの一番の楽しみを奪って、お姉ちゃんの助けになるつもりで、私はなるべく姉妹で過ごす時間を多く取っていた。
それが、全て裏目だったなんて。
「小花、いいか。ことの一因は確かに、お前にないとは言わない。しかしこれは、さちの体質の都合上、いつかどこかでは起きてしまうことではあった。先刻言った、時代の狭間ということもあるからな。そして、話の肝はここからだ」
「う……うん」
「おれは、さちが元々頑健でないことは分かっていた。だから異変を感じた後、妖物が原因かどうかを確かめるために、お前たちの住むこの家を棲み家にした。より近くでさちを見張るためにな。すると案の定、さちには蛇の気配があった。しかも、既に随分ときつく蛇妖がさちの内側に食い込み、一体化していた。それから、もう十年か。おれはただ漫然とさちの傍らに侍っていたわけではない。日々、さちに影響が出ない程度に、その体に向かって妖気を放っていた。さちと癒着した蛇を引きはがすためだ。ようやく近頃になって、蛇はさちから緩やかに分離し始めた。しかし、無理に続ければさちの体が参ってしまう。ただでさえ弱い肉体だからな」
「そうだね。体育とかも、お姉ちゃんよく見学してたし」
「しかし、大きな変化があった。まさに今日だ。全てではないが、蛇妖が何匹か、さちから大きく剥がれた。あとひと押しで取り払えるほどに」
「え!」




